最近、部屋の物の位置なんかが知らないうちに勝手に変わっている気がする。
それは本当によく見てみないとわからない程度の変化で、私も初めのうちは気のせいだろうと思っていた。無意識のうちに自分でやったのだろうと、そう思っていた。
けど、どう考えてもその頻度が多すぎるし、物が動くどころの話ではなくなってきたのだ。
一度気づいてしまえばなんだかなんの変化もない所も不自然に思えてきて、本来くつろげるはずの自宅にいるのに居心地の悪さを感じてしまう。
ある時はズレていると思っていたアナログ時計の時刻がきちんと合わせられていた。
またある時は冷蔵庫の中身がなくなっていたり。
無意識にした行動にしては異常なのだ。
怪奇現象か?はたまた私以外の誰かがこの部屋に潜んでいるのか?そのどちらにせよ私はほとほと困っていた。あと純粋に怖かった。なんだひとりでに時間が合わさるアナログ時計って。
「本当に気のせいじゃないの?」
「ホントだって!買ったはずのお酒が冷蔵庫からなくなってたりしてさぁ。私怖くって怖くって」
仕事中、たまたま私の所属する部署まで見回りに来ていた二号を捕まえてこの事を相談してみると、思ったよりも真剣に聞いてくれた。
スーパーヒーローだものね。困ってる人は放っておけない性分なのだろう。
話が長くなりそうだと思ったのか、二号は近くから適当な椅子を持ってきて私の真横へと座る。
そうしてまるでカウンセリングのように、原因を解明しようとありとあらゆる可能性をあげてくれた。
「キミの脳に疾患があって買ったと思いこんでただけって可能性は?」
「毎年検診受けてるしちゃんとレシート確認しましたぁ〜!そういう話じゃなくてさ、別方向で怖がらそうとするのやめてよ」
「怖がらせるつもりじゃなくて、一応確認しとかなきゃ。つまり、キミの不在中に誰かが不法侵入して勝手に物の配置を変えたりしてるってこと?」
「かもしれない……それか幽霊か……」
「幽霊ねぇ……戸締まりはちゃんとしてる?」
「もちろん!そもそもエントランスはオートロックだし部屋だって物理の鍵じゃなくてカードキー式だから合鍵を作るっていうのもほぼ不可能だし……」
非科学的な存在の幽霊のことなんかまったく信じていない二号は、呆れたように私の置かれた状況を把握していく。
我が家のマンションはセキュリティ面で好評な物件を選んだのだ。そう易易と侵入されてなるものか。
ふむ、としばらく黙って考えた後に二号が口を開く。
「不安ならキミのマンション周辺をパトロールしようか?ボクと一号でさ」
「う〜んありがたい提案だけどそこまでしてもらうわけには……」
「けどキミの勘違いじゃなくて、もし本当に不審者が何度も不法侵入しているとしたら大問題だろ」
「そうだけどまだはっきりそうと決まったわけじゃ、あ――」
「こら」
「いてっ!」
座っていた二号の背後から見事なまでにまっすぐ拳骨がその頭頂部目掛けて振り下ろされ、ガキン!と金属同士がぶつかり合う音が響く。
「一号」
一号だった。見回りからいつまで経っても戻らない二号を連れ戻しに来たのだろう。私が引き止めたせいで無駄なダメージを負うことになってしまい申し訳ない。
感情の読めない真顔で一号が言う。
「勤務中の私語は慎むように」
「はぁい先生」
「先生ではない」
その教師染みた物言いに冗談を言うも一号には通じない。彼は言葉をそのまま受け止めるきらいがある。
痛みから復帰したのか二号は不服そうに自身の頭をなでながら一号に異議申し立てをした。
「なんでぶつんだよ〜!ぶつことないだろ!」
「二号、お前の持ち場はここか?彼女の話し相手になることが仕事なのか?違うだろう」
「まって一号、私が見回りしてた二号のこと引き止めたの。二号だけ叱らないであげて」
「そうだとしても、あなたは二号のことを甘やかしすぎだ。我々ガンマはたとえ業務中に引き止められたとしても即座に問題を解決して速やかに本来の業務に戻るべきだ」
「う……す、すいませんでした……」
どうやらかなりご立腹のようだ。ここまでしっかりと叱られたことはなかったので少々萎縮してしまう。
「戻るぞ二号」
