変わる話
「千代っ!十二番隊に移隊ってホンマか!!?」
「うわっ、うるさぁ」
ドタバタと埃を立てて平子は往来を走ってきた。ちょうど今日は午後は少し休みを貰ったのでひよ里と甘味屋に来ていたところだったのだ。軒先でのんびりと団子を食べ始めた矢先のことだった。
「ハゲ!うちらが食べとるん見えへんのか!!ドタバタすんなや!」
「ちょっと。まだ仕事中とちゃいますのん?」
「いや仕事なんてどうでもええやろ!」
「そんなことで藍染副隊長困らせたらあかんでしょう?はい、お茶。ちょっと熱いから気ィ付けて」
「いや、そんなことて、あぁ、うん」
「無視すんなハゲ!」
千代のペースでポンポンと話されて、平子は渡された茶と共に言おうとしていた言葉を飲み込んでしまった。
「移隊やなくて救護詰所に派遣されるだけよ?来月からね」
「詰所ォ?あんなん席官言うても末席がやるもんやろ」
各隊舎には救護詰所が配置されており、急な怪我や簡易な診断・治療をそこで受けることになっている。席官位が二桁の死神が担当することの多い仕事の為、平子は首を傾げていたのだ。
「それが技術開発局ができてから半年でもう4人も担当が変わってるんよ。耐えられへん〜って」
「主に白玉団子のせいやけどな」
「あー…」
「で、まぁうちならひよちゃんと仲ええし、白玉さんもまぁ別に怖ァないしってことで派遣されるんが決まったとこなん。浦原隊長へのご挨拶も終わったからこうしてお休みもろたんです」
はい、と三色団子を1本平子に差し出す。どかりと隣に座ると「おばちゃん、茶ァとみたらし3本追加してくれ」と店員に声を掛けた。
「大丈夫なんかいな…あっこ魔の巣窟やんけ」
「薬品関係の怪我多いみたいなんよねぇ、まぁうちの専門やし大丈夫でしょ」
「や、心配しとんのそこちゃうし」
追加で店員から渡されたみたらし団子をひよ里は当然の如く奪い取ってから平子に回す。
「アッ!何勝手に食うとんねん!!」
「ハァ!?3本頼んどいてうちの分ないとかおかしいやろ!!隊長がこん程度でグチグチ言いな!!」
「うちのが2本でひよちゃんのが1本?」
「いやいやなんでやねん、そこは1人1本やろ!?」
両手に団子を持つ千代は呑気に笑う。冗談よ、と渡された団子を齧りながら平子は今後の彼女を取り巻く行く末を思い、重いため息を吐いた。
= = = = =
「四番隊第七席、平子千代です。専門は外科と薬品関係の外傷なので、体調不良や事故が起きたらすぐに呼んでくださいね。若輩者ですがどうぞお手柔らかに」
朝礼で集まった全隊士の前で千代はにこやかに笑う。今からこの隊舎の人間の命を預かるのだ。
気を引き締めていたいものの、隣にひよ里がいるものだから心はうきうきと弾んでしまう。
「あ、行きやすいように場所を第一研究室の隣に移したんで皆さん間違えないようにしてくださいっス」
浦原が隣で人差し指を立てながら説明する。ひよ里も同じくご機嫌な様子で立っていた。珍しく機嫌がいいな、と隊士達は首を傾げる。月始めの朝礼は浦原が隊長に就任してからというもの、常に不機嫌なことが多かったからだ。最近になってマシになってきたものの、機嫌の良い日が来るなど随分先になると考えていた。
「では、皆さんよろしくお願いします」
頭を下げると返答代わりの拍手が聞こえる。出だしは悪くなさそうだと、千代は胸を撫でおろした。
「部屋案内したるわ!!」
「ふふ、もう知ってますよ。猿柿副隊長」
「……は?」
ひよ里の声があまりにも素っ頓狂で大きいものだから、周りが静寂に包まれる。
