ふくらんで実らない


思ってたのと違った、ということは、人生で往々にしてある。

たとえば、行列に並んでまで食べたラーメンの味が微妙だった時とか、人気映画の続編が終始蛇足な内容でしかなく、途中で飽きちゃった時とか。大抵は些細なもので、しかたないと諦めがつく。
…そうやってきたけれど。


「遅いぞ、なまえ!」


そーっと扉を開けたものの、目が合ってすぐに鋭い声が飛んできた。隣に並んでいたアオバさんまで、思わず肩を震わせる。
「す、すいませ〜ん…」と苦笑いで乗り切ろうとするも、険しい表情は一切緩まない。


「まぁまぁ、俺らも今来たとこじゃねーか」
「遅刻は遅刻だ。新人なら尚更先輩を待たせるべきじゃない」


ゲンマさんのフォローもむなしく、ピシャリと跳ね除けられてしまった。私の方を見てやれやれと眉を上げる。もうちょっと食い下がってくれてもいいのに…!

観念して部屋の中に足を踏み入れ、出来上がっている輪の方に歩み寄り、深く頭を下げる。


「お待たせして申し訳ありません…」
「過ぎた時間は戻らない。時は金なり、と言うだろう」
「はあ…、はい、以後気をつけます」
「…あぁ、頼むぞ。皆、すまないな」


もう二言三言続きそうな顔だったけど…なんとか飲み込んだようで、その場はなんとなくおさまった。今日の業務についてだが──、と朝礼が続けられる。

チラリと壁の時計を盗み見ると、言われていた集合時間から5分しか経っていなかった。3分遅れて、あとの2分はお説教にかかった時間。再び視線を目の前の上司に戻し、心の中でため息をついた。
ライドウさんが『思ってたのと違った』ことには、いまだに納得できずにいる。



〻 



「お疲れーッス」
「シカマル君!お疲れさま〜」


うず高く積まれた書類の山から見知った顔が覗くと、立ち上がって手を上げた。


「今日もすげー量っすね、これ」
「朝からひたすらチェックしてるの。頭おかしくなりそう」


へー、とさほど興味なさそうに返す彼を見てはっと用事を思い出し、山から一枚引っ張り出す。


「これ、アスマさんに渡しといてくれない?この前の任務の報告書に不備あり、って」
「俺がっすか。めんど……あー、いや了解です」


しぶしぶ、目の前に突き出した紙を受け取ってくれた。
最近中忍に昇格した彼は、つい出てしまう口癖を最近は意識的に改善しようとしている。
「チッ、アスマの奴…」って、呼び捨てにしてるの聞こえてるけど。


「そういやさっきゲンマさんから聞きましたよ。なまえさん、今朝もライドウさんの雷落としたらしいっすね」
「あー、まあね…」


せっかく忙しさに追われて忘れかけてたのに、シカマル君の言葉で再びあの怖い顔が脳裏にはっきりと浮かんだ。


「いつものことだよ。あんな人だしさ」
「いつものって、それなまえさんに問題あんでしょ」
「うっ…」


たしかに、遅刻だのミスだの、いつも引き金は紛れもなく私が原因なので、鋭い指摘にぐうの音も出ない。
にしても、指摘がいちいち細かいとは思うんだけど。


「でもライドウさんってなまえさんには特に厳しいっすよね」
「そりゃ直属の部下だからでしょ。自分の顔に泥塗られんのがイヤなんだよ」
「そーすかねぇ…」


シカマル君が小さくつぶやいたところで、扉が開き、もう一人部屋に入ってきた。その顔を見て、私は言わなきゃいけないことがある。


「ゲンマさん!シカマル君にまた私の失態言ったでしょ!」
「なまえがへこんでたら気遣ってやれって言ったんだよ。その様子じゃ心配なさそうだな」


そう言いつつ、この人もハナから全然心配してなさそうな口ぶりだ。
これも追加でヨロシク、と別の紙束が机の端に置かれる。有無を言う隙もない。


「夕方までには終わらせろよ。今日飲み行くからな」


飲み、というワードを耳にして、もちろんですっ!と拳を作った。

シカマルも行くだろ?、はい、と会話を交わしながら2人が部屋を出ていこうと扉を開けると、入れ違いでまた別の人影がぬっと現れた。
去り際、シカマル君がはっと気づいた顔をする。