「むぅ、ごめん〇〇。話はまた今度聞くから」
「うん、ありがと。一号も、本当にごめんね」
「わかってくれればいい。では、失礼する」
「二人ともまたね」
「バイバ〜イ!」
未だ殴られたことに対して釈然としない様子ながらもこちらに手を振りながら、二号はずるずると一号に引きずられて行ってしまった。
一号には叱られてしまったが二号に相談したことによって実際には何も解決していないがなんとなく気持ちが楽になった。
お昼ごはんどうしよっかなぁ、と悠長に考えながら私は新しい製図へと鉛筆を走らせた。
「あれからどう?」
二号に相談してから早数週間。お互い忙しかったのかタイミングが合わず、今の今までなんの相談もできていなかった。
作業も一段落したし休憩しようと、社内の廊下に設置されている自販機でコーヒーでも買おうとしたところをたまたま通りかかった二号からそう声をかけられた。
「う〜ん、よくも悪くもかわりなし、かな」
「やっぱり勝手に物が動いたりしてる?」
「そうなの。あ〜、あと家鳴りがひどくって」
こくりと今しがた買ったばかりのコーヒーを嚥下する。黄色のデザインのコーヒーは砂糖がふんだんに入れられていて、過剰すぎる糖分が五臓六腑に染み渡る。
「家鳴り?」
「そう、パキッ!とかメキッ!とか結構大きな音がするの。そのせいか夜中に目が覚めちゃって眠たくて眠たくて……やっぱり幽霊だよ原因は」
「ホントだ、クマがーー」
二号の親指がするりと目の下を撫でようとしたのか私に伸ばされかけたが、不意に背後からかけられた声によってその動作はキャンセルされた。
「二号」
「一号、お疲れ様」
「〇〇、お疲れ様。二号、定期メンテナンスの予定時刻まで5分を切っているぞ。早く博士の元へ向かえ」
「わかってるって!じゃあね、〇〇。困ったことがあったらまた相談して」
「ありがと二号、またね」
ダッシュで博士の下へ向う二号に「廊下は走るな!」と一号の怒号が投げられる。やっぱり先生じゃん。
怒号を投げ終えた一号はくるりとこちらに向きなおし、なにやら言いたげにこちらを見下ろしてきた。せかすこともないのでそのままコーヒーを飲みつつ黙って見つめ返すと重たげに一号の口が開かれた。
「……さっきの話だが」
「さっきの?」
「以前も話していたな。部屋の物の配置がかわっていたりするとか」
「あ、あぁその話ね。私は幽霊がやってる説を推してるんだけどね」
そう言ってからまた一口、コーヒーを口に含む。馬鹿馬鹿しいと笑われてしまうだろうか。かなり本気で幽霊がいると信じているんだけど……。
一号は私の仮説は完璧に無視して、原因を究明しようとしているのか次々に質問してきた。
「いつ頃からだ」
「いつ……う〜ん、2週間くらい前からかなぁ」
「他になにか変わったことは?」
「変わったこと?特に何も……二号にも話したけど家鳴りのせいで十分に寝られないくらい」
「確かに、ひどいクマだな」
すり、と指の腹で目の下を撫でられ、くすぐったさとその指先の冷たさに小さく身震いした。
ふと一号を見上げると、その黒々とした瞳に慈しみのようなものが込められている気がして、なんだか気恥ずかしくて思わず目をそらした。
「化粧しても消えないんだよ。見逃して」
「お酒は控えて夜更かしせず22時までには眠るように」
「お母さんか!ちゃんと日が変わる前には寝てますぅ!中途覚醒しちゃうだけでーーて、私もうそろそろ戻らなきゃ」
「ああ、廊下はーー」
「走りません!じゃあね!」
飲みきれなかったコーヒーを片手に部署へと戻る私に、一号は二号にかけたものよりもずいぶんと優しい注意を促そうとしたが、もうお説教はこりごりだった私はさせまいと声を被せてそれをキャンセルした。さっさと戻らなくては、一段落ついたといってもまだまだ仕事は山積みなのだ。
それにしても怪奇現象について妙に興味津々だったなぁ。
まぁ、一号なりに心配してくれたのかも?そう思い、あまり気にも留めずに山積みの仕事へと取り掛かったのだった。
ゆっくりと意識が浮上して、自然とまぶたが上がった。
月明かりの届かない室内はまだ暗く、数回瞬きをした後にまたしっかりと閉じた。
