「千代チャン」
「もう、いつも馴れ馴れしいて言うてるやないですか。平子さん」

 鬱陶しそうな顔をされるのにも悲しいことに慣れてきてしまった。頭1つ分小さい彼女は眉間に皺を寄せている。

「夏祭り、行かんか?」
「はい?」

 言われた内容を反芻するように千代は数度瞬きをする。
 ちょうど数分前、書類を持った彼女を偶々見かけて、あぁこの機を逃すまいと行方に立ち塞がったのだった。

「今週末の夜、東流魂街で祭りあるやろ。あれ、行こ言うてんねん」

 心臓が早鳴るのを悟られぬよう、努めていつものユルい表情を作る。

「あぁ、あのお祭りねぇ」

 ふむ、と考える仕草に平子は後ろに隠した手が思わず力む。

「先約、あるんか?」

 ないと言って欲しくて。自分が今、いつもの表情でいれるかまで気が回らない。

「ん〜〜先約って程やないんやけど、毎年家族で花火見るんです」
「ほんなら花火の時間まででええわ、行こうや」
「なんでです?」
「…好いた女と行きたい思うんは理由にならんか?」
「はぁ」

 呆れたような顔で気の抜けた返事が返ってくる。それでもめげはしない。いつものことだ。
 恋愛感情が薄いのか、自分に興味がないのか。どちらにせよ好意を伝えてもこの女はちっとも顔色を変えやしない。

―あかん、ぜんっぜん靡けへん…

 取り付く島もないとしても、惚れた弱みだ。彼女の仕草の一挙一動に平子は心奪われる。

「せや!夜店のモンなんでも奢るから!」
「へえ?」

 千代の目がキラリと光る。これだ、と平子は畳み掛ける。

「なんでもええで、綿菓子でもたこ焼きでもりんご飴でも、何でもや」

 指折りながら千代をちらりと見れば、明らかに顔がわくわくと疼いている。この表情がたまらなく可愛いと思う。

「なんでも?」
「なんでもや」

 いける、そう思った矢先に千代は表情を曇らせた。

「ど、どないした」
「いや…夜店でモノ買うてその場で食べるなんて、お行儀悪いやない?」
「は?」
「ごめんなさい、平子さん。うちやっぱ家でいつもみたく花火見るわぁ」
「なんっでやねん!あかんあかん!」

 平子の横をするりとすり抜けて先行こうとする千代の腕を思わず掴み取る。
 下級とは言え貴族の娘。行儀を徹底的に躾られた彼女にとって、買い食い立ち食いなど、とてもじゃないができたものではないのだろう。だとしても、

「夜店聞いてわくわくしたんとちゃうんかい!」
「したけど…」
「行儀悪いてそら祭りやねんから気にする事ちゃうやろ!」
「…でも」

 言い淀む彼女をどうにか引き留めたくて、何かいい科白はないかと平子は必死に脳を回転させる。

「大体オレに行儀悪い女や思て嫌われたところで損ないやろ」

―あかん、自分で言うて虚しなってきた

 咄嗟に出た言葉に思わず苦虫を噛んだような顔になる。

「…確かに、それもそやね」

 千代は強張らせていた表情を緩め、ふっと笑う。言われた内容はとても喜べる返事でないのに、彼女が笑うだけで自分の心臓はどきりと跳ねる。

「ほな一緒に行くな?」
「うん、ええですよ。たくさん奢ってくださいね」
「おうおう、なんぼでも奢ったるわ」

 口元がどうしてもニヤけてしまい、思わず語尾が上がる。態とらしく咳払いをしてその場をごまかす。
 そんな不自然な平子の様子を気にすることなく、千代のどこか考え事をしているようだった。平子はハッとして釘を1つ刺す。

「せやけどひよ里誘うんはナシやぞ、オレと2人やからな」
「え、あかんの…」
「デートやぞ!デート!なんでお邪魔虫呼ぶねん」

 あぁやはりか、とひよ里が大好きすぎる彼女の思考回路に目眩がする。男が女をデートに誘って、それは流石にないだろうと。

「ひよちゃんはお邪魔虫なんかじゃないです!」
「兎に角!夜6時、しっかりめかし込んどいてや」

 まだ怒った表情の千代の額を軽くはたくと、平子はくるりと背を向けた。
 人気のない隊舎裏へずんずん進むと、ズルズルとその場に座り込む。口元が緩んで緩んで仕方がない。
 今週末まであと5日。果たして浴衣を着てきてくれるのか。別にめかし込んでなくたっていい、彼女と過ごせるのであればなんでも良かった。
 こんなにも一喜一憂して餓鬼くさい自分に呆れが出るが、それでも抑えきれない想いが胸を占める。

