夜中の十時頃。私はコンビニエンスストアでぼんやりと商品を眺めていた。周囲には様々な音が立ち込めていて、それがバックミュージックとなる。聞こえてくる音は最近流行りの曲だとか、イチオシの商品を宣伝する音声だとか、あとはレジ打ちの音くらいだろうか。
そんな音たちをぼんやり聴きながら、私は歯ブラシセットを手に取った。それから近場にあったビール瓶をもう片方の手で持つ。他に必要な物は――と目線を動かせば、買い物カゴが目に入って来たので、とりあえず今持っている物をカゴの中に入れた。
あとは明日の朝ごはんを買って、会計を済ませるだけだ。カゴを持ち歩きながらレジの近くにある商品棚を吟味して、おにぎり一つとパンを掴む。それらを無造作にカゴの中に放り込み、レジへと向かった。
買い物を終えた私はコンビニの袋を片手に持って、数百メートル先にある家へと戻るため歩き出していた。本当はもっと近い所にスーパーがあるのだけれど、時間が時間なだけに店は閉まっていたのだ。なので仕方がなく、少し遠い場所に位置しているコンビニへと向かったのである。
街頭だけが照らす静かな道を数分ほど歩いて、ようやく彼と同棲しているアパートへと辿り着く。ここは元々私が一人暮らしする為に借りていた部屋なのだが、彼――太宰治と付き合い始めてからは、二人で暮らす部屋となっていた。とは云っても二人住むようには設計されていないので、中々融通が効かない所もある。が、それは仕方が無い事だろう。
さびつき始めている扉の取っ手を引き、重い扉を開ける。扉の先からは賑やかなテレビの音が聞こえてきて――私は少々笑みを零しながら中へと入った。
「ただいまー」
コンビニ袋が擦れる音を耳にしながら、靴を脱ぐ。それから寒い廊下を抜けてリビングに入れば、まず最初にテーブルが目に入って来た。続けてテーブルの真上にある照明と、簡易的なソファと、小さなテレビが目に入ってくる。いつも通りの光景。大して疑う点も無い部屋だが、そこに居る筈の姿は無くて――思わず聲を出した。
「あれ? 治くん?」
コンビニ袋をキッチンに置きながら、再度リビングを見渡す。けれども彼の姿は一向に現れる気配がない。イタズラ好きな彼の事だから、どこかに隠れているのかも――そう思って隠れられそうな場所を探してみるも、影一つ見当たらない。続いてトイレにでも行っているのかな? と思いトイレに向かうも、明かりが着いていないので居ないと分かる。ではどこに行ったんだろうか。疑問に思いつつもリビングに戻ると、テーブルの下に小さな紙が落ちてある事に気がついた。
「何これ」
四つ折りにされた紙を拾い、捲る。すると治くんが書いたであろう字が出てきた。文は短く一文に纏まっていて、私はすぐそれに目を通す。
がその文を読んだ途端、頭が真っ白になって思考がピタリと止まった。
「……は?」
やっとの思いで出た言葉はそれだった。思考が回転をし始めて、止まっていた時間が動き出す。それと同時に目を見開いて、何度か辺りを見渡した。嘘でしょ? と思って、先程よりも本気で彼の姿を探す。それでも彼は見つからなくて――手紙に書かれていることが「間違いない」と云う事にやっと気が付いたのだ。
私が持つ手紙にはただ一言『私を追い掛けて来てみてよ』とだけ書かれていた。
◇
治くんが居なくなってから一週間。彼からの音沙汰は全く持って無い。
最初の二日はいつもの自殺癖のせいで居なくなったのだと思っていた。が、日が経つ事にそうは思えなくなっていたのだ。何故なら彼が自殺未遂を起こす時は、大抵一日も掛からない内に戻ってくる。遅くて二日だ。だから丸一週間が経過しても戻って来ないとなると、今回の事は「いつもの事」だと思えなかったし――不安も募る。
故にこの日初めて、私は人に相談をした。
「は? 家出?」
疑問符を頭に浮かべながらケーキを口にする彼女は、中学生来の友人だ。治くんとも何度か会った事があるし、信頼も出来る。何より頼りになるので、私は彼女をカフェに呼び出した。