なにもないのに起きてしまうなんて、中途覚醒が癖になってしまっているのかもしれない。
3時くらいかな、このまま寝付けるかなぁ……
壁側を向くように寝返りを打ち、ぼんやりと考えていると普段聞こえるものとは全く違った音がキッチンの方から鳴った。
今のは、家鳴りじゃない。
コツ、と背後から鳴るはずのない足音が響いた。
――誰か、いる。
独り暮らしの私の部屋に、誰かが。
どうしよう。泥棒?強姦魔?もしかして心配した二号がきてくれた?そんなわけない。来てくれたとしても勝手に部屋に上がれるはずもないし、そもそもこんなことするわけない。
何が幽霊だ、めちゃくちゃ質量を伴ってるじゃん。
その音が止んだと思えば、今度は枕元で何者かの衣擦れの音が耳に届く。
足音もなく枕元までその誰かが近寄ってきて、見下ろされているのだ。
振り返ってみるべき?もう少し待って相手の出方をみるべき?起きているのに気づかれたら?どうしよう。こわい。
スマホは手の届かない場所においてあるし、この状況だと通報しようにもどう考えても侵入者にバレてしまう。
二号の言うとおりパトロールしてもらえばよかった。
静かな夜に、何者かの衣擦れの音がやけに大きく聞こえる。
確認するしかない、どうせ事が起こるのなら自分から仕掛けてやろう。そう思った。
心臓がばくばくと早鐘のように脈打ち、部屋中がその音で満ちてしまうのではと心配になる。意を決して何者かがいるであろう方向へと慎重に寝返りを打った。相手に動きはなさそうで、まだ起きていることは気づかれていないようだ。ゆっくりと、うっすらとシーツ側の片目だけを相手に悟られないように開くと、物の輪郭もはっきりと捉えられないほどの真っ暗な部屋が見えた。
不意に狭い視界に、揺れる布が映りこむ。カーテンか?違う。夜に染まった暗い色合いの、その潤沢な布には見覚えがあった。
ーーガンマ達のマントだ。
うっすらと開いた片目、加えて仄暗い空間では、きちんと色が判別できない。
こちらに背を向けていて、私は上を向くことは叶わず、頭部を確認できないので"どちら"なのかはわからない。
どうして、どうやって、なんのために。
頭が混乱する。一体どういうつもりなのだろう。
どちらのガンマであろうとこれは不法侵入。れっきとした犯罪だ。スーパーヒーローである彼らがなぜこんなことを?
そうして混乱しているうちに段々と目が暗闇に慣れてくる。
赤だ。赤いマントだ。
侵入者はガンマ一号だった。
冷水をかけられたかのように、背筋が寒くなる。
滑らかに音もたてずにこちらを振り返った一号に、慌てて目を瞑る。
どうやら彼はじぃ、とただ静かにわたしを見下ろしているようだった。側頭部に視線が突き刺さる感覚がある。
どれほどそうしていただろう。十分、いや五分にも満たない時間かもしれない。
息が詰まる思いで、きっと実際に流れた時間よりも体感時間は長く感じているだろう。
しばらく壁掛け時計の規則正しい秒針の音だけが聞こえ続け、部屋に安寧がもたらされたように思えた。
あれだけ静かに振り返ったのだ。きっと音もなく帰ったに違いない。そう思い、私はぱっちりと目を開いてしまった。
「ぁ……」
その光景を目にした瞬間、息の仕方を忘れた。
暗闇に仄かに浮かぶ無機質な、それでいて食い入るようにこちらを照らすふたつの薄黄色の光と視線が絡まったーー。
そこから私の記憶は途絶えている。
気づけば始業の三十分前に目が覚めて、慌てて身支度をして出社した。
体にはなんの異常もなく、部屋を荒らされた形跡もなかった。
だからあの夜のことは誰にも話していない。心配してくれていた二号にさえだ。何も証拠がないのだ。一号が部屋にいたという証拠が。話したところで夢を見たのだと一蹴されてしまうだろう。社内ですれ違うときも今までと変わらない一号の態度に、私自身夢だったのではと思い始めている。
それに、あの夜からぴたりと怪奇現象が止んだのだ。問題が解決したのだからそう深く考えずに変な夢だったと忘れてしまうのが吉だろう。
