「へ?」
社内の中庭にある花壇の手入れをしていた時だった。
よく聞き慣れたニ号の、珍しく焦ったような声が聞こえて、頭上から大きな影が落ちてきたと思った瞬間、私の眼前は青一色で染められ、一瞬の暗転。
気づけば地面、なのだろうか薄ぼんやりと白く光る所へと寝かせられていた。
というか、私、二号に押し倒されている。頭の下には彼の右手が敷かれているし、両足なんて彼に跨られて閉じ込められてるし、顔同士だって下手をすれば息がかかってしまいそうなほどにめちゃくちゃ近い。なんだこれ、いつの間にこんなことに? いったい何がどうなってこんなことになってしまったのかわからないが、大変よろしくない体制だ、これは。ただそれだけは理解できたので思わず顔を逸らし、目線だけを二号に向けた。
「なんだこれ⁉︎」
「え、なに、何事? なに?」
自分の置かれた状況がイマイチ理解できない私とは裏腹に、珍しく焦った様子の二号は口調を荒げて憎憎しげに自身の左拳ですぐそばの壁を叩いた。結構な音が鳴ったのでちらりとそちらに視線をやるが、そこは二号の力で以ってしても傷一つついていない。
「クソッ! 閉じ込められた……‼︎」
「えっ、閉じ込められたぁ⁈」
「バリアごと包まれたんだ」
彼曰く、突如として私の頭上に真っ黒な箱のようなものが現れ真っ逆さまに落下してきたそうだ。
攻撃なんかは間に合わないし、例え間に合ったとしてもうまく破壊できるかもわからない。そう思い私に覆い被さり防御態勢をとってバリアを張ったが、それごと箱のようなものに包まれてしまったらしい。
なるほど、と納得したと同時に、手間をかけさせてしまった申し訳なさが湧いてきて、すかさず「ごめん」と謝ると「なにが?」となんでもないふうに返されてしまった。流石ヒーロー。迷惑をかけられているのにそれを手間だとも思っていない。これもヘド博士のプログラミングの成果なのか、はたまた彼の生まれもった性質なのかはわからないけれど、ここまであっけらかんと言われてしまえば、申し訳なかった気持ちは多少薄まって気も楽になった。
私が少しだけ安心したのが二号にも伝わったのか、彼も目尻を下げて少しだけ微笑んだ。
「それより、怪我はない?」
「あ……と、大丈夫そう。二号のおかげだね。ありがとう」
「ならよかった。でもヒーローとして当然のことをしたまでさ」
「二号も体勢しんどくない? 狭いよね、大丈夫?」
「全然、へっちゃらさ! ボクは人間と違っていつまでも同じ体勢でいられるからね」
「そ、っか。じゃあ一先ず安心、かな」
とは言ったものの、依然として物理的距離は近いままで、私は二号に向き合う事ができなかった。というのも、私は二号に思いを寄せていたから。でもこれは誰にも――二号本人にも伝えるつもりはない。いくら二号が感情豊かとはいえ人造人間だし、そもそも兵器として造られているから、きっとそういう感情は持ち合わせていないだろうから。もし仮に二号が恋愛を理解できたとしても、二号は人気者だしきっと私のことなんか相手にしないだろう。悲しくないといえば嘘になるけど、私には玉砕覚悟で思いを伝える勇気も、かといって二号への思いを断ち切ることもできずにいた。
そんな現状の中で起こったこのハプニングは、私の精神を大いに苦しめた。私の精神衛生の為にも、何しろ私を助ける為にこんな状況に巻き込んでしまった二号の為にも一刻も早くここから脱出しないと。
当の二号は私のそんな事情など知る由もなく、大きな目をきゅるきゅると動かして、この空間の実体を探っているようだった。
「どうやったら出られるんだろうね……」
「そうだなぁ……。内側から攻撃して反撃なんかされても怖いし……。ボクがいなくなったことに一号が気づいてくれればいいんだけど──」
そう言いながら、二号は周辺の壁を軽く叩いたり、また視線をあちらこちらにやったりと忙しない。
「見たことのない物質だ。それに、発光しているみたいなのにエネルギーを感知できない」
「それって、もしかしたら地球上の物質じゃないかもってこと?」
「う〜ん、仮にこれが熱放射による発光だとして、考えにくいことだけどボクにも感知できない特殊な電磁波なのか、あるいは……。まあ、なんにせよ未知にもほどがあるから下手にブラスターで攻撃なんかはできない、かな」
「なるほど……力づくで出るのは無理っぽいね……」
