「慶ちゃんも律儀ねえ」
「だってこれ返さなきゃ私の二千円も戻ってこないし」
その日の放課後、職員室の入り口から私とお妙ちゃんは坂本先生の姿を探していた。
「売り飛ばせば倍以上で回収できるわよ」
「預かってる約束なんだってば!」
笑顔で容赦ないことを言うお妙ちゃんへのツッコミで、こちらに気づいた坂本先生が「おまんは今朝の!」と立ち上がった。
「これ、返しに来ました」
「おおきに!わしも返したいところやが…あいにく今手持ちがなくてのう」
その言葉を聞いて、差し出した腕時計をすぐさま私の手から引ったくったのはお妙ちゃんだった。
「話が違うじゃありませんか。教師が生徒に借金踏み倒すなんて聞いたことないわ」
「いや、後でちゃんと返すき…」
「教育委員会に報告させてもらいます!」
わざわざ声を張ったお妙ちゃんの発言により、職員室内の視線が集まる。物言わずこちらを睨むハタ校長の触覚がピーンと立った。
「ま、待ちや!放課後ファミレスでもご馳走するぜよ!」
どうじゃ?と先生が苦笑いを浮かべる。
私と顔を見合わせたお妙ちゃんは、引っ込めた腕時計をそのままスカートのポケットに仕舞い込んだ。
「あと二人、いるんですけど」
「もちろんかまん!」
「神楽ちゃーん、九ちゃーん!」とお妙ちゃんが呼びかけると、入り口からひょっこりと顔を出した2人が弾む足取りでやってきた。
「坂本先生がなんでも奢ってくれるらしいわよ」
「なんでもアルか?!」
「僕たちも良いのか…?」
嬉々とした表情の二人に坂本先生は「えいがよ!」と大きく頷いた。
「じゃ、職員室の外で待ってますね。それまで時計は預かってますから」
行きましょ、と踵を返すお妙ちゃんたちに続こうとした時、
「小浦」
名前を呼ばれ驚いて振り返ると、坂本先生がこちらに向かって何かを放り投げた。
空中で緩く弧を描いたそれを手の中に収め、見てみると購買のイチゴ牛乳だった。
「今朝のお返しじゃ。おかげで助かった」
「あぁ…!どういたしまして」
職員室を出てから、パックにストローを刺す。軽く吸い上げると少しぬるくなったイチゴ味が口の中に広がる。
久しぶりに飲んだイチゴ牛乳は、なぜだかとても甘く感じた。
〻
「おかわり」
「お客様、あいにく本日分のライスがもうなくなりそうでして…」
私たちが坂本先生を連れてきたのは、学校近くのバトルロイヤルホスト。
空になった皿をウェイターさんに突き出した神楽ちゃんのそばには、ステーキの鉄板が高く積まれている。
その横で、3つ目のデラックスパフェを平らげたお妙ちゃんが「同じものをもうひとつ」と付け加えた。
「最近の女子高生はうんと元気じゃのう!見事な食いっぷりぜよ」
坂本先生の腕には元通りに時計が輝き、カップを持つ手とともにプルプル震えている。
「九兵衛も慶もどんどん食った方がいいネ!」
「僕はこれだけで十分だ。先生、ご馳走様でした」
「いんにゃ。なんちゃあないき」
食べ終わったあんみつのグラスを前に、九ちゃんが美しい姿勢で頭を下げた。
「九ちゃんのお家は豪華な御夕飯が待ってるものね」
「それほどでもないが… あまり手を付けないとパパ上たちが気にするからな」
「セレブは羨ましいアル〜」
先生はテーブルに置かれた伝票にちらりと目をやると、コーヒーを吹き出した。
「大丈夫ですか」
「すッ…スマンスマン!小浦は何を頼んじゅうが?」
「私は…」
先生に新しいお手拭きを渡したところで、「あ〜ッ!」という声が斜め上から降ってきた。
「坂本先生じゃないですか〜!ぐうぜーん!」
ドリンクバーのグラスを手に通りかかったのは、同じクラスの阿音ちゃんと百音ちゃんだった。「げ」とお妙ちゃんが不快感を露わにする。
「こんなところで何やってるんですかぁ〜?…まさか、この子達からたかられてます?」
阿音ちゃんは私たちのテーブルを一瞥し、眉をひそめた。
「人聞きの悪いこと言わないでくれる?坂本先生は厚意で私たちにご馳走してくださってるの。ねえ、先生?」
「そうじゃ、わしがしたくてやっとるき」
「ふーん…」
