降谷にバレる2

 バーボンをソファに寝かせ、ふうと息を吐く。俺よりもよっぽど体格が良いものだから担いで歩くのも大変だった。監視カメラに一部始終が映っていないことをハロルドに確認してから制服を着替える。
「ま、あんたの悪いようにはしないさ」
 寝ているバーボンに小さく声をかけて部屋を出る。きちんとタイムカードも切ったし、もう上がりだ。もっとも、このバイトは今日限りでやめだけどね。
 ターゲットのいる個室まで向かう。ハロルドから何のお小言もないので大丈夫だとは思うが、彼は上手く死ねただろうか。ふと小窓から外を見下ろせば、見覚えのある黒い車が走り去っていくところだった。それを確認してニンマリと唇を横に引き伸ばす。よしよし、あとは彼を逃がすだけだ。
 個室の前で立ち止まる。決まったリズムでノックをしてから足早に立ち去った。これで俺が用意したルートから脱出してもらって、首尾よく集合場所で落ち合えればいいんだけど。本当は高跳びしてもらうまでずっと俺が付き添ってやりたいところだが、二人で行動すれば目立つ。ターゲットの端末はいつのものごとくペアリングしているし、そもそも今回の彼とは短くない付き合いだ。大丈夫だろう。
「ハロルド、車で迎えに来てよ」
「嫌だ」
 ずっと働きっぱなしで疲れた。試しに相棒へ甘えてみたが、間髪入れずに撥ねつけられてしまう。ケチ、と頬を膨らませ仕方なく歩を進めた。


 ターゲットとの集合場所へ着いた。スーツケースを持った人間たちが目の前を通り過ぎていくのをじっと眺める。はしゃぐ子供に手を焼く家族や、仲睦まじいカップル、わいわいと賑やかなお友達グループに、忙しそうなビジネスマン。ここは空港だ。
「αさん」
 約束の場所でぼーっと相手を待っていれば、後ろから名前を呼ばれた。そろそろ来ることかと思っていたので、予想通りだなと振り返る。
「は」
 やあ、と陽気に返事をしようと開いた口から戸惑いが漏れた。俺の待ち人は余計な人間まで連れてきてしまったらしい。くそったれ。こんなことならターゲットから目を離すんじゃなかった。
 仕方なしに無理やり口角を上げて一歩近づく。ターゲットの隣にいる男の表情が険しくなった。
「それで、あんたは誰?」
 マシンとハロルドが既に彼の身分を暴いてくれているのだが、何の目的でここまで来たのかまでは分からない。それを知りたくて探るような視線を向けた。安室透が俺やこのターゲットに用なんてあるはずがない。ならばバーボンか、あるいは。
「こっちの台詞ですよ」
 射貫くように鋭い視線で冷たい声が飛んできた。彼の隣にいるターゲットは、可哀そうに怯えて身を縮こませている。顔色も悪いように見えるけれど殺されなくて良かったな、なんて呑気なことを考えた。ああでも、やはり俺が付いていればこんな面倒事にはならなかったかもしれない。ごめんな、と憐みの表情と共に言葉をこぼせば金髪のイケメンは怪訝な顔をした。
 さてどう切り抜けようか。ターゲットを取り返して高跳びさせやりさえできれば、あとは俺が全力で逃げるだけだ。彼を撒く自信だってある。この先組織の一員として顔を合わせることになっても、ジンの前で仲間面でもしていれば流石に下手に手は出してこないだろう。だがしかし、この人の多い場所で穏便にターゲットを救えるだろうか。
 どーしよ。口の中に仕込んだマイクでトンツーとハロルドにヘルプを送れば小型マイクから溜息と共に台詞を賜った。
「なあ、ゼロくん」
 言った途端、動揺が走ったのが分かった。その隙を俺が逃すはずもない。一気に距離を詰めてターゲットをこちらへ抱き寄せる。さっと簡単に変なものが取り付けられていないか探したが、俺が仕込んだもの以外特に無かった。
「ど、して」
 驚愕に目を見開いて喘ぐゼロくんを警戒しつつ、急いでターゲットに先立つものを渡す。飛行機のチケットに、少しの金と新しい身分だ。NYに居た頃はお馴染みのブツだが、ここ日本ではそう簡単に作れなくなってしまった。周囲に溶け込めるよう用意したスーツケースも持たせて「大事にしてくれよ」と耳打ちをする。ターゲットはコクリと涙目で頷くと震える声でお礼を言って走り去っていった。ものの数秒で人込みに紛れる。もう俺でも簡単には見つけられないだろう。もしこの後に何かあっても、それは俺の知る所ではない。
「アイリッシュ」
 動揺から立ち直ったらしい彼がこちらを真っすぐに見つめた。ふうん、知っていたのか。流石は探り屋と呼ばれるだけはある。ゆっくりとゼロくんに向き直り次の言葉を待つ。
「貴方が、どうして」
 その顔は困惑と懐疑に満ちていた。その隙間から期待がちらつく。僅かに嫌悪が感じられるのは気のせいだろうか。
 組織が狙っていた男をなぜ助けたのか。裏切りでしかない行為をした俺に、ノックの可能性を見ているのかもしれない。当たりと言えば当たりなのだが、嫌悪の対象ではないとだけ弁明させてほしい。
「組織にナイショで副業してんの。人助けっていうやりがいのあるやつ。それと残念だけど、俺はケーサツじゃないよ」
 俺が軽い口調でそう言うと、彼はあからさまにほっと表情を和らげた。じゃあな、と片手をあげて横を通り過ぎる。
「今回の件で、あんたも共犯だからな。降谷」
 すれ違いざま、耳元でそう囁けば降谷の肩がピクリと揺れた。
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