「今、なんちゅーた?」
「何をて…」
「うちのこと!猿柿副隊長や!!?なんやそのシケた呼び方ァ!!!他人行儀にも程があるわ!こンのおたんこなす!ボケ!ハゲ!!ヘラヘラ笑いよって胸糞悪い!」
「ちょっ、ひよ里サン落ち着いて」
「落ち着けるか!こいつうちのこと猿柿副隊長言うたんやぞ!!」
後ろから羽交い締めにして落ち着くようにと浦原は慌てて押さえ込むが、ジタバタと抵抗している。
「業務中よ?そんなん、普通やないですか」
「また!また敬語使うたぞこいつ!!!」
「いや、普通ですってひよ里サン」
「部下が見てるんやからシャンとせんと。ね?隊をまとめるんでしょ?」
宥めるように言うが火に油を注ぐかのようにひよ里の眉間の皺は深くなる。
「もう知らん!おまえなんか薬品まみれになって臭い取れんくなればええんや!!」
「あ、ちょっと!」
涙目になりながらひよ里はズンズンとその場を後にしてしまった。
「困ったわぁ…たまに子供みたいに癇癪起こして我儘言うんやもの…」
「ひよ里サン、話が決まってから随分楽しみしてたっスからねえ…」
「周りの人もびっくりしてはるやないの、もう…」
「はーい、みんな業務戻っていいっスよぉ!」
浦原は思い出したように手をパンパンと叩くと隊士に声をかける。ひよ里の罵倒に一切怖じけず、子供のようだとひよ里にとっての禁句をさらりと言ってのける千代の様子に、隊長の伴侶ともなるとこのくらい肝が座っていないといけないのかと少々の畏怖の念を抱いている者も居た。
「ふふっ、にしても臭い取れんくなってまえって。随分優しいわぁ」
「まぁ…確かにひよ里サンの罵倒の中ではぬるいかもしれないっスね」
「過去1番酷かったんは真子さんに言うた『脳味噌もつるつるてんのハゲ猿』やったかしら。『加齢臭出てきとる』の方が強烈かしら」
「ハハ…ほんと、ホイホイ言葉が出てくるモンですねェ。まぁなんにしても、ひよ里サンのご機嫌が斜めなままなのもアレなのでいつも通りに接してもらっていいです?」
「でも…」
「うちはご覧の通り変革の真っ只中ですから、そのくらい誰も気にしませんヨ。ささ、早く行ってあげてくださいな」
千代が会話しながらそわそわとしていたのを見透かして、浦原は千代の背中をポンと押す。会釈すると真っ直ぐにひよ里の行った方へ駆けて行った。
浦原はそんな千代の背中を眺めながら、隊の空気が少しずつ良い方向へ変わればいいと願うばかりだった。
―いやぁ、高い貸しを四番隊に作ってまで彼女を引き入れた訳ですが…お手並拝見、といきましょうかね。期待してますよ、千代サン
= = = = =
「真子さん!おかえりなさい」
「ただいまァ」
平子は隊長羽織を千代に渡すとコキコキと肩を鳴らした。詰所に異動と言う話が出てから数ヶ月が経った。十二番隊の誰にも臆せぬ度胸と丁寧な治療、豊富な医学の知識もあって頗る評判は良いようだった。
「どないなるかと思ってたけど、定時で上がれるようなってよかったな」
「せやねぇ。お風呂もご飯も支度できてますけど」
「千代お腹空いたやろ、先食べようや」
「うん」
「評判らしいやん、噂聞くで」
「流石オレの嫁?」
「やわ」
楽しそうに笑う平子に千代も笑みが溢れる。
ご飯も風呂も済ませて、平子は千代が持って帰ってきたらしい本をいくつか勝手に読み漁っていた。どうやら科学の専門書らしい。
「ね、真子さん。試して欲しいのがあるんやけど」
「おん?」
風呂上がりの千代は髪を拭きながらウキウキとした表情で近付いてくる。
