※トイフェルがアルバの戦士

 静かな夜はいない魔物が出る。もとよりそれは言うことを聞かない子供を幽霊などで怖がらせるために作った話だった。そのうち本当に魔物が出るようになってから、言い伝え通りに魔物は月のない静かな夜に襲ってくるようになった。どうして月のない夜に魔物が襲ってくるのかはわからないが、夢見勝ちだった勇者は月がない空にはなにか特別な力があるのかもと思っていたけれど、でももしかしたら魔物たちも自分と同じで、寂しくて熱を求めて人里にやってくるのかも、とも思うようにもなった。旅に出て間もない勇者はまだまだ童心を忘れずにいた。
 今日はその、月のない夜だ。不吉ですと執事は言った。執事が珍しく火をおこしている。素早く夜の準備をこなしていく執事の後ろ姿を見つめながら勇者は執事の恩返しだと思い全てを彼に任せ、空を見上げて沈思した。月のない空は空しくてどこか物足りない。くまのぬいぐるみを抱き背を丸めて寝る子供はつい数日前に勇者になった。勇者さんと執事には呼ばれてはいるが、所詮は形のみの勇者である。執事は賞金目当てでないのなら本気で魔物と戦わなくてもいいと言った。彼は彼なりに自分の身を案じてくれているのだと思う。
「勇者、さん」
 火を起こしたトイフェルがアルバの方へおずおずと歩いてきて黒い布を被せた。野宿するをときはいつだって黒い布団を被って寝ている。
「いい、です?僕が食料調達に行く、あいだ、あなたはここにいてくださ、い。あなたが目印です。いいです、か、絶対に動いては、ダメですよ。僕が、帰れなくなって、しまいますから」
 たどたどしい日本語は今でこそきちんと会話になっているが、初めてこの男と会ったときなんて、とてもじゃないが一緒に魔王討伐に行けるとは思えなかった。しかしアルバの決死の喋りかけや、行動の誠実さ、なにより毎晩行われる全身マッサージが項をなしたのか、トイフェルはだんだんとアルバに慣れ、今では「勇者さ、ん、トイレは俺が、帰ってくるまでに、済ませてください、ね」くらいは言うようになった。アルバは「はいはいわかってます!」と少し怒って、すぐに毛布にくるまった。
 食料調達に向かおうとしたトイフェルは一度アルバを振り返り、「火を、絶やさないで」と言って暗い森の中に消えた。
 トイフェルがいなくなると、アルバに急な眠気が襲う。今日一日疲れもたまっていたことだし、木の根本に寄り掛かって丸くなる。あとは一度深く息を吐いてしまえばすぐに夢のなかだった。
 アルバが寝入っても焚き火の音は絶えない。パキンパキンと木が折れて、燃えて、灰になる。ふいに落ち葉が踏まれる音がした。反射的にアルバはうっすらと目を開いて、トイフェルさん?と呼んだはずだった。
「動くな」
 突如目の前に現れた黒髪赤目の青年がアルバの口を塞ぎ言葉ひとつで束縛した。アルバは彼の勢いに飲まれ、こくりとも頷けない。
「あなたは俺に聞かれたことだけを答えてください。ここはどこですか」
 アルバはようやく息をすることを許され、城下町近くの森であることを告げた。すると「今は何年ですか」と聞いてきたので素直に答えてやれば彼は考え込んだと見せかけてアルバの頭を一度殴った。理不尽だと涙目で訴えアルバが頭を抱えたら凄まれてしまったので口をもう一度引き締め、彼の問いに答える。
「では、勇者クレアシオンって知ってますか」
「知ってるけど」
「どういう物語です?」
「えっと、」
 どうしてそんなことを聞くのだろろうという疑問をそのまま、勇者クレアシオンの伝承通りの話をする。勇者がいかなることを成し、それから世界平和が訪れたことを。けれど最近魔王が復活して王の命で勇者が送り込まれ、アルバもその中の一人であることを告げると、青年は目を見開きけれどあなたのことは聞いてないですと脳天チョップを食らってしまった。
 全てを話し終えると青年は「そうですか」と言って赤目が一瞬揺らいだ。炎のゆらぎであるかもしれなかったけれど、アルバはどうしてだか僅かな情がわいた。青年は見るからにして旅をしているようには見えないし、アルバと同じ勇者や戦士といった王の雇われという線もないだろう。かと言って城下町の人間であるとも思えない。きっと何かがあったのだろう。何かがあって、こんな森の中に放り出されたのだろう。アルバの推測はあながち間違ってはおらず、けれどまだまだ幼い少年が正解に辿りつけることはなかった。
「あなた、勇者なんですね?」
「あ、うん。そうだけど」
「戦士はいますか? いませんよね?」
「え? なんでお前決めつけてんの? いや、いまはいないけどいるよ」
「はあ。そうですか。なら、殺すしかありませんね…」
「どうしてだよ! 物騒なこと言うな!」
「なら、いないということにしてください。今日から、俺があなたの戦士ということで」
「は、はあ?」
 よろしくお願いします、勇者さん、と彼が。アルバの中にあった情という情が霧散し、あとは呆れかえる一方になる。トイフェルはいったいどこへ行ってしまったのだろうか。目で彼を探しながら、剣も手元にない今逃げる隙を伺っていると、青年がにんまりと笑った。
「ですから、俺のことは戦士と呼んでくださいね」
 彼はポカンとするアルバのみぞおちに拳をめりこませ、倒れ込んできた少年を軽々と抱きかかえた。戦士になった青年は「さて」と息を付いて、アルバの荷物らしき荷物と、あとは王の資金を奪って、最後に火を消した。瞬間あたりが暗くなったけれど、彼は夜目が聞いた。
 戦士は満月を見上げ、懐かしい暖かさに一度笑むと、満月の方向へ歩を進めた。

軸索