「あっ」
「ん、何だ?」


思わず声をあげた私に、その人物、ライドウさんは不思議そうな表情をした。
「いえ、お疲れ様です」と何事もない体を装うと、「あぁ、お疲れ」と返される。

ライドウさんは処理済みの書類に目を通しながら、スイスイと腕の中に回収していく。
私なら両腕でいっぱいになる量も、ライドウさんなら片腕で悠々と収まる。

仕事をしている時の真剣な横顔を、最初のうちは緊張しながらこっそり眺めたりもしてたけど、今ではすっかり慣れたなぁ。


「ゲンマたちと飲みに行くのか?」
「あ、はい。シカマル君と、多分アオバさんも一緒に」
「シカマルは未成年だろ」
「彼は飲みませんよ。話に付き合ってもらってるだけです」


ついでに言えばシカマル君のご飯代は私ら持ちなので、用事がない時以外は誘いに乗ってくる。めんどくさがり屋なのに、ちゃっかりしている。


「なまえも、ほどほどにしとけよ」


腕の中の書類に視線を落としたまま、いつもの如く釘を刺された。
大方、二日酔いにでもなったら明日の業務に響くとか、そんな理由からだろう。私がダウンしたら、仕事が2倍になって困るのはこの人だ。

はぁい、と返してから、椅子に座り直して目の前の書類に取り掛かった。







香ばしく焼いた枝豆より、ふわふわのだし巻きより、肴になるのは上司の悪口。


「ライドウさんのアホ〜!」


丁度お品書きを手にしていたアオバさんが、「同じので良いよな?」と注文を入れてくれる。おねがいします、と空のグラスを差し出した。


「ま、アイツも真面目すぎるってのはあるな」
「ゲンマさんももっと強めにフォローしてくださいよぉ!」


同期でしょうが、と睨みつけると、「なんで俺がお前を庇わなきゃなんねーんだ」と冷たくあしらわれた。
この人はこの人で、薄情なところがあると最近気づいた。


「今朝も時は金とかどーとか…。私だって時間いっぱい一生懸命働いてお金もらってますってば」
「なまえさん、時は金なりって意味わかってます?」
「え?要するに時給みたいなことでしょ」


ハァ〜、と目の前に座ったシカマル君が小馬鹿にしたように深いため息をついた。
違うの?って聞いても、頬杖をついたきり教えてくれない。2〜3回押し問答しているうちに頼んだお酒が来た。


「まぁ、飲んで忘れよーや。んで、明日からも頑張れ」


ゲンマさんが目の前にグラスを置く。なみなみに注がれた水面に映る顔は、ひどく情けなく見えた。
言いたいことを面と向かって言えない、気弱でずるい私に、ライドウさんもきっと失望してるに違いない。


「せっかく特別上忍になれたのに…、事務仕事は多いし、憧れの人はあんなんだし、思ってたのと違う!!」


あんまりだ〜!とテーブルに突っ伏した。
おいおいここで寝るなよ、とアオバさんの困ったような声が降ってくるけど、下がってくる瞼に抗えない。

今日はとにかくたくさんの書類に目を通したせいか、すごく疲れた。
すっかり冷えてしまったおしぼりを閉じた目に当てると、頭がぼんやりとしてきた。
騒がしい居酒屋の音がだんだん遠くに、途切れがちになっていく。


「あーあ。もうこれ聞こえてないっすよ」
「しょーがねーな……おいアオバ、わりーけど頼めるか?」
「わかった。すぐに手配しよう」


意識を手放す直前、大きなあたたかい手が肩に触れた気がした。







どれくらい経ったのだろうか、身体に少し冷えた風を感じる。さっきは少し暑いくらいだったのに。


「ん〜……」


まだ少し重い瞼を持ち上げると、目の前には茶色い髪の毛が揺れていた。
そして何故か灯りのまばらな夜道を歩いていた。
ただ、歩いているのは自分の足ではなく。


「………はっ?、えっ」
「起きたか?」


誰かの背におぶられている。振り返った茶色の頭は、ライドウさんだった。


「な…なんで……っ?!」
「だからほどほどにしとけよ、って言っただろ」
「それは……ってか、私おりっ、おります!下ろしてください!!」
「ジタバタするな、酔ってんだから…。大人しくおぶられてろ」