「そうなの、全然連絡も取れなくて」
「それ、愛想尽かされたんじゃない?」
「……だったら諦めきれるんだけどね」
「何よ、諦められない理由って」
ケーキを頬張りながら話を聞いてくれる彼女は、私の事をジト目で見ながらそう問いを投げた。一方で投げかけられた私は、カバンを探ったあと。財布から例の紙を取り出したのだ。
「実はこんなメモが落ちてたの」
卓上にそっと小さな紙を置くと、彼女はフォークをお皿の上に置いた。かと思えば紙を引き寄せて、文を読み始める。
「……追い掛けて来てみてよ、ねぇ。アンタの彼氏、こんな洒落た事する人だったっけ」
「まぁ、ドッキリとかはよく仕掛けられてたけど」
「ふーん」
再び紙をテーブルに置いた彼女は、残ったケーキを全て口にした。私もそれにつられる様にコーヒーを飲み干す。
「まぁ何であれ、追い掛けて来いって言ってんだから追い掛ければ良いんじゃないの?」
「難しい事云うね」
「そうとしか云えないよ。あんまり事情知らないんだし、何なら私の彼氏ってわけでも無いからね」
半ば突き放す様な言葉を並べた彼女は、今度アイスティーを飲み始めた。そんな彼女の様子を見ながら、半ば彼女の云う通りかも知れないと考え始める。
彼女は確かに頼れる友人だけれど、だからと云って何でも知っている訳じゃない。恐らく彼氏が家から出て行った経験も無いだろうし、自殺癖のある彼氏と付き合った事など一度もない筈だ。ともなれば一番良い解決策が出せるのは、彼をよく知る私であろう。もっとも、それが出せないのでこうして相談してるんだけれども。
「あっ、そうだ。アンタん家にさ、まだ彼氏の物とかあるの?」
私が一人で納得していると、彼女が出し抜けにそう云った。突然の質問にビックリして彼女の顔を見ると、何か閃いた様な顔つきをしている。
「物? あるけど」
数秒ほどの間を置いて、私は返答した。すると彼女は「やっぱり」と呟き、続けて私にこう聞いてきたのだ。
「じゃあ無くなった物とかは?」
「たぶん無いよ。強いて云うなら治くんの携帯とか、お財布とか」
「だとしたらさ、家で大人しく待ってれば良いんじゃない?」
「えっ」
彼女の言葉に驚いて目を見開く。だって紙には「追い掛けて来い」と書いてあるし、それを表すかのように、彼は一週間も帰って来ていない。だから私の中では既に「待つ」と云う選択肢は無かった。
予想外の回答に困惑しながら、アイスティーを飲み干した彼女に「どう云う事?」と聞く。
「だってさ、持って行ったのは財布と携帯だけなんでしょ? なら心配しなくても、その内戻って来るって」
「そうかな……」
「そうそう。だから大丈夫だよ」
私の友達もそんな感じだったし――と付け足した彼女は、メニュー表を眺めたあと店員さんを呼んだ。彼女に呼ばれた店員さんはすぐに注文を聞き取り、店の奥へと消えていく。それを確認した彼女は、さっきの言葉を続ける様に言葉を吐いた。
「あとあれね、彼氏の職場とかに連絡入れてみたら? もしかしたら出勤はしてるかも知れないし」
「出勤して無いにしろ、何かしらの収穫はあるでしょ」との結論を出したあと。彼女はこの話題に飽きたようで、携帯を眺め始めた。対する私の方も何をすべきなのか判断がついたので「分かった、連絡してみる」と言葉を放ったのである。
「じゃあお悩み相談聞いたから、今日はなまえの奢りね」
「えっ」
「うそうそ、冗談」
◇
友人と別れた私は家に帰宅した後、すぐ彼の職場である武装探偵社へ連絡を入れた。本当はメールで手短に済ませたかったけれど、電話であれば治くん本人が電話に出る可能性がある。そうなれば云い逃れは出来ないだろうし、少なくとも探偵社には居ると掴める。なので私は少々面倒だが電話を使う事にしたのだ。
電話はすぐ探偵社へと繋がった。
「もしもし。あの突然で申し訳無いのですが、そちらに太宰さんはいらっしゃいますか?」
