事の始まりは、会社からの帰路に男性とぶつかったことだった。灯りの少ない道だがいつも通るからと何の警戒のないままに角を曲がったところで、ドン。相手方も同じく注意をしていなかったらしい。気が抜けていたからか派手に尻もちをついた私に、男性は慌てて謝って手を差し伸べてくれた。こちらこそと恐縮しながら立ち上がれば、過失は50:50だからお互い様だなんだと嫌味なく返されたのを覚えている。男性は、赤井秀一と名乗った。
 それから週に半分は彼とどこかしらで鉢合わせている。随分と整った顔だったから数日で忘れるはずもなく、赤井さんの方もなぜか私のことを覚えているようで、知り合いの如く声をかけられてしまっては無視するわけにもいかない。
 一度目は、単なる偶然かと思った。二度目は、奇跡だと驚いた。三度目は、必然だろうかなんてときめいた。四度目は、運命なのだと期待した。しかし流石に、五度目六度目と続くうちに何かがおかしいと気が付いた。緑色の瞳にじっと見つめられて舞い上がっていた気持ちが次第に冷静さを取り戻していく。
 普通に生活をしていて、こんなにも顔を合わせるはずがない。一度不審に思ってしまえば、偶然を装ったエンカウントの度に疑いは膨らんでいく。
「赤井さん、あの」
 恒例行事とばかりに通りがかったマスタングに乗せられ私の家へ向かう途中、耐え切れずに疑問をぶつけた。こうも頻繁に出くわすのは異常ではないか。もしかして偶然ではないのでは。何か目的があって私に近づいているのか。なんて、詰め寄ったのが間違いだった。
 赤井さんはクツクツと楽しげに喉を鳴らすと、ちらりと私を見た。車が止まる。見ればもう自宅に到着していた。
「心奪われた女と、共に時間を過ごしたいと思うのは当然だろう」
 きゅっと心臓が締まる。思わぬ返しに徐々に顔に熱が集まるのを感じた。動揺で目も泳ぎ放題だ。嬉し恥かしで何と言って良いやら口ごもった私に、赤井さんがふっと笑って続けた。
「本来ならば四六時中そばに居てやりたいところだが、それでは障りがあるだろう。だから何とか時間が出来た時にこうして逢いに来ているんだ」
「それじゃあ、どうしていつも私の居場所がわかるんです?」
「そんなもの発信器頼りに決まっているだろう」
 当然のように放たれた台詞に、高鳴っていた鼓動が止んだ。え、と言葉が詰まる。それから、盗聴器やカメラがどうたらと続いた。いつのまにか家に設置していたらしい。明らかなストーカー行為を日常会話のように暴露するものだから、私が気にしすぎなのかとさえ思ってしまう。
 混乱したままの頭でぼんやりと聞いていれば、赤井さんの話は私が昨日食べたランチについてのアドバイスに入っていた。もっと糖質をとれ? ダイエットなんかしなくていい? 大きなお世話だ。糖質制限中なのも把握済みですか。
 ああ、これは本格的にまずいかもしれない。逃げよう。そして家に帰ったら猪一に盗聴器類の確認だ。つらつらと言葉を並べ続ける赤井さんに気付かれないようにそっと右手を車のドアノブにかける。ロックが掛かっていないのは確認済みだ。
「あ、赤井さん! ありがとうございました! それでは!」
 赤井さんの隙をつくのは難しそうなので、勢いに任せることにする。ばっと効果音の付くほどにドアを開けて飛び降りた。背後で私を止める声がしたが、気にしてはいられない。先ほどから背中と脇腹に伝う冷や汗に身震いした。
 息を切らして家路につく。ガチャリと厳重に鍵をかけ、休むまもなく家じゅうを探索した。しかしいくら探せどもそれらしきものは見当たらない。辛うじて発見できたのは、私のデイリーバッグに張り付いた小さな機械だけだった。おそらくこれが発信器というものだろう。すぐさま玄関に向かいピンヒールで踏みつぶした。

