キッドを助ける

 マシンからまた新たなナンバーが送られてきた。ハロルドが対象者の資料を読み上げるのを聞きながら、部屋の窓から下を覗き込む。今回のセーフハウスはなにせ高層マンションの一室だ。眺めはすこぶる良い。良いのだが、早朝だというのに忙しそうに速足で歩くサラリーマンたちが気の毒で仕方なかった。
「黒羽快斗、江古田高校二年生。成績良好、明るい性格で周囲からの評判も悪くない。得意なものはマジック」
「え、普通の男子高校生じゃんか」
 くるりとハロルドの方を振り返って肩をすくめる。平凡な高校生に命の危険があるとは思えないが、仕組まれた事故にでも巻き込まれるのだろうか。
 コンピュータとにらめっこをしていたハロルドがこちらを見た。その口角は幽かに上がっていて、ああこれは他に何かあるなと確信する。「それで」と続きを促せば、ハロルドは立ち上がってホワートボードに二枚の写真を張り付けた。一枚は今を時めく大泥棒、怪盗キッド。もう一枚は、その彼が数日前に盗むと予告状を出したビッグジュエルだ。まさか、と驚いた顔で顎に手を当てる。
「その正体は、神出鬼没と名高い怪盗キッドだ」
「……マジ?」
「変装の瞬間は流石に捉えていないが、モノクルで分かりづらいとはいえ顔のつくりが同じだ。声質、歩き方、骨格も一致するとマシンが解析してくれた」
 ぽかんとする俺をよそにハロルドはコンピュータの前に戻って続ける。
「今までキッドは好んで人を傷つけるようなことはしていない。なるとしたら加害者でなく、被害者だろう」
 カタカタとキーボードを叩いている。俺はテーブルから飲みかけコーヒーの入ったマグカップを手に取り、ハロルドの方へ寄る。後ろから画面をのぞき込めばビッグジュエルが保管してある美術館の見取り図が表示されていた。監視カメラの位置をはじめとしたセキュリティ体制まで丸見えだ。どこから盗ってきたんだという言葉をコーヒーと一緒に飲み込む。いつものことだ。
「ま、怪盗なら色んなとこから恨みも買ってるだろうしね」
「そういうことだ」
 ハロルドは愛犬のベアーをひと撫ですると、俺へ超小型イヤホンを投げてよこした。さっさと外へ行けという事らしい。現在快斗少年の居場所は高校だ。まだ危険はないと思うのだが、警護しておくに越したことはないのだろう。片手をあげて「いってきます」と笑いかけたが、そっけない返事しかもらえなかった。


