高層ビルやマンションが立ち並ぶ景色の中で、目的地であるショッピングモールの外装が遠目に見えてきた頃。だんだん近づいていくにつれ、急激に重い罪悪感が足に絡まっていくのを感じた。その要因は当然、期待を露わにして両サイドを歩く二人の弟分たちにある。

「いいか、お前ら。絶対に見つかるんじゃねぇぞ。俺の信用問題にも関わるんだからな」
「あぁ、もちろん」
「俺たちがガストさんの邪魔なんて、するワケないじゃないですか!」
「まあ、それはそうなんだけどさ……」

彼らに悪気がないからこそ無下にすることができず、どっちつかずになってしまうことに歯痒さを感じる。
決して信頼していないわけではない。二人が心から自分を慕ってくれているのは常々身に感じているし、そんな彼らがこちらに不利益を与えるような行為に出ることも、ましてやセレーナに危害を加えるようなこともあるわけがないと、十分理解しているつもりだ。
ただ、彼女の了承もなくこそこそと話を進めてしまっていることに強い後ろめたさを感じて、胸の中でもやもやとしたものが留まっていた。
連絡していた時間より少し早めに着いてしまったが、いよいよショッピングモールの広々とした敷地に足を踏み入れたところで、建物の入り口から少し離れた場所に見知った姿が複数、小さな集団を作っていた。

「あっ、ガストさん!」
「えっ? お前ら、なんでこんなところで集まって……」
「ガストさんの彼女サンが見れるって聞いたんで、来ちまった!」
「はぁっ!?」

早速、アクシデント発生。思わず大声を発してしまい、周囲の注目を軽く浴びる羽目になった。
いつの間にそのような情報が漏れ出たのか。困惑していると、共にここまで歩いてきた弟分の一人が少々気まずそうに笑う。

「はは……気づかれなきゃ問題ねぇって言われてつい、他のヤツらにも知らせちまった。まさか、こんなに来ちまうと思ってなくて」
「おいおい、マジかよ。見世物じゃねぇんだぞ……てか、彼女じゃねぇんだけど」
「だって、みんな気になってたんスよ〜!」

知らない間にそこまで注目が広まっていたのも驚きだが、人数が増えた彼らの好奇心はあまりにも勢いが強くて手に負えない。

「これはさすがにマズいだろ……」

これだけ集まっていればいくら大人しくしていても目立ってしまうだろうし、現に周囲からは腫れ物に触るような、或いはどこか棘を含んだ注目を軽く浴びている。
絶望的な危機感に頭を抱えていると、ふわりと甘い香りが鼻腔に纏わりついた。

「あれ、ガストじゃん!」
「へ?」

最近どこかで聞いた声が嬉しそうに弾んだ。女の声にどきりと体を強張らせて振り返ると、少し前にレッドサウスでも会った二人の女性たちの、ほのかな色めきを乗せた視線が向けられていた。
何やら新たな問題が発生した気がする。

「担当だしもしかして、って思ってたけど、まさかホントに会えるなんてラッキー! ひょっとして、パトロール終わったとこ?」
「あ、あぁ……珍しいな、こんなところで会うなんて」
「たまにはちょっと贅沢しよっかなーって思ってさ。あ、ねえ、もし時間あるならちょっと付き合ってよ」
「えぇっ? いや、悪いけどこの後、大事な約束があるんだよ」
「なんだ、そうなの?」
「えぇーっ、つまