INJURED

 午前2時。沢桔梗は真っ白なシーツにくるまりながら、携帯電話のボタンを押す。目的の連絡先を見つけた梗は薄く微笑み、躊躇いなく通話ボタンを押した。
 2つのコール音がし、3つ目が鳴る前に送話器から低い声が流れ出した。
「もしもし?」
『……お前か。てっきり妹の方がかけてくると思ったんだけどな』
「こんばんは、二階堂さん。鏡は今入浴中ですの」
『《魔導士》の件ならもう情報は揃ってるからメールを確認してくれ』
 テーブルの上のパソコンを立ち上げ、メールフォルダを確認すると、確かに二階堂からのメールが入っている。
「まあ、相変わらずとってもお仕事が早いのですね。助かりますわ。それで、《魔導士》にご挨拶したいのですが、都合は良さそうでしょうか? 身近な人間でも構わないのですが……」
 半額弁当争奪戦において最強と呼ばれている《魔導士》を打倒し、最強の座を手に入れたいと思っているのは沢桔姉妹とて例外ではない。だが、《魔導士》は以前に比べてスーパーに現れていないため、勝負を挑みたくても挑めない状態だった。
 パソコンを閉じ、もう一度ベッドに横になった梗は二階堂の言葉を待つ。
『本人との接触は今の時期難しいだろうな。行動が読みにくい。身近の人間なら話は別だが、《狼》としての奴を語る連中についてはほとんど教えたからな……。一般人なら一人いるんだが、まあ接触しても意味はないだろう』
「一般人?」
『ああ。《魔導士》の幼馴染で、お前たちと同じ学校に通っていたはずだ。名前は確かみょうじなまえ……だったな』
 聞き覚えのある名前に、梗は驚いて目を丸くした。しかし、すぐに紫の瞳を細め、薄っすらと笑みを浮かべた。
「まあ、あの方が……」
『知り合いか?』
「いえ、そこまで親しいわけではありませんわ。ただ、ちょっとした有名人ですのよ」
『随分と含みのある言い方をするんだな』
「ええ。よく私物が無くなったり、学校から出てくると、入った時にはなかった傷が日に日に増えていたりと、何かと良くない話のつきまとう方ですわ」
『それってつまり……いいのか、放っておいて。生徒会長なんだろう?』
 常識人である二階堂の言葉に、梗は先ほどよりも一層笑みを深くする。どこか恍惚とした表情になった梗は、複雑な感情をため息に混ぜて吐き出した。
「そうですわね。あまり無視するのは良くない状況ですわ。ただ、何というのでしょう。あんまりにも哀れで、どう接すれば良いのかわからないのですわ」
「――本当に本当に、可哀そうなみょうじさん」

