その日がいつだったかは忘れたが、天気が良くて雲が穏やかに流れていたことだけは覚えていた。死神になって数年、次の年には席官になることが決まっていた。そんな春が始まる少し前の季節に、出逢ったのが生涯を共にしようと心に誓う相手だった。
 とは言え、お互いの第一印象は最悪で、その時のことを思い出すと今でも笑い出しそうになる。最近副隊長についたリサと宴の席で馴れ初めの話を聞かれ、数十年前の話を久しぶりに懐古していた。



 さっきまで小さな金色の跳ねる髪を見ていた筈なのに、どうして視界に広がるのは青空なのか。今日は冬のくせに風も穏やかで雲はゆっくりと空を流れていた。
 平子はハッと気づくと起き上がって、目の前で仁王立ちする女に向き合う。

「って!オマエなんっやねん!急に人のこと投げよって!!」
「あら、先に手を出そうとしたんはそちらとちゃいます?」
「ええ度胸しとるやんけ!」

 事の発端は、最近死神になった昔馴染みを見かけた事だった。何時ものように揶揄いに行っただけの話だった筈だ。何時ものように腹立たしい返しがきたから、ひよ里の頬を掴んでやろうかと手を伸ばしたその瞬間、気がつけば視界は青に染まっていた。
 気づく間もない、と言うよりはあまりにも予想だにしていなかった背負い投げに辛うじて受け身を取れた自分を褒めてやりたいくらいだった。

「この暴力狐女なんやねん!ひよ里ィ!!」
「ひよちゃん、もっぺんこの人シバいた方がええんと違う?」

 同じ訛りの女をじろじろと眺める。自分よりも少し背が低く、肩より少し長い栗毛に狐のような糸目、それから死覇装を着ている。胸は大してないが黙っていれば美人だろうに、まぁこんな暴力女ナシやろ、と不躾な視線を送った。

「なんやねんこいつ」
「変な頭」
「アァ!?」
「オマエらええ加減にせえ!!」

 ったく、とひよ里は頭を乱雑に掻きながら心底面倒臭そうな視線で平子を睨んだ。

「千代、落ち着きぃ。このハゲはうちと同じ流魂街のハゲや」
「オマエそれ全然説明なっとらんやんけ!」
「せや、あんたこの後討伐準備せなあかん言うてなかったか?」
「言うてたね」
「ほな先行って準備しときぃ」

 千代と呼ばれた女はこちらをじとりと訝しげな視線で見てくる。負けじと不快感を露わにすれば、眉間の皺が深くなった。

「大丈夫やて。こないなハゲ。言うたやろ、昔馴染みやて」
「ハゲハゲやかましいわ」
「…ひよちゃんに手ェ出したら地獄に叩き落としますからね」

 妙にドスの効いた声でもう一度睨み付けると、千代は踵を返して行った。

「はーーーー…めんどい事すんなやハゲ!!」
「なんでオレのせいやねん!ちゅーかアイツ誰や、いきなし人のこと投げ飛ばしよって…」
「常盤千代。うちの霊術院の同期や…自分で言うのもあれやけど、めっちゃ過保護、うちのこと好きすぎてちょっとやばい」

 非常に微妙な表情を作るひよ里を見るのは珍しく、平子は瞬きを数度した。けれど、この表情は迷惑してうんざりしている類のものではなかった。口の悪い昔馴染みにできた友人は彼女自身と同じように一癖も二癖もありそうだった。類は友を呼ぶ、とでも言うのか。

「千代には後でオマエが別にどうもないハゲや言うとくけど」
「何をしたらあないなんねん」
「霊術院時代に揉めた男ども蹴散らしてたらあーなった」
「端折りすぎやろ」

 ため息交じりに雑すぎる事情を推察する。口達者で手の出やすく実直なひよ里は如何せんその性格から敵を作りやすい。その癖実力もあるものだから妬まれた結果、何かしら揉め事を起こして、何かしら暴れるような事があって、そうして千代がひよ里に手を出す者に容赦なくなった、と。
 話を聞くとどうやら彼女は十三番隊に所属しているらしく、五番隊にいる自分と接点があることももうないだろうと平子は高を括っていた。



