灰色の心臓をお食べ




変な味がする。

 盛られたのだと、気づいた時にはもう遅かった。息を吸い込むと同時に鼻の中に甘ったるい匂いが入り込んだ。それは、いつまでも残りそうなほどしつこい匂い。齧ったマフィンの中からどろりと粘度をもった液体が溢れる。刺激的なピンク色だった。痛みを伴って急激に縮む身体、目も開けられない。周りにいる生徒たちが騒いでいる声も遠のいていく。身体を裂くような激しい痛みが突然に消えた時、視界に写る自分の手が一回り以上も小さく見えた。いや、実際に小さくなっていたのだ。薄らと煙が立つその場所から現れた監督生は、少女の姿へと変貌していた。今となってはサイズの合わない制服が身体を覆い隠している。裸をお披露目せずに済んだ。

「ユウ、なのか?」

 デュースが恐る恐るといった様子で、名前を呼ぶ。愕然としていて、伸ばした手が震えている。少女は、ぱちぱちと睫毛を鳴らした。

「うん。私…どうなってる?」
「縮んでる、お、お、女の子だ!髪も長い!」
「ぶなぁー!ユウがちっさくなっちゃったんだゾ!!」

 グリムとデュースが騒ぐ中、エースが監督生の近くに落ちていたマフィンを拾った。直接手に触れないようにハンカチで包むようにして。

「原因は…これだよな。」
「あぁ、そうだな。明らかにそれはおかしい。」
「ハーツラビュルのお茶会でも、こんな毒々しいピンク色のソースは見たことないんだゾ!」

 グリムと監督生は、ハーツラビュルが開くお茶会に何度も招かれていた。同級生のエースとデュースがハーツラビュル寮ということもあるが、寮長のリドルやトレイ、ケイトは監督生に少なからず好意を寄せていた。それは、どちらかというと親愛に近い。恋愛感情ではないと断言しておく。トラブルの渦中におかれ、苦労して解決している様を見ると、どうしても甘やかしたくなるのだという。話は逸れたが、幾度となく開かれてきたお茶会の席でも、このように目が痛くなるような色をした派手なピンクがお菓子やお茶に使われているところを見たことは、一度もなかった。

「毒とまではいかなくても、劇物を盛られていたことに間違いないだろう。」
「ユウ、このマフィン誰からもらったか覚えてるか。」
「…覚えてる。」

 監督生は見た目だけでなく、声まで若くなっていた。透きとおり、庇護欲をそそるような、そんな声だ。見た目相応に性別がはっきりわかる。男子校にとけこもうと必死に努力していた監督生はいない。ここにいるのは、ただの少女だった。少女は、身体の大きさに伴わない衣服に埋もれて肌を外気から隠していた。

「誰なんだ、そいつは。」

 デュースの声音は、友を傷つけられたことへの怒りで硬く響いた。エースも答えを促すように少女を見つめる。

「それは、学園長に自分で報告する。デュース、連れて行って。エースはそれをクルーウェル先生に渡して解毒剤を作ってもらえないかお願いしてもらえる?」

 二人とも、納得のいかない顔をしている。デュースは名を聞いたら今にも駆けだして、犯人を一発殴らないと気が済まなさそうだ。

「誤解しないでね、二人が私の為に怒ってくれていることは嬉しいの。でも、大事にしたくないし、彼にはきちんとした処罰を受けてもらうつもり。」
「…わかったよ、お前がそう言うならそうする。な、デュース。」
「あぁ。ユウがそうしたいなら、いい。」
「そうと決まれば急ぐんだゾ!」

 衣服を整えた少女は、デュースに背負ってもらった。姿は幼くなっても、中身は変わっていない。抱っこして欲しいとは、羞恥心が勝って言えなかった。デュースも小さな女の子に慣れていないのか、緊張してみえた。

「じゃあ、また後でな!デュース、ちゃんと報告しろよ!」
「わかってる!」

 エースとグリムは、クルーウェルに解毒剤を作ってもらう為、錬金術が行われる教室に向かって走っていく。俺たちも行くぞ、とデュースが足早に歩きだす。落ちないようにしっかり掴まりながら、道中、決して誰にも見つかりませんようにと祈った。この姿を見られたら、間違いなく面倒なことが起きるに決まっている。犯人を晒しあげるつもりはない。起こした事の責任をとってもらうだけだ。少女はそっと瞼を綴じる。その裏に、彼の顔が浮かんでいた。問題の発端であるマフィンが入った茶色の紙袋を手渡した時の表情。口元に笑みを携えていたが、それはいつもよりずっと硬く、ぎこちないように見えた。しかし、それを疑問に思いながらも何も聞かなかった。他寮でも、トレイやケイトのように親切にしてくれている先輩だと思っていたからだ。いっそのこと、その場で開けて食べてみせればよかった。そうしたら、薄っぺらい笑顔の仮面を剥いで、彼の本音が聞けたかもしれないのに。

-1-

back / partiality