どっか座れるとこ探すか、と体勢を崩した私の身体を背負い直す。

いろいろと理解が追いつかないけど、すれ違う人たちの好奇の視線が恥ずかしくて、とりあえず言われるがままライドウさんの背に隠れて目を瞑っていた。

そのまま少し歩いてベンチのところまで来ると、ライドウさんは身体の向きを変え、ゆっくりと私を下ろした。お尻に冷たく固い感触が伝わり、掴まっていた肩から手を離す。

ふぅ、と腰を叩きながら、ライドウさんも隣に腰掛けた。


「…ご面倒かけてすみません。ありがとうございました」
「あぁ、別にいい。もう大丈夫なのか?」
「はい。お見苦しいところをお見せしてしまって…」


事前に忠告されていた手前、結局こんな醜態を晒してしまってばつが悪い。
ましな言い訳も思い浮かばず、まごまごしている私を見て、ライドウさんが口を開いた。


「いつも、ああなのか?」
「ああ、とは…」
「アイツらと飲みに行ったら寝てるのか」
「いや!そんなことは…今日はちょっと疲れてたみたいで」


普段あの程度飲んだくらいでは、ましてや外では、寝てしまうことはない。今日もそのはずだったのだけど。
ゲンマさんたちにも迷惑かけたのかもしれない、明日謝らなきゃ。
すっかり覚醒した頭で考えを巡らせていると、


「そうか…お疲れさん。気づいてやれずに悪かった」


申し訳なさそうに、ライドウさんが眉を下げた。
思いもよらない反応に絶句してしまう。この人、こんな顔するんだ。


「いえ…そんな、気にしなくても…!」
「つい厳しくしちまう。部下だからって、俺が甘やかしてると思われたらなまえが損すると思ってな」


でも、お前はよくやってるよ。

ゆっくりとこちらへ流した目が、ゆるやかに細まる。
さっきまで何を言われるかと膨らんで張っていた警戒心や不安が、しおしおとしぼんでいく。

もしかしてまだ私は酔って寝てる最中で、これは都合の良い夢なんだろうか…。
試しに膝の上で合わせた手の甲を摘むとちゃんと痛みを感じたので、いよいよ混乱してきた。


「口煩いついでに言わせてもらうが。いくら気心知れてる奴らの前とはいえ、あまり無防備な姿見せるなよ」
「はい……あ、でもさっきライドウさんの背中で思いっきり寝ちゃいました」


お店を出たのにも気づかなかったし、途中で起こしてくれてもよかったのに。
私の顔を見て、ライドウさんが気恥ずかしそうに頬をかく。


「その…俺はいいんだよ。他の奴に見せるな、ってことだ」
「…!」


この胸の締め付けは、いわゆるキュン、ではなくギュンッ!という効果音の方が相応しい気がする。
いつもと全然違う、何だか思わせぶりな態度に調子が狂う。でも、そんな器用な人でもないし……
熱くなった顔が、夜の闇に上手く紛れてると良いけど。


「さ、帰るぞ。家まで送る」
「はっい…、お願いします…」


つられてぎこちなく立ち上がるけど、ライドウさんのことは一向に見れない。
そんな私に気づく様子もなく、大丈夫か?と腰を折りまげて顔を覗き込まれると、強制的に視線が交じり合う。逸らすこともできず、瞬きも忘れて見つめていると、やっぱりライドウさんって大きいなあと思ったりして。


「明日は遅刻するなよ」


そのまま優しく微笑みかけられた時、記憶の中である瞬間と合致した。それは、自分が中忍になってすぐの頃。
今のシカマルくんより当時の私の方が年上だったけど、気持ちだけが先走って、早速初任務で小隊からはぐれてしまい。
半泣きで森を彷徨っていたところを迎えに来てくれたのが、特別上忍のライドウさんだった。あの時も、私を叱るでもなく、呆れるでもなく、心底安心したように微笑みかけてくれた。

あの日から、私はこの人のことを一方的に慕って、その背中をひたすらに追いかけてここまで来た。
そんな日々が、今日少しだけ報われたような気がした。


「がんばります…」


そう答えたけど、早速今晩は一睡も出来そうにない。







「アオバさんのカラスに呼ばれて、ほんとに来るとは…あのライドウさんが」


空いた2人分の席にゆったりと座るアオバさんが「あぁそれな、」と反応する。


「アイツは絶対来るよ。迎えに行けるように体空けてるんだ、いっつも」
「マジかよ…」


開いた口が塞がらない俺の横で、焼き鳥串を手にしたゲンマさんも肩をすくめる。


「大層可愛いんだろうよ。あれじゃ伝わってねぇけどな」
「お互いもう少し素直になればいいのにな」


…なんだそりゃ。
呆れた心の声が顔に出ていたのか、俺を見ながら2人してにやにやと笑ってやがる。「お前にもいずれわかるよ」なんてガキ扱いしてくるが、俺からすりゃあ、特別上忍ともあろうあの人らが、たかがこんなことでと甚だ理解に苦しむ。

だって大人のくせに、めんどくせーだろ。




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