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 きっとかわいい娘なのだろう。
 
 平和な町にいた警戒心のない子で、妙な男に絡まれているところを気まぐれで助けてやって、少し良くしてやるとすぐに懐いた。
 父や母とは同じ家で暮らしていないらしく、ときどき遊んでやると大人に構ってもらえるのが嬉しいようで、目をきゅっと細めてこそばゆそうに笑っていた。
 どうせ近くに心配するような身内もいないだろうから、邪魔になったら殺してしまえばいいと思って、くだらない子どもの話に付き合っていた。
 甘い菓子をあげるときゃあきゃあ喜んで、ちょっとからかえば顔を赤くしたり青くしたりと表情がころころ変わってなかなか退屈しなかった。察しも要領もいいとはいえないけれど、愛嬌だけは人一倍あるから「犬川さん、犬川さん」と呼ばれるのにどうも悪い気はしなかった。
 用事が済んであの町を出る時、なんとなく置いていくのが惜しくなって連れてきてしまった。ことの深刻さも理解しておらず、鬼鉄騎に乗るのは初めてだとはしゃいでいたのをよく覚えている。
 この二人だけの生活も長いが、なまえは一度も自分の前で帰りたいと口にしたことはない。
 たぶん、なまえの小さな背中には美しい羽根があるのだろう。柔らかい髪、象牙色の滑らかな肌、肉付きがよく温い身体、子どもみたいな手とささくれ一つない桜色の爪先はもちろん、頬を薔薇色に染めて恥ずかしがる姿や無垢な笑顔は本当に天使のようだ。
 自分に見つけられなければ、この天使はきっと一生あのどうしようもない町で帰ってこない家族を待ち続け、適当な男と結婚してくすぶり死んでいったに違いない。
 痛みのないように、時間をかけて一枚一枚優しくなまえの羽根をもいでいく。いつかこのかわいい娘が自分のもとから離れていかないように。あの土地へ帰りたいなど言わないで。天にも戻っていかないでくれ。嫌がる素振りなんて一つも見せないのだから、きっとなまえだって飛び立てなくなることを望んでいるのだ。
 
 ***
 
 安心しきった顔で眠る愛しい女の子の背中に指を這わせ、自分たちに訪れるはずもない普通の幸せを考えた。
 かわいそうに。
 俺に気に入られなかったら、あの町を離れることも、その綺麗な身体が損なわれることもなかったろうに。
 それでも、この娘が不安も恐怖もなく一番安心して無邪気に笑っていられるのはどうしたって自分の隣なのだと自負していた。そして、他の人間が匙を投げてしまうほどだめな子だって優しく受け入れてやれるのも自分だけだという自覚があった。
 なまえのためならば何だってしてやれるし、何だってできる気がした。
 
「静六さん、どうしたの。」
 なまえがとろんとした目を擦り、ううんと唸った。丸まっていた身体をなおしてこちらを見つめた。行灯の小さな明かりで眼球がきらきらとしている。
「さあ…。」
 ふにふにと耳たぶに触れて後ろを撫でる。ふにゃり、薄い唇はゆるく弧を描く。
「ふふ、なあに。くすぐたあい…。」
 なまえは自分の胸に頬をすり寄せて幸せそうに笑った。
「ね、静六さん。だいすき。」
 応えるように接吻をして撫でてやるとなまえはまたうとうとし始める。はだけた首元から覗く乳白色に不釣り合いな鬱血痕がたまらなくかなしい。
 抱き寄せて崩れた服の隙間から腹を撫でる。ざらり。傷はすっかり馴染み、うっすらと凹凸を残している。
 なまえ、なまえ。俺のかわいいなまえ。どこへも行かないで。他の誰のものにもならないで。
 至極自分勝手な行為だと理解はしているが、この女だけは手放したくない。綺麗なままにしておいて誰かにとられるくらいなら、傷物にしてしまった方がよほどいい。
 いつの日か昏睡状態から目を覚ました時、なまえは俺の夢をみていたと話した。きっと静六さんが一生懸命治療してくれていたからね、そう言って手を握った。弱々しくて、涙が出てしまいそうだった。
 馬鹿ななまえ。一番側にいて信頼している人間がこんなにひどい男だなんて想像すらしたことがないのだろう。今も好きにしてくれと言わんばかりに無防備な姿を晒している。この先も俺を疑うことなく、頬を染め甘えてくるに違いない。その愚かさまで愛おしいよ。

2021.6.10


 

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