 *

 教室に入ると、クラスメイトたちの視線が全身にくまなく刺さった。ぴたりと動きを止めるが、いつものことだと思い出し、自分の席へと向かう。
 数メートルの距離を歩くだけだというのに、周りの侮蔑を始めとした呆れ、怯え、怒りの感情が、頭のてっぺんからつま先まで私を突き刺していく。
 少しだけ俯きながら自席に辿り着くと、鞄から教科書と自習ノートと筆箱を出した。3つとも、書いた覚えのない暴言が赤い油性マジックで外側に書き込まれている。こんなものを教師に見られたら色々と面倒なので、筆箱は必要な筆記用具だけ出して鞄にしまい、ノートと教科書は表紙を下にして中を開くことにした。
 教師がやってくるまでの間、黙々と今日のテストの復習をしていると、クラスメイトたちの視線がちらほらと逸れていくのを感じた。
 高校に無事進学した私は、中学では遭遇しなかった状況に放り込まれていた。通学鞄に入れていた私物が気付くと無くなっていた。覚えのない落書きが学校用具に増えた。クラスメイトから話しかけられることが極端に少なくなり、代わりに刺々しい視線に晒されるようになった。
 高校1年目にして、私は独りぼっちになっていた。
「おかえり。今日は大丈夫だったか?」
 部活動をしていないため、放課後そのまま家に帰ると、私の両親ではなく優くんが迎えてくれた。
 幼馴染で2つ年上の優くんは特待生のため高校に行くことを免除されているらしかった。代わりに、海外の研究機関や大学に招待されて勉強していることが多い。
 狼のように鋭く優しい目に見下ろされ、くすぐったい気持ちになると同時に後ろめたさも感じて、思わず手首を後ろに隠した。
 それを見抜いた優くんはため息をつきながら、私の背後に回り、隠した手首を持ち上げた。
 赤い擦過傷のある手のひらと痣のできかけた手首を見た優くんは、私をリビングに連れて行き、傷の手当てをしてくれた。
「ありがと、優くん」
「別に礼を言われることじゃない。……なまえ」
「なあに?」
「無理して学校に行く必要はないんだ。お前の意思は尊重したいが、高校に通うことが負担になるんだったら行ってほしくない」
 私の頭をそっと撫でながら優くんがささやく。深くて低い彼の声に心がとろけそうになった。
 優くんは小さい時から頭が良くて、とても情緒が安定していた。どんな時でも冷静な彼は、誰にだって礼儀正しく優しかった。
 優くんは弱虫な私が困っていたら助けてくれるけど、それは誰に対しても無理のない範囲でしていると知っていた。
 やがて成長していくにつれ、彼の世界に対する興味が人より薄いことに気付いた。頭が良くて、何でもそつなくこなす彼は、日常や世の中に退屈し関心を失っていたのだ。そんな彼と私を繋ぎとめているのは、ただ幼馴染という惰性で続いているような関係だけだった。
 だから怖かった。彼が遠くへ行ってしまうんじゃないかと。彼が私以上に特別な人を作ってしまうんじゃないかと。ずっと恐れていたのだ――そう、あの日までは。
 ある日、体育の授業で大怪我をした私を見た優くんは、表面こそ冷静でも今まで見たことがないくらい動揺していて、これ以上ないというほど慰めてそばにいてくれた。
 はじめて私のために必死になってくれた優くんを知って以来、私は休まずに学校に行き続けた。学校に行けば、多少なり必ず怪我をするからだ。毎日怪我をして帰ってくることを電話やメールで報告すると、優くんは必ず心配して家に来てくれた。次第に私が連絡しなくても、今日みたいに最初から家にいてくれるようになった。そして、うんと私を甘やかしてくれるのだ。
 父は単身赴任中、母も仕事で夜遅くに帰ってきて朝早くに家を出ていくが、2人とも優くんのことを信頼していたし、私が合鍵を渡していたというのもあり、彼とは半分同棲しているような状態だった。
 優くんのさらさらの髪に指を伸ばし、小さく笑む。
「ありがとう、優くん。でも、前にも言ったけど、お父さんたちに心配かけたくないから、これからも学校には行くよ」
「だが……」
「大丈夫だよ。ちょっと痛い目には遭ってるけど死ぬわけじゃないし、きっとそのうち飽きるよ」
 飽きるわけないよ。思わずそう言ってしまいそうになるが、優くんを心配させまいと、マグカップに入ったココアに口をつけて、無理やり一緒に飲み込んだ。人目に晒せないほど酷い言葉にまみれた筆箱とノートが脳裏にちらつく。
「……なまえ」
「どうしたの?」
「……いや、何でもない」
 優くんは私を抱きしめると、額にキスを一つしてくれた。それが嬉しくて、思わず頬が緩んでしまう。
「何を笑ってるんだ」
「別にー」
「笑いすぎて溶けても知らないぞ」
「幸せに溶けるんだったら本望だよ」
 そう言うと、優くんが私をくすぐってきたので思わずソファーに倒れ込む。私が起き上がるよりも早く、優くんが上に覆いかぶさってきた。
 先ほどとは違う意味で近づいた距離に、上手く言葉を出せないでいると、優くんの顔がゆっくりと近づいてきたので、それ以上何かを言うのはやめることにした。

