ぬるいまままもがく


「相変わらず強引だねぇ〜、黒岩は」


末席の私と、時間ギリギリに滑り込んだ綾部さんは、揃って会議室の後方隅に座っていた。今しがた、共礼会連続殺人犯逮捕のための対策会議が終わり、綾部さんが軽く伸びをする。


「容疑者の羽村には犯行の動機も機会も、当日被害者との接点もありますから、納得でしょう」
「けどよ、今回久米をやったのが羽村だとして、前の2件にはアリバイがあんだろ?手口から見て、同一犯だと考えるのが妥当じゃねぇのか」 


綾部さんの意見はご尤もで、言葉に詰まってしまう。
でも、せっかく掴みかけた糸をみすみす離すわけにはいかないことは、黒岩さん以下、私たち組対の共通認識のはず。


「手がかりが見つからない以上、その点は置いといてここは逮捕に踏み切るべきです。前の件についても羽村が何か知ってるかもしれませんし!」


綾部さんは「どーだか…」と納得いかない様子で無精髭をさすった。


「窓際のお前らが一丁前に推理ごっこか?」
「是非見解とやらを聞かせてもらいたいもんだな」


突然声が降ってきた方を見上げると、組対の先輩方がにやにやとした顔で立っていた。
まぁ参考にはならねぇが、と付け加えて、蔑んだ笑い声を上げる。


「てめーらこそ暇かよ…」
「あぁ?何か言ったか?」
「いや、なーんも」


綾部さんはすっかり呆れたように、頬杖をついて身体ごと背を向けてしまった。先輩方は尚も笑い続ける。
ついに耐えかねて、机に手をつきそのまま椅子を引いて立ち上がった。金属の脚が床を擦るひずんだ音で、ようやく声が途切れる。


「出過ぎた発言とは思っていません。自分も組対刑事の端くれとして、事件解決に全力を尽くす所存ですので」


一気に言い切った後、沈黙が流れた。
心臓は早鐘を撞いているけれど、顔には出さないように努める。先程の黒岩さんからの言葉がこの場で私に勇気を与え、奮い立たせてくれたのだと思う。

先輩方は豆鉄砲を喰らったような顔を正し、生意気が、と舌打ちした。


「ヘッ、新人に言われてやんの」


バツが悪そうに翻し会議室を出ていった背中に、今度こそ綾部さんの軽口が命中した。







松金組若頭・羽村京平の逮捕は、それからすぐのことだった。

しかし羽村は3件目の殺人はおろか、関連事件への関与も否定、有力な証言を引き出せず、真相究明は難航していた。
署内留置所には、毎日のように舎弟らしきヤクザがやって来ては、周囲の警官に当たり散らしている。
警察もヤクザも、苛立っていた。


「腑抜けたこと抜かしてんじゃねぇ!もういい、とっとと帰れ!!」


取り調べ準備のため留置所に赴いたその日も、廊下まで羽村の怒号が響き渡った。たしか今日は弁護士との接見ではなかったはず。
少しして、面会室の中から組員らしき男が出てきた。深く頭を下げ、静かにドアを閉める。

男はその場で小さく一息ついてから、こちらに向かって歩き出した。
徐々に近づく距離に、私の方は少し身構えながらも歩くスピードを落とす。両手に抱えた書類を胸に引き寄せた。


「おい、アンタ。喫煙所の場所教えてもらえるか」


オールバックの髪型、色付きのサングラスで隠れているものの、目元は鋭く力が入っている。
ただ、その声には見た目ほどの威圧感は感じられず、妙に落ち着いていた。


「……あ、えっと、喫煙所は外に出た所にあります」
「そうか。どうもな」


男の背後突き当たりにある出口を指差すと、短い言葉を残して去っていく。
いつも差し入れを持って来る血気盛んな組員とは明らかに風格が違っていたが、向けられた背中は少し物憂げに、小さく見えた。

暴力団の内部も多くは一枚岩ではなく、色々と複雑らしい。
任侠映画でみるような義理人情を重んじる人間は少なくなり、金を稼ぐ能力のある人間や、力ずくでねじ伏せる人間がのしあがる残酷なまでの成果主義社会だと聞く。支配者の波に逆らえば、冷や飯を食わされる。

小さくため息をついて、抱えた書類に視線を落とした。
先日言い返したことで、私はさらに現場から遠ざけられ、最近は専ら署内で書類の作成や整理ばかりをあてがわれている。
ヤクザも警察も、大して変わらないように思える。


「こちら資料です。確認お願いします」
「あぁ、ありがとう」


担当刑事に持参した書類を渡すと、ちょうど羽村も取り調べ室に入ってきた。
私たちを一瞥し、パイプ椅子にどかっと腰を下ろす。


「今日は黒岩じゃねぇのか」
「あいにく検事のご対応中だ。相手してもらえなくて残念だったな」
「フン、いい加減ウンザリしてたところだ」


ふと、睥睨した視線とかち合う。
立っている私の方が高い位置にいるのに、まるで頭から押さえつけられているような感覚に陥る。
先に態度を崩したのは、羽村の方だった。


「ンな顔しなくても、取って食ったりしねぇよ」


薄い唇が開きあやしく持ち上がる。
私は見透かされていた警戒心を振り払うように、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「黒岩の部下か」
「…ええ、まぁ」
「お前もアイツが怖ぇか」


質問の意図が掴めない。
『お前も』というのは、羽村は黒岩さんのことが怖いのだろうか。余程きつい取り調べを受けているなら無理もない。

ともかく、私は黒岩さんのことをそんな風に思ったことはなかった。
常に冷静沈着で決して捜査の手を緩めない、完全無欠な人ではあるけれど、抱いているのは畏敬の念に近い。


「威厳のある方だとは思っています。それでも、恐怖で人の心を支配するようなことはしません」
「……そうかよ」


返事が気に召さなかったのか、そこで会話は打ち切られた。背けた顔はまた元の強面に戻っている。
じゃあそろそろ始めるか、と刑事が向かい合う椅子を引いたところで、ガチャリと入り口のドアが開いた。


「突然すまない。取り調べは俺が担当する」
「黒岩さん。検事の方とのご用事があったのでは?」
「もう済んだよ。みょうじ、書類の手配ご苦労だったな」
「いえ、お疲れ様です」


冷えた表情は変わらなくとも、労いのお言葉に胸があたたかくなる。こうして末端の仕事も認めてくれ、気にかけてくださる黒岩さんにはいつも感謝しかない。
羽村のようなヤクザにとっては厄介な相手なのだろうが、組対の刑事としては心強く、やはり陣頭指揮を務めるのはこの人を置いて他にいない。


「勝てるわけねぇ裁判なんか起こして、馬鹿な野郎だ」
「てめぇらこそ、無実の人間疑っても時間の無駄だぜ。こうしてる間にもまた次の殺しが起きるかもしれねぇのによ」


向き合って座った黒岩さんに対して、羽村は眉間の皺を一層深くし、白いスーツの足を組んだ。


「その時はお前をムショにぶち込んでから考えるさ」


刑事に退出を促され、失礼します、と頭を下げる。
分厚い部屋の扉が閉まる間際に見えたのは、書類に目を通す黒岩さんと、ふん反った姿勢のまま見据える羽村の姿だった。

この時点で、羽村の主張を裏付ける有力な証拠はなかったように思う。
今回と一連の事件について、その真相が白日の下に晒されることを、誰もが期待していた。

数日後に行われた裁判で、まさか羽村に無罪判決が下るとは思ってもみなかったのである。




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