「新しくねえ、軟膏作ったんよ」
「また作ったんかいな」
「今度は手荒れ用のん。浦原隊長に頼んだら材料分けてくれはってねえ。四番隊おるよりなんや遊びやすくてええわぁ」
手のひらサイズの小箱の中にある薄黄色の軟膏を差し出す。
「えー、千代塗って」
「はいはい」
そう言いながらも機嫌よく軟膏を掬うと平子の指に丁寧に塗り込み始めた。指先も間も掌も、丁寧に。
「…その塗り方ヤらしい」
「そう?」
するすると触れるか触れないかの力加減で滑る感触に身震いした平子は眉間に皺を寄せた。
「他の奴にしてへんよなぁ?」
「ふふ、どうやろね。はい、おしまい」
塗り終えた千代は平子の手を取ると甲にキスをした。上目遣いに平子を見やると案の定顰め面をしている。照れたときの表情に千代はくすくすと笑った。
「そういやこの本どないしたん」
「ひよちゃんが貸してくれたんよ。なかなか面白くって」
「なんやどんどん十二番隊に染まってくやんか」
「心配?」
「あっこは喜助おるからあかん」
不機嫌そうに口をへの字に曲げた。
「ふふ、かいらしいねんから」
「なぁんか、十二番隊に異隊とかありそうな気ィすんのよな…なんか千代楽しそうやし」
その言葉に千代はどきりとする。実は異隊の話は浦原から冗談まじりの口調で言われたことがある。それは冗談半分、本気半分といったところだろう。
「異隊して欲しないんです?」
「そら四番隊に比べたら危険な任務も増えるしな。嫌に決まっとるわ」
俯き気味になると前髪のせいで平子の表情は読めない。内心を悟られたくない時の薄い壁。時々、こういう顔をされると千代はどう取り繕えばいいのかわからなくて困ってしまう。少し、緊張するのだ。
「…千代?」
「ほんまに嫌なら、せんよ」
別に現状を変えたいほどの不満があるわけでもない。それよりも、平子の嫌だと思うことをする方がよっぽど嫌だと思った。
「真子さんが嫌て思うことしたないの」
「…オレはオマエの枷になんかなりたないわ。自分のやりたいこと選び」
「……男前やね」
「今更気付いたん?」
「ずっと知ってました」
とっくに塗り終わった手からは軟膏の柔らかい匂いがした。どちらかともなく短いキスを交わす。
「浦原隊長には来ないかって言われたことはあるんです」
「…ほんまか?」
「ご冗談や言うてはったけど…隙あらばほんまに、みたいな。ひよちゃんは本気やったわ」
ひよちゃん可愛いでしょ?と笑う千代に同意しないでいると不機嫌そうに唇を尖らせた。千代は平子の腕を掴むとすっぽりと平子が自分を覆い被さるように動かす。
「どないしたいん」
「うーん…四番隊は大事なところよ。卯ノ花隊長にも沢山お世話になって、可愛い後輩もおるし仲のいい先輩かておる。そない直ぐには決めれんもんです」
ぎゅうと強く抱きしめられて、自分は幸せなのだと頬を緩める。暖かいこの場所が1番好きだ。だからこそ、本音をゆっくりと溢せた。
「危険な任務はして欲しないんやけどなぁ。回道の腕は良うても戦闘は…まー、昔に比べたらそら強くはなっとるけど全然やん」
「まぁ弱いんは否定できへんね」
「四番隊での七席と他隊の七席では求められるもんが全然違う。戦闘力に関してだけ言えば席次落とさなあかんくらいや。うーん…でも千代の実力が舐められてるみたいで腹立つなぁ」
「真子さん、言うてることはちゃめちゃですよ?」
「わーっとるわ!」
隊長としての立場を踏まえた上で、1人ウンウン唸る平子が可笑しくてくすくすと笑ってしまう。まだ本当に可能性の話だったのに、平子は真剣に考え込んでいるのだ。それがどうしようもなく愛おしい。