「はーーー…誘ってみるもんやな」

 生ぬるい風が吹いて、真夏の湿気が鼻をくすぐる。それすらも愛おしく思えるなんて、恋は病気とはよく例えたものだと笑いが溢れる。
 当日は自分も死覇装じゃなくて、と気に入っている浴衣を用意しよう。いつになれば自分を意識してくれるのかは分からない。随分先になったとしても構わなかった。
 ふと残っていた仕事のことを思い出し、慌てて立ち上がる。万が一週末に仕事を残して出勤なんてことになる訳にはいかない。上官に見つかる前に急いで持ち場に戻らねばと平子は急いだ。


 = = = = =


「お待たせしました」
「お、おう…」

 平子は思わずうわずった声で返事をした。何度目か分からない、彼女に惚れた。惚れ直した。
 目の前に佇む千代は浅葱色に風車の柄の上品な浴衣を纏っている。髪型も簪もいつもと違って華やかになっていた。

「…なんやのん、黙り込んで」
「あ、いや、ほんまにめかし込んで来ると思わんくて」
「平子さんがめかし込んで来いって言いはったんでしょうに」
「せやな」

 歯切れの悪い返事に千代はムッとした表情をしたものだから、平子は慌てて口を開く。

「ちゃうねん、ちゃうねん…」
「何が」
「…よぉ似合っとる、綺麗や」

 艶やかな彼女と目を合わせるのも恥ずかしくて、口をへの字に曲げながら視線を上へと逸らした。

「ふぅん、照れてはんの」
「せや、悪いか!お前が綺麗やから照れたんや!!」

 下から聞こえてくる彼女の笑い声に、気恥ずかしさが重なっていく。どうにも彼女の前では普段通りができない。

「ふふ、平子さんがこないに調子狂うんやったら綺麗にしてもうた甲斐があったもんやわ」

 おもろいもんが見れた、と楽しそうに笑う姿に抱き締めたくなる衝動をぐっと抑える。

「ほな行こか」

 本当であれば、自分の浴衣姿に見惚れてもらう算段があったはずなのに。そんなことはすっかり頭から抜け落ちていた。すぐ隣を歩く可憐な姿に心奪われ、どこかふわふわとした思考回路で歩みを進める。
 祭り会場は既に人で溢れかえり、夜店の忙しない客引きの声でごった返していた。

「す、すごい人やね…」
「来るんは初めてか?」
「あ、流魂街に遊びに来たんも初めてやわぁ」
「ふぅん、逸れて暗がり行ったらあかんで。こういう騒ぎに乗じてロクでもないのも混じっとったりするからなぁ」
「無粋な人もおるもんなんやねぇ」

 ここで千代の手を取ってもいいのだけれど、平子はまたしても堪えに入る。今の距離感では恐らく、悲しいことに嫌な顔をされて終わりだ。

「で、何したい」
「いっぱいありすぎて分からへん…そもそも、屋台で売ってるんが何かも…」

 尻すぼみになっていく語尾と共に千代は俯いてしまった。

「へぇ、そうか」
「こないなことも、知らへんなんて」
「せやなぁ」

 自分で言っておきながら、肯定されると腹立たしいのかこちらを見上げるように睨んできた。

「そうカッカしーなや、別嬪さんが台無しやぞ」
「別に」
「オレなぁ、嬉しいねん。千代の祭りの思い出、初めてがオレとってことになるんやろ」
「うちは別に嬉しないけど」
「オレと来て正解やって思わしたるから覚悟しときや」
「どうだか」
「とりあえず、小腹満たすとこから始めよか。甘いのとしょっぱいのん、どっちがええ?」
「…しょっぱいのん」

 ほなこっち、と平子は人混みの中を歩き出す。1つの屋台の前で止まると、おっちゃんこれ2つ、と。

「これは?」
「たこせんや」
「や、そら書いてあるから分かりますよ」
「たこ焼きをな、えびせんに挟んだやつ。美味いで」

 ちょいちょいと手招きすると、出店の隙間にできた人のいない空間、松の木の下に千代を呼ぶ。

「ここで食べんのん?」
「ん?早よせな冷めるで」
「こないな、外で、立ったまんま」

 いきなり立ち食いは貴族にはハードルが高かったろうか、しまったと平子は千代の顔を覗き込む。

「ふふ、どこから食べたらええんやろ」
「どこからでもええ、もたもたしてるとせんべいシワシワなんで」
「悪いこと、しとるみたいやわ」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべて、薄く開けた瞳をキラキラと輝かせていた。こんな表情もするのかと、平子は思わず千代を凝視する。

