本能に抗えないのは、動物だけで十分だ。ヒトも動物だと言ってしまえばそれまでだが、“運命の番”だというだけで相手を決めてしまうのは、今の俺にはどうしても愚かに思えた。
「ねえ、どうしてよ……私たち、惹かれ合う運命なの、わかるでしょう?」
 涙ながらに俺へ訴えかける目の前の女は、確かに“運命の番”だった。この女を確かに愛していたし、これからもそうだと思っていた。――xxに出会うまでは。
「すまない」
 思ったよりも感情が乗っていない声だ。人でなしになった覚えはないが、もうxx以外と結ばれる気にはなれない。本能のままに彼女以外の女と関係を持つのは、不誠実だと思った。たとえxxがそれを許しても、きっと俺自身が罪悪感で耐え切れない。
 冷たく見下ろせば、女はぐっと下唇を噛んで悔しそうに顔を歪めた。


 円満にとはいかなかったが、どうにか女へは別のアルファをあてがえそうだ。一度番をもったオメガは、関係を破棄されてしまうと精神的ショックが大きく再び番をもつことは難しいとされている。しかし、難しいだけで不可能ではない。ケアをある程度しっかりすれば何とかなるものだ。
「だいすきだよ、xx」
 壁四方一面に彼女の写真を張り付けた部屋の中、恍惚と微笑んだ。
「やっと前の番が別れてくれそうなんだ。これでやっとあなたを迎えに行ける」
 写真の彼女の肌に、するりと指を這わせた。お気に入りの一枚だ。当時恋人だったらしい男と待ち合わせをしているxxだ。いつまでたっても来ない待ち人を案じて、不安そうにしている。ああ、可愛いなあ。待ち合わせの相手がくるはずなんてないのに、健気に待っている彼女は最高に可愛かった。同時刻、相手の男が病院にいるとも知らないで。
 そういえば、あの時あの男には「彼女に二度と近づくな」と釘を刺しておいたのだった。最近はxxの周りで見かけないから、きちんと諦めてくれたらしい。これで、彼女と俺との間には何の障害もなくなったわけだ。ゾクゾクした。


 xxを迎えに行く。彼女の帰宅時間に合わせて玄関扉の前で待っていれば、xxは目を二度瞬かせて固まった。知り合いが突然自宅まで押しかけて来れば、驚きもするだろう。まだ、俺たちは恋人ではないのだから。今日、思いを告げるのだから。
「良い夜だね、xx」
「降谷さん? こ、こんばんは……何か御用でしょうか」
 爽やかだと評判の笑顔をxxへと向けて挨拶すれば、xxは動揺を隠さないままに顎を引いて返事をした。上目遣いになっていることに、気が付いているのだろうか。
「用、といえばそうかもしれない」
 壁に預けていた背を離し、ゆっくりxxへと近づく。xxは困惑しているものの、後退ろうとはしなかった。目の前まで来て立ち止まる。不思議そうに見上げる彼女を、しっかりと抱きしめた。
 え、と彼女の声が漏れる。腕の中に収めてみれば、見た目以上に細い。確かめるように力を入れるにも壊れないかと心配なほどだ。
「好きなんだ、あなたが」
 耳元で囁いた。やっと言えた。xxから体を離して、彼女と視線を交えた。紅潮した頬と開いた瞳孔に満足する。耐え切れなくなったのか、ふっとxxは目を伏せた。長い睫毛が震えている。
 どうにか返事を貰おうと彼女の頬に手をやった時だった。ドクリと心臓が大きく脈打った。どこからともなく甘たるい香りがしてくる。ピリピリと脳が痺れるようなこの感覚を、俺は知っていた。きっと、ベータであるxxはまだ気づいていない。
 あの女、どうやってここまで来た。発情期で耐え切れなくなったか。
「返事は後日で良い。また来る」
 惚けたままの彼女へそっと微笑みかけてその場を後にした。出来ることなら今すぐ返事を聞きたかったが、このままでいるのは拙い。あの女がすぐ傍まで来ている。自分の理性には自信があるが、xx以外の女の匂いで欲情などしたくはない。

 エントランスから出たところで、あの女が待っていた。先ほどの感覚からして、俺が来るのを察知して少し離れたのだろう。あの場面には鉢合わせたが、xxとの逢瀬を邪魔するほど野暮ではないということか。
「聞いていただろ、好きなひとがいるんだ。あなたにだってもう別のアルファがいるはずだ。だからもう、終わりにしてくれ」
 吐き捨てるように言った。女は熱い息を吐いて「他の人じゃ、だめなの」と呟く。気持ち悪いと思うのに、身体は疼いて仕方なかった。やめろ、そんな目を向けるな。それ以上近づくな、触るな。一歩一歩、女が近付いてくる。フェロモンにあてられて上手く動かない身体で女から遠ざかろうとすれば、すぐさま壁に背が当たった。
「あ、あっ……ん、さわる、な」
 首筋に顔を埋めてくる女を、せめてもの抵抗として睨みつける。女は嬉しそうに笑っただけで止める気配はなかった。更には、俺の太腿を撫ではじめる。嫌悪感と快楽でおかしくなりそうだ。
 女の手が身体の熱い部分に触れそうになって、ぐっと目を閉じた。いやだ、やめてくれ。どうして俺は抵抗しない? その気になれば振り払えるはずだろう。口だけの抵抗など何の意味もない。そう思っているのに、ガクガクと震える手足は女を受け入れることも抵抗することも出来ずにいた。やはり、本能には逆らえないのか。愚かなものだ。
 そう思った時、ポケットに入れた携帯が鳴った。xxだ。xxからの着信の音だけ、すぐにわかるように別のものにしていた。それを聞いた途端、はっと頭が冷えた。
 何を、していたんだ、俺は。xxがいるというのに、xxと結ばれることを望んでいたというのに、オメガの誘いなんかに屈服しそうになって。見上げた理性だ。自分に吐き気がした。目の前のオメガをすっと見据えて、その手を止める。なんだ、出来るじゃないか。後ろ手に腕を拘束し、冷たく吐き捨てた。
「手荒な真似はしたくない。元とはいえ、番だからな。もう俺の前へ姿を現さないと誓ってくれ」
 指に力を込めれば、ギシリと骨の軋む音がした。オメガが苦しそうに悲鳴をあげる。
「誓え」
 もう一度、低く強く吐いた。オメガは熱い息のまま、ゆっくりと頷く。それに安堵して両手を解放した。
 せめて最後に慰めてくれと涙を流すオメガを睨みつけ、鳴りっぱなしの携帯を手にとる。xxの声を聞いて、改めて自分はなんて馬鹿だったのかと自嘲した。
「その、デートから、はじめませんか」
 戸惑う声すら可愛い。おそらく緊張をどうにか押し込めて、精一杯紡いだのであろう言葉だ。あまりの愛しさに笑いだしたくなるのを堪えて「もちろん」と大きく頷いた。すぐにでも落としてあげるよ、俺のxx。


リクエストありがとうございました。
番でないという発想はありませんでした……ありがとうございます。本能をねじ伏せてでも結ばれたがる好意というのは、これまた重くて大変素敵ですね。
愛ある感想も嬉しかったです。これからもドロドロ頑張ります。

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