カラメルの牙


試合終了を告げるホイッスルの後、わぁっと黄色い歓声が上がった。コートの中には外で見ていたギャラリーも入り乱れ、あちこちで飛び上がったり、キラキラ眩しい笑顔が輝いている。


「お疲れ〜」
「気持ちいいほどボロ負けしたね」
「え、私らこれで終わり?」


対し、ネットを挟んだこちら側では、さほど悔しがる様子もなく、やっと終わったとばかりにゆるい足取りでコートを出ていく私たち。
現役バレー部でガチガチに固められたチームと初戦で当たってしまうとは、全くツイてない。


「暇になっちゃったし、他のとこ応援行こうよ。バスケの結果気になる」
「うん」


エースのサーブをモロに受けた腕をさすりながら、コートを指差す友人について行く。
今日は年に一度のクラス対抗球技大会。体育館を半分に分けて、入口方面ではバレー、奥ではバスケの試合が行われていた。


「すごーい!男子勝ち上がってるよ!」
「うちのクラス強いんだ、意外〜」


壁に貼られたトーナメント表は、私たちのクラスの男子バスケチームが順調に勝ち進んでいることを表していた。


「そうそう、”意外と” 強いんだぜ、俺ら!」


振り返ると、バスケの試合を終えたクラスメートの男子たちが腕を組んで立っていた。
まさか聞かれてたとは思わず、ごめんごめん、と顔の前で軽く手を合わせる。


「次あたるの、私らがさっき負けたクラスだよ!」
「あそこバレー部揃ってるもんな」
「仇とってよね!」


口々にやいのやいの言っていると、「あー、でも」とひとりの男子が困ったように頭を掻く。


「向こうのチーム、神がいるからなぁー」


その名前を聞いて、密かにドキリとする。
『バスケ』で『神』というと、この場合ほぼ確実に神宗一郎のことを指している。
海南が誇る男子バスケ部のスタメンである彼を、学内で知らぬ者はいない。

さっきまで強気でいた友人たちも対戦相手に神がいると分かった途端、あちゃー、と揃って頭を抱える。
たとえ素人軍団でも、彼がひとりいればそれだけで百人力だと思う。


「まぁ、一応応援してるから」
「一応、って何だよ!」
「絶対勝つからな!じっ、神が何だ!バスケ部が何だ!」


声に出して奮い立たせる男子たちに、頑張って、と肩を叩いてエールを送る。
おう、任せろ!と手を振り、水飲み場へと連れ立って行った。


「あ、試合始まる前に一回教室戻ってもいい?」
「私も!なまえはどうする?」
「ここで待ってるよ」


私物を取りに行くという2人を見送って、ひとり体育館に残ることにする。
今は準備と片付けに駆り出されている体育委員が数人いるくらいで、多くは外競技のためにグラウンドに出ているようだ。時折、拍手や歓声が聞こえる。外はもう暑そうだなぁ。


「なまえ?」


その声を聞くと身体が瞬時に反応する。
開け放たれた扉のそばに立っていたのは、神宗一郎本人だった。首からタオルを下げ、学校指定の半袖Tシャツにハーフパンツという出で立ち。
友人たちを含め、知り合いの姿があたりに見えないことを確認して、そっと近寄る。


「バレー見てたよ。腕大丈夫?」
「え、あっ」


後ろ手に隠す間もなく、素早く腕を掴まれる。
赤くなってる、と大きな手でさすられてくすぐったい。添えられた親指がゆっくりと腕の内側を滑っていく。


「相変わらず細いね」
「も…もう、大丈夫だから…」


腕を引っ込めるとすんなり手から抜ける。そう?と口の端だけを上げて微笑む顔は、間違いなく確信犯のそれ。


「俺のことは。見ててくれた?」
「うん。だって目立つもん….、宗一郎」


中学時代バレーをかじっていた子たちからの誘いだったけど、体育館でバスケの試合もやっていたことは思わぬラッキーだった。
素人目にも、やっぱりバスケをしてる宗一郎はピカイチだと思う。


「何でみんなの前では呼んでくれないの?宗一郎、って」
「そんなの…!呼べるわけない」
「俺は呼んでるよ、なまえのこと」


目を見開くと、「え、駄目?」と宗一郎は手を頭の後ろで組む。
駄目というか… 彼の周りにはきっと、そういうの気にする人もいるんじゃ。気安く下の名前を口にするのは憚られる。