 数日後、その予想は早々に覆ることとなる。まさか十三番隊と合同練習で再び顔を合わせることとなる。

「げっ」
「あら、ハゲさん」
「ハゲェ!?全然ハゲとらんやろ、目ェ腐ってんとちゃうか!?」

 自分よりもひと回り小さな少女は心底面倒臭そうな顔をした。

「平子真子や!ハゲちゃう、覚えとけ!」
「はぁ、どうでもええですけど…常盤千代です。これでええ?」
「は?」
「名乗られたら返すのは礼儀でしょう?」

 ポカンとしている平子を放置して千代はくるりと自隊の集団へと戻って行った。いきなり人を投げ飛ばす方がよほど礼儀がなっていないだろうと言ってやろうとした頃には、彼女はもう目の前にいなかった。辺りを見渡すと他の隊員とにこやかに談笑している姿が見える。

「なんやねんあいつ」

 彼女の実力はどんなものだと手合わせを見ていると、軌道と歩法は下手くそ、体術はそこそこ、といった印象だった。護廷にぎりぎり入隊できるレベルといったところか。
 ひよ里の方がよほど席官入りが早そうだった。並みの死神、特にこれ以上興味を引くことはないだろうと練習場から視線を外した。今日の夕餉のことを頭に浮かべて欠伸をしていると、ワァと突然湧いたように辺りが騒がしくなる。
 何事かとその中心を覗き込むと、手合わせしているのは自分の同期と千代だった。

「へぇ…」

 自分の同期は席官入りはまだとは言え、あと5年もすれば席官入りも有り得る有望な実力の持ち主だった。新入隊員である千代がその同期を打ち負かしそうなのである。

―えらい綺麗に刀振るんやなぁ

 まるで舞でも踊っているかのように、ひらりひらりと軽やかな足取りで相手の太刀筋を去なすとその隙を縫うように突きが入る。変わった型だが、桜吹雪が舞うようで美しい。平子は周りと同じように目を奪われていた。ぼうとその様子を眺めていると、ギリギリ既のところで同期の勝利で決着がついた。

「はー…負けてしもうた」
「いい勝負だったよ、危うく負けるところだった」
「お褒めいただき光栄です、手合わせしていただきありがとうございました」

 丁寧にお辞儀をして千代はその場を後にした。
 人をいきなり投げ飛ばす勢いがある割には、礼儀正しく凛とした佇まいが美しい。

「変なヤツ」

 上手く印象を表す言葉が纏まらず、平子はぽつりとそんな事を独り言ちるのだった。





 今思えば、あの舞うような剣術に魅入られた時から既に惹かれていたのかもしれない。夫婦となった今では、彼女の好きなところなど挙げ始めればキリがないのだけれど。

「真子さん?何ぼんやりしてはんの?」
「ん?ちょっとオマエと初めて会うた時のこと思い出しとってん。リサにな、飲み会で馴れ初め聞かれたもんやから」

 寝間着姿の千代が縁側に並ぶように座る。空を見上げれば三日月が雲を薄く照らしている。満月もいいけれど、こちらの欠けている方が趣深いものがあると平子は思う。
 悪戯する時の笑みを浮かべながら千代の顔を覗くと、予想通り不機嫌そうに口を変な形に窄めていた。

「いきなし初対面で投げ飛ばされた話とかなぁ」
「い、いやや!そんな若い頃の話せんとって!?って、まさかもう話してしもうたん!?」
「した」
「嘘でしょ!?」

 千代は平子の脇腹をギリギリと抓り上げる。

「痛い痛い痛い!!」
「その話はせんでっていつも言うてるのに!早よう忘れて!!」
「えー、あないな衝撃的な出会いさせられて忘れる方が無理やわーオレ被害者やしー」
「た、確かにうちが悪かったって思うけど、けど…」

 千代は顔を覆って、立てた膝に顔を埋める。平子はその照れた顔が見たいと、頭を指で突くが唸り声だけしか返ってこない。

「千代サーン?ごめんやって」
「もうせん?」
「せんせん」
「ほんまですか?」
「ほんまほんま。ほらもう寝るで。明日早いんやろ」

 手を引いて立ち上がらせるが、彼女の表情はまだ曇っていた。

「お転婆やと思ったけどなぁ、おかげでえらい印象残っとってんから。ちょっとした若気の至りやん。オレは結構気に入っとる思い出なんやけど」
「うちは恥かしいてしゃーないの!」
「ほんなら今から寝床でもっと恥ずかしいことでもしよか、お転婆娘サン」
「せん!アホ!なんでそないなるのよ!明日早いの真子さんもでしょ!寝ますよ!!」

 ぷんすこと語気を荒げながら寝室の襖を開ける千代が可愛らしくて、平子はくつくつと喉を鳴らして笑った。