心音を高鳴らせながら、相手が発声させるのを待つ。もしかしたら通話の相手が治くんかも知れない。もし治くんだったら最初になんて云おうか。彼に会うために、もう家を出る準備をしておいた方が良いだろうか。脳内にそんな考えが過ぎって、さらに緊張感が増す。そうして生唾をゴクリ飲み込んだ時。相手が小さく息を吸った。
『太宰さんならおります。ですが現在仕事に出ていて、この場には居ません』
「……あの、つまり出勤はしてるんですね?」
『はい』
残念ながら電話の相手が治くんでは無かったが、しかし出勤はしている様だ。ともなれば尻尾は掴んだ状態にある。
治くんが仕事で外に出ているなら、やっぱり今のうちに会社へと出向いた方が良いだろうか。先程浮かんだ考えを膨らませながら口を開く。
「そうですか。でしたら太宰さんに折り返すようお伝えいただけませんか?」
『分かりました。えっと、お名前の方お聞きしても良いですか?』
「……みょうじです」
『みょうじさんですね、伝えておきます』
「よろしくお願いします」
小さく礼を入れて私は通話を切った。理想的な形としては、治くんが出ると云う物だったが――まぁ仕方が無いだろう。あとは治くんの気分次第だ。これを外したら、もう他の選択肢としては待つしかない。探偵社に乗り込むのもアリだろうけど、治くんの事だ。きっと私が訪問するタイミングで逃げてしまうだろう。以前「危機察知能力が探偵社に入ってから上がった気がするよ」と云っていたし、間違いない。
「はぁ」
堂々巡りの思考に終止符を打つために、溜め息を吐く。それからソファに座り込んで天井を眺めた。
「とりあえず、連絡が来るのを待つしか無いよね……」
本当は今すぐにでも探偵社に行きたかった。しかし固定電話の方から掛けてしまったので、折り返しの連絡が来るならこちらからだろう。つまり、自ら動き出せない状況を作ってしまった理由だ。
――あぁ、失敗しちゃったな。そうやって数分前に犯した自分の失敗を悔いる。しかし過ぎてしまった事は仕方ない。諦めの心も肝心だとすぐに悔いることを止めた。
テレビすら付けていない静寂な空間。別に眠れるわけじゃないけれど、騒ぐ心を落ち着けたくて――私はそっと瞳を閉じたのだ。
次に目を開くと、先程までは明るかった部屋も薄暗くなっていた。 どうやら目を閉じている内に眠ってしまっていたらしい。慌てて時計を見ると、時刻は四時を指している。いつ眠ったのか分からないが、この様子だとかなりの時間寝てしまっていたようだ。そんな事を考えながら、電話の事を思い出してソファから立ち上がった。
――もし寝ている間に連絡が来ていたらどうしよう。私が出ないからって、治くんはもう退勤してしまっているかも知れない。そんな考えが過ぎって、私は慌ただしく電話を手に取り着信履歴を調べた。
「……良かった、来てない」
来ていない事を確認して思わずそう呟いてしまったが、良くよく考えると治くんがわざと掛けていない可能性がある。もしそうだったとすると中々の徒労だ。進展はあったにせよ、殆ど振り出しに戻った状態と云う事になる。それは嫌だ。
と云う事で都合の良い神様に「お願いだから掛かって来ますように」と願った。こうでもしないと本当に掛かって来ない気がして、私は更に両手を合わせたのだ。
数分後。祈るように待つのも疲れてきたのでソファに座って、やはり無音空間の中で電話に目を向け続ける。その最中、私の頭には色々な事が浮かんでいた。例えば「自然消滅になっちゃうのかな」とか「帰って来なかったら物はどうしよう」だとか。そう云うナイーブな事を思いついては「違う」と自身の言葉を否定する。
そんな事を何回も、何十回も繰り返した時だ。ふとした瞬間に着信音が鳴り響いた。その音にビックリして、思わずソファから立ち上がる。それから固定電話の方に行こうとするも、数歩あるいた所で電話からの着信音では無い事に気が付いた。
これは――携帯からだ。そう結論づけた私は振り返り、慌てて放り出されたカバンの中にある携帯を取り出す。それから画面を開くと、ディスプレイには見慣れた文字――太宰治の文字が表示されていた。
