天使のスケープゴースト

14区。カランとドアベルを鳴らして、営業時間外の『Helter Skelter』に入店した。決して明るくない店内で白みを帯びた青色の髪は酷く目立つ。白群色を小さく揺らした悠藤は、黄金の瞳ゆるりと動かした。音こそ聞こえているだろうが、まだ店側に出てくる様子はない。

悠藤はその僅かな時間で事の経緯を遡った。

特定の区に住まず、あちこちを流離っている悠藤は人間を襲おうとする喰種を食べているため、基本的に定住するとコミュニティを壊しかねない。前住んでいた場所に戻っても構わないが、自分ともう一人以外の"隻眼"の話を聞いてしまっては、その目で確認したい。戻る戻らないはその時決めればいいし、そうじゃなくとも悠藤を知っている二人は何も言わないのを知っている。
先述の通りの理由で余計にコミュニティを荒らすことを避けるため、数日も同じ区に留まらずに動き回っていた。そんなある日に、この店の店主であるイトリから電話がかかってきた。悠藤の探し物について、彼女の掴んだ情報をくれると。

「ごっめぇ〜ん、ユト!ちょっと手が離せなかったの!ほら、座った座った!」
「そんな所だろうと思ってた。」
「アンタさぁ、年々冷めてってない?大丈夫?」
「大丈夫。」
「……ま、頭の緩みは前からか。」
「ふふっ、それ二度目ましての人はみんな言うよねぇ。」
「当たり前。……にしても、連絡してからこの短い期間で本当に来るなんて、よっぽど気になってたんだね〜。噂の”隻眼”くん!あたしゃユトとあっちの隻眼しか知らないし…。まあ実際知ってるのはユトだけだけどさ。」
「そりゃもう。とっても。……なんだっけ、鉄骨落下事故の被害者だっけか。」

悠藤の前に血酒が注がれたグラスを置いたイトリは、ちらりと右上を向いた満月が自分に戻ってくるのを見ながらため息を吐く。

「はぁ〜……。相変わらず情報早いね、アンタ。どっから仕入れてくんのよ、ホント。このイトリ様だだって苦戦してるってのに。」
「バーも情報集まるけど、流離ってこういう店に入れば自然とさ。区によってどんな情報に焦点が置かれているのか違うって話はイトリも知ってるでしょ?」
「あぁ、あたしもこのバー以外に仕入れに入ったりはするけど…。流石に短期間で転々とする奴は違うわ。」
「あ、でもそれ以上詳しいことは分からなかったよ。だからこの誘いに乗ったってわけ。」
「その隻眼についてはまだ憶測が多く飛び交ってるから、ユトには確定情報だけ渡すからね。あたしからしたら大した情報じゃないから対価はなし。オーケー?」
「勿論。」
「知ってるだろうけど、最近起きた鉄骨落下事故…便宜上アンタが言ったのをそのまま使うわね。その隻眼は二人いた被害者の内の一人。上井大学の一年生、金木研。もう一人はユトも噂ぐらい聞いてんじゃない?"大食い"神代リゼ。リゼについては即死。……まあ、ホントに死んでるかどうかは微妙だけど。そんで、リゼの臓器を移植されたカネキくんは20区のあんていくで働いてるらしいよ。これは蓮ちゃんから聞いたから間違いなし。」
「……リゼの臓器…?いや、それどう考えても赫包じゃ、」
「え、ユトはなんか知ってるの?」
「赫包の話?」
「そ。そんなすぐ思い浮かぶようなことかい?普通に臓器を移植されたってんでもスジは通るでしょ。それがリゼの物かどうかは定かじゃないけどさ。」

しくったかもしれない。悠藤自身もその手法で人間から喰種になったクチだ。思い浮かぶのは必然のこと。仲良くなった友人であり"ママ"である人物が提供してくれた赫包を移植された。その金木とは違って双方の同意のもとであるが。

「ん〜…。」
「何、彗星の如く現れたアンタに関連すんの?」
「……黙秘、かなぁ。」
「それ関係してますって言ってるようなもんじゃないの…。もうちょっと上手いことしなさいよね。」
「嘘はつけないからねぇ。」
「ユトの良いところであり悪いところよ。」
「……何にせよ、イトリありがと。」
「20区行ってみるの?」
「うん。気になることは増えたし…。解体済みの喰種は結構残ってるから、接触するまでにまた狩りに出る必要もなさそうだもん。ちょっとの間留まって様子見てみる。」