 *

 午前2時。沢桔姉妹宅。
「――本当に本当に、可哀そうなみょうじさん」
 優美に微笑む梗だったが、その発言に当然、二階堂は苦言を呈す。
『可哀そう? いくら何でも人としてそんな無責任な言い方はないだろう』
「あら? 怒ってらっしゃって?」
『当たり前だ。いじめられている人間に対して、笑いながら「可哀そう」とよく言えるな。お前のことは信頼していたんだけどな』
 露骨に不愉快さを含ませた二階堂の言葉に、梗はくすりと笑った。
「部屋に監視カメラでも付いているんじゃないかと思うほど、よくご存じなんですわね。それに信頼しているだなんて、嬉しいですわ」
『含み笑いなら電話越しでも十分わかる。切るぞ』
「お待ちください。説明いたしますわ。……彼女、少々特殊ですのよ」
『特殊だからって、不当に扱うのはどうかと思うけどな』
 シャワーの音がやんだことに気付き、梗はベッドから下りると、妹のために冷えたジャスミン茶をコップに注ぐ。自分の分も注ぐと、コップのふちをなぞりながら独り言のようにささやいた。
「その意見に異論はありませんわ。……いえね、わたくしも最初ある女の子がクラスでいじめられているという話を匿名で知った時、解決するために調査していましたのよ。もちろん、鏡も一緒に。でも、調べれば調べるほど奇妙な点が出てきまして」
『……奇妙?』
「ええ。確かにその女の子――みょうじさんは事故とは思えないような不自然な怪我をしているのも、私物が“誰かに盗られたかのように”無くなるも事実でしたの。でも、そのことに対する信頼できる証人が全くいなかったのですわ。いじめの報告はすべてパソコンで入力したと思われる文章を印刷した手紙でしたのよ」
『チクられたと知られたくないから、匿名にしたんじゃないのか? 密告した奴が陰で吊るされるのは珍しい話じゃない。自分の身は最低限守りたいだろう』
「最初はわたくしたちもそう考えていましたの。でも、あまりにも一定過ぎるんですのよ。彼女が何か学校で怪我をすると1時間もしない内に、わたくしか鏡の下駄箱に『××がみょうじを階段の上から突き飛ばした』だの『○○がみょうじの持ち物を隠した』だのと書かれた手紙が置かれますの。――まるで、最初からみょうじさんがそういう目に遭うのがわかっていたかのようにね」
『……何が言いたい』
 何かを察したのか二階堂の声が一段階低くなる。
「あら。もうお気づきになられているんじゃなくて? 他にもまだありますわ。鏡がその手紙に書かれた『いじめの犯人』たちを調べましたのよ。でも全員、手紙に書かれていた犯行の時刻には、別の場所で信頼できるアリバイがいくつもありましたの。中にはみょうじさんと何の面識もない方もいらしたぐらい」
『つまり……』
「わたくしも鏡も最初は信じられませんでしたわ。でも、調べれば調べるほど疑念は確信に変わりましたわ」
「言ったでしょう? 彼女、本当に可哀そうだって」

