なまえの寝顔をじっと見ている。起きる時間にはまだすこし早いが、とりわけ強い眠気もない。余裕をもっての起床もたまには良いだろうかと思ったが、この幸せな時間を終わらせるのが勿体ない。なまえの頬をひと撫でする。ん、と僅かに顔をしかめる様子が可愛くてずっと見ていたくなる。まだ起こさなくても良いか。柔らかな肌に唇を寄せて軽く触れる。無音のそれ。妙に舌先が甘くなる感覚がする。
 ここ数日はなまえとまともにゆっくりとした時間をとることが出来ていなかった。俺がいない間、彼女は何をしていたのだろうか。俺の代わりに、誰と時間を共にしていたのだろうか。俺のことを恋しく思ってくれていただろうか。なんて、なまえの行動はすべて知っているけれど。それでも幽かに浸潤してきた不安は小さくなんてなることはなく、それどころか広がってく一方だ。ジクリとした。
 ああ、だめだ。そう悟ったときにはもう抑えが効かない。ガリと親指ごと爪を噛んだ。口内と指が痛い。鉄の味がする。甘くもなんともない。つ、と不快な温かさが口端を伝ってくる。それを乱暴に拭えば、また新しい川ができる。じっと親指を見つめる。朝日に反射して幾分明るく見えた。隣で眠るなまえはそれに気付きもしない。無性に寂しくなった。腹いせに血の付いた指で彼女の首筋に触れる。俺の血液がべっとりだ。それだけで心地よい征服感がじっとりと溢れた。
「零、さん?」
 なまえの瞼が薄く開いた。起こしてしまったらしい。なまえは自身の首に触れている俺の手を認めると、薄く笑った。そっと手を重ねられる。
「何しているんですか……痛いでしょうに」
 寝起きの体温だ。うっとりとする。なまえが俺の手首を掴んだ。そのまま彼女の口元まで運ばれる。ぼうっと見ていれば、親指のぬるりとした感触に驚く。それに少しだけヒリヒリと痛い。噛んだ部位を舐めてくれているらしかった。だらしなく表情が緩む。俺のが、なまえの唾液と混じっている。先ほどまでの焦燥が嘘だったかのように霧散した。
「絆創膏、持ってきますね」
 夢心地でなまえの行動を眺めていれば、ふいに温かさが離れた。布の擦れる音がしてなまえがベッドから出ようとしている。俺から離れようとしている。
「行かないでくれ」
 反射的に彼女の胴体に腕を回した。
「でも手当しないと」
「いやだ」
「……零さん」
 なまえが困ったように俺の名を呼んだ。諫めているつもりらしいが、そんな優しい表情と声じゃ俺は引かない。益々腕の力を強めた。決して離すまいと暫くそうしていれば、短く諦めのため息が降った。よしよしと頭を撫でられる。抱擁を緩めて彼女を見上げれば、俺が愛しくて仕方がないと主張する瞳とかち合った。


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