彼からの熱烈なプロポーズに、うれし泣きをしながら頷いたのはいつのことだったか。所属は言えないが、不自由にはさせないからという言葉を信じて彼についてきた。警察関係者ということは聞いていたから守秘義務があるのも知っていたし、多忙で私との時間がなかなか取れないだろうことも承知していたつもりだった。しかし、一週間も家に帰って来ない上に音信不通というのは、とても許容できるものではない。
 募る不安と苛立ちを紛らわすように目を閉じて深く息を吐いた。テーブルに置いたスマホが鳴った。僅かな期待と共にそれを手に取れば、友人からのメッセージだ。一瞬でも目を輝かせた自分に苦笑しながら内容に目を通す。
“振られた。慰めてくれ”
 陣平からの短い文面は、私の眉を寄せるのに十分だった。長い付き合いとはいえ、私を何だと思っているのか。仮にも人妻だというのに。
“今から? 面倒”
“俺とおまえの仲だろ、良いじゃねえか。どうせ暇なんだし”
 時計を見れば、夜九時を過ぎたあたりだ。確かにこのまま零の帰らない家でやけ酒をあおるよりは有意義かもしれないが、どうだろう。やましい気持ちは無いとはいえ、夫の留守に元カレと二人で逢うというのは後ろめたい。そこのところは陣平もわかっていてこその誘いなのかもしれないが、零に上手く言っておく自信でもあるのか。
 悩んでいれば、今から迎えに行くと送られてきた。即答できないということは揺れたのだ、と読まれたらしい。ため息を吐きつつ、それでも外出の準備をしてしまうあたり私も寂しかったのかもしれない。
 幾ばくもしないうちに到着したとの連絡が入った。返信はせずに玄関扉を開ければ、すぐ目の前に陣平がいた。陣平は驚く私に片手をあげ「行くか」と軽く笑いかけた。

 それから彼のエスコートのもとバーで酒を飲み交わし、お互いの愚痴を言い合い聞き合い時間は過ぎていった。かつてお互いを知り尽くした仲というのは、円満の別れであれば居心地がいいものだ。簡単に当時のように気を許してしまう。酒が入っていれば尚のこと。荒んだ心を慰め合ってしまうのは、ダメだとわかっていても仕方のない隙だった。気が付けば同じベッドの上で抱き合っている。今回だけだと自分に言い聞かせて彼に体をゆだねた。


 零が返ってきたのは、それから三日後だった。大変疲れた様子で、それでも「ただいま」と私に柔らかく微笑んだ。それだけで私の溜飲は下がってしまう。ぴしゃりと叱りつけようと思っていた言葉も出てこない。結局、労りの言葉を取り繕って、それ以上は飲み込むほかなかった。
 翌日の朝、零が申し訳なさそうな顔で「しばらくは週に一度しか帰れない。連絡も返せない」と切り出した時も、私はただ泣き笑いで頷くのが精いっぱいだった。寂しい。しかし迷惑はかけたくない。わがままを言えば愛想を尽かされるのでは。いや、既に心は離れているのかもしれない。忙しいのは嘘で、他に女がいるのか。ぐるぐると嫌な想像だけが渦を巻き、上手く吐き出すこともできないまま蓄積されていく。
「そっか。大変だろうけど、応援してるね。行ってらっしゃい」
 そう言って彼を見送れば、零はつらそうな顔をして「ありがとう、行ってきます」と出て行った。
 パタン。扉の閉まった後の静寂がやけに重くのしかかった。

 沈む気分が続く日常のなか、ばったりと街角で陣平に会ってしまったのは悪魔の導きとしか考えられない。寂しさを埋めんとする自分の弱さを自覚しながら、それでも陣平という存在を撥ねつけられなかった。自己嫌悪と諦め。それは陣平も同じなのだろう。
 二度目。事に及んでしまってからは、後戻りはできなかった。傷の舐めあいの回数が増えていく。罪悪感に押しつぶされそうだ。それでも、陣平に関係をやめようと言われるか、零に糾弾されるかしない限りは自分から断ち切れそうになかった。
 ごめんなさい、はやく帰ってきて。愛しい夫の姿を陣平に重ねながら、目を閉じて喘いだ。

+++

 寂しそうな顔を隠すように、一生懸命に口角を上げるxxを思い出しながら家路を急ぐ。苦労を掛けているのは理解していた。彼女の「行ってらっしゃい」を聞くたび、申し訳ない気持ちになった。仕事に関して何も伝えることが出来ないというのが、こんなにももどかしく辛いことだとは思わなかった。あと少しの辛抱だ。半年以内には、組織の壊滅を遂げて見せる。そうしたら、長期休暇をもぎ取って、一緒に居られなかった分を取り返そう。
「ただいま」
 深夜二時過ぎ、夜もだいぶ遅い。xxが寝ている可能性を考えて、そっと声をあげた。案の定愛しい声は返ってこない。そうだろうな、と自嘲してネクタイを緩めた。音を立てないように着替えて、そっと眠る彼女の枕元に近づく。
「ただいま」
 もう一度、囁いた。聞こえていなくてもいい。起こすつもりは無いのだ。するりと頬に触れて柔らかな感触に目を細める。
 xxが、寝返りを打った。胸元の緩い寝間着の隙間から、白い肌が覗く。思わず食い入るように見てしまって慌てて逸らそうとしたとき、彼女の肌に何かの痕が見えた。暗くてよく見えないが、怪我だとしたら心配だ。xxを起こさないように、注意深くその痕を観察して、酷く後悔した。彼女の寂しさを、他の男が埋めたのだろうと分かった。
 怒りとやるせなさに、その場で泣き崩れた。


クマ子さま、リクエストありがとうございました。
鬱々とした泥沼展開は私も無性に欲しくなる時があります。DTこじらせれーくん……ううん、可愛いですね。
嬉しいお言葉も数々も、本当にありがとうございました。励みになります。

追伸:ビッグネームに驚きながら執筆しました。Tt.好きです。応援しております。(人違いでしたら申し訳ありません)

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