正体不明の物質相手に、二号は慎重になっているようだった。任務で目的の為なら多少手荒なこともすることがある二号だけど、安全の為に今回は流石に壁を吹っ飛ばしたりはできないようだった。
それにしても、狭い。二号はなるべく私が窮屈にならないようにか、体を離してくれているみたいだけど、それでもそもそもこの空間が人間二人で入るには十分な大きさではないらしい。ちょっとでも気を抜いたら二号のしっかりとした胸板と私の胸が触れ合ってしまいそうだ。少しだけ冷静になって改めて現状を見つめ直してみると、今度は意中の相手との物理的急接近に羞恥心なんかがこみ上げてきた。
とにもかくにもいたたまれない! 二号は依然として箱の正体を探っているらしく、私の頭を支えてくれているのとは反対の手で壁をぺたぺたと触っている。当然調査に集中している為か、いつものおしゃべりはなく、二号が動く度に生まれる衣擦れの音、耳を澄ませば私の呼吸音や二号から発せられるモーターの駆動音が聞こえるほどの静けさで、それがよりいたたまれなさに拍車をかける。
こんな時に何も二号の手助けもできない自分を歯痒く思う。そうはいっても突然超能力に目覚めるわけでもないし、そもそも無力だからこうやって助けられてるわけでもあるんだけど……。
「……二号、ファラオの棺って見たことある?」
「え、なにどうしたの」
「たまに展覧会が開かれたりするんだけど、すごいんだよ。木とかなんかいろんな素材でできた棺でね」
二号は突然始まったファラオ談義を、手を動かしながらも黙って聞いてくれている。緊張感を喋ることによって紛らわせようとしてみたけど、選ぶ話を間違えたかもしれない。それもこれも狭苦しいこの場所がまるで棺を連想させる形なのがいけない。あぁ、ええっと、なんだっけ。
「そこに包帯でぐるぐる巻きにされた遺体が納められてるんだけど──私も、そうなっちゃうのかなぁ……」
いたたまれなさから始めた雑談のつもりだったのに、話の終着点はどうしてか不安を言葉にしたものになってしまった。咄嗟に、な〜んて‼︎ そう言って笑い飛ばそうとしたけれど、喉が引きつってうまく笑えなかった。
こんなこと、急に聞かされても困るだけだ。でも私にはここから巻き返す話術なんかないし、何より一度止まってしまった話をまたし始めるには流石に空気が重々しすぎる。
二号はもう箱のことを調べ終えたのか、しきりと壁に触れていた手を私の頭の横へ置いた。二号がどんな顔してるのか、怖くて見れない。きっと呆れているか、心配しているかのどちらかだろうけれど。そのどちらにしても迷惑をかけているのに変わりはないから、居たたまれなさは話し始める前よりも酷くなってしまった。
後悔する私の頬に、不意に二号の空いていた手が添えられて、「あのさ」と優しく声がかけられる。柔く頬を誘導する手に、目線をこっちに向けろ、と言われているのだと理解して恐る恐る二号へと向き合った。
「怖いなら怖いって言ってもいいんだよ」
そこにあったのは、呆れでも心配の表情のどちらでもなかった。
二号は少し困ったように微笑んでいて、また余計な気を使わせてしまった、と思うと同時に、安心感からかじわりと涙が溢れてしまった。
「あ……ごめ、ごめんね。ちょっと不安になっちゃった」
「大丈夫。ボクが絶対に助けるから、謝らないで」
「うん、うん……!」
もしこれが二号ではなく、他の誰かに言われたとしたら、素直には信じ切れなかっただろう。けれど今まで二号と過ごす中で、完全無欠である彼の言う”絶対”は、私の不安を見事取り去ってくれた。よしよし、と二号は支えてくれている頭を柔く撫でてくれて、いつの間にか涙も引っ込んでいた。
「あれっ……」
不意に二号が何か気づいたのか、不思議そうに声を上げた。
「ん、なに?」
「頭の下に何か書いてある」
「えっうそぉ、なんでそんなとこに」
「もう少しだけぎゅってできる?」
「う、うん……」
そもそも二号に抱き寄せられているような体勢だったのに、もっとひっつけだなんて、恥ずかしいどころではないけれど、そうも言っていられない。出来る限り二号の邪魔にならないように横に頭をずらして抱きつくと、二号は私が辛くないようにか、頭を支えてくれた。
「え〜と、なになに──」
「なんて書いてある?」
「あ〜……シュミ悪いなぁ」
「な、なに? ひどいことが書かれてる?」
「キスしないと出られない箱、なんだって。ここ」
「……へ? き、キス?」
「うん、そう」
