桜の下には死体が──
そんな書き出しで一本の話が書けそうな、ちぐはぐな情景だった。とは言え、文学などという娯楽は鬼には意味を成さないだろうか。話を聞く限りでは十二鬼月と呼ばれる者たちには高い知性や理性が残っているらしいが、それは私の知るところではない。そして、私はこんなことを考えている場合でも、ない。
たくましい桜の太い幹や根は、おびただしい血を浴びている。とうに絶命し地に転がっている肉塊の中には、見知った顔も複数あった。数週間前に言葉を交わした相手が、ものの数秒で息絶える。ここはそういう、残酷な世界だった。
私はどうしてここにいるんだっけ。と。思わず現実逃避しそうになるが、あの日繋いだ手の暖かさを私は一生忘れられない。もちろんできれば血に塗れて死にたくないし、痛いのは心底嫌だ。でも、彼女が往くというのならば。私はどこまでも追いかけよう。例えそれが、果てしない茨の道でも。
たくさんの死を見て頭に血がのぼると、正しい呼吸を見失いがちな情けない私ではあるが、今日の戦いにおいてはこちらに地の利があった。はらりと控えめに踊る桜と、それを見守る新緑。頬を赤らめた彼女の姿が脳裏をかすめる。私の憧れ、私の目標。あの誰よりも愛らしい笑顔は私の───
明らかな経験不足で、まだ拙さの乗る水の型を振り下ろせば、白眼のない鬼と目が合った。
流れに身を任せた太刀筋は悪くはなかった。呼吸は途切れていない。だというのに手応えが全く無かった。晴れた砂埃の先には脂のない刃先が光り、背後から刺すような視線。私が振り返るのと、重力を無視し木の幹に立っていた鬼が足場を強く蹴るのは同時だった。受け流すような動きは水の型の真骨頂であるが、人間離れした重さの猛攻を全て無効にする実力が今の私にはない。
あっ、と思った瞬間に私の視線は濁った目の同期と同じ高さになっていた。自分の喉がヒューヒューと異常な音を出している。日輪刀を握る手が震えた。こちらを見下ろす鬼はニヤリと笑って、その尖った爪を私の喉笛に振り下ろした。
「遅くなってごめんなさい! もう大丈夫!」
一陣の風が、強く目を閉じた私の前髪を揺らした。鬼の悲鳴と、ゴトリ。重い何かが落ちた音がする。ゆっくり持ち上げた瞼の先にはにっこり笑う蜜璃ちゃんがいた。腕のなくなった右肩を押さえてヨロヨロ立ち上がった悪鬼は、再び振るわれたしなやかな彼女の愛刀の前に沈んだ。揺れる髪を撫で付けた恋柱は私の側に膝をつく。
差し伸べられた白い手が懐かしく、そして眩しかった。
「……また、助けられちゃった」
ごめんね、と続けてようとした私の頬を蜜璃ちゃんが引っ張った。
「キャーーー!? なまえちゃん!? ほ、本物?」
「こんな姿で再会って、情けないけど。本物だよ」
助けられるしかない不甲斐ない自分がいっとう嫌いだ。息も絶え絶え、上体を起こす私の利き手を、まだ少し驚きの表情を残した蜜璃ちゃんの両手が包み込んだ。はらりと散る桜が2人の境界を撫ぜる。日々、刀を振るうお互いの手のひらには、もう普通の女の子の柔らかさは残っていない。けれど、往き交うぬくもりはあの日と寸分違わぬものだった。
***
蜜璃ちゃんと私はいちばんの仲良しだった。
どこに行くにも、何をするにも二人は一緒で、私にとっては彼女が隣にいることは、水が上から下に流れていくのと同じように当たり前だった。
泣き虫の私が男の子にからかわれて泣き出してしまうたび、代わりに蜜璃ちゃんが顔を真っ赤にして怒ってくれた。そんな頼もしい、私にとってヒーローみたいな蜜璃ちゃんが自分の体質のことを思いつめている時には、私が必ず側に寄り添って蜜璃ちゃんがいかに素晴らしいかを説いて聞かせた。私の言葉を聞いて耳まで赤くする彼女の姿のいとおしさったらない。その表情を見るのが私だけだと思うと優越感が押し寄せてくる。私にとっての蜜璃ちゃんは美しいとくべつなのだ。
そうして、お互いに足りない部分を補うようにして時を重ねながら、私の蜜璃ちゃんへの想いはいつしか友情を飛び越えて、ぐにゃりと形を変えてしまったようだ。チクチクと痛む胸の奥の正体に気が付いたのは、お互いが男性とお見合いをするような歳になってからだった。
殿方とお見合いをしてみたところで、私にとって蜜璃ちゃんより眩しい人はいなかった。先方にお断りを申し入れながら、「蜜璃ちゃんと結婚出来たらいいのになあ」とぼやく私に、両親は深いため息をこぼすばかりだった。母は「蜜璃ちゃんだって殿方とお見合いしてるのよ」と繰り返したが、蜜璃ちゃんだって私と同じ気持ちでいてくれているかもしれない。
半分こにして一緒に食べた桜餅の味だとか、押し入れで泣く私に手を差し伸べてくれるその笑顔だとか、彼女の涙をぬぐってあげた時の人差し指の感覚だとか。そういう時間は何も私一人で経験したわけではないし、自分が彼女にとっての特別であることは疑いようはない。「特別」に含まれる気持ちがまるっと同じ可能性だってあっていいはずだと思うのだ。
しかしその願望のような思考は、久々に会った蜜璃ちゃんを見た瞬間に粉々に消え去った。
「お見合い、ダメだったから……」