 午後八時。俺はハロルドが遠隔操作してくれているヘリコプターの中にいる。
 昼間は高校生活を満喫する快斗少年を見張っていたが、何か起こるはずもなく平穏に時が過ぎた。学校が終わり、キッドの顔になった快斗少年が着々と盗みの準備を進めるのも見守った。アクシデントも何も無く、首尾よく美術館に潜入できているようだ。
 俺がヘリにいることで地上での守りは皆無だが、今回に限っては無問題だろう。キッドの敵さんは彼がハンググライダーに乗ったところを狙うようなので、そこさえ切り抜ければ何とかなりそうだ。それが難しいわけだけど。宙を飛び回るキッドをどうやって警護しろというのだ。ハロルドとマシンも無茶を言う。
 ため息を吐きたくなるのを我慢して、昼間に快斗少年の靴下に張り付けた盗聴器の音を拾う。良かった、変装で靴下まで変えられていなくて。犯行中に普段のスマホを持ち歩くとは考えられなかったし、服もどうせ着替えるのだからどうしようかと思った。苦肉の策だ。パンツと迷ったのだが、はたしてどちらが正解だったのか。
 そうこうしているうちに、ビッグジュエルを手に入れることに成功したようだった。気障な台詞で警察や各種関係者に別れを告げているのが聞こえる。さて、ここからが俺の仕事本番だ。気を引き締めていこう。
 美術館最上階の窓が割れ、白い煙とともにキッドが飛び出してくる。同時に、白煙に照射する赤い線が見えた。僅かな光だ。
「俺じゃなきゃ見逃しちゃうね」
 なんてふざけてみても、ハロルドからの笑いは頂けなかった。代わりに「はやく飛んでくれ」とのご命令が下る。間延びした返事をしながらスカイダイビングの準備をすれば、ヘリのドアが開いた。いきなり襲い来る突風に顔をしかめる。
「ハロルド。俺、まだ心の準備できてないんだけど?」
「いらないだろう。それよりも彼の命の方が重要だ」
「へーへー」
 一度深呼吸をして、大空へダイブした。風圧で顔が引きつる。それでも何とかキッドの姿を探せば、襲い来る銃弾をかわす姿が見えた。銃弾ってかわせるの? それとも向こうさん方が下手なの? あんな危険地帯に突っ込みたくはないが、行くしかない。防弾チョッキもばっちりだし多少当たっても死にはしないか。楽観的にいこう。
 ウイングスーツをめいっぱい広げてキッドの方へ向かう。なんて声をかけようかな。助けてやろうか、とか? 考えているうち、彼のハンググライダーに弾が当たりキッドが体勢をくずした。
「やっべ!」
「やっべ!」
 俺とキッドの声が重なる。ばっとキッドがこちらを向いた。俺の存在に今気づいたらしい。風とヘリの音や夜の暗さに紛れているのだから分からなくても無理はない。というか、簡単に見つかるわけにはいかないのでこれでいい。
「暴れないでくれよ」
 落ちそうになるキッドを抱えて小さなパラシュートを広げる。キッドは何かいいかけたが、今のところ自分に害は無いと判断したのか思案顔で口をつぐんだ。
「あんた、ダミー人形とか持ってないの?」
「あるけ――あります、けど」
「じゃそれ頼むわ」
 時間がないのでぶっきらぼうな言い方になってしまったが、意図は理解してもらえたらしい。キッドは無茶な体制でもなんとかハンググライダーに自身の人形を取り付け、早着替えで俺と似たような格好になる。
「やるじゃん」
 そう褒めれば、少しだけ照れた笑顔が覗いた。さっと人形から離れて、キッドを抱えたままハロルドに用意してもらった着地点まで向かう。銃弾は思惑通り白くて目立つ人形を追ってくれた。それに安堵して息を吐く。
「キッドを保護完了」
 ハロルドに短くそう伝えれば、珍しくねぎらいの言葉が貰えた。

 地上に降り立つ。装備を外す時に「よっこいしょ」と声がでる。俺も随分とジャパナライズされたものだな。一人で苦笑していれば、キッドからの怪しむ視線が刺さった。
「一人で帰れる?」
 そう尋ねれば、面食らったような顔をされた。命の危険は去ったと思うが、高校生を一人で歩かせるのは単純に心配だった。キッドは神妙な顔で頷くと、優雅に一礼をした。
「助けて頂きありがとうございました。御心配には及びません。しかし、どうして私を?」
 顔を上げたキッドは俺を警戒するように目を細めた。
「これが俺の仕事でね」
 敵意は無いというように両手を挙げて微笑む。素直にお礼を言える子は好感が持てる。感謝して欲しくてやっているわけではないが、助けた甲斐があるというものだ。
「深く考えないでいいよ。あんたが加害者側にまわらない限りは、味方に近いと思うから」
 にっこりと笑みを深くすれば、キッドは更に困惑していた。耳元でハロルドが呼びかけてくる。敵さんは撤退したらしい。じゃあもう完全に安全ってわけか。
 じゃあね、とキッドに背を向ける。ひらひらと手を振って別れの挨拶をしても、キッドはぽかんとして固まったままだった。
top