二号の表情は抱きついているせいで見えないけれど、気まずそうな声で伝えてくれた。
これは、もしかしなくても覚悟を決めないとダメなやつなのでは。まさかキスしないと出られないなんて、なんだそのトンチキな箱は。
本当は言いたくない。けど言わなければ、二号はきっとキスすることに罪悪感を覚えてしまう。その罪悪感を無くすことができるのは、私が二号に想いを寄せていることを伝えることぐらいしかない。
しばらくの沈黙の後、意を決して口を開いて発した言葉は、予想以上にすんなりと出てきた。
「私……に、二号となら……いい、よ」
「……それ、本気?」
「二号は私とじゃイヤ、かな……」
こんな事を言えば二号に私が片思いしてる事はバレてしまうだろうけれど、そうも言ってられない。こんな状況でなければ絶対に伝えることはなかった想いを、こんな形で知られることになるとは、致し方ないとはいえ悔しさが募る。
私の言葉を聞いて、二号は小さく息を詰まらせた。
「……ごめん」
一方的な好意は、寄せられる側からすれば迷惑でしかないから。二号の答えは私の予想通りのものだった。苦々しさがのったその声音に、またしても善意が裏目に出てしまったことを痛感した。
わかってはいたことだけど、いざ実際にフラれたとなると当然ショックではあるし、同時に羞恥心も込み上げてきた。やばい泣きそう。けどこんな状況で泣いてしまったら鬱陶しすぎる女だ。耐えてどうにか取り繕わないと。強がって発した声は、思った以上に情けなく震えていた。
「そ、だよね……やだな私ったら、あは──」
笑って誤魔化そうとした瞬間、視界が二号の大きな手に遮られ、次いで頬にひんやりとした柔らかいなにかが押し当てられ──。
「なんとか出られたね」
「へっ……あ、れ? 外……?」
気づけば私は、元いた花壇の傍にいた。
唖然としてすぐには立ち上がれそうになかったけれど、二号はエスコートでもするように支えて立たせてくれた。
まだちょっと理解が追いついてないけれど、どうしても確認しなければならないことがある。つい数秒前、頬に覚えた感触についてを。
「に、にごう。さっきのって……」
「どこにしろ、って指示はなかったからね」
二号は大きく伸びをして、事も無げにさらりとそう言いウインクしてみせた。なるほど、焦っていてその発想はなかった。てっきり口同士じゃないとダメなものだとばかり。
「あ……そっか、口同士じゃなくてもいいんだ」
「そういうこと! といっても、あれで絶対に出られるって確信はなかったんだけど……まあどうにかなって良かったよ。それでさ、聞いてほしいことがあるんだ──」
二号は急に私の手をとってそれを両手で握り込むものだから、一体どうしたのかと顔を見上げると、そこには今まで見たことがないような大真面目な顔があった。
「キミが好きだ」
「……へ?」
聞き間違い? だって、ついさっき「ごめん」ってはっきりと拒絶されたはず。予期していなかった告白が、今目の前にいる人物から発せられたものとは到底理解できなくて、何か返事をしなくちゃ、と思いはすれど、困惑する頭ではなんと返せばわからなかった。
そんな私を見かねたのか、二号は少しだけ口許を緩めると、この上なくストレートな感情をぶつけてきた。
「誰かに仕向けられてじゃなくて、ボクの意思で、キミとキスしたいんだけど。……キミはどうかな」
きゅ、と握り込まれた手に、力が入ったのがわかった。どうかな、なんて。わざわざ聞いてくるのは、それはずるいんじゃなかろうか。
鏡を見なくても自覚できるくらい真っ赤になっているんだろう、顔中が熱くて熱くて仕方がない。なぜだか何かに負けた気がして苦し紛れに思わず可愛くない反応をしてしまったけれど、なぜか二号は楽しそうに笑っていた。
「っ知ってる、くせに……!」
「意思の確認は大切だろう? それにあんな状況じゃなきゃキミは伝えてくれなかっただろうし」
「なんで、そんな風に言い切れるの」
「だって今までずっと見てたから、わかるさ」
「……私、は──」
「ね、ボクはキミの意思で答えてほしいんだ。いいだろ?」
一度は私の告白を受け取らなかったくせに、ひどいヒトだ。
けれど、ひどいとは思えど、拒否する気すら起きないほど、私は二号のことを諦めきれていないらしい。
私の応えは、もうとっくに決まっている。返事の代わりにもう一歩だけ近寄って、向かい合った首へ控えめに腕を回すと、私を一心に見つめていた墨色の瞳が、視界の端でゆるりと解けた。