――ああ、このままわけもわからずに地面に叩きつけられて死ぬんだ。
死を覚悟してぎゅっとまぶたを閉じ、この後感じるであろう衝撃に備えて身構える。死ぬ寸前の景色が真っ暗なんていやだったがしょうがない。ややあって何かに触れられた感触があり、すぐにちょっとした衝撃を感じたと思ったら、先程までの浮遊感がなくなった。どうやら底についたようだった。随分と長い間落下していた気がしたが、大した痛みも感じなかった。
「いっ……たくない……?」
恐る恐る目を開くと眼前に広がる赤と黄色。え?赤と黄色?
「怪我はないか」
――わたしの下に一号がいた。
「えっっっ!!なにちょっと顔近っ!!!!ゔッ!!いったぁ!!」
動揺して一号から距離をとろうと仰け反ると、ごつんと鈍い音をたて後頭部を天井に強打した。目の前に火花が散る。上から落ちてきたのに、なぜ頭のこんなに近くに天井が?いやそうじゃなくて。それはそれとして、それどころじゃあなくって。
「なんでわたし、一号のことマットレスにしてんの?!」
あけすけに言うと、わたしが一号のことを押し倒して、彼に跨がっている状態である。傍から見ると完璧に誤解されてしまう体勢である。
「着地する寸前にあなたを下敷きにしてはいけないと思い、この状態が最善と判断してこの体勢をとった」
絶句。この体勢が最善?人命救助云々の観点ではそうなのかもしれない。着地する寸前、ということは一号がわたしのことを助けてくれたのか。
「それより、怪我は?」
頭を打ったようだが気分が悪いとか、なにか体に不調はないだろうか。そう言われてもアドレナリンが分泌されているだろうし、今は正常に判断できない。
「たぶん……大丈夫。ありがとう」
後頭部をさすりながら頭以外は……と付け足すと異常を感じたらすぐ報告するように、と言われた。恐らくこの後、たんこぶ必須だろう。
それにしてもこの空間――
「狭いな」
わたしが言うよりも早く一号が呟いた。先程の暗闇とは打って変わって、辺りは真っ白な壁で囲まれていた。一号にくっついていないと、天井に背中がぶつかるほどの狭さだ。今更だが、わたしたちはこの奇妙な箱のようなものに閉じ込められたらしい。
「出口、あるいは脱出の手掛かりになるようなものでもあればと思ったが」
なにもないな。一号が言う。
「わかるの?」
「周囲をスキャンしてみたが、変わったものはみつからなかった」
「へぇ〜、人造人間って便利〜」
余りにも呑気すぎたのかじと、と睨まれたのちに
「危険物は検知されなかったが、あまり迂闊に動かないように」
ため息をつかれつつ、釘を刺された。動きたくても、気軽に動ける状態ではないが、気をつけよう。冷静になってくると、なんだか恥ずかしいし、申し訳なくなってきた。とにかく一号から少しでも離れようと、彼の頭の横に手をつく。わたしの筋力でこの体勢のまま、どれだけ耐えられるかはわからないが、ずっと彼にくっついてるよりは精神衛生上マシだろう。何を隠そうわたしはこの下敷きにしてしまっているガンマ一号のことを好いている。恋愛対象としてである。それがこんな、なんの前触れもなく物理的距離がほぼゼロになってみろ。居た堪れないにも程がある。鉄は熱いうちになんとやらである。よいしょ、と腕だけで上半身を支える。
「何をしている?」
「いや、ずっとひっついてるのも申し訳ないなと思って……」
あと意外と重いなとか思われたりしたら嫌だし……
「……?何も気にする必要はない」
先程までの様に、全体重を預けてもらって構わない。そう続けられても、はいわかりましたと言えるほど、わたしは物分りが良くない。
「一号が良くても、わたしは気にするの!」
「あなたがそうしたいと言うのなら、無理にとは言わないが……」
よかった。ここで理由なんか聞かれたらどうしようかと思ったが、あっさり引き下がってくれて。一号は体勢のことなど、どうでもよくなったらしい。周りの壁を軽くノックしていた。
「初めて見る素材だ」
謎の素材でできた壁の強度はとてつもないらしく、一号の力をもってしても、殴って壊してハイ脱出、とはいかなかった。
「困ったね、ここまで手がかりがないと」
下をみているのがなんとなくつらくなり、ふと顔をあげると、何の前兆もなく目の前の壁に、文字が滲み浮かんだ。脱出の手掛かりになるかと、喜んだのもつかの間であった。
「あ!なんか文字が浮かんできた、よ……」
はっきりと現れたその文字は。
――キスしないと出られない箱
「キッ…………はこ」
「箱?……なんだこれは」
一号も文字を認識したのだろう。怪訝そうな声がわたしの下から届く。彼の顔を直視することができない。
「一体誰が、なんの為にこんなことを?」
「さぁ……愉快犯なんじゃ、ないの」
本当になんなんだ。わたしたちが何をしたって言うんだ。こんな箱に閉じ込めてキスするか否かで慌てる様子をみて何が楽しいのか。というか見られているのか?千里眼的ななにかで?悪趣味すぎるだろう。
「キス、というと唇同士を触れ合わす、あれか?」
「まぁ、一般的には、そうね」
「すれば、出られると?」
「しないと出れないって……」