「十二番隊に行ったらなぁ、やっと意思疎通できるようになった喜助とひよ里とマユリと、あの辺の悪癖上官と下のモンの関係が上手くいく気がすんねん。潤滑油になると思う。この前顔出した時も色んな席次のモンと仲良うやっとったし…腹立つけど移隊は悪くないと思うんや」
心底不満そうな顔で平子はそう漏らす。
「オレが隊長やったら確かに欲しい思うわ。抜け目ないちゅーか、ちゃんと人を選んどるちゅーか…でも喜助んとこにやりたない…」
「ちょっと過大評価しすぎよ?うち、そないに器用には立ち回れんし」
「せやんなぁ、千代は自分がどんだけ可愛いか分かってへんもんなぁ。言い寄ってきた物好きはオレくらいやと思ってるアホやもんなぁ」
「話聞いてます?」
しれっとベタ褒めされて顔が熱くなりながらも、上の空気味に喋る平子の頬をぺちぺちと叩く。
「聞いとる聞いとる。………千代?」
「なに?」
「…喜助に浮気はナシやで。オレ死んでまう」
千代は目を少し見開いた後、楽しそうに笑った。
―かわいい人
「ふふふ。浦原隊長、素敵な方やからねぇ。ちゃーんと手ェ繋いでてくださいね?真子さん」
千代は身体を平子の方に向けると両手を取ってするりと指を絡み合わせる。熱の篭った視線を送った瞬間、平子は目を細めて笑った。
「なぁ千代…。抱かせろ」
返事とでも言わんばかりに千代はゆっくりと唇を重ねる。最初は浅く啄むように、徐々にお互いの呼吸を食らうように深くなっていく。水音だけが無音の部屋に響くのが、酷く羞恥心を煽って下腹部を熱くさせる。
「…んっ。真子、さん」
「千代」
「そない直球で言わんとってよ、恥ずかしい」
気まずそうに視線を落とす劣情を含んだ表情のせいで、張り詰めた自身がさらに大きくなる窮屈さに眉を潜めた。
「最初からその気やった癖によう言うわ。続きは布団やな」
「あ、の…ちょお待って?」
「何やねん」
完全にその気になっていた平子は不服そうに千代の顔を覗き込む。
「力、抜けて立てへんの!真子さん、最初からねちっこいのよ」
「別に気持ちええねんからええやろ。実際腰抜けとるし?ほら、運んだるから首に腕回し」
「……やっぱもう一回して?」
「せやったらここで最後までするで」
「それは痛いから嫌」
「ほな我慢し。てかオレがもう我慢の限界」
ぐい、と強引に抱き上げるものだから千代は慌てて首に腕を回す。
「あんましオレを揶揄って焦らすなや」
「あら。ばれてた?」
すすす、と首筋を指でなぞれば喉仏が上下に動いた。それだけで身体の芯は熱を帯びて、期待と高揚感で動悸が速まる。
「こら」
「ふふふ」
「…今日絶対寝かしてやらんからな」
「やーよぉ」
そう言いながらも首元に顔を寄せれば、また平子の喉仏が動く。今日は兎に角そういう気分になってしまったのだ。朝まで付き合って貰おうと焚き付けた甲斐がある。
―綺麗に鋤いてあげた髪が乱れるんも、獲物を逃さへん鋭い鳶色の瞳も、うちを嬲る赤い舌も、愛を囁く薄い唇も。全部全部うちのモン。うちだけの、真子さん
布団に組み敷かれて千代は艶めいた表情で目を細めて笑う。薄い翡翠色に含まれた熱に、今すぐに獣のように貪りついてしまいたい衝動を堪える平子の頬に手を添えて、早くと口を動かした。
「ほんま、敵わんなぁ」
負けじと口角を上げる。千代の帯を解けば擽ったそうに身を捩った。欲望の赴くままに身体を重ねる夜も悪くはないと、焚き付けられた情を燃え上がらせるように唇を重ねた。
