赤井さんは今、絶賛お出掛け中である。お隣さんの阿笠邸へ、沖矢昴として何やら機械の開発を手伝いに行ってしまった。遠隔操作でカクテルが作れるものらしい。完成したら近所に配るのだとか。
 この工藤邸から出るには、赤井さんの居ない今がチャンスだ。数日程前、状況把握のできないままここへ住むことになってしまった私は、それから未だ一度も外へ出られていない。出ようとすれば止められるのだ。硬い表情をした赤井さんに。お醤油が切れただとか、適当に理由をつけて外出を試みても失敗に終わる。「行くな、危険だ」とそれだけ言って赤井さんはいつも私の腕を引く。いくらインドア派の私でも、そろそろシャバの空気が吸いたい。
 だから、これはチャンスだ。こっそりこのまま出て行ってしまおう。住んでいたマンションはもう解約済みだが、しばらくは友達の所にでも泊めてもらえばいい。ぐっと両手を握って気合を入れる。必要なものだけをバッグに仕舞いこみ、いざゆかんと玄関へ向かった。
「うそ、どこいっちゃったの」
 意気揚々と玄関まで辿り着いたのは良いが、自分の靴が見当たらない。確かにここへは靴を履いてやってきたし、つい先日まで黒い五センチヒールが鎮座していたはずなのだ。しかしいくら目を凝らしてみても、シューズボックスを隅々まで確認しても、私の靴は見つからなかった。赤井さんが隠してしまったのだろうか。まさか、捨てたとは思いたくない。お気に入りだったのだけれど。
 すっかり肩を落として俯いた。家じゅうを探せば見つかるかもしれないが、この大きなお屋敷を隅々まで探していては日が暮れてしまう。私が見つけるよりも赤井さんの帰りの方が先だろう。しかし、このまませっかく巡ってきたチャンスを不意にする気にもなれなかった。次はいつ赤井さんが出かけてくれるのか分からないのだから。
 ええい、仕方がない。シューズボックスには大量に靴が入っている。おそらく本物の家主――工藤家のものだろうが、奥の方にある古いパンプスを拝借してしまおう。なにせ、緊急事態なのだ。テレビでしか見たことのない工藤夫人を思い浮かべて両手を合わせた。すみません、嵐が過ぎたらお返しします。
 ゴソゴソと靴を取り出して、それを履き終えたときだった。室内に着信音が鳴り響く。初日、赤井さんに買い渡されたそれはバッグの中で音を響かせている。そうだった。現代人の習性でつい持っていきそうになったが、これは置いていかないと。取り出せば、画面に表示されている名前は沖矢昴だ。怪しまれないためにも、出るべきだろうか。ゆっくりと通話の文字をスライドして耳へとあてた。
「もしもし」
「xx。なぜ外へ出ようとしている?」
 挨拶もなしに耳へはいってきた台詞で、心臓が跳ねた。熱くなる喉元とは逆に手足の先が急激に冷えていく。
「よせ、怪我でもしたらどうするつもりだ」
 電話越しに聞こえるのは、淡々とした低い声だった。もしかして、見られているのだろうか。いいや、きっとそうだ。でなければこんなに確信をもって忠告などできるはずがない。
「どうして、わかったんですか……?」
 震える唇で尋ねる。すとんと視界が低くなった。不思議なことではない。力が抜けて、玄関へ座り込んでしまっただけだ。
「お前をずっと見ているからに決まっているだろう」
 さも当たり前のように、なんのことはないと赤井さんは言った。さっと青ざめたのが自分でもわかった。
 ずっと見ている? どうやって? まさか、隠しカメラでもあるというのか。きょろきょろと辺りを見回すが一見してそれとわかるものは無かった。それもそうか。ビュロウの優秀な人間がこんな一般市民に後れを取るはずがない。厄介な人に捕まってしまったな。到底勝ち目が見えず、その場で項垂れた。

 ガチャリ。玄関の扉が開き、外の風が吹き込んできた。顔を上げれば沖矢さんが立っている。
「おかえりなさい」
 沈黙よりはマシかと、小さく声をかけた。沖矢さんはにっこりと微笑むと「ただいま帰りました」と嬉しそうな声色で応えた。そのまましゃがみ込み、私のパンプスを脱がす。
「良い子で待っていると、思っていたのですが」
 呟かれた言葉にビクリと肩を揺らした。沖矢さんはそれに目を細めて私の頭を撫でる。そのまま腕を肩と膝の裏へ回して私を抱き上げた。抵抗する元気もないのでそのままでいれば、ふわりとソファへ降ろされた。
「移動はこんな風に僕が運べば――」
 沖矢さんがハイネックの奥へと手をやると、ピッと電子音がする。
「問題ないな」
 ふっと不敵な笑みをいただいた所で不安な気持ちが晴れることは無い。それどころか増す一方だ。問題ない、とは。ひやり。嫌な予感がする。
「ど、どういうことです?」
 躊躇いがちに彼を見てもそのマスクからは何もわからない。赤井さんは私の問いに答える気がないのか、そのまま続けた。
「どうしても出掛けたいと言うなら、週に一度、俺の付き添いでのみ許そう。お前の願いは極力叶えてやりたい。だが、勝手にふらふらとされて見失っても困る。その綺麗な足に傷を付けるのは忍びないが――」
「すみませんでした!」
 その後に続くだろう台詞など聞きたくない。勢いよく立ち上がって頭を下げた。冗談じゃない。単にシャバの空気が吸えればいいと言うのではないのだ。五体満足で私は帰りたい。
「何を謝る必要がある」
 私の言動をいまいち理解できていない顔で、赤井さんは首を傾げた。そこまでしていただかなくても大丈夫ですと慌てて主張し、そうかと赤井さんが一つ頷くまで私の冷や汗は止まらなかった。
 今度、コナンくんに相談しよう。彼はあの子の事を妙に気に入っているようだから。小さな希望を胸に抱いて、いそいそと紅茶を淹れる彼をじっと眺めた。


サガミさま、リクエストありがとうございました。
赤井さん、何を考えているか分からない問題。そういうところが怖いけれど素敵だなあと個人的に感じています。全国の赤井さんファンはどうやって彼の心を汲み取っているんです?超能力?と思いながら書きました。
作品褒めてくださってありがとうございます。生きる糧です。

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