 *

 翌朝、心配そうな顔の優くんに見送られて高校に向かうと、突然同級生の女の子たちに引っ張られて校舎裏に連れて行かれた。
「ねえみょうじさん、どういうつもり?」
「私たちのこと、いちいち生徒会に報告してるみたいだけど、本当に信じてもらえるだなんて思ってるわけ?」
「周りがあんたを何て呼んでるのか知ってる? ほら吹き女だよ」
 口々にそう言われるが、何のことかまったくわからない。ほら吹きなんてどういうことだろうか。私は嘘などついていない。全部本当のことだ。ただ、誰かに知っていてほしかっただけだ。優くんに信じてもらえるように、他の人にも私の状況を伝えただけなのに、どうしてこんな酷いことを言われなきゃいけないのかわからない。
 茶髪の女の子が私を押す。バランスを崩して転ぶと鋭い痛みが走り、土と血がひざについた。女の子たちが白い目で私を見ている。何も言わなくなった彼女たちが怖くて震えていると、授業が始まる鐘の音がした。茶髪の女の子がため息をついたのを合図に、彼女たちはぱたぱたと校舎に入っていく。
 しばらく座り込んでいたが、教室に入る気の失せた私はふらふらと立ち上がって、家に帰ることにした。
 家につくと、出かけようとバイクに跨っていた優くんが驚いて私のそばに駆け寄ってきた。その場にへたり込む私のひざを見て、背中に手をそわせてくる。
「どうした、なまえ。転んだのか」
「……クラスの女の子たちに突き飛ばされちゃって。もう授業始まってるけど、怖くて入れないから帰ってきたんだ」
「……そうか。歩けるか?」
「ううん。ちょっとしんどい、かな」
 眉を下げて、優くんの肩に頭を載せると、彼は私の膝裏と背中に手を当てて抱き上げてくれた。驚くほど力持ちな彼の腕の中で大人しくしていると、ゆっくりとリビングのソファーに座らせてくれた。
 傷口の泥を取るために優くんがキッチンに向かったのを確認すると、私は通学鞄の中から体育の時に着る体操服を取り出した。ハサミも手に取って、そのまま体操服を真っ二つに切った。
 頭の中に先ほど私を押した女の子の顔が思い浮かぶ。私を嘘つき呼ばわりしたうえに押すなんて、とても酷い人だ。そんな酷い人なんだから、人の体操服を切り刻むことぐらい普通にするだろう。そう、体操服を切っているのは私じゃない。あの子だ。あの茶色い髪の女の子がしたのだ。私はこんなこと絶対にしない。
 カタン、と音がした方を見ると、優くんが清潔な濡れ布巾を持って立っていた。ハサミを後ろに隠すと、優くんの目が伏せられる。
「優くん、どうしたの?」
「……その体操服、どうしたんだ?」
「これ? えっと……さっき、私を押した女の子がしたんだと思う。学校にあるとまずいかなって思って持って帰ってきたんだ」
「……そうか」
 優くんは深く静かな瞳を上げると、私の前に膝をついて土と血を布巾でぬぐってくれた。少し染みたけど、これぐらいなら我慢できる。
 黙ったまま傷口に絆創膏を貼る優くんを見ていると、無性に不安になって手元の体操服を握り締めた。
「嘘じゃないよ。あの子がしたんだ」
「……ああ。わかってる」
「皆、私のことを嘘つき呼ばわりするんだよ。生徒会の人も最初は私の味方だったのに、今では話も聞いてくれないんだよ。階段から突き落とされたのも、物を隠されたのも本当なのに。皆、酷い人ばっかり」
「そうだな。酷いな」
「でも、優くんは私の味方だよね。ずっと、ずっと私のそばにいてくれるよね」
 彼の頬に手を当てると、形の良い顎が上下に揺れた。私の隣に座った優くんに抱きすくめられ、ぱちくりと瞬きをしてしまう。
「……すまない」
「どうして謝るの? 優くんは何も悪いことをしていないのに」
「お前に謝ったわけじゃないから気にするな」
「そっか」
 抱きしめられたまま、彼の肩に頭をもたれかけていると、少しだけ彼の腕の力が強まった気がした。
「俺は」
「うん」
「お前の味方だよ。これからも、ずっと」
 優くんの表情はわからなかった。でも、それだけで充分だった。
 ああ、そうだ。部屋に置きっぱなしの赤い油性マジックを捨てておかなきゃ。私があの子たちに隠された筆記用具も本も優くんが見つける前に捨てておこう。
 私が幸せになると優くんは遠くへ行ってしまうけど、今の私は不幸の中にいるからそばにいてくれる。だから、もっと不幸になればいい。明日はきっと階段よりも高いところから落ちるんだろう。酷い人たちに詰め寄られて落ちていくんだ。そしたら死なない程度に、でも優くんがまたしばらく離れられなくなるくらいの大怪我を私は負うんだろう。
 手に握り締めた体操服がにじんだ手汗を吸い込んでいく。私の平和な日常が消えていけばいくほど、優くんがそばにいてくれる。何を躊躇う必要がある。
「約束だよ、優くん」
 優くんの耳元でささやく。彼の手のひらは震えていた。