「うわっ、うるさぁ」
ドタバタと埃を立てて平子は往来を走ってきた。ちょうど今日は午後は少し休みを貰ったのでひよ里と甘味屋に来ていたところだったのだ。軒先でのんびりと団子を食べ始めた矢先のことだった。
「ハゲ!うちらが食べとるん見えへんのか!!ドタバタすんなや!」
「ちょっと。まだ仕事中とちゃいますのん?」
「いや仕事なんてどうでもええやろ!」
「そんなことで藍染副隊長困らせたらあかんでしょう?はい、お茶。ちょっと熱いから気ィ付けて」
「いや、そんなことて、あぁ、うん」
「無視すんなハゲ!」
千代のペースでポンポンと話されて、平子は渡された茶と共に言おうとしていた言葉を飲み込んでしまった。
「移隊やなくて救護詰所に派遣されるだけよ?来月からね」
「詰所ォ?あんなん席官言うても末席がやるもんやろ」
各隊舎には救護詰所が配置されており、急な怪我や簡易な診断・治療をそこで受けることになっている。席官位が二桁の死神が担当することの多い仕事の為、平子は首を傾げていたのだ。
「それが技術開発局ができてから半年でもう4人も担当が変わってるんよ。耐えられへん〜って」
「主に白玉団子のせいやけどな」
「あー…」
「で、まぁうちならひよちゃんと仲ええし、白玉さんもまぁ別に怖ァないしってことで派遣されるんが決まったとこなん。浦原隊長へのご挨拶も終わったからこうしてお休みもろたんです」
はい、と三色団子を1本平子に差し出す。どかりと隣に座ると「おばちゃん、茶ァとみたらし3本追加してくれ」と店員に声を掛けた。
「大丈夫なんかいな…あっこ魔の巣窟やんけ」
「薬品関係の怪我多いみたいなんよねぇ、まぁうちの専門やし大丈夫でしょ」
「や、心配しとんのそこちゃうし」
追加で店員から渡されたみたらし団子をひよ里は当然の如く奪い取ってから平子に回す。
「アッ!何勝手に食うとんねん!!」
「ハァ!?3本頼んどいてうちの分ないとかおかしいやろ!!隊長がこん程度でグチグチ言いな!!」
「うちのが2本でひよちゃんのが1本?」
「いやいやなんでやねん、そこは1人1本やろ!?」
両手に団子を持つ千代は呑気に笑う。冗談よ、と渡された団子を齧りながら平子は今後の彼女を取り巻く行く末を思い、重いため息を吐いた。
= = = = =
「四番隊第七席、平子千代です。専門は外科と薬品関係の外傷なので、体調不良や事故が起きたらすぐに呼んでくださいね。若輩者ですがどうぞお手柔らかに」
朝礼で集まった全隊士の前で千代はにこやかに笑う。今からこの隊舎の人間の命を預かるのだ。
気を引き締めていたいものの、隣にひよ里がいるものだから心はうきうきと弾んでしまう。
「あ、行きやすいように場所を第一研究室の隣に移したんで皆さん間違えないようにしてくださいっス」
浦原が隣で人差し指を立てながら説明する。ひよ里も同じくご機嫌な様子で立っていた。珍しく機嫌がいいな、と隊士達は首を傾げる。月始めの朝礼は浦原が隊長に就任してからというもの、常に不機嫌なことが多かったからだ。最近になってマシになってきたものの、機嫌の良い日が来るなど随分先になると考えていた。
「では、皆さんよろしくお願いします」
頭を下げると返答代わりの拍手が聞こえる。出だしは悪くなさそうだと、千代は胸を撫でおろした。
「部屋案内したるわ!!」
「ふふ、もう知ってますよ。猿柿副隊長」
「……は?」
ひよ里の声があまりにも素っ頓狂で大きいものだから、周りが静寂に包まれる。