対価は払わないけどお礼はするね、と血酒を飲み干して席を立った。四方から得る情報以外に渡せるものを見繕っておこう。肩越しに手を振っているイトリに振り返して店を後に。

…あの医者が、自身だけに留まらないであろうことは初対面でも分かっていた。そして、自分がその初めてであることも。"ママ"が何を思ってそうすることを悠藤に持ち掛けたのかは今でもよく分からないが、今普通に喰種として生きており、二つの種族を渡ったが故に見えてきたものがある。
どちらから見てもきっと馬鹿げたこと。でも、色々緩い悠藤でもそう思えるのなら。

「(なんて、私らしくないなぁ……。)」


・・・


CCG本局保管室。紙の書類とパソコンの画面を睨めっこして眉間に皺を寄せていた年若い女性。広い保管室のかなり遠い簡易デスクには二人の男性の姿もある。紙媒体も大量に詰め込まれている保管室で、態々火種の煙草を燻らせながら整った顔立ちの男たちは器用に顔を歪ませた。

「っだぁ〜!多くね!?」
「黙ってろ萩原。目が霞んでんだ、意識が削がれると文字が読めなくなる。」
「お二人とも仮眠した方がいいのでは?それだけコーヒーを積んで吸い殻も積んで、寝てない証拠です。無理に読んでも頭に入らないのはご承知でしょう?」
「あ〜……まあ、そうなんだが。これ読み込まないと今回の作戦は後々響きそうだしな…。」
「……んでも、キリちゃんの言うことは一理あるし、仮眠してシャワー浴びてこようぜ。頭いてぇ。」
「……だな。」
「あ、でも。」
「あ"?」
「キリちゃんも仮眠に入ることが条件な。俺たちと同じくらい寝てないんだし、別の所にいる部下を呼び戻しなさい。今見てる資料もいったん置いて…って、その喰種……。」

席を立った二人は一番大きなデスクに腰かけていた稀梨の肩に手を置いて、笑った。しかし、それは直ぐに引っ込む。稀梨の手が握っているのは捜査官の中じゃ遭いたくないと有名な喰種についての資料だったからだ。

「"悪魔"か。定住を持たない喰種で、共喰いしかしねぇから痕跡を追う事すら困難極まってる羽赫の赫者だろ?捜査官の中でも噂になってるな。」
「やっぱりそうなんですか?」
「捜査官は怪我こそすれ死者を出さない。だが死んだ方がマシだって思わせる怪我を負うからな。」
「ある意味殺されるより恐ろしいし、痛めつける神経も他とは段違いで外れてる。ま、赫者だからって可能性もあり得るけどね。」
「で、どっかから資料の要請か?もう資料置いてない支部なんかねぇだろ。」
「……いえ、個人的に気になって。」
「?」
「この悪魔の喰種が現れた時期と、私の探している幼馴染の消えた時期がかなり近いなって。なんか、多分勘みたいなものです。」
「…そっか。あ!でも仮眠は――」
「キリ。」
「げ、有馬さん。」
「ちょっと手貸して。」
「なんで。今から仮眠なんだけど。」
「悪魔の喰種について調べてるね。」
「は?」
「痕跡が見つかったから、臨時で班に入って。」

返答を聞かずしてほぼ一方的に仕事を投げてきた有馬は直ぐに扉を閉めた。急に来て急に終わった展開に当の本人も困惑顔を浮かべ、それから苦虫を噛み潰したような表情になる。

「有馬って、キリに対してなんつーか、甘いよな。」
「そんで、キリちゃんも有馬にだけは素、と。」
「……とっても不本意なんですが。」
「しかし、有馬の口振りからして随所に手回し……これは宇井か平子か。回ってるだろうから、仮眠は後だな。」
「いざ言われると、仮眠したくなるんですから不自由な体ですね。」

どっこいせとじじくさい声を出して立ち上がった稀梨は首をゴキゴキと鳴らして、有馬が訪ねてきた際に叩きつけていた書類を一度見やった。

「……ユトちゃん、なのかな。」

ころりと呟きを落として保管室に居た二人の男性、萩原研二準特等捜査官と松田陣平準特等捜査官に頭を下げて失礼した。「有馬さんあの野郎〜…。」と恨みが籠った声で呪詛を吐き出しながら、一応必要になるクインケを取りに歩を速めた。


AFTER WORDS

タイトル:喉元にカッター