退勤時間間際になって、ふと窓の方を見てみると、ぽつぽつと雨が降り出したところだった。まいったな、傘持ってきてないんだけど……。
私は朝の天気予報を見ないし、曇っていようが雨が降っていなければ、傘を持たずに家を出るので、自業自得なのだが。ま、会社から駅も近いし、どうにかなるか。いざとなったら走ればいいし。そう納得して終業準備を始めた。
オフィスから出ると、少し離れた喫茶店の軒先に、よく見知った顔があった。退勤するまでの短時間で雨が止むこともなく、小雨だったそれはそれなりに降り出していて、アスファルトを濡らしていく。
「あれ、錦じゃん。何してんの」
なるべく濡れないように、屋根のある所を選んで喫茶店に近づく。こんなとこ、普段来ないじゃん。
タバコを吸っていた錦は私を見るやいなや、それを地面に落として爪先で火をねじり消した。ポイ捨て反対! よくよく見ると、他にも数本吸い殻が落ちている。なんて悪いやつだ。
「たまたま通りがかったんでなぁ、オメ〜傘持ってねぇだろ」
「なんでわかるの」
「いっつも天気予報見ないクセして傘持たねぇからな、わかるさ」
ムム、完全に生態を把握されている。事実を指摘されただけなのだが、なんだか悔しい。
「それで、わざわざ待っててくれたの?」
「なんだ、悪いか」
「ううん嬉しい。ありがと」
錦は「入れよ」と自分の傘を開いて入れてくれた。歩き始めてすぐに、もっとこっちに寄れ、と肩を引き寄せられる。う〜ん、錦、私のこと好きすぎないか?
「折角だ、久しぶりにメシでも行くか」
何食いたい? 寿司か? 焼肉か? 懐石でもいいぞ。矢継ぎ早に提案されるものは、どれも私には敷居の高いもので、贅沢な話だし提案してもらっておいて申し訳ないが、いまいちそそられない。
「そうだなぁ、ラーメンかな」
「またかよ、ちったぁもっとマシなもん食えよ」
文句を言いながらも、錦は自分のお気に入りの店に連れて行ってくれることを、私は知っている。
「いいの、錦の連れてってくれるお店、どこもおいしいし」
私の返事を聞いて、照れたように目線を合わせず錦が言う。
「そうかよ」
雨はまだしばらく止みそうにない。
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初稿:2022/08/20
加筆修正:2025/03/29