「今、なんちゅーた?」
「何をて…」
「うちのこと!猿柿副隊長や!!?なんやそのシケた呼び方ァ!!!他人行儀にも程があるわ!こンのおたんこなす!ボケ!ハゲ!!ヘラヘラ笑いよって胸糞悪い!」
「ちょっ、ひよ里サン落ち着いて」
「落ち着けるか!こいつうちのこと猿柿副隊長言うたんやぞ!!」
後ろから羽交い締めにして落ち着くようにと浦原は慌てて押さえ込むが、ジタバタと抵抗している。
「業務中よ?そんなん、普通やないですか」
「また!また敬語使うたぞこいつ!!!」
「いや、普通ですってひよ里サン」
「部下が見てるんやからシャンとせんと。ね?隊をまとめるんでしょ?」
宥めるように言うが火に油を注ぐかのようにひよ里の眉間の皺は深くなる。
「もう知らん!おまえなんか薬品まみれになって臭い取れんくなればええんや!!」
「あ、ちょっと!」
涙目になりながらひよ里はズンズンとその場を後にしてしまった。
「困ったわぁ…たまに子供みたいに癇癪起こして我儘言うんやもの…」
「ひよ里サン、話が決まってから随分楽しみしてたっスからねえ…」
「周りの人もびっくりしてはるやないの、もう…」
「はーい、みんな業務戻っていいっスよぉ!」
浦原は思い出したように手をパンパンと叩くと隊士に声をかける。ひよ里の罵倒に一切怖じけず、子供のようだとひよ里にとっての禁句をさらりと言ってのける千代の様子に、隊長の伴侶ともなるとこのくらい肝が座っていないといけないのかと少々の畏怖の念を抱いている者も居た。
「ふふっ、にしても臭い取れんくなってまえって。随分優しいわぁ」
「まぁ…確かにひよ里サンの罵倒の中ではぬるいかもしれないっスね」
「過去1番酷かったんは真子さんに言うた『脳味噌もつるつるてんのハゲ猿』やったかしら。『加齢臭出てきとる』の方が強烈かしら」
「ハハ…ほんと、ホイホイ言葉が出てくるモンですねェ。まぁなんにしても、ひよ里サンのご機嫌が斜めなままなのもアレなのでいつも通りに接してもらっていいです?」
「でも…」
「うちはご覧の通り変革の真っ只中ですから、そのくらい誰も気にしませんヨ。ささ、早く行ってあげてくださいな」
千代が会話しながらそわそわとしていたのを見透かして、浦原は千代の背中をポンと押す。会釈すると真っ直ぐにひよ里の行った方へ駆けて行った。
浦原はそんな千代の背中を眺めながら、隊の空気が少しずつ良い方向へ変わればいいと願うばかりだった。
―いやぁ、高い貸しを四番隊に作ってまで彼女を引き入れた訳ですが…お手並拝見、といきましょうかね。期待してますよ、千代サン
= = = = =
「真子さん!おかえりなさい」
「ただいまァ」
平子は隊長羽織を千代に渡すとコキコキと肩を鳴らした。詰所に異動と言う話が出てから数ヶ月が経った。十二番隊の誰にも臆せぬ度胸と丁寧な治療、豊富な医学の知識もあって頗る評判は良いようだった。
「どないなるかと思ってたけど、定時で上がれるようなってよかったな」
「せやねぇ。お風呂もご飯も支度できてますけど」
「千代お腹空いたやろ、先食べようや」
「うん」
「評判らしいやん、噂聞くで」
「流石オレの嫁?」
「やわ」
楽しそうに笑う平子に千代も笑みが溢れる。
ご飯も風呂も済ませて、平子は千代が持って帰ってきたらしい本をいくつか勝手に読み漁っていた。どうやら科学の専門書らしい。
「ね、真子さん。試して欲しいのがあるんやけど」
「おん?」
風呂上がりの千代は髪を拭きながらウキウキとした表情で近付いてくる。
