ドラマチックメーデー


「ごめん、待った?」


声をかけられて、さも今気が付いたように顔を上げる。ほんとは、駅の出口から辺りを確認する姿を見つけていたけど。

いえいえ、全然です!とかぶりを振ると、そっか、と微笑まれて、また胸が小さく高鳴る。
今日は杉浦さんと2人っきりでお食事。願ってもみない状況に、緊張と嬉しさで頭がいっぱいになる。


「じゃあ、行こっか」
「はいっ」







「何でも好きなの頼んでいいよ」
「えーどうしようかなぁ……、あ!私に構わず、杉浦さんお酒飲んでくださいね!」
「ほんと?じゃあお言葉に甘えて…一杯だけもらおうかな」


杉浦さんが予約してくれたイタリアンレストラン。大学合格のお祝いに食べたいものをきかれて、前々から気になっていたこのお店を提案した。

友達と来てもよかったけど、真っ先に浮かんだのは杉浦さんで、きっと彼も好きそうだと思ったから。
向かい合わせに座り、あいだに広げたメニュー表に視線を落とす様子をちらりと盗み見る。明るすぎない店内で、少し影の差したお顔がいつもに増して魅力的に見える。


「全部美味しそうだもんね。いろいろ頼んでシェアしよっか」
「いいですね!じゃあ…」


各々気になってたものを複数品を見繕って、オーダーした。
1人や女友達同士じゃ食べきれない量を心置きなく頼めるのも嬉しい。


「オシャレなお店だけど意外とカジュアルでいいね、ここ」
「ですよね。内装もステキ」
「八神さんたちとだと、いっつも安い居酒屋とかだから…浮いてないかな、僕」
「いや、めっちゃ馴染んでます!杉浦さんは今日もかっこいい……ので」


勢い任せに飛び出した言葉で恥ずかしくなり、語尾が尻すぼみになる。
杉浦さんは一瞬きょとんとした後、「ありがと、」と目尻を下げてはにかんだ。


「なまえちゃんはいつもとちょっと雰囲気違うね」
「そ、そう見えますか…?」
「うん。いつもは可愛いけど、今日は何だか大人っぽい」


そう呟いてじっと見つめる杉浦さんの方がよっぽど色っぽくて、くらくらする。

というか今さらっと、2回褒められた…?あぁ、杉浦さんの言葉を一言一句逃したくない。
今日のためにおろしたキャミワンピースの裾がテーブルの下で嬉々と揺れている。


「お待たせいたしました」


先に飲み物が運ばれてきて、私の目の前にグラスワイン、杉浦さんの前にジンジャーエールが置かれる。
あっ、逆。でも後で交換すればいっか。


「お料理もすぐにお持ちいたします。少々お待ちくださいませ」
「はい、おねがいしま…」


視線を上げると、空のトレーを手にした店員さんと目が合った。
その顔を見て思わず言葉が詰まり、頭が瞬時に真っ白になる。

2、3秒間があった後、男は顔色ひとつ変えずに頭を下げて厨房の方に消えていく。その背中を呆然と見つめた。


「なまえちゃん、どうかした…?」
「……あ、いやっ…なんでも!これ逆ですね、」


心配そうな声色にはっとして、慌ててグラスの位置を取り替える。背中に流れるひんやりとした汗が気持ち悪い。

次の話題を探しながら、頭の中では無理矢理引っ張り出された記憶がぐるぐると巡る。
あれはたしか高校の時の同級生。ただの知り合いならまだしも、あの男はそうじゃない。
多分、見間違いじゃなかった。







空いたテーブルの後片付けをする横顔をひそかに見ても、厨房に向かって注文を通す声に耳をそばたてても、絶対に奴に違いないのに、特に何かをしてくる素振りもない。

実は向こうはまだ気づいてないのかもしれない。そうでなくても、あくまでも店員として通そうとするつもりなのかも…。

どちらにせよホッと胸を撫で下ろし、最初はあまり味がしなかった料理も、徐々に楽しめるようになってきた。
けれどお腹が膨れてくるほど、この夜の終わりが近づいてくるようで、寂しさが込み上げる。


「なまえちゃんの合格祝いなのに、僕の方がたくさん食べちゃった」
「杉浦さんのお口にも合ってよかったです。ご一緒してくれてありがとうございました」
「ううん、こちらこそ… また来ようね」


何気ないその『また』が、どんなに嬉しいか。たとえこの場限りの社交辞令だとしても。
不意に杉浦さんが「あっ、」と声を上げた。


「もちろん次も2人で、だよ?…みんなともいいけど、こういうところでは、さ」


頬杖をついて傾けた杉浦さんの顔は、少し赤くなっている。何だか新鮮でどきどきするのと同時に、口の端からゆるゆると力が抜けていくのを止められない。
「はい!」とはっきり答えると、小さく笑い声が漏れた。


「今日の最後に、デザート食べる?」
「もちろんです!あ、でもその前にお手洗い行ってきますね」


行ってらっしゃい、と頷く杉浦さんと自分のカバンを残して、席を立つ。
どうやら店の外にあるらしく、一旦裏口から出ると、小綺麗な屋根付きの建物が入り口で男女別に分かれていた。

