シャッターを下ろした店からゴミを出すバーテンダー。欠伸しながら一服中のホステス。行き交う人や車にも動じずゴミを漁るカラス。
いつもと変わらない、かぶき町の朝。
ただ唯一、その人だけが異質で思わず目に留まった。
「……武蔵さん、この人知り合い?」
「わしゃ知らん!」
資源物の仕分けに勤しむ武蔵さんが首を横に振る。
目の前の男性はフェンスにもたれかかるようにして地べたに座り込んでいる。酔い潰れて路上で寝ているサラリーマンなんてここでは珍しくないけど…
「もしもし、大丈夫ですか」
しゃがみ込んで話しかけても返事はない。そっと近づくと呑気に寝息を立てていた。
やや着崩れてはいるもののスーツは上等そうだし、お堅い仕事っぽい。道路に投げ出された長い脚の先にはピカピカの革靴。
派手さはないけど品のある身なりがますますこの状況とは不釣り合いだった。
「こんなとこで寝てたら危ないですよ」
肩に触れようとした時、その瞬間までだらりと伸びていた手が素早く私のを掴んだ。しっかりした男の人の力にびっくりして、心臓が止まりそうになる。
「……んー…」
少し掠れた声とともに俯いていた顔がゆっくりと持ち上がる。
くるくるの茶髪とサングラスの隙間から除く目元が思いの外優しげで、僅かに胸が高鳴った。
「…おまん、誰ぜよ?」
「ただの通りすがりの女子高生…です」
男性は一瞬固まった後、突然口元を押さえて背を向けた。間も無く聞こえてきたのは側溝に吐瀉物をぶちまける音。
「だっ…大丈夫ですか……」
思わず後退りした後、ふと近くにある自動販売機が目に入った。スカートのポケットに残っていた小銭を突っ込んでミネラルウォーターのボタンを押す。
「あの、これよかったら」
「……お、おおきに…」
キャップを回して震える手に渡すと、ゴクゴクと一気に流し込んでいく。
ぷは、と口を離し、振り返ってサングラスを押し上げた顔はまだ少し青白かった。
「すまんが…タクシーを呼んでくれんかのう」
「えっ、あ、はい」
言われるがままに今度は道路脇に停まった空車タクシーの窓を叩き、居眠り中の運転手を起こす。
少しスッキリしたらしい男性はよろよろと立ち上がり、自身の財布を開いて再び固まった。
表情が読めないけど、全身から気まずそうな雰囲気を放ちながらこちらを見る。
「お金…貸しちゃあくれんか……」
「お、お金?!」
「これからどーしても外せない用事なんじゃ!頼む!」
それならなぜ今朝まで酔い潰れていたのか。自分が何者かも名乗らず、初対面の学生相手にそこまで頼む?普通。
ここでやっと疑心と不満がふつふつと湧いてきたが、困ってるのは本当みたいだ。
実際、あんなところで寝ていたら金目のものはまず無事じゃないだろうし。
「でも……」
戸惑っていると、男性は「そうじゃ!」と思いついたように腕につけていた時計をカチャカチャと外し始めた。
「明日もここに来てくれたらぜっったいに返すき!それまでこれを担保にしとくぜよ!」
「そんなこと言われても!」
ぐい、と押し付けられた腕時計はこれまた明らかに高そうなもの。
受け取れないと拒否する私の手を取って無理矢理握り込ませた。
「もしわしが約束を破ったら、それは好きにしてえい。それなりの金にはなるじゃろ」
「えぇ…」
さっきまでのぐったりした様子は何処へやら、明るさと勢いに圧倒され強引に話を進められてしまう。
少し悩んだが、手の中できらりと光る腕時計を見てとりあえず話に乗ることにした。財布から千円札2枚を引き抜いて差し出す。
「預かるだけなんで。必ず返してくださいね!」
「交渉成立じゃ。恩に着るぜよ!!」
お札を両手で掴んだ男性は今度こそ意気揚々とタクシーに乗り込んだ。
ブォン!と荒っぽくエンジンを吹き鳴らして走り去るのを呆然と見送るしかなく。
一体、何が起きたんだ……
ふと手の中の腕時計に視線を落とすと、朝のHR開始時間が迫っていた。あと少しで校門が閉まってしまう。
「やばっ!!」
せっかく余裕を持って家を出たのに、結局学校まで走らされる羽目になるなんて。
新学期早々とんだ災難に遭ってしまった…
〻
なんとか時間内に滑り込み教室まで向かう途中、少し先に見慣れた白衣姿を見つけた。
「おはようございます…!」
「おぉ、小浦。遅刻だぞー」
担任の銀八先生はちらりと振り返って、いつも通り気怠そうに歩く。
「また朝から人助けか」
「えぇまぁ…そんなような」
「この前は観光客に道案内、その前はバアさんの荷物持ち、さらにその前は木から降りれなくなった子猫の救出… お前はなんでも屋か」
「へへ…たしかに」
困ってる人に声をかけられやすく頼まれると断れない性格ゆえに、今朝みたいな酔っ払いの介抱も実は初めてじゃない。さすがにタクシー代まで求められたことはなかったけど。
教室に着くといつもの面々が暇を持て余していた。
「先生遅いですよ!予鈴から既に15分も過ぎてます」
「学級委員なんだから俺が来るまで時間繋いどけや、ヅラ」
「わかりました!」
「ちょっと!慶さん、アナタ銀八先生と同伴登校ってどういうつもり?!」
「たまたまそこで会っただけだよ」
キィー!と下唇を噛むさっちゃんを宥め、自席につく。
ぎゃあぎゃあと騒がしい教室の中、先生は片耳を小指に突っ込んで顔を歪めた。
「二日酔いで頭痛てーんだよ、ちったぁ静かにしろお前ら」
出欠と連絡事項を聞き流しながら、先程の腕時計を取り出して眺める。
名前も連絡先も知らないのに、明日も会える保証はあるのか。やっぱりお金を貸したのは間違いだった気がする。
預かるだけとは言ったけど質屋に鑑定くらいはしてもらおう。二千円は学生の身にとっては大金なんだから…
「ちょいと失礼するぜ」
ホームルームが終盤に差し掛かった頃、学年主任の松平先生が入ってきた。
「なんすか、急に」
「ホームルーム中に悪りィな。今日から着任された先生を紹介しとこうと思ってな」
新しい先生が来るなんて初耳だ。
やっと落ち着き始めていたクラス内が再びザワザワと色めき立つ。
「んじゃ坂本先生、どうぞ」
呼ばれた人物が扉をくぐって教室に足を踏み入れる。
その姿を見て、今日二度目の心臓が止まるかと思った。
「数学を担当する坂本辰馬じゃ。よろしゅう頼む!」
上品なスーツの上下にくるくるの茶髪。夏でもないのにサングラス。
見間違えようもない、今朝出くわした男性その人だった。
歓迎の拍手も忘れて教卓に立った人物を凝視する。教室内をゆったりと見渡す最中、目が合うと相手も気づいた様子で笑みをこぼす。
「っつかお前、よく間に合ったな」
「おぉ、金時!昨日はわしを置いてった上に財布から金抜きよったなこのクサレ天パヤロー」
「銀八だっつってんだろこのゲロ毛玉ヤロー」
お前ら知り合いか?と松平先生が言い合う二人を交互に見やる。
「アッハッハッおまんとは今日限りで絶交じゃ!」
教室の天井を飛び越えて青空まで突き抜ける、快活な笑い声が響き渡った。
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