「もしもし」
 一人で悩んでいても事は進まない。それならば最近知り合ったイケメン探偵に頼ろうと電話をかければ、ワンコールで繋がった。エマージェンシー、エマージェンシーと安室さんへ事のあらましを説明する。話を終えると、安室さんは早口でまくし立てた。
「xxさんはそこで大人しく待っていてください。くれぐれも余計なことはしないように。そちらへ着いたらドアを三度ノックしますから、声を出さずに開けてください」
 いつもよりも厳しい物言いに驚くが、素直に頷いて電話を切った。てっきり後日回収に来てくれるものだと思っていたが、今からとは。随分とフットワークが軽い。お急ぎ便もビックリだと感心する。
 言われた通りじっと安室さんを待っていれば、三度のノックが聞こえた。念のため、とインターホンの液晶画面を確認すれば安室さんだ。鍵を開けて彼を迎え入れ、口を開こうとすれば人差し指が唇に当てられた。気障な仕草も似合うらしい。
“盗聴器で会話を聞かれたら困りますから”
 目の前に差し出されたメモにはそう書いてあった。すみません、と目だけで謝る。
“xxさんはソファに座っていてください。それと、携帯を貸していただけますか”
 サラサラと書かれた文字を読んで頷く。言うとおりに携帯を渡してリビングへ戻った。
 それから十数分。「もう大丈夫ですよ」という安室さんの声と共に、私の前には小型機器の山があった。数えるのも面倒なほどで、一つも自力で見つけられなかったのが驚きだ。安室さんへお礼を言えば、爽やかな笑みの後に真剣な表情が返ってきた。
「一応これで全てだとは思いますが、そのストーカーが今後何を仕掛けてくるか……対策を立てなければいけませんね」
「これ以上何か仕掛けて来るんでしょうか?」
「何を思ってあなたに手の内を明かしたのかは分かりませんが、次の手があると考えた方が良いでしょう」
 険しい顔で私を見つめる安室さんの方が、当の私よりも事態を深刻に捉えているのかもしれない。赤井さんは、少なくとも私には乱暴をするような人ではなかった。機器さえ壊して、あとは私が赤井さんに気を許しさえしなければ大丈夫だと思っていたのだが、違うのだろうか。やんわりと安室さんにそう伝えれば、安室さんはカッと目を見開いていきなり立ち上がった。
「赤井!? 今、赤井と言いましたか!」
 勢いにビクリとしながらも肯定する。続けざま、赤井さんの容姿について問われた。一つ一つそれに答えていれば、安室さんの顔色も変わっていく。
「なぜ、もっと早くそう言わない。赤井は危険すぎる。行くぞ」
「行くって、どこ――」
 言い終わらないまま強引に腕を引かれて立ち上がる。いつもの丁寧語も置き去りらしい。
 抵抗する間もなく抱きかかえられ、気付けば車の中だった。一体何がどうなっているのか。安室さんに質問をしても「赤井は拙い」「渡すものか」「用意していて良かった」「もっとはやく」と独り言に忙しいようで相手にしてくれない。結局どこへ向かっているのかも分からないまま、目まぐるしく変わる外の景色を眺める他なかった。

 長いドライブになるのかと思いきや、案外はやく車は止まった。安室さんにエスコートされて車を降り、がっしりと腕を掴まれて隣を歩く。車の中で安室さんから渡されたヒールは、中敷きがふわふわとしていた。
 セキュリティのしっかりしていそうなマンションだ。どうぞ、とにこやかに通されたのはリビングでも応接室でもない、どこか女性らしさのあるシンプルな部屋だった。安室さんの趣味だろうか。だとしたら悪くはないし好みでさえあるが、乙女な男性なのだろうかと疑わざるを得ない。安室さんは私の心を見透かしたように、クスリと笑みをこぼすと「あなたのですよ」と目を細めた。私の? 首を傾げる。しげしげと備え付けられた家具を見ても、購入した覚えはない。真意を問おうと安室さんを見れば、丁度彼が私の前に跪いた。
「絶対に、守ってみせます」
 カチリ。耳慣れない音と、足首に違和感。視線を安室さんから更に下げれば、左足が繋がれていた。その時の安室さんの蕩けるような瞳は、幸せそうに潤んでいた。混乱と恐怖で顔を背ければ、鏡に青ざめた自分が映っている。頼る相手を間違えたのだ。そう悟っても、取り返しはつかないらしかった。


スクさま、リクエストありがとうございました。
ぶっとんでいる設定気に入っていただけて嬉しいです。クレイジーの真骨頂は一見まともに見えることですよね。

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