私たちの交際を知る人は数少ないと思う。実際、私は親しい友人にもまだ言えてない。
だって何度も言うけど、宗一郎はあの、海南バスケ部のスタメンなのだ。入学当初はもっと線が細くて儚げな少年だった彼は、実は負けず嫌いで努力家で、バスケを通して相手とも自分とも真摯に向き合っていて… 一歩ずつ階段を登りつめ、チャンスを掴み取っていく様を見てきた。
だから、1年の終わりに告白された時はものすごく驚いたし大いに混乱させられた。


「ほんとは学校中のみんなになまえは俺の彼女だって、言いふらして回りたいくらいだけど」
「そんなことしたら私が学校に行けなくなるって…!」
「あはは、それは困るね。でも、なまえが他の奴に狙われなくて済む」


宗一郎の顔には相変わらず柔和な笑みが浮かんでるけど、目は本気の色をしているから否定しようにも強く出来ない。
ただでさえ大きい彼の前で、私はますます小さくなってしまう。


「次、俺たちなまえのクラスと試合だよ」
「そうみたいだね。男子たちが震え上がってた」
「うん。だって負ける気ないからさ」


決して言い過ぎではなく、自信家なわけでもなく、事実を淡々と口にしているだけ。それでもこの纏っている無敵感というか、静かな威圧感に圧倒される。試合中はこの比じゃないだろうなと思うと、これから対峙する男子たちにちょっぴり同情した。


「…でも」


続けた宗一郎が再び私の手を取る。そんなに強くはない力で引かれても、つま先がよろけていとも簡単に距離が縮まる。
と同時に、宗一郎が体育館側に回り、その背中で中にいる生徒たちに私の姿を隠すように立った。


「なまえがここでキスしてくれたら、もっと頑張れるかも」
「きっ…!?」
「さっきの男子たちには頑張れって言ってたよね」


でも、キスまではしてない!

そんな私の心の叫びもお構いなしに、首を曲げて見下げた宗一郎の顔が近づく。
子犬のようなぱっちりした丸い瞳の奥には、それでも逃さんとばかりに光がぎらついている。さっきは顔を洗ってきたのか、水滴が骨太の首筋を伝ってゆっくりと流れていく。


「ほら、早くしないとみんな来るよ」
「そ、そんなこと言われても…!」


さっきまで遠くに感じていた外の喧騒が、どんどん近づいてるような気がしてくる。
付き合い始めてわかったことだけど、宗一郎は結構強引だし、強情だ。こうなったら絶対に引かないし、いつも私の方が折れるしかない。

ん、と小さく突き出した唇に、ほんの一瞬、自分のを重ねた。時間にして0コンマ1秒とか2秒とか、そんなくらいだったけど、たしかに柔らかい感触が触れた。
間に漂っていた熱っぽい空気から逃れるように、すぐさま顔を離す。宗一郎はツンとしていた唇をスッと横に結んで、優しく目を細めた。

あ、とりあえず納得してくれたっぽい…

そう胸を撫で下ろしたのも束の間、ちゅ、と可愛らしい音を立ててもう一度、今度は頬に柔らかい感触がした。
状況を理解するより先に、宗一郎の短い髪がわずかにおでこをかすめて、再び顔が離れていく。


「……い、今っ、」
「足りない分は後でもらうから。ちゃんと俺のこと応援してて」


じゃ、と背を翻して体育館の中へと入っていく宗一郎。カゴからボールをひとつ取り出し、シュート練習を始める。
まもなくして、「なまえお待たせー!」と明るい声が飛びこんできた。火照る顔を急いで数回仰いでから、振り返って応える。


「あれ、なまえなんか顔赤い?」
「そ、そう?暑いからかな」
「あ、もう神いる!うちのクラス勝てるかなぁ〜」


苦笑いの友人たちに合わせて、「どうだろうね」と言葉を濁した。
ちらりと宗一郎の方に視線を移しても、他人のような素振りでこちらに一瞥もくれない。
ただ、黙々とボールをリングに通し続ける後ろ姿からは今にも煙が立ちそうなほど、完全に火がついている。




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