 *

 午前2時。沢桔姉妹宅。
『……つまり、みょうじなまえの自作自演だったというわけか』
「ほとんどはそうですわね。単なる偶然による怪我もありましたけれど、それさえも加害者がいるように振舞っていたのですから大したものですわ」
 複雑そうに息を吐き出した二階堂に、梗は眉根を下げた。
『しかし、随分と詰めの甘い人間のようだな。少し調べればわかるような“計画”を実行するなんて』
「それは少し違いますわ。彼女、自分が自作自演をしているという自覚はないようですの」
『……は? どういうことだ』
「そのままの意味ですわ。彼女は本当にそう思っていますのよ。“自分が誰かに害を加えられている”ってね」
『……』
「だから言いましたでしょう? 彼女、可哀そうだって」
 二階堂からあまりにも返事がなかったため、てっきり寝落ちしてしまったんじゃないかと梗は思った。そろそろ声をかけようと思った時、妹の鏡がトリートメントの良い香りをまといながら部屋に入ってきた。
 鏡は机の上に置かれたジャスミン茶を飲むと、小さく首を傾げた。
「姉さん、誰と電話をしているんですか?」
「二階堂さんに《魔導士》のことと、みょうじさんのことをお話していましたのよ」
「前者はわかりますが、なぜみょうじさんのことまで」
「彼女、《魔導士》の幼馴染なんですって」
 答えになっていない答えに、訝し気な表情になった鏡はベッドに座ると、姉の持つ携帯に顔を近づけた。
「こんばんは、二階堂さん。すみません、姉がこんな時間にお電話してしまい」
『……いや、気にするな。それにしても、お前たちも大変だな』
「ええ……まあ……」
 ここ一月ほどの忙しさを思い出し、鏡は心中でため息をついた。
『《魔導士》は知っているのか?』
「何をですか?」
『幼馴染がそんな危ないことをしているって』
「どうでしょう。でも、勘の鋭さも頭の良さもずば抜けている彼のことです。多少なり気付いているのではないでしょうか」
 スピーカーモードに携帯をセットした鏡がそう答えると、二階堂はまた黙り込んでしまった。
「どうされましたの? 今日はよく黙ってしまいますわね」
『いや、何。《魔導士》らしくないと思ってな。俺も腹を割ってあいつと話したわけじゃないが、少なくともそんなおかしな人間と一緒にいるようには思えないな』
「あら。わたくしや鏡、そして二階堂さんも含めたスーパーの住人たちは、“狼”としての彼しか知りませんのよ? プライベートでの彼の本性まではわかりませんわ」
『……それもそうだな』
 さらりと絹のようになめらかな鏡の髪に頬を寄せながら、梗はいずれ倒すべき強敵とその哀れな幼馴染の顔を思い浮かべた。
「あらあら。もうこんな時間。夜更かしするとお肌にも髪にもよくありませんから、そろそろ失礼しますわ」
『ああ。次からはもっと早い時間に電話してくれ』
「本当に姉がすみませんでした。おやすみなさい、二階堂さん」
『おやすみ、2人とも』
「良い夢を」
 通話が終了し、携帯を枕の下にしまった梗は妹と一緒に薄いシーツを被った。猫のように身を寄せ合った2人は、ぼんやりと天井を見つめる。
「二階堂さんに話さなかったんですね」
「何をですの?」
「みょうじさんが先週、廃ビルから飛び降りたこと」
「……さすがに、そこまで話してしまうと二階堂さんがもっと気を悪くしてしまいますわ」
「確かにそうですね」
 ちらりと、梗はテーブルの上の書類を見る。みょうじなまえの昨日までの問題行動を調べたものだが、捨てることも教師に報告することもできずにそのままになっていた。
 みょうじなまえが他者に明確な暴力を振るっているのなら、生徒会としても対応しやすかっただろう。だが、事件の被害者と加害者が同じ人間なのだ。周りの人間も彼女の異端性に多少なり気付いていながら、刺激する者もほとんどいなかったため、どう扱えば良いのか迷うしかない。
「みょうじさんが《魔導士》の幼馴染とわかったことで、彼女の行動原理が彼と密接に関係している可能性が出ましたね。……でも、それでいいんでしょうか?」
「それで良いとは?」
「その……別に2人と仲が良い訳ではないのですし、《魔導士》が彼女の行動にどこまで関わっているかわかりませんが……何だか不幸に見えるというか複雑な心境になるというか。とにかく放っておけないんです。特にみょうじさんのことが」
 いつも冷静な鏡にしては珍しく、気まずそうに身をよじらせている。同じく梗も珍しくまともな言葉を妹に投げかける。
「人の幸せも生き方もそれぞれですわ。といっても、みょうじさんはあまり幸せそうには見えませんでしたけど」
「大丈夫、なんでしょうかね」
「みょうじさんが妄想から解放されるか、それともあくまで都合の良い悪夢に囚われ続けるか――《魔導士》も現実に目を向けて彼女を止めるか、それとも一緒に暗い夢につながれるか――それは本人たち次第ですわ」
 次第にやってくる睡魔を感じながら、梗は妹の手を握る。
 目を閉じる前に、一瞬だけパソコンの方を見る。二階堂からのメールには、きっと《魔導士》が先週から一つの病院に通っていると書かれてあるだろう。でも、それが体調不良のためではないことを梗は知っている。
「――本当に可哀そうに」
 かすれて出てきた言葉は、現実で言ったものか夢で言ったものか――それを鏡に確認する前に、瞼が一層重くなった。
 無機質な病室のどこかで目覚めない少女と、その少女に寄り添い続ける少年を想いながら、梗は眠りへと身をゆだねた。夜が静かに更けていく。



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