1人になって今夜の思い出を振り返る。全部きらきら、ふわふわとした宝物のような時間だった。この先もきっと忘れられない一瞬一瞬を大切に抱えて、明日からも頑張れる。
手を洗い軽く身だしなみを整えてから、扉を開けた。


「よう、久しぶりだな」


目の前に、さっきの店員の男がいた。
心臓が飛び出しそうになったのと同時に、身体が内側から急速に冷えていくのを感じる。

男はさっきまでの制服らしきエプロンはしておらず、手に持っていたタバコを放り捨てると、革靴の下でジュッと擦り潰す。


「なまえだろ。見違えたぜ」
「…人違いです」
「つれねーな、おい。俺のこと忘れたのかよ」


一歩、二歩と距離を詰められる。
こいつ、こんなに身体大きかったっけ。最後に会話したのはもうずっと前な気がする。


「もう行ってもいいですか。人待たせてるので」
「一緒にいた男か。オッサン相手にしてたくせに、今度は年下趣味かよ」


杉浦さんは年上だけど、わざわざ訂正する気にもなれない。飲み物を取り違えたのはそのせいか。
目の前に迫る不快な笑みが、頭の片隅に追いやった記憶を嫌でも呼び起こさせる。


「突然付き合い切りやがってよォ…マジで大学行ってキャラ変かよ、ウケるな」
 

杉浦さんとはまるで違う、下品な笑い声が酷く耳障りだ。
タバコの匂いが染みついた指が近づいて、髪に触れようとした時、「やめて!」と思わずその手ごと払い退けた。

「痛ってーな…」と微塵も思ってないだろうに、手の甲をさすりながら眼の奥には怒りが滲んでいる。やっぱりこの男は、昔と何も変わってない。

いざとなれば大きな声を出して店の人を呼べばいい。一発くらいはもらうかもしれないけど、その方が好都合だ。
じり、と半歩後ずさった時、


「そこで何してるの、店員さん」 


いつの間にか、裏口の扉が開いていた。
目の前に立つ身体が邪魔で見えないけど、その声を聞き間違えるはずはない。
チッ、という私にだけ聞こえる舌打ちの後、壁になっていた視界が開けて姿を捉えることができた。


「…すぎうら、さん…」
「ついて行くのは悪いと思ったんだけど、様子が気になって… ごめんね」


杉浦さんは私の顔を見るなり、眉を下げて申し訳なさそうに謝った。
それからゆっくりとこちらに歩いてくる。視線は隣の男に移り、表情が徐々に険しくなっていく。自分に向けられたものじゃないのに、ゾクリとした。


「で。君はその子に何か用?」
「いや〜…実は知り合いで…昔話で盛り上がってたところなんですよ〜」


なあ?、と突然肩に手を回されて、距離が近くなる。
「いや、ちょっと、」と押し返そうとして身をよじったところを、前から杉浦さんにぐいっと引っ張られた。
いとも簡単に腕から抜け出て、代わりに白いパーカーの胸に収まる。腰あたりにそっと手が添えられた。


「知り合いだか何だか知らないけど…気安くこの子に触らないでくれる?」


目の前は真っ白で、胸いっぱいに杉浦さんの匂いで満たされる。耳元でいつもより低い声が響いて、指一本を動かすことすらできない。


「…お客さんこそ、そいつの何?」
「僕?彼氏だよ」


か、彼氏ぃ…?!

私の心の声は、背中で聞いている男の声と重なった。
急激に心拍数が跳ね上がるけど、いやいや、杉浦さんはこの場を早く、丸く収めるために方便として言っただけ。こんな時でも、荒立てず冷静に対処できる杉浦さんってやっぱり私よりずっと大人なわけで……。
勘違いを必死に振り払おうとしていると、段々と落ち着いてきた。


「これ、お会計。お釣りはいらないから」


杉浦さんは私を支えているのと別の手でポケットをまさぐり、数枚のお札を男に押し付けた。
その間、私は一度も後ろを振り返ることなく、掴まれた手を握ってそのまま店を出た。
杉浦さんのもう一方の手には、私のカバンが握られている。


「…ごめんなさい」


少し歩いた先で、握った手に力を込めて呟くと、ピタリと足が止まった。


「なんでなまえちゃんが謝るの」
「杉浦さんに迷惑かけちゃったから… 嘘も、つかせてしまって」
「…まぁ、確かに年下に間違えられたのは心外だったけど」


き、聞こえてたんだ…!

出会った頃の、過去の誤ちを知っている杉浦さんとはいえ、聞かれたくない会話だったなぁ、と思い返してももう遅い。
キャラ変したって、時間が経ったって、事実は変えられない。


「でも、あの場で嘘ついたつもりはないよ」
「……えっ?」
「そんな余裕ないもん。アイツがなまえちゃんに迫ってるの見て、大人げなくイラッとしちゃったし。この前だって海藤さんに…」


いや、それはいいか、と自ら言葉を切る。代わりに、ぎゅ、と力を込めて握り返された。
手のひらを伝う確かな熱が、夢みたいなこの夜を現実だと教えてくれる。


「とにかく。なまえちゃんがその気なら、このまま既成事実にさせてもらうから」


いいよね?と意地悪く微笑む杉浦さんに、何も言えなくなる。

すだれまつ毛の奥の優しい瞳に、今にも泣き出しそうな破顔しそうな、なんとも言えない表情の私が映っていた。




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