震える指で決定ボタンを押し、一度だけ息を呑む。それから携帯を耳に近づけると、彼の陽気な聲が聞こえてきた。
『やぁ、久しぶりだねェ』
電話越しから聞こえてきたのは、間違いなく彼の声だ。何事も無かったかのように云う彼の口調は、一週間会っていなかったようには思えない。しかも悪びれた様子もないので顔を顰めつつも、私は一番聞きたかった事を口にした。
「ねぇ、今どこに居るの?」
『素敵な教会だよ、見晴らしが良いんだ』
「わたし、行っても良い?」
『……来るのなら私の気が変わらない内にね』
その言葉を聞いた瞬間、私は通話を切った。それからすぐに携帯だけを手に持って、玄関の方へ急ぐ。迷っている暇はない。治くんの気は割と変わりやすい方なので、一秒でも早く行かなくてはならないのだ。靴を無造作に履いて、靴箱にある自転車の鍵と家の鍵をとる。それから外に出て、足踏みをしながら鍵を閉めた。
私たちが住んでいる部屋は一階だ。なので自転車置き場は目と鼻の先にある。家の鍵をポケットに突っ込みながら、私は自転車の鍵を外した。彼の云う教会と云えば、過去に一度だけだが行ったことがある。道も大体は覚えているので、迷うことなく行けるだろう。そう思いながら私は自転車を漕ぎ始めた。
自転車を漕いで恐らく三十分も経過していない頃だろうか。視線のすぐ先に教会が見えた。
暮れ始めた陽にステンドガラスが反射して、少し先の道に着色された影が伸びている。まるで虹のように綺麗なそれは、恐らく数分もしない内に消えてしまうだろう。そんな影を横目に見ながら、私は教会前の門に自転車を駐輪した。それから門をくぐって、教会入口へと辿り着く。
真正面には大きな教会があって、右手には何も無い。強いて云うのなら、手入れの施された草木が生い茂っているくらいだろうか。
その反対側には墓地があった。教会に見守られるようにして置かれている墓の下には、きっと良い人たちばかりが眠っているのだろう。そんな事を考えながら、私は教会の扉を開けようとする。
が、幾ら動かそうとしても扉は一向に動かない。――まさか正面からは入れないのだろうか。裏口があると聞いたことは無いが、もし裏口があるなら迂回するしか無いだろう。そう思って視線を右に移すが、右手からはどう考えても行けない。なので私は墓地側に視線を移し、そちらに向かって半ば無意識的に歩き始めた。
墓地は段田畑の様になっていた。墓地の規模としては恐らく狭い方なのだろうが、こんなに美しい場所は無いだろう。太陽に照らされ、教会に見守られ、穏やかに眠れる。風が吹けば木々が揺れる音だけが聞こえて、心地の良い鐘の音が聞こえて来るのだ。夜が近い。そう思った私は少し早足で教会の裏手へ回ろうとした。が、その足もすぐに止まってしまう。
「あ、」
段田畑の最下部。木々が集まるその場所に、人影がチラリと見えた。最初は墓参りをしているのだろうかと思ったが、どうもそう云うわけでは無いらしい。人影は木にもたれかかって座り込んでいた。体調でも悪いんだろうか。そう云う思考に至って人影を眺めていると、とある事に気が付いた。
その人影は、茶色の外套を羽織っているのだ。暗くなり始めて居るので気が付かなかったが、確かにあの人物は茶色の外套を羽織っている。茶色の外套――それを着る人物は、私の中では一人しか知らない。もしかしたら違う人物なのかも知れないが、一度確認してみる価値はある。
階段になっている面をゆっくり降りて、段々とその人物へと近付く。それと当時に陽も暮れ初めて、辺りはゆっくりと影のグラデーションを作り始めた。空気が冷たくなって、外気に触れる肌が寒さを訴えてくる。それを気にせず下っていけば、ようやくその人物の前に辿り着いた。
「……治くん」
私が彼の名を呼ぶと、木陰で休んでいる治くんはゆっくりと目を開いた。
「早かったじゃない。走って来たの?」
「まさか、自転車こいで来たの」