「新しくねえ、軟膏作ったんよ」
「また作ったんかいな」
「今度は手荒れ用のん。浦原隊長に頼んだら材料分けてくれはってねえ。四番隊おるよりなんや遊びやすくてええわぁ」
手のひらサイズの小箱の中にある薄黄色の軟膏を差し出す。
「えー、千代塗って」
「はいはい」
そう言いながらも機嫌よく軟膏を掬うと平子の指に丁寧に塗り込み始めた。指先も間も掌も、丁寧に。
「…その塗り方ヤらしい」
「そう?」
するすると触れるか触れないかの力加減で滑る感触に身震いした平子は眉間に皺を寄せた。
「他の奴にしてへんよなぁ?」
「ふふ、どうやろね。はい、おしまい」
塗り終えた千代は平子の手を取ると甲にキスをした。上目遣いに平子を見やると案の定顰め面をしている。照れたときの表情に千代はくすくすと笑った。
「そういやこの本どないしたん」
「ひよちゃんが貸してくれたんよ。なかなか面白くって」
「なんやどんどん十二番隊に染まってくやんか」
「心配?」
「あっこは喜助おるからあかん」
不機嫌そうに口をへの字に曲げた。
「ふふ、かいらしいねんから」
「なぁんか、十二番隊に異隊とかありそうな気ィすんのよな…なんか千代楽しそうやし」
その言葉に千代はどきりとする。実は異隊の話は浦原から冗談まじりの口調で言われたことがある。それは冗談半分、本気半分といったところだろう。
「異隊して欲しないんです?」
「そら四番隊に比べたら危険な任務も増えるしな。嫌に決まっとるわ」
俯き気味になると前髪のせいで平子の表情は読めない。内心を悟られたくない時の薄い壁。時々、こういう顔をされると千代はどう取り繕えばいいのかわからなくて困ってしまう。少し、緊張するのだ。
「…千代?」
「ほんまに嫌なら、せんよ」
別に現状を変えたいほどの不満があるわけでもない。それよりも、平子の嫌だと思うことをする方がよっぽど嫌だと思った。
「真子さんが嫌て思うことしたないの」
「…オレはオマエの枷になんかなりたないわ。自分のやりたいこと選び」
「……男前やね」
「今更気付いたん?」
「ずっと知ってました」
とっくに塗り終わった手からは軟膏の柔らかい匂いがした。どちらかともなく短いキスを交わす。
「浦原隊長には来ないかって言われたことはあるんです」
「…ほんまか?」
「ご冗談や言うてはったけど…隙あらばほんまに、みたいな。ひよちゃんは本気やったわ」
ひよちゃん可愛いでしょ?と笑う千代に同意しないでいると不機嫌そうに唇を尖らせた。千代は平子の腕を掴むとすっぽりと平子が自分を覆い被さるように動かす。
「どないしたいん」
「うーん…四番隊は大事なところよ。卯ノ花隊長にも沢山お世話になって、可愛い後輩もおるし仲のいい先輩かておる。そない直ぐには決めれんもんです」
ぎゅうと強く抱きしめられて、自分は幸せなのだと頬を緩める。暖かいこの場所が1番好きだ。だからこそ、本音をゆっくりと溢せた。
「危険な任務はして欲しないんやけどなぁ。回道の腕は良うても戦闘は…まー、昔に比べたらそら強くはなっとるけど全然やん」
「まぁ弱いんは否定できへんね」
「四番隊での七席と他隊の七席では求められるもんが全然違う。戦闘力に関してだけ言えば席次落とさなあかんくらいや。うーん…でも千代の実力が舐められてるみたいで腹立つなぁ」
「真子さん、言うてることはちゃめちゃですよ?」
「わーっとるわ!」
隊長としての立場を踏まえた上で、1人ウンウン唸る平子が可笑しくてくすくすと笑ってしまう。まだ本当に可能性の話だったのに、平子は真剣に考え込んでいるのだ。それがどうしようもなく愛おしい。