今まで生きてきて遭遇したことのない恐怖体験ではあったが、そういう夢もあるか、と自分で言うのもなんだが底抜けに暢気な私はあの夜のことは忘れてしまうことにした。
ーーただ、夢だったとしてもあのうっそりと鈍く黄色く光る瞳だけは忘れられそうにない。
彼女の部屋の扉の前に立ち、生体スコープを起動する。室内には二人分の反応。彼女ともう一人、データベースにない人間だ。
彼女のバイタルは安定している。すっかり寝入っているようだ。
それよりも―彼女の話を聞きまさかとは思い訪れたが―誰だこの男は。
彼女に何らかの被害が及ばないうちに対処しなければ。
ICカード式の錠は人造人間の私にとってハッキングして開錠することなど容易かった。物理の鍵より簡単に開けられると言っても過言ではない。
こうして彼女の部屋に訪れるのも一度や二度ではない。いつものように難なく鍵を開け、寝ている彼女を起こさないように、また侵入者に気づかれないように静かに扉をくぐる。
明かりはつけずにキッチンまで足を運ぶと、侵入者は冷蔵庫を物色している最中だった。暗い室内に冷蔵庫からぼんやりと光が漏れ、食品を漁るその所作は随分と荒く騒がしい。彼女が目を覚ましたらどうするんだ。
一言も声を漏らすことのないよう背後から対象を制圧、気絶させ、逃げられないように拘束した。
この男が彼女の言っていた幽霊の正体か?
何の変哲もない非力な人間だったが、なにが目的でここに侵入したのだろうか。
私がしばらく来ていない間にこんな不届き者が彼女の部屋に侵入していたとは。
今後見回りの回数を増やさなくてはいけない。
この男の処遇は後々考えるとして、念の為目視で彼女の様子を確認しなければ。
そう思い枕元へと向かうと彼女はこちらに背を向けてすうすうと穏やかに寝息を立てているところだった。
円い頭頂部としなやかな髪の隙間から覗く小さな耳が愛らしい。少し心拍数が高いが目立った外傷などもなさそうでほっと胸をなでおろした。
次に室内の確認をしようと後ろを振り返り、部屋中を見渡した。
3週間ぶりの彼女の部屋は以前訪れたときと特に変わった様子はなく、冷蔵庫を漁られただけで金品などを盗られた形跡はないようだった。
室内の確認が終わった頃、彼女が身じろぎしたのを背後に感じた。どうやら寝返りを打ったらしい。
顔を見たい。そう思い静かに彼女に向き合った。
健康的なふっくらとした頬に思わず触れてしまいたくなる衝動を抑えて、しばらく彼女を見下ろしながら物思いに耽った。
彼女への恋心を自覚したのはいつだったか。初めて出会った頃からのような気もするし、つい最近のようにも感じられる。
彼女はどうも抜けているところが多く、見ていて危なっかしいことが多々あった。際限なく天然なのだ。心配になるほどに。
その上誰彼構わず愛想を振りまき親切にするものだから、その優しさに好意を持たれていると勘違いした厄介な人間に絡まれることも少なくない。それは彼女の長所であり短所でもあった。
この物件に引っ越したのも、そういった人間関係でのいざこざのせいだと聞いている。
ならば私が彼女を取り巻く悪意の悉くを排除し、守ってやらねばとこうして定期的に見回りに来ていたのだが……
そろそろ侵入者が目覚めてしまう頃だろう。名残惜しいが撤退しなくては。
そう思い最後にもう少しだけ近づいてしまおうかと考えた瞬間、不意に彼女の瞼があげられびくりと全身が強張った。
私を視認しひどく怯えたようなその顔に、少しの罪悪感を覚える。
「何も心配ない」そう声をかけようかと迷っていると、かくりとその体から力が抜け、瞼が閉じられた。
どうやら失神したようだった。バイタルを確認すると血圧が先ほどよりも急激に下がっている。
いるはずのない私が目の前にいて、きっと恐ろしかったのだろう。
何かしらの対策をすべきか?いや、必要ない。目が合ったのはわずか数秒だ。
能天気な彼女のことだ、何事もなかったかのように今までと変わらず接していれば、夢をみたのだとでも思ってくれるだろう。たとえ詰め寄られたとしてもどうとではぐらかせる。
寝返りを打った際に少し乱れてしまったであろう布団を肩までかけなおし、いまだ気絶したままの不審者を抱えて部屋を後にした。