柔らかな日差しが差し込む。誰かが歩くたびに床板は軋み、建物の古さを誇張する。ここは瀞霊廷の4番隊隊舎。時刻はちょうど昼を指しているが、職業柄怪我人が絶えることのない 瀞霊廷では昼餉の時間などあってないようなものだった。周りを見ると慌ただしそうに部下も上司も働いている。

「平子七席〜!こっちの配膳終わりました!」
「はいはーい!」

 千代は大急ぎで声を掛けてきた部下の方へ向かう。長い栗色の髪をくるりとまとめた簪の飾りが彼女と同じように忙しなくゆらゆらと揺れている。部下から声を掛けられ、各部屋の患者に昼食の準備が終わったことを知る。この時間のうちにするのは備品の補填と午後のスケジュールの微調整。1時を過ぎれば交代でもらえる昼休みがやってくるのだ。
 あぁでも参ったな、今日はできれば昼に10分だけでいいから抜けたかったのだけれど、と時計を見るが、予想通りというか予定通りというか、そんな暇はありそうにない。

「うぅ〜、どないしよ、昼終わってまう…!」
「なんや相変わらず忙しそうやなぁ、千代チャン」
「そうそう、昨日の現世任務で見習いの子がぎょーさん怪我してしもて…ってわぁあ!?」
「そないにびっくりせんでもよーない?」

 千代は突然後ろから思いもよらぬ人物から話しかけられ、思わず悲鳴を上げる。振り向けば平子がぐいっと不機嫌そうに身体を曲げていた。

「真子さん、なんで!?」
「いや、千代忙しいやろうなーと思って受け取りに来たんやん。持って来てくれとんのやろ?」
「うん、ちょっと待っとって!」

 ばたばたとどこかに消えたかと思えばすぐに小さな風呂敷包みと竹の水筒を持ってきた。

「はいこれ、今日のお弁当です」
「すまんなァ、今朝バタバタしとって持ってくの忘れてしもて」
「そういう日ィかてありますよ」

 無事にお弁当を渡せた千代はホッと息をつくとじゃあこれで、と仕事に戻ろうとした。

「ちょー待ち、まだ忘れ物しとんで」
「え?」

 立ち去ろうとした千代の腕を掴むと、そのままぐいと力強く自分の方に引き寄せた。何が起きたのか分からぬうちに、唇に柔らかい感覚が降ってくる

「今朝行ってらっしゃいの忘れとったからなァ」
「な、な…!こんなところで何するんですか!!!」

 顔を真っ赤にさせた千代の手刀が平子の鳩尾に綺麗に入る。

「結婚して10年も経つのに何でまだ慣れへんねん…」
「それは真子さんがこんなところでっ…!」

 鳩尾を摩る平子に千代が猛抗議をしようとした矢先、二人の背中に悪寒が走る。猛獣を前にしたかのような圧倒的な霊圧の前に二人は背筋をぴしゃりと伸ばし、恐る恐るその方角に身体を向ける。

「あらあら、5番隊隊長はお元気なようですね」

 にこりと笑って立っている女性は穏やかな笑顔を浮かべている。が、纏う霊圧は骨身を凍らせるような鋭さを放っている。

「あ、あ、卯ノ花隊長…!」
「スマセッ!帰らしてもらいますわ!!」

 平子は脱兎のごとくその場から瞬歩で消え去った。

「全く、忙しない人ですね…」
「すいません…」
「旦那の手綱を握るのも家内の仕事ですよ、さ、持ち場にお戻りなさい」
「はいぃ…」

 卯ノ花は先ほどよりも柔和な笑顔を浮かべており、揶揄われたのだと気付く。
 ただでさえ赤くなっていた顔が今度は耳まで真っ赤に染まっていた。突然の平子のキスと痴話喧嘩を隊長に見られたことで、千代の羞恥心は限界まで膨れ上がっていた。
 あとで合流した同僚にも患者にも顔が赤いせいですぐに平子が来たことがバレてしまった。顔の日照りは引くどころかますます赤くなる始末で、今日の晩ご飯は質素にしてやろうかなんて平子を恨めしく思ってしまうのだった。


 = = = = =


 遠くで昼餉の終わりを告げる鐘が鳴っているのを気にもせず、平子はぱかりと網かごでできた弁当箱を開けた。中には海苔を巻かれた大きなおにぎりが3つ。千代の仕事柄、お弁当よりは片手で食べられるおにぎりの方が都合が良いということで、千代は毎日おにぎりを昼餉に作ってくれる。
 小さな手で作る大きなおにぎりの中には具がこれでもかとみっちり詰まっているのだ。暖かい陽気の中、隊舎の屋根に上がり、おにぎりに齧り付いた。中の具は昨日の牛しぐれ煮と卵焼きだった。他の2つは鮭と青菜だろうか。
 こないに欲張って詰めるからミチミチになるんや…と毎日のことながら呆れてしまう。けれど平子自身これくらい具のミチミチに詰まったおにぎりでないと満足できなくなってしまったあたり、連れ添ってきた長さを実感できた。なんとも胸の奥が温かくなるのが心地良い。

「隊長!こんなところにいらっしゃったんですね」
「…なんや惣右介かいな」

 呼ばれた方に顔を向けると、藍染がこちらを見上げていた。副隊長に就かせてから早数年経つこの男の顔には『何でこんなところでサボっているのですか』と書いてある。3つ目のおにぎりの中身は切り干し大根と鶏肉のそぼろ煮だった。

「六車隊長がお探しでしたよ」
「ほーか」

 半ば呆れたように物申す藍染に、おにぎりを咀嚼しながら興味なさげに返事をした。再び空に目を向ける。

―あぁ、えー天気や。こんな日は隊舎に篭らずにあいつもサボったらええのに

 そう思いつつ、糞真面目な千代も恐ろしい卯ノ花サンもそれを許しはしないのだろう。

「惣右介ェ、今日の午後のオレの予定は」
「新入隊員の稽古と昨日の虚討伐の報告書の確認と討伐隊の人員調整、来週の隊首会での報告内容の作成です」
「ほーかぁ…」
「今日は一段とやる気がないようですよね…」

 先ほどと変わらずやる気のない自隊長に藍染はため息をつく。

「そらオマエ、こんなええ天気でシャカリキ仕事できるかいな」
「僕はシャカリキしている隊長を見たことがありませんが」
「ンな訳あるかい!」

 弁当箱と一緒に小さな箱が包まれている。中には濡れた布巾が入れられており、千代の細やかな心配りが見て取れる。手に着いた米粒を食べるとその布巾で綺麗に手を拭った。水筒のお茶はまだ温かい、きっと渡す直前に入れてくれたのだろう。

「はー…愛妻弁当っちゅーんは、ええもんやなァ」
「はぁ」
「惣右介も早よええ相手見つけ」

 丁寧に弁当箱一式を風呂敷に包むと、屋根からふわりと飛び降りた。長い金糸が太陽の光を浴びてキラキラと反射する。

「んあぁ…やる気は全く出ぇへんけど仕事するか…」
「やる気出してください、残業になりますよ」
「残業なんて死んでもせんわ」

 大きく伸びをひとつすると、後ろに藍染を引き連れて鍛錬場へと足を向けた。今日も平和で良い1日だと思いながら。