そう言って困ったように笑う蜜璃ちゃんの髪は真っ黒に染まっていた。あの春の穏やかな風に似た優しい雰囲気は一変し、無理に変えられた髪色は彼女を上から押さえつけているようにも見えた。意地悪く笑った三日月の夜の下で、膜の張った瞳は小刻みに震えていて。それを覗き込んでいると凍えてしまいそうだった。
「こうしたからね、今度のお見合いは上手くいきそうなの」
そんな目をしているのというに気丈に振る舞う彼女は痛々しい。自分の言葉に傷付いているに違いない。何も答えない私相手に、みるみる視線を落としていく蜜璃ちゃんの手を反射的に握った。いつもはポカポカとあたたかいはずのその綺麗な手が今日はしんと冷えている。彼女の中にもきっとこのままでいいのかという惑いがあるのだろう。私はそれを、大好きな蜜璃ちゃんの不幸を看過できない。
「でもそれは……。それは、私が知ってる蜜璃ちゃんなの? 我慢して我慢して、自分を押し殺して過ごしたとして、それって自分自身なの? 蜜璃ちゃんは幸せになれる? ……私はいつもの蜜璃ちゃんのことがいつだって大好きだよ。だから、蜜璃ちゃんには笑ってて欲しい」
視線の合わない彼女に語りかけながら手に力を込めた。大好きな蜜璃ちゃんが悲しんでいるのは、自分が不幸になることよりもずっとつらい。貴女には幸せでいてほしい。笑顔でいてほしい。そう願いを込めて。
お互いの熱が行き交い、体温はほぐれていく。あたたかい。いつもの蜜璃ちゃんが戻ってきた。やがて、やわく細い彼女の手が、その見た目からは信じられないほどの力でありがとうの返事をした。
ようやく私と目を合わせてくれた蜜璃ちゃんは少しだけ、スッキリした顔をしていた。
「……なまえちゃん、あのね。私、本当は、自分より強い殿方が好きなの」
「知ってるよ、そんなの」
「……私、なまえちゃんが大好きよ」
目尻に涙を浮かべた蜜璃ちゃんが、ようやく心からの笑顔を見せた。彼女の言う「好き」が自分のそれと違うことはなんとなく分かっている。このことをきっかけに彼女は素敵な男の人を見つけて遠くに行ってしまうかもしれない。それでも、彼女が普通に、人並みの幸せを手に入れるのならそれが一番幸せなことだろうと、そう思っていた。
この会話を最後に蜜璃ちゃんが街から姿を消すまでは。
***
「故郷から女性の鬼殺隊士が出たって話は、風のうわさで耳にしていたんだけど……。まさか、なまえちゃんだったなんて……」
「びっくりさせようと思ってたんだけどな。昔みたいに助けられたんじゃ格好がつかないね」
蜜璃ちゃんがお見合いを蹴って鬼殺隊に入ったという話を聞いて、私もすぐに追いかけたのだ。生死の境界を走り抜けるような仕事に就いた彼女と永遠に会えなくなるかもしれないことは何よりも恐ろしかったから。それに、彼女より強くなれば私だってあるいは。などという浅ましい下心も持って。
けれども再会した彼女は、今やこの組織の中でも指折りの剣士となっていた。私たちの差は縮まるどころか大きく開いている。恋は常に、前途多難だ。
「そんなことはないわ! 鬼と対面して生き残れることを誇るべきよ! それに、私の力はこういう時のためにあるんだから! むしろ、私がもっと早く来たらこの人たちも死なずに済んだかもしれないけど……。でも、私は私の出来ることを頑張るわ」
加えて、精神的にも随分強くなったようで、蜜璃ちゃんはおどけたように力こぶを作ってみせた。どう見ても細腕だが、ここにはとんでもない力が秘められていることを知っている。そして、それこそが私の目指すところでもある。
「ありがとね。……ところで、強い殿方は見つかった?」
「えぇっ!? う、うん。たくさんいらっしゃるわ。本当にたくさん」
「旦那様は?」
「や、ヤダ! まだ全然、そういうんじゃないのよ。本当に」
「そっか」
小さいころみたいに差し伸べられた手を借りて起き上がる。向こうでひしゃげている鬼に飛ばされた刀を鞘に収めると、ドッと疲れが追いついてきた。つかれた。けれど、ここは私のスタートラインだ。
振り向くと顔を赤らめてあたふたしているつむじが見えた。葉桜色の豊かな髪とまるい頬は相変わらず世界でいちばんいとおしい。人の生死と密接に関わるこの隊に私みたいな動機の人間がいて良いものかと考えたこともあるが、ここまで追いかけてきて本当に良かった。
蜜璃ちゃんの消えた街での生活は生きたまま死んでいるようだった。この恋はもはや時間が解決してくれる範疇ではなく。こうして追いかけられていることが、蜜璃ちゃんにとってはある種の災難かもしれないが、私は本気で蜜璃ちゃんを幸せにしたいと思ってしまっている。
私のぶしつけな視線を責めるようにカラスがひとつ鳴いて、蜜璃ちゃんがハッと顔を上げた。強くなればそれだけ求められることも多いのだろう。本当はついて行きたいが、今の実力では力不足は歴然。そうでなくとも私にはすぐに相応の任務が待っている。バツの悪そうな顔をする彼女に私は小さく手を振った。
「手伝えなくてごめん。気を付けてね」
「えぇ、ありがとう! なまえちゃん大好きよ」
「私も、」
「また会いましょうね、絶対!」
大好きだよ。 風のように去っていく後ろ姿を見送りながら、独りごちる。
だから、どうかまだ、私の気持ちには気づかないでね。すぐに強くなるからね。