損失21g 明日は朝が早いから。そう言う彼女を家まで送って、自分も帰路に着いた。
ネクタイを緩めて水を飲もうとキッチンに向かったところで着信音が鳴った。聞き覚えのない音楽だ。しかしこの部屋の中で鳴っている。誰かのスマホを間違えて持ってきてしまったのだろうか。先ほどまで着ていた上着のポケットを探れば、音源はいとも容易く見つかった。
「……おや?」
風見裕也と画面に映し出されているその端末は、見覚えが無いはずなのにやけに手に馴染む。得体の知れない感覚にぞっとした。ごくり。冷えた指先を恐る恐る滑らせる。
「もしもし、風見です」
誰だろう。やはり他人のものだったのかもしれない。そう思い込もうとするも、耳の裏から背中にかけて走るうすら寒さが拭えない。混乱して声も出せなかった。僕がじっとその不快感に耐えている間も、風見と名乗る男の声が「フルヤさん」と知らない名前を呼んでいた。
無言で電源を切る。誰だ、声の主は。誰だ、フルヤとは。知らない。しかし、知っている気がする。知っていなければならなかったはずなのに。怖い。ぎゅっと両手で自身を抱きしめる。さむいよ、xx。たすけてくれ。
+++
午前九時ごろ、インターホンが鳴った。また宗教勧誘だろうか。遅めの朝食をテーブルに残して立ち上がる。液晶画面を覗けば、スーツの男性が真面目な顔で立っていた。
ああ、セールスか。短くため息を吐いて居留守を決め込む。数秒もすれば男性は画面外へ出て行った。諦めたらしい。そう思ったのも束の間で、またすぐに現れた。今度は横に誰か連れている。そのまま見ていれば、見覚えのある端正な顔が映りこんだ。
透くんだ。見慣れたよりも幾分疲れた様子で、表情も硬い。心配になってすぐに通話ボタンを押した。
「はーい」
「xxさん、すみません。開けていただけますか」
応答すれば要件も無しに男性がずいと顔をカメラに寄せる。それに若干の困惑を覚えつつ、何か事情がありそうだと素直に了承した。
男性と透くんを招き入れ、とりあえずソファへ座らせる。食べかけの朝食を片付けてからお茶を用意して彼らに向き直った。
「ええと」
状況を聞きたいのだが、話の切り出し方が分からずに小さく唸る。ちらりと透くんを見上げてから隣の男性へ視線を移す。すると彼はひとつ咳払いをして私を真っすぐに見た。
「警視庁公安部、風見裕也と申します」
身分証だろう物を懐から取り出して自己紹介をされる。それから彼は淡々とした口調で、いきなり押しかけた事の謝罪を口にしてから頭を下げた。深々としたそれに慌てて気にするなという旨を返す。
それにしても、なぜ警察が。頭にクエスチョンマークを咲かせて透くんへ助けを求める。しかし彼も疲労の滲んだ表情で困ったように笑うだけだった。
「ええと」
結局私は特に意味のある言葉を紡ぐことができず、ただ風見さんへ困惑を向ける。彼はさして気にした風もなく私へ状況を説明してくれた。
数日前に透くんが私へ話して聞かせた内容が真実だったこと。それが知ってはいけない情報だったこと。しかし事態は更にややこしくなり、透くんが安室透でしかなくなってしまったこと。つまり、今の彼には降谷零やバーボンとしての意識が無いのだということ。そしてそれが、国家の大きな損失だということ。
風見さんは話を終えると、私を気遣うように「理解し難かった部分はありますか」と尋ねた。正直全てが理解し難いのだが、そんなことを言える雰囲気ではない。
「いえ……把握はできた、と思います」
透くんは相変わらず黙ったままで、難しい顔をしている。私の出した紅茶を一口飲むと少しだけ頬を緩めていた。
「それで、私は今後どうしたら」
不安で尻すぼみになりながらも風見さんに尋ねる。風見さんは隣にいる透くんを一瞥したあと、眉間に皺を寄せた。はぁ、と大きなため息を吐いてから無理に作ったらしい笑顔を私へ向けた。
「我々が用意した住居で降谷さん――いえ、安室さんと暮らしていただくことになります」
「え」
間抜けな声をあげた私に、透くんが苦笑した。
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