翌朝、坂本先生に教科書を返そうとするも、あいにく今日は数学の授業も補習もなく。
「坂本先生ならまだ来てねーぞ」
「そうですか…」
職員室に居た服部先生に不在を告げられた。このまま待つことも考えたが、HRまであまり時間がない。
一旦教室に戻ろうとした時、「小浦、ちょっと」と呼び止められる。
「Z組、一限日本史だろ。ついでにこの年表持ってってくれる」
ズシ、と巨大巻物のような歴史年表を手渡された。
「重っ…、何これ口寄せでもするんですか」
「あ、間違えたこっちだわ」
服部先生がもう一つでかいのを持ってくる。
じゃあこっちは…
腕の中にある巻物の中心を覗くと、ギョロリと謎の瞳に見返され思わず腰が抜けた。
次のチャンスは二限終わりの休み時間。
今日は理系クラスの授業が詰まってたと思う、という服部先生の助言でそちらへ向かう。
「さっきまで居たんだがな…どっか行っちまったみてェだ」
「そ…そうですか……」
「昼休みに学食行くつってたから、その時なら捕まるんじゃねェか?」
源外先生にお礼を言って、昼休みを狙う。
「坂本先生?!あの人ならさっき食べ終わってどっか散歩行っちゃったわよォ〜!」
「………そうですか…ありがとうございます……」
食堂のオバちゃんによると、ついさっきカレーラーメンを完食し出て行ったと言う。あてはないけど、まだそう遠くには行ってないはず。
あとを追うため出ようとした時、「ちょっと待ちなァ!!」と肩を掴まれ、むんずと引き戻される。
「アンタ、昼ごはんまだでしょ!ちゃんと食べてきな!!」
「あ、ありがとうございます、また後で…」
「ダメッッ!!そーやってすぐ女の子はダイエットとか言ってご飯抜こうとすんのよ!ちょっと太ってるくらいが可愛いんだからモリモリ食べなさい、ホラ!!」
言いながらオバちゃんはカボチャの煮物を手際よく盛り付け、席に座らせた私の前に差し出した。
ここまでされては断ることなんてできず…
〻
「……で、結局放課後になっちゃったと」
そんなこともあるのねぇとお妙ちゃんが同情の言葉をかけてくれた。
「いざ会いたいと思うとなかなか会えないもんだね…」
「でもサ、最初に服部先生に渡しちゃえばよかったんじゃないアルか?」
酢昆布をしゃぶりながら聞いていた神楽ちゃんに指摘されるまで、どうして思い当たらなかったのか。
「……たしかに…!」
たった今気づいて膝を打つ私に、お妙ちゃんと九ちゃんもポカンとした表情を浮かべている。
普通、そうだよね。なのに会いたいとか言っちゃった、私。
「とはいえ、直接返したほうが誠実だと思うわ、ねぇ?」
「普段はもっとすんなり会えるしな」
赤くなっている私見て、すかさずフォローを入れてくれる。
「と、とりあえず職員室行ってくるね!」と教科書を抱えて席を立った。
「…?!わっ!」
「うおっ、?!大丈夫か?」
廊下を曲がる時、反対から来ていた人と出会い頭で衝突した。
お互い大したスピードは出ていなかったのか、そこまでの衝撃はなかったけど…
「小浦?」
「…!さ、坂本先生!!」
少し引いて確認すると、そこにいたのは紛れもない坂本先生だった。
「あのっこれ、昨日間違えて持って帰っちゃって…!」
「おぉ、わざわざ持って来てくれたがか」
おおきにな、と微笑む先生に教科書を手渡す。
「たくさん書き込みがあったので、大事なやつだと思ったんですけど… 遅くなっちゃってすみません」
「中身やったら頭に入っちゅうき、気にせんでえい!」
ひぇ〜…
確かに、坂本先生は教える時にあんまり教科書を使わない気がする。改めてその才に感服してしまった。
「先生はよっぽど数学が好きなんですね」
「どっちかと言えば好きかのう」
その割に返ってきたのは曖昧な答え。
「小浦は、前より好きになってきちゅうが?」
「え…」
数学について…
補習には毎回参加しているし、これまでの挫折を取り戻すため学び直しも続けられている。
教科書を読んでもチンプンカンプンだったのが徐々に理解できるようになり、その成果は日々の小テストの結果にも表れ始めていた。
「なかなか向いちょるとは思うがのう!好きゆうがとはまた別…」
「坂本先生が教えてくれる数学は、結構好きです」
それは本心から出た素直な気持ちだった。
先生は少し驚いた顔で、言いかけた言葉を切る。
「どうせできないってずっと諦めてたんですけど、最近は少しずつわかることも増えてきて、ちょっと面白いかもって思ってて…」
好きとはまだ言えないけど、演習を繰り返していく中で壁を乗り越えられるようになったり、与えられた手がかりから徐々に答えを紐解いていく瞬間は楽しいと感じる。
坂本先生が丁寧に根気強く向き合い続けてくれたおかげ。
「一歩ずつ成長できてる気がして嬉しいんです。先生に教えてもらわなかったら、私はできないことをできないままにしてたと思うから」
こんなことを口にしたのも初めてで、沈黙が流れると次第に照れ臭さが湧き上がってきた。
なんか一丁前なこと言っちゃった気がする…
てっきりいつもみたいに大口開けて笑われると思っていたのに、
「おまんはなんでもできるがよ。今も、これからも」
坂本先生は私の顔を見つめたまま、確かめるように頷いた。
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