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 もんもんとした気持ちのまま一週間を過ごした。ずっと犬川さんのことばかり考えていたから、ここ数日のわたしはいつも以上にだめだった。学校があるのに寝坊をするし、ちゃんとやった宿題を持って行き忘れてしまった。お茶菓子屋さんでもぼーっとしてしまって何度も注文を聞き逃したり忘れたりと散々だった。
 考えても考えても、あの日に犬川さんが言ったことがわからなかった。どうしてわたしにあんなことを言ったのだろう。けれど、わたしは、週末には犬川さんのところへ行こうと決めていた。
 鞄には、お父さんからもらったお土産や売るために取っておいた宝石、ありったけのお金にお気に入りのお茶っ葉なんかを入れた。他にも何か持って行こうかと思ったけれど、持ち物が少ないからもうほとんど入れるものがなかった。
 
「こんにちは。犬川さん。」
 お昼過ぎ、わたしはご飯を食べてから彼の家へ行った。もう出ていくのか彼の家の中はすっからかんで、端に机や座布団が避けられていて布団がきれいに畳んであった。
「本当に来てくれたのか。」
 彼は少し驚いたような顔をしていたが、すぐにいつも通りに戻ってわたしの頭を撫でた。
「もちろん。…もしかして、来ちゃだめだった?冗談はやめてよ、わたしはそういうのよくわからないから…。」
「冗談なんかじゃないさ、俺はおまえさんに来て欲しくて言ったんだ。」
 
「なまえ、少し出かけよう。なに、苦労はさせないさ。ただ、俺のそばにいてくれればいいよ。」
 わたしはうんと頷いた。彼はごく自然にわたしの手を握ると、少しばかり歩くよと言って進み始めた。彼が足を止めると、そこには立派な牛車が待っていた。
「なんだかすごいのがあるね。」
 わたしが目をぱちぱちさせながら言うと犬川さんは面白そうに笑った。
「これで隣町まで行こう。」
 犬川さんはわたしの身体を支え先に車に乗せると、御者と話してから乗り込んだ。
「まさか自分がこれに乗るとは思わなかったわ…。」
「車にはよく乗るのか?」
「ううん、ほとんど乗らない。」
 犬川さんは、そうかとだけ言ってわたしを見た。
「ずいぶんと荷物が少ないな。」
「あんまり物を持ってないの。だから今日は楽でよかった。」
 車の中でわたしたちはちょっとおしゃべりをしていたけれど、わたしが途中からうとうとして、彼の方に寄りかかっていた。
「着いたら起こしてやるから寝てな。」
「うん…。ありがとう。」
 犬川さんに頭を撫でられ、重たくなったまぶたを閉じた。
 
 
「なまえ、起きろ。もう着いたぜ。」
 身体を小さく揺さぶられた感覚でわたしは目を覚ました。どうやら町に到着したようで、犬川さんに手を引かれてわたしはゆっくり牛車を降りた。
 隣町には何度か来たことがあったけれど、ここ数年は訪れていなかった。久しぶりに来てみると懐かしい気分になったが変わっているところもたくさんあった。
 外はもう薄暗くなっていて、出歩いている人は多くはなかった。犬川さんは適当な旅籠を見つけて宿を取ると、部屋に荷物を置かせて、腹が減っただろうと、下女に夕食を持ってくるように言った。
 
 ご飯を食べてお風呂に入るとわたしはまた眠たくなってしまった。車の中でも寝たはずなのに、どうしてこんなに眠いんだろう。
「疲れたか?」
 犬川さんはうとうとするわたしの頬を撫でて尋ねた。お風呂から戻ってきた犬川さんは髪を下ろしていてとても新鮮だった。
「ちょっとだけね…。」
 わたしは彼の髪に手を伸ばし、くるくると指に絡めて遊んだ。犬川さんはそんなわたしを見て微笑んだ。
「明日も移動だ。今日はもう休みな。」
 布団を二つ並べて敷き、わたしたちはそれぞれ横になった。犬川さんがわたしをどうこうすることはないとわかっていたけれど、一緒に眠るのは初めてだったのでとても緊張して身体が汗ばむような気がした。しかし、彼がわたしの方へ手を伸ばしてゆっくりとあやすようにして頭を撫でると、心地良くてすぐに意識を手放してしまった。
 
 朝も犬川さんに声をかけられて目が覚めた。わたしが起きるとすぐに下女に食事を持ってくるように言いつけて、わたしの髪を梳かした。
 食事を終えて着替えると、わたしたちは宿を出た。また車に乗って移動する前に、犬川さんは呉服屋で服を買ってくれた。買ってもらうなんて悪いと思いわたしは遠慮したが、自分が選んだのを着て欲しいだとか、遊んでもらったお礼だとか言って結局断れなくなってしまった。わたしは恥ずかしくて、呉服屋でずっと真っ赤になっていた。それに、気を遣わせないようにあんなことを言ったのだろうけど、遊んでもらってお礼をしたいのはわたしの方なのだ。
 
 犬川さんは人混みに紛れて迷子にならないようにわたしの手を握り、歩幅を合わせて歩いた。少し進んだところには、たくさん鉄の馬や車が並んでいて、運転手の人が待機していた。わたしたちの他にも人がいて、みんな自分が乗りたいのを探して借りようとしたり、御者を雇って乗せてもらおうと交渉していたりしていた。こういうのは初めてで、わたしは逸れてしまわないように彼のそばにくっつきながらきょろきょろと辺りを見回していた。犬川さんは目当てのを探していた。
「へえ、これが鬼鉄騎っていうのね。こんなに近くで見たことなかったわ。」
「乗ったことがなかったのか。」
 わたしはうんと頷いた。
「何回か武士団の人たちを見たことがあるよ。いくつもこういうのを持ってた。もうかなり前のことだけど…。あの人たちは鬼退治をしているんでしょう?」
 小さい鬼がごくまれに町外れに出るくらいで、わたしはほとんど鬼を見たことがなかった。女の子たちで遊んでいるとき、一度小さな鬼と遭遇したことがあって、何人かが棒切れで突いていた。わたしたちが観察しているとぴゅっとどこかへ逃げてしまった。
「鬼は小さいやつしか見たことがないけど、もっと大きいのがいるみたいね。」
「とんでもなくでかいのもいるさ。」
「犬川さんは本当になんでも知ってるね。ずっと思ってたけど、犬川さんも武士なの?三振りも刀を差しているじゃない。」
「どうかな。」
 犬川さんはくつくつと笑った。そんなに笑わなくてもいいじゃない。それとも、わたし、何か変なことを言ったかしら。
 彼は納得のいく鬼鉄騎を見つけたのか、近くに座っていた男の人に声をかけて何かを話し始めた。二人が話している間もわたしは周りが気になって、屋根がない種類の馬みたいな鬼鉄騎や近くで高性能らしい鬼鉄騎の説明をしている人を眺めていた。
 犬川さんはお話が終わると、わたしにこの鬼鉄騎へ乗るよう言った。入ってみると中は広く、しっかりしていて、小綺麗だった。後から犬川さんも乗ってきて少しすると、がたがた車体を揺らして鬼鉄騎が動き出した。わたしがびっくりすると、犬川さんは小さく笑った。
「そんなに驚くことじゃないさ。きっとすぐに慣れる。」
 これからどこへ向かうのかわたしは聞いていなかったけど、犬川さんなら素敵なところに連れていってくれるだろう。鬼鉄騎が目的地に到着するまでの間、わたしたちは他愛もない話をして楽しい時を過ごした。
 
2020.10.19




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