瀬戸と伸太郎


 お前らは一日にどれくらいの人が自殺しているか知っているだろうか。
 一日24時間。分にして1440分、秒にすれば86400秒。
 俺は18歳。567648000秒生きていることになる。桁にしてしまえばそんなことはない。しかし1秒を語るのはとても難しい。林檎が落ちるにしたって、それを語るのは難しいことだ。誰かに説明をすることを大前提として、会話力がない俺には、特に難しいことだ。
 からんと鉄の音がした。耳元すぐにぜえぜえといった喉が潰れたような息が聞こえる。
 陽がささない一室。暗い部屋に俺以外にもう一つ大きな影ができた。それは覆いかぶさって、俺の右手を捉えていた。
「なに、してんすか」
 別に、なにも。
 ベッドの上をぼんやり眺める。暗い色をした血がシーツを彩っていた。ああ、アヤノの色だ。脳裏で、あいつが俺を呼んでいた。やはり俺はあいつが必要で、あいつには俺が必要だったのだ。俺の後ろをちょこまか追い回すあいつを思い出して、今度は真逆だなと笑った。
「なに、しようとしてたんすか」
 右手から血が滴っているのが感覚としてわかった。どろりとして、気持ちがわるい。あいつもそんな思いをしながら死んだのだろうか。
「どうして、そんなことしようと思ったんすか」
 耐えられなかったから。
 俺は暗闇の中でもきらりと光る切っ先を見た。自由のきかない方で取ろうとしたら、左の方も持って行かれる。
「シンタローさんいけないことだって、わかってるでしょ」
 お前は正しい。けどそれは正しい人間だから言えることだ。
「日本は自殺大国なんす。こんなにもしあわせに囲まれた国家なのに」
 どこが幸せなんだ。こんなゴミみたいな国のどこが。そもそもそれ、なんか受け売りみたいだぞ。
 日本国の自殺率は24.9人で総自殺者数は31690人。警視庁の調査によるとそのような桁になったのだそうだ。俺はその一人になろうとしている。無論、アヤノはその中の一人として入っているのだろう。
 右の足。体育座りしていたのをやめて、ナイフをすくう。暗闇にまぎれて後ろのこいつも気づいてはいない。
「…シンタローさん。いい加減にして」
 身長172、体重52。持ち上げるにしても、そうとうな力がいる。それをこいつは両腕で軽々と俺を抱きかかえてしまった。
 胡座をかいたセトの膝の上。横抱き、ようするにお姫様だっこ。流石に抵抗をしたくなったがいつものペースに戻される気がした。大人しく、抱かれてやることにする。
「自殺してなんになるんすか」
 カーテンから漏れた光は眩しい。両の手は未だセトに握られたまま。片手で男の両手を押さえ込めているのだから、世の女は手を握れでもしたらイチコロだろう。なんて大きな手なんだろう、って。アヤノもそう思うかな。アヤノは手が小さいから、俺だってそう思わせてやることもできるはずだ。そういえば俺はアヤノと手を繋いだことがなかった。極力接触を控えていたせいもあるが、今となっては惜しいことをした。ただ、あの小さな手に触れたらあいつはどんな反応をとるんだろうと、どんな感触をしていて俺の手と比べてどれくらいの小ささなんだろうと思っていた。結局、手を合わせることもなくあいつは死んだが。
「自分の口で、答えてください」
 うるせえ。言ってなにがわかる。
 そういえばアヤノもしつこいやつだった。毎日毎日飽きるくらい話しかけてきて、こっちはあしらうのが面倒で、それもだんだん疲れてきてあいつを受け入れた。
「シンタローさんが好きだから、死んでほしくないんっす」
 それも受け売りか。モモか、マリーあたりにでも言われたのかよ。いや、こいつが来たのもメカクシ団の刺客としてかもしれない。 
「俺は俺の意思で来たんす。本当っすよ。だって俺、シンタローさんのことこんなにも大好きなんすから」
 所詮見えない感情をこんなにもと表現するのは少しおかしい。俺は初めてセトを見た。
「目に見えないことでも、きっと一緒に生きればわかるっすよ。俺の思いも、アヤノさんがどうして死んでしまったのかも」
 ああ、そうか。こいつはもう全部俺の過去を探っていたのか。その上で一緒に生きようとかほざいているのか。
「お前は死後の世界って、信じるか」
 天国、あるいは地獄。そういった科学で証明されていない、人間の精神の安定となっている幻想。
 セトはにこりとした。
「そんなもの、あるわけないっすよ」
 そうか、お前はそう思うか。視界の隅で、刃物が俺を誘っている。
「シンタローさんはあると思う?」
 下からドタドタと音がした。たくさんの声がする。そうか、お前本当に俺が好きなんだな。そんなこと、体力有り余るこいつが喉を潰すまで走って入ってきたとこからわかっていたはずなんだけど。一体こいつは、どこから走ってきたんだろう。俺はかすかに笑った。
「ない。けど、あればいいなと思ってたよ」
 ごめんな、アヤノ。もう少しお前を一人にするよ。

- 1 -


[*前] | [次#]
ページ:



軸索