「十二番隊に行ったらなぁ、やっと意思疎通できるようになった喜助とひよ里とマユリと、あの辺の悪癖上官と下のモンの関係が上手くいく気がすんねん。潤滑油になると思う。この前顔出した時も色んな席次のモンと仲良うやっとったし…腹立つけど移隊は悪くないと思うんや」
心底不満そうな顔で平子はそう漏らす。
「オレが隊長やったら確かに欲しい思うわ。抜け目ないちゅーか、ちゃんと人を選んどるちゅーか…でも喜助んとこにやりたない…」
「ちょっと過大評価しすぎよ?うち、そないに器用には立ち回れんし」
「せやんなぁ、千代は自分がどんだけ可愛いか分かってへんもんなぁ。言い寄ってきた物好きはオレくらいやと思ってるアホやもんなぁ」
「話聞いてます?」
しれっとベタ褒めされて顔が熱くなりながらも、上の空気味に喋る平子の頬をぺちぺちと叩く。
「聞いとる聞いとる。………千代?」
「なに?」
「…喜助に浮気はナシやで。オレ死んでまう」
千代は目を少し見開いた後、楽しそうに笑った。
―かわいい人
「ふふふ。浦原隊長、素敵な方やからねぇ。ちゃーんと手ェ繋いでてくださいね?真子さん」
千代は身体を平子の方に向けると両手を取ってするりと指を絡み合わせる。熱の篭った視線を送った瞬間、平子は目を細めて笑った。
「なぁ千代…。抱かせろ」
返事とでも言わんばかりに千代はゆっくりと唇を重ねる。最初は浅く啄むように、徐々にお互いの呼吸を食らうように深くなっていく。水音だけが無音の部屋に響くのが、酷く羞恥心を煽って下腹部を熱くさせる。
「…んっ。真子、さん」
「千代」
「そない直球で言わんとってよ、恥ずかしい」
気まずそうに視線を落とす劣情を含んだ表情のせいで、張り詰めた自身がさらに大きくなる窮屈さに眉を潜めた。
「最初からその気やった癖によう言うわ。続きは布団やな」
「あ、の…ちょお待って?」
「何やねん」
完全にその気になっていた平子は不服そうに千代の顔を覗き込む。
「力、抜けて立てへんの!真子さん、最初からねちっこいのよ」
「別に気持ちええねんからええやろ。実際腰抜けとるし?ほら、運んだるから首に腕回し」
「……やっぱもう一回して?」
「せやったらここで最後までするで」
「それは痛いから嫌」
「ほな我慢し。てかオレがもう我慢の限界」
ぐい、と強引に抱き上げるものだから千代は慌てて首に腕を回す。
「あんましオレを揶揄って焦らすなや」
「あら。ばれてた?」
すすす、と首筋を指でなぞれば喉仏が上下に動いた。それだけで身体の芯は熱を帯びて、期待と高揚感で動悸が速まる。
「こら」
「ふふふ」
「…今日絶対寝かしてやらんからな」
「やーよぉ」
そう言いながらも首元に顔を寄せれば、また平子の喉仏が動く。今日は兎に角そういう気分になってしまったのだ。朝まで付き合って貰おうと焚き付けた甲斐がある。
―綺麗に鋤いてあげた髪が乱れるんも、獲物を逃さへん鋭い鳶色の瞳も、うちを嬲る赤い舌も、愛を囁く薄い唇も。全部全部うちのモン。うちだけの、真子さん
布団に組み敷かれて千代は艶めいた表情で目を細めて笑う。薄い翡翠色に含まれた熱に、今すぐに獣のように貪りついてしまいたい衝動を堪える平子の頬に手を添えて、早くと口を動かした。
「ほんま、敵わんなぁ」
負けじと口角を上げる。千代の帯を解けば擽ったそうに身を捩った。欲望の赴くままに身体を重ねる夜も悪くはないと、焚き付けられた情を燃え上がらせるように唇を重ねた。