いつもの調子で返答し、治くんの前にあるお墓の方へと近づいて行く。それからお墓に向けて手を合わせた後、今度は治くんに目を向けた。
「このお墓の人、治くんの友達?」
「あぁ、君には話してたっけ。そうだよ」
そう云うと治くんは立ち上がって、一度背伸びをした。どうやら長い時間ここに居たらしい。冷え始めて気色を失った爪を見て、ぼんやりとそう考える。
「それで君は、どうして急に出て行ったのか聞きたかったんだろう?」
「……うん」
ぼんやりし始めた意識をこちら側に戻し、力なく頷いた。すると治くんはお墓の真横を通り過ぎて、私の前へと来たのだ。健康の二文字を失った白い肌に、ボサボサとした茶髪。冷やされているであろう手と、見たことも無い鋭い眼光。何もかもが彼らしく無くて、つい恐怖心を覚えてしまう。更には陽が完全に姿を消してしまったせいか、影が濃くなって――私の恐怖心を最大値まで上げた。
そんな状態の私を知らない彼は話を続ける。
「ふとね、気になってしまったのだよ。もし私が居なくなったら君はどんな反応をするのかって」
「私を求めて追い掛けて来るのか、それともそのまま離れて行ってしまうかね」と呟くように放った彼は、そのまま私を通り過ぎて歩き始める。
対する私はと云うと、未だに彼の雰囲気が怖いと感じてしまい――彼の姿を視線で追うしか無かった。そうやって遠ざかる彼を眺めていると、彼は私が着いてきていない事に気が付いた様で「いかないの?」と振り返ったのである。そこでようやく、私の足が彼を追いかけ始めた。
数秒の静寂。どちらも何も云い出さない状況で、私たちはただ階段を上がっていた。先程まで美しかったこの場所も一転して、ただただ怖い。ここが墓場だと云う事もあるが、何だか雰囲気が急激に冷たくなった気がする。
――と思ったその時。治くんがこちらに振り返って、いつもの優しい瞳を見せた。
「ホントは君に、追い掛けて来て欲しかったのかもね」
「治くんは、そう云う人間じゃ無いでしょう」
「やだなぁ。私にだってロマンチックな部分もあるよ」
「まぁ、嘘だけど」と付け足して云う彼の背中を眺めながら、ようやく教会入口まで辿り着く。道路は相変わらず静かで、街頭の明かりだけが道を照らしていた。ステンドガラスが反射したあの影はもう無い。折角美しかったから治くんにも見せてあげたかったな、と思いつつ自転車の鍵を外す。それから彼の隣に並んで歩き始めれば、彼が小さく笑みを零した。
「ねぇなまえ」
「なに?」
「もし、私がまた居なくなったら――君は追い掛けて来てくれる?」
笑みを作り上げたままの彼は、やはり至って普通の様子だ。先程のような不気味さも無い。じゃあさっきのアレは一体なんだったのだろうか。疑問に思いつつも、質問に答えるため口を開く。
「……分かんないけど、多分また追い掛けると思うよ」
「そう」
興味を失ったかの様に視線を逸らした治くんに、私は続けて言葉を吐いた。
「でも、もう止めてね。ヒヤヒヤするんだから」
「分かってるよ」
本当に分かっているのか。そう聞きたい所だったが、これ以上聞いても意味は無いだろう。
彼の考えは一貫しているが気まぐれだ。きっと本気で取り合ってはくれないし、約束も守らない事だって多い。だから今問い詰めたって、無意味な物は無意味だ。なんて思っていると彼がこちらに顔を向けた。
「所でなまえ、今日の晩御飯は?」
「……ごめん、作ってないの。慌てて出てきたから」
「なら久々の外食だね」
「お店選びは私に任せてよ、いい店があるんだ」と手を広げて云う彼に、私は笑みを浮かべた。切り替えの速さが異常な位だが、まぁもう慣れた事だ。それに彼の中でも私の中でも、さっきまでの事は「終わった物」に過ぎない。ならばもう話す必要も、思い出す必要も無いだろう。楽しそうにこれからの事を話す治くんに対して相槌を打ちながら、私たちは静けさが立ち込めるこの道を歩いた。
治くんが指名手配され行方を眩ませたのは、この数日後の事だった。