阿音ちゃんは坂本先生を上から下まで品定めするように眺め、腕に光る時計に目を留めると、何か思いついたように笑みを浮かべた。
「私たち、先生のお話もっと聞きたいわぁ〜、もしよければうちの高校のこともいろいろお教えしますよ」
「おぉ、そらありがたいのう」
「ここじゃ落ち着かないでしょうから、あっちの席でお話しましょ、ねっ!」
阿音ちゃんが先生の腕を掴むと、「ちょっと待ちなさいよ!」とすかさずお妙ちゃんも立ち上がる。
阿音ちゃんが指す席にはもう一人、銀魂高校の制服を着た女子高生が食事をしていた。
「あーーっ!ハム子!!」
「誰がハム子じゃァァ!!」
神楽ちゃんの大声に反応して立ち上がった公子ちゃんの傍らにも、やはり何十枚とステーキ皿が積まれていた。
「そのステーキも寄越せェェ!」
「後から来たくせにしゃしゃり出てくんじゃないわよ!」
「私らの方が先に店入ってたっつーの!騒がしくしやがってこのモンカスがァ!」
「お妙ちゃん落ち着いて、」
「ピピー」
もはや誰の目にも入っていない坂本先生を巻き込みながら皆が移動していくのを見送り、私は一人テーブルに残る。
「お待たせいたしました、パンケーキでございます」
「ありがとうございます」
出来上がったフワフワホカホカの三段重ねパンケーキを受け取り、切り分けて口に運んだ。うん、やっぱり美味しい。
「おぉ……小浦の分も来たがか」
「はい。いただいてます」
しばらくして、坂本先生がよたよたと戻ってきた。揉みくちゃにされたせいでサングラスはずれ、天然パーマもさらに乱れている。
「美味いが?」
「……、はいっ」
口に入ったパンケーキを飲み込んでから答えると、そりゃえいのう、と先生が笑った。
それからサングラスを外し、ハンカチを取り出して拭き始める。
柔和さと意志の強さを兼ね備えた目つき、スッと通った鼻筋。
…やっぱりサングラスしてない方がいいのにな。
「わしの顔に何か付いちゅうが?」
「いや何も…!」
しまった、無遠慮に見つめすぎた。
何か別の話題を振らないと…
「そういえば、すごい偶然でしたね今朝の!まさかうちの先生だったなんて」
「わしは小浦が銀魂高校の生徒やち知っとったがよ」
「?! なんでですか」
「それ、」
サングラスをかけ直した先生が私の襟を指差す。なるほど、校章…。
「タクシー代まで借りる気は無かったけんど、切羽詰まっとってのう…」
「一応ききますけど、返す気はあったんですよね?」
「当たり前ぜよ!この時計も安くないきに」
「やっぱり。ちなみにおいくら…?」
「ハイヤー1台分ばあ、するかのう」
一応ハンカチに包んでいたとはいえ、それほどのものを一日ポケットに入れて過ごしていたのかと思うとゾッとした。
「初対面の私にそんなもの預けないでくださいよ…!」
「他になかったきに。それに、この子は信用できる思うたぜよ」
先生はあっけらかんとしてるけど、私はその腕時計にどんな小さな傷でもついてないかと不安で仕方ない。
「あの時会うたのが小浦で良かった。おかげで銀魂高校に通うが楽しみになったぜよ!」
それなのに、ニカッと屈託のない笑顔を向けられて気が抜けてしまった。
「私も、先生が本物の不審者じゃなくて良かったです」
「そうぜよ!これからは見ず知らずの酔っ払いには関わっちゃいかん!」
「はい、気をつけます」
よし、と念押ししてコーヒーのおかわりに立った先生に、店長らしき人が「あの」と声をかける。
「さっきの女子高生たちのお連れの方?」
「いかにも、わしはあの子らの先生ぜよ!」
「じゃあまとめてお会計お願いしますね。皆出てっちゃったので」
そして大量の伝票が坂本先生の手に握らされた。
窓の外では、未だ火花を散らしているお妙ちゃんvs阿音ちゃん、神楽ちゃんvsハム子ちゃんに続き、九ちゃんがこちらに向かって口パクで『すまない』と気まずそうに、百音ちゃんは涼しい顔で一瞥して去っていった。
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