この条件をクリアして絶対に出られるという保証もないが、まさに八方塞りの今、可能性に掛けるしかないのかもしれない。少しだけ言いづらそうに、一号がわたしに訊ねる。
「私とは、いやか?」
「いっ、やでは……ないけど」
「そうか……」
そうして互いになにも話せなくなる。そんな聞き方はずるくないか。きっと他意はないのだろう。彼はあまりに純真無垢すぎるから。わたしの意思を確認しただけに過ぎないのだ。それにしてもキス……キスかぁ。そうか、よくよく考えれば別に口じゃなくても良いのか。わたしから頬に一発かませばいいかしら。それでも多少なりとも勇気がいるが。う〜ん、と悩んでいると一号がおもむろに口を開く。
「あまり、長居もしていられないな。周囲の酸素濃度がゆっくりだが低下し続けている」
「えっ、こわ。欠点しかないじゃんこの箱」
こういうのって不思議と酸素は供給され続けるもんなんじゃないの?狭いし空気は薄いし、棺桶か?とそこまで考えて最悪そうなるのか、と妙に納得してしまった。
仕方がないな、意を決したように一号が発した。
「ほんの一瞬、我慢してくれ」
なにを、という疑問は一号の口に飲み込まれた。唇がひやりとする。頬に、腰に、手が回されている。
――逃げられない。
急激に血圧が上昇し、顔中に熱が集まる。顔全体は恐ろしいくらい熱いのに、一号と触れ合っている唇だけは冷たくて、より一層彼とキスをしていると自覚させられた。彼の言う通り、本当に一瞬だったのだろうが、この時間が永遠に続くかのように感じられた。
その冷たさはちゅ、とあまりに可愛らしすぎる音をたてて、あっけなく離れた。彼の唇から目が離せない。思わず、指先で自分の口許に触れた。少しだけ、頬を染めた彼がばつの悪そうな顔で言う。
「無体を強いて、すまない」
「は、え、いま、なんで……」
唇が離れるのとほぼ同時に、箱は光の粒となって霧散した。解放されたのだ。
「あっ、外……?よ、よかった、でれたぁ……」
はっとして、慌てて一号の上から退いて、地面に座り込む。どうやら日の傾き具合からして、箱に閉じ込められてから、そう時間は経っていないようだった。場所も、元いた場所である。無意識に呼吸が浅くなっていたのか、豊富な酸素が肺に沁みる。
立てるか、と一号の差し出してくれた手を取り、立ち上がらせてもらう。
「あの……一号……」
「なんだ」
一号はもう、普段の顔に戻っていた。なんだ、動揺して照れていたのはわたしだけか。
「唇同士じゃなくて、ほっぺたとかでも、良かったと思うんだけど」
「えっ」
「いや、確証はないけど、どこにしろって部位の指定、なかったし、多分」
言い終わらないうちに、先ほどとは桁違いに、みるみる彼の顔が赤く染まっていく。人造人間にもそういう機能ついてるんだ。口許を抑えながら、一号が言う。
「本当に、すまない。その……責任は、とる」
「責任って……なんの?」
「有無を言わさず、唇を奪った」
その責任を――
驚いた。先程の発言が責めているように聞こえてしまったのだろうか。むしろ謝って責任をとらないといけないのはわたしのほうである。
「嫌じゃないって言ったのはわたしだし、いいよ」
しないと出れなかっただろうし、むしろこっちこそごめんね、とも続ける。キスがどういうものかの確認のときも、わたしは否定しなかった。それでも一号は止まらない。
「キスは唇同士でするものであると断定して、私とするのは嫌じゃないと聞き、浮かれて先走った」
「それは、そういうものって知識しかなかったからでしょ、ていうか」
その言い方だと一号、わたしのこと好きみたいだよ。その言葉に一号がしまった、という顔をする。
「あ……」
「えっ、なにまさか一号」
一号は一瞬悩む素振りをしたが、真っ直ぐにこちらを見据えて
「あなたのことを、恋い慕っている」
断言した。
「うそじゃん、なんで……」
「あと、あなたが私に好意を寄せてくれているかもしれないということも」
「それはほんとになんで知ってるの?!」
「あなたは懇意にしている人間と、そうでない人間とで態度が違いすぎる」
「嘘でしょ……」
社内の苦手な人間に対する塩対応を見られてたってこと?!それだけで好きバレするか普通?!よっぽどあからさまだったか?!
「私の勘違いでなくて、良かった」
「なに、カマかけたの?」
「まさか、今までのデータ統計から立てていた仮定が、事実に変わっただけだ」
「データ統計って……」
わたしの預かり知らぬところで勝手にバイタルとか測られてるのか?勘弁してほしい。いまだ冷静になりきれないわたしに、一号が詰め寄る。
「それで、責任をとらせてほしい」
「そうは言ってもなぁ」
別に、怒っていないし責任をとってほしいとも思っていないので、一号に何かしてもらおうという気にならない。
「あ、そうだ。じゃあこうしようよ」
そこまで言うなら、とれるものならとってもらおうじゃないか。その責任とやらを。一号の聴覚ユニットに口を寄せ、提案する。
「それで、いいのか」
「それが、いいんだよ」
そうか、わかった。それなら――
「仕切り直し、させてくれ」
彼の顔がぐ、とわたしに近づき、黒曜石の双眸がふわりと揺れた。