5時間目の数学。
窓の外から見える桜は新緑に変わり、初夏の雰囲気が漂う昼下がり。
3-Zの教室は珍しく静かだった。
「……できました」
チョークを置き、黒板から一歩離れる。
坂本先生は少しの間黙って板書したものを眺めた後、
「正解!ようできたな!」
赤いチョークで大きなマルを書いた。
クラス全体からおぉ〜!という歓声と拍手が上がる。
「すごいアル!」
「慶さんって頭良かったんですね!」
「いや、そういうわけじゃ…」
神楽ちゃんと新八くんの言葉に首を振る。
昨日ちょうど予習したところだったけど、思い切って手を挙げてみてよかった。
「成長したのう!小浦」
「ありがとうございます」
坂本先生まで誇らしげにしているのを見て、思わずはにかむ。
席に戻る時、目が合ったたまちゃんがそっと微笑んでくれた。
「慶ちゃん、帰りましょ」
「ごめん、今日補習なんだ!」
誘ってくれたお妙ちゃんたちに謝り、引き出しの教科書等をカバンに詰める。
「え〜つまんないネ」
「最近はすっかり数学に熱心だな」
「へへ。自分でも驚いてる」
じゃあね、と手を振って教室を出ると「待ってくれ小浦!」と後ろから呼び止められた。
「補習、俺も一緒に行っていいか?」
振り返った先には、真剣な顔をした近藤くんが立っていた。
「俺、前回のテスト散々でさ…松平先生にこのままじゃ風紀委員の奴らに格好つかねえって言われてな」
「そうなんだ…」
「トシが教えてやるって言ってくれたんだが、アイツも何かと忙しいからよ」
まぁ、俺の場合散々だったのは数学だけじゃないんだがな!
ガハハと笑う近藤くんの目の端にはきらりと光る粒が。持ち前の明るさと人望で慕われている近藤くんにも、委員長としての責任があるんだなぁ…
「それに小浦は最近すごいじゃないか!今日の授業も驚いたぞ」
「坂本先生のおかげだよ。きっと近藤くんも次のテストはいい点取れるよ」
一緒に頑張ろ!と笑いかけると近藤くんも嬉しそうに、おう!と頷いた。
自分のために通い始めた補習だったけど、思いがけず仲間ができて嬉しい。
「…なんでテメーまでいるんだよ?!」
「話は聞かせてもらったぞ。俺も参加するしかあるまい」
教室に着くと、そこには桂くんまで姿勢を正して座っていた。
「エリザベスも?」
『桂さんが一人じゃ寂しいからついて来てって』
「余計な事言うなッ!」
桂くんと付き添いで連れてこられたというエリザベスも合流することになり、私としてはさらに嬉しい。近藤くんは対抗心剥き出しだけど。
「お、新顔がおるのう」
「お世話になります」
「よろしくお願いしまッス!」
教室に入ってすぐ気がついた坂本先生に、丁寧にお辞儀をする桂くんと大声で敬礼する近藤くん。
「そんなに畏まらんでもえい。わからんことがあったらなんでも訊きや!」
「ハイッ!」
「はい」
いつも通りの補習が始まった。
私は授業の予習と復習、近藤くん桂くんは坂本先生指導のもと、基礎固めに取り組む。
「先生、できました!添削お願いします!」
「先生、こういう時はどうすれば…」
「近藤はここの計算をもう一度。桂、ここは問3で導き出した値を使って…」
二人の教わる姿勢は真剣そのもの。先生も同時に対応するのは大変だろうに、様子を見守りながらそれぞれに的確な助言をしてあげている。
「あのー…坂本先生、そろそろこっちもいいですか?」
「あぁ、遅なってスマンのう!」
補習クラス全体を受け持つ先生はあっちこっちから呼ばれて忙しなく動き回る。
待たされた生徒の顔にはやや不満の色が滲んでいた。
「…アイツら3-Z?」
「うるさいし気散るよね」
不意に背後から聞こえてきた、ひそひそ声。
シャーペンを走らせていた手が思わず止まる。
「レベル低すぎてこっちが進まないんですけど」
「さっさとどっか行ってくんねーかな」
悪意のこもったとげとげしい言葉や不機嫌な声色に、思わず身体が強張る。
近藤くんたちには聞こえてないみたいだけど…
「坂本先生───」
「良かったら私が教えるよ!」
近藤くんの声に被せるように慌てて名乗りを上げた。
視界の端にいた坂本先生が振り返ったけど、素早く席を立って近くの椅子を二人の机にくっつける。
「いいのか小浦?助かるぜ!」
「この辺だったら私もわかるから…」
「坂本先生は忙しいみたいだしな」
『桂さんは自分が教えますよ』
動揺してるのがバレないように、これ以上言われるのを聞かなくて済むように、努めて笑顔で取り掛かった。
〻
「いや〜!参加して良かった!!」
「実に有意義な時間を過ごせたな」
満足気な近藤くん桂くんと、来週も参加しようということで意見が合致した。最初はいがみ合っていた二人だけど、勉強の中でわずかに仲間意識が芽生えたようだ。
「…あ、忘れ物した!」
ふとカバンの中に筆箱を入れ忘れたことに気がついた。
普段は別のクラスで使ってる教室だから、明日知らない人の席まで取りに行くのはちょっと気まずい。
『一緒に行く?』
「ううん、大丈夫!まだ校舎開いてるだろうし。また明日ね!」
「気をつけてな!」
手を振る三人と別れ、来た道を戻る。
教室までの階段を上っていた時、
「なんとかなんないの?3-Zの奴ら」
さっき背中で聞いた、冷ややかな声。顔は見ていないがきっと同じ人たちだとわかった。
「マジ時間無駄にされたわー」
「あんなバカ達の相手して、坂本先生も相当お人好しだよね」
上から足音とともにだんだん声が近づいてくる。一旦こちらが階段を下りてやり過ごすか…
「ウチの高校の恥さらしだろ、あんなクズの集まり」
その言葉を耳にした途端、体内の血がカッと逆流するような感覚がした。
私たちのことよく知らないのに、なんでそこまで言われなきゃいけないの?
なんで私は全部聞かなかったふりして、この場から逃げようとしてるの?
「……うわっ!」
その場で立ち止まっていた私と出くわした彼らが驚いて仰け反った。
「い…今言ったこと、訂正して」
振り絞った声は、情けなくも少し震えている。
相手は「聞いてたわけ…?」とバツの悪そうな顔をした。
「確かに私たちは勉強も苦手だしあなたたちより頭も悪いかもしれない。でも絶対にクズなんかじゃない」
真剣に勉強に取り組んでいた近藤くんと桂くんの姿、そして3-Zみんなの顔が思い浮かぶ。大切なクラスメイトを侮辱されて、やっぱり黙っていられない。
「べ…別に間違ってないし!言われて当然なのはお前らのせいだろ!」
「もう行こっ、ほっとこうよ」
彼らはそそくさと横を通り過ぎ、階段を下りていく。その背中に向かって、
「補習の邪魔しちゃったのはごめん。もう行かないから安心して」
折り返しの角を曲がって見えなくなる間際、ちらりと目をくれたもののそれ以上は何も言われなかった。
次第に足音が遠ざかっていく。
「………ハァ〜〜……」
1人になったら途端に力が抜けて、へなへなとその場にしゃがみこんだ。
心臓のバクバクが止まず、かなり緊張していたのだと知る。
咄嗟にもう補習行かないって言っちゃった…
近藤くん、桂くんごめん……
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