僕はのこるよ、と言った勇者さんに少なからず期待をしていた自分を恥じた。
俺があの憂鬱な世界から戻ると、彼はたったの数時間で勇者に、読んで字のごとく勇気のある者になっていた。立派になった勇者さんは、人々からレッドフォックスと呼ばれ、俺よりも遥かに多い善行を成し、すでに名は知れ渡っていた。
僕は残るよ、と言われて、お前はどうするなどと、なぜ、聞いてしまったのか、と悔いた。勇者が、救った者の後先の旅行にまで、のこのこ付いてくるはずがないのだ。彼はもう、すっかり勇者なのだから。
「シーたんって、馬鹿だよね」
喧嘩売ってるのかと、殴る。殴りながら、その通りだと思った。
「勇者勇者って言われて、けっこーシーたんも気にしてたさんだね。俺はてっきり、俺は俺だ!ってもっと毅然としてるのかと思ってたよ。まあ、今はカンケーないよね。アルバくんも大変だよなあ」
勇者アルバ。レッドフォックス。町に行くたび、レッドフォックス様の武勇伝を聞かされる。相当美化された、架空の人物の話である。クレアはかっけー!と目を輝かせるが、俺はやはり、あの人の話をされている気がしなかった。だって町人は、アルバに心酔し傾倒しきっていて、町の女なんてまるで惚れた男の話でもするかのようで、あの人の実態の破片こそ伺えるものの、それは1000年で変化した勇者クレアシオンの話と同じであった。
勇者さんは、もはや人類の勇者となっていた。俺だけを助けに来た友人は、かなり美化されて、世界を救う勇者様になってしまった。しかし、彼は生ける勇者だ、理想の勇者だ、ゆえにファンもつく。
アルバは、もともと勇者に憧れていた少年だったが、スライムも倒せなかった、モブキャラ同然の主人公だった。それが、たったの1年で、石から宝石になるほどの大出世を果たしたのだから、誇らしいことだ。
バッサバッサと強力なモンスターを薙ぎ倒し、大きな茶色の目を輝かせて、太刀をふるうその姿は、確かにみんなの勇者さまだ。勇者は、太陽のような存在であるべきで、一人の人間に深く干渉するべきではないと、俺は思う。ゆえに、救ったものの後先に、俺たちの行く先のない旅に、巻き込むわけにはいかないのだ。
「勇者さんは、忙しいからな」
もちろん俺だって忙しい。丘を越え、山を越え、川を渡り、海を渡り、砂漠で星空を眺める。そんな、冒険が目の前に待っていた。昔置き去りにして、やっと救い出した友達だっている。俺には、輝かしい未来が、待っていた。例え勇者さんが居ずとも、変わらずボケることはできるし、友人に暴力だって振るえる。勇者さんが居らずとも、冒険はできるのだ。
「やあ」
ふと、何かが現れた。黒いマントを翻して、ぼてりと落ちる。
「ちょっとお願いがあるんだけど、いま、大丈夫?」
茶髪のボサボサ頭。魔物のような真っ赤な目の、人型。金色のアクセサリーをつけて、ささっと立ち上がる。こんなところまで鈍臭いんですねぇ、と声に出せなかった。
「シオン?大丈夫?」
勇者さんが、おうい、と目の前で手のひらを振っている。その手をぐしっと掴んで、地面に叩きつけるようにすると、勇者さんは大きな声を出して地面に崩れた。
斜め後ろにいたクレアが、ぷぷぷ、と口に手を当てて笑ったものだから、こいつには少し痛い思いをしてもらう。ドン、と音がすると、クレアの体が地面に埋まりら顔だけが地面から生えていた。いいザマだ。
「で、お願いとは?」
「まずはクレアさんをなんとかしてよ!」
「こいつはこれをされるが好きなんですよ。お気になさらず」
「そんなわけあるか! クレアさんいま出しますから」
「それより、こんなところにいていいんてすか。あなたはまだ魔力を制御できていないじゃないですか」
「う、うん、少しなら」
「じゃあクレアはこのままで」
「う、うん」

軸索