「視線がうるさい」
「珍しい顔しとる千代が悪い」
「なんやのん、それ」

 ぱり、とせんべいの割れる音と口の中に広がる粉物の味。毎年のように食べているが、千代といるだけでより美味しく感じるあたり自分も存外単純らしかった。

「…小さい頃、流魂街の子供らがこないしてお祭りで遊んでるん、すごい羨ましかったんよ。食べ歩きなんてあかんてかか様に言われて」
「へぇ」
「大人になってから、叶うなんてなぁ」
「今日のことはかーちゃんには内緒やな」
「そうですね」

 くすくすと笑う彼女は楽しそうで、スタートは良好だと胸を撫で下ろした。

「次、次行きましょ、平子さん。次は遊んでみたいわ」
「あ、ちょお。口の端ソース付いとる」
「えっ、嫌やわ」

 恥ずかしそうに手ぬぐいで口の端を拭う。照れる彼女の顔を見ることは滅多にない。

「取れた?」
「逆も付いとる」

 口の端に人差し指を当てると、さらに慌てふためく。珍しい彼女の様子に内心舞い上がってることを悟られぬよう、次はあっちと指差す。
 金魚すくい、射的、冷やしきゅうり、はしまき、くじ引き。あれは何、これは何、と子供のように平子に説明を求める。

「ねぇ、平子さん。うちあれ食べてみたい」

 狐面を頭につけて上機嫌の彼女はどこか照れた様子で屋台を指差した。あれこれと食べたり遊んだりしたものの、自分から食べたいと言った屋台は初めてだった。

「ん?りんご飴?」
「うん、小さい頃にかか様と夜店で見かけたことあったん、食べたかったんやけどあかんって言われたんです」
「へぇ、ほんならその夢叶えとこか」

 嬉しそうに頷くので、こちらにも嬉々とした感情が伝心する。

「どれにしよ…」
「表面に気泡ついとって、耳がでかいやつがええぞ」
「詳しいんやね」
「むかぁし、死神なる前にな。屋台の手伝いよーやっとったんや」

 平子は適当に良さげなものを見繕うと千代に手渡した。

「…綺麗やわぁ」

 夜店の灯りを反射する赤い球体を、宝物を見るかのようにうっとりした表情で見つめる。

「食べるん、勿体ないなぁ…あ、平子さん」
「ん?」
「これ、どっから食べたらええのん…」
「ガッと齧ったらええ」
「えっ、齧るん!?」

 困った顔で平子とりんご飴を交互に見る。意を決したように固く目を瞑ると口を大きく開いた。
もう直ぐりんごと口が触れる、そう思った矢先に手を強く引かれた。

「あっ」
「ん、甘ァ」
「あぁぁぁぁ!」

 目を開けるとりんごは大きくえぐれて、薄黄色が見えてしまっていた。
 千代の手ごと掴んで、平子が先にりんご飴の端を齧ったのだった。

「なに!しはん!の!!」
「いや、食べにくいやろと思ってやなぁ、って痛いわ!そない殴らんといてくれ!」
「一口目!食べた!勝手に!」
「そないに怒るんやったら反対側から食べてみいや!絶対無理やぞ!」
「なにを!」

 ぷんぷんと怒る千代に叩かれた脇腹をさすりながら、彼女が大きく口を開けるのを眺める。数度歯を立ててみるものの、カチカチと音が鳴るだけでほんの少し飴の表面に傷が付いて終わった。

「かたい…」
「せやから言うたやん、こっから食べてけばええねんて」
「なんか、悔しい」

 そう言いつつも、大人しくりんご飴の続きを小さな口でかじり始めた。リスみたいだと思ったが、言うとまた怒られそうなので黙って眺めることにした。時折垂れる果汁が浴衣を汚しそうだと慌てる姿も普段では見れない姿で面白い。

「で、祭りはどないやった?」
「楽しかったですよ」
「そら良かったわ」
「りんご飴食べられたこと以外は」
「根に持たんでもええやん!…で、花火やねんけど、めっちゃ良ぉ見えるとこ知っとるねん」

 もうそろそろ花火の時間だと周りの人々の流れがよく見える河川敷へと動き出していた。

「もちっと、遊んで行けへんか?」
「…ん、んん。とと様には一応外で見るかもとは伝えてあるけど…」

 千代は眉を下げて、唇を窄める。迷った時の彼女の癖だ。

「てか来てくれんと困るねん」
「?」
「千代と祭りに行く言うたら、もー拗ねて拗ねてしゃーないやつがおってな」

 平子は手に持ったたこ焼きの皿を持ち上げる。
 千代はさっき食べたたこ焼きとはまた別に買ったこれを一体いつ食べるのだろうかと、疑問に思っていた。平子のニッといつもの悪戯っ子のような笑みを見てハッとする。

「あ!」
「そゆことや、来てくれん?多分1人で不貞腐れてるやろから」
「平子さん、えらく用意周到やわ」
「家の外で見る初めて花火、大事な思い出欲しいやろ?」
「うん、うん。行く!」

 今日1番の笑顔のような気がして、悔しいが見れただけで十分だとも思えて。

「ひーよちゃん!!!」

 浴衣なのもお構いナシに千代は屋根の上に飛び移った。平子が瞬きした次には、ひよ里を抱きしめてぐりぐりと頬ずりしていた。

「は!な!せ!いちいち暑苦しいねん!アホ!」
「ひよちゃん、その浴衣ごっつかわええよ!」
「あーはいはい、ありがとうな」

 どうにか千代の腕から逃れると、ひよ里は襟元を整えた。

「ったく、遅いわ!ハゲ!」
「悪いと思ったからこれ買うて来たんやん」
「こんなもんで許されると思たら大間違いやで!」

 口ではそう言いつつ、平子の手からたこ焼きを引っ手繰る。

「千代も食うか?」
「ううん、うちはいっぱいもう食べたから」

 ひよ里と隙間なく座る千代の横へ少し間を開けて平子も腰掛ける。

「お。始まったな」

 ドォンと派手な音がして、赤い花が夜空を彩る。継いで、青、黄、緑と夜空を彩る光が頭上から降り注ぐ。

「き、れ…すごいわぁ」
「近くから見るんも、ええやろ?」
「千代!今回な!うちの兄貴の花火やねん!よぉ見ときや!!」
「ひよちゃんのお兄様?」
「まー、兄貴言うても隣に住んでたちゅーだけやけどな!」
「おっ、たーまやー」

 平子が赤と青に咲いた花火に掛け声を投げる。
 儚くも一瞬で消える花火を見逃すまいと頭上に釘付けな2人を平子はそっと見やる。ぱちぱちと弾ける光が楽しそうな千代の顔を照らしている。

「キレーやなぁ」
「せやねぇ」
「キッショ」

 平子が花火ではなく千代のことを言っているのだと瞬時に気付いたひよ里は酷い顰めっ面をした。
 花火が終わり、屋根から降りるとひよ里は今晩はここに残ると言った。

「久しぶりに家族に顔出して来るわ、人混みン中帰るんも面倒やしな」
「じゃあまたね、ひよちゃん」
「真子!」

 ひよ里は突然ぐい、と平子の襟元を掴んで屈ませる。

「千代に手ェ出したらぶっ飛ばすで」
「アホ、相手されとらんうちに手ェ出せるか!」
「腰抜け!」
「オマエどっちやねん!」
「何楽しそうに喋ってんのん?」
「ハゲが脳みそまでハゲとる言う話しとっただけや!ほなな!」

 ひよ里は最後まで平子に悪態をつきながら去って行った。

「ったく騒がしいやっちゃ…」
「うちらも帰りましょうか」
「せやな」

 人混みの流れに乗って、2人はカラコロと下駄を鳴らしながら歩く。死神も多く来ていたようで、 瀞霊廷方面へ戻る数もそれなりだった。

「なぁ、祭り楽しかったか?」
「はい」
「オレもごっつ楽しかったわ」
「平子さんえらい羽振り良かったけどほんまに全部出してもーて良かったん?」
「アホ、カッコぐらいつけさせろや」
「そういうもんなん?」
「そういうもんや。あー、でも楽しかったんやったらご褒美くらいくれへん?」

 平子はニヤリと笑ってみせる。こういう表情の時は何か碌でもない事を考えている時だと、千代は少し嫌そうな顔をする。

「別になんも変なこと頼まんて」
「ほんまに?」
「帰り、手ェ繋いで帰ってや」
「えぇ、それ周りに見られたら恋仲みたいに見えるやないの」
「こないに人おって誰も気にせんやろ」
「自覚ないん?平子さんの髪の毛よう目立つんですよ」

 そーか、と気の抜けた返事と共に、平子は千代の手を握った。

「あっ、ちょっと!」
「少しの間で構わんから」
「……少しですよ」

 思っていたよりも小さい千代の手を包み込むように握る。こんな小さい手でいつもいつも、大切なものを守るために斬魄刀を握りしめているのか、と。

「平子さん、手ぇ大きいんやね」
「千代の手が小さいだけや」
「ふぅん」

 ちらりと顔を盗み見ると、暗くてよくわからないが表情はいつも通りだった。どうすれば男として見てもらえるのか、意識してもらえるのか。

「分からんことばっかやなぁ」
「…ん、なにがです?」
「べっつにィ」
「ふふ、変な人」

 くすくすと笑う彼女の声が心地よくて、今はまだこのままでもいいかもしれないなんて思ってしまう。月明かりでできた影を眺めながら、家までの道がずっと続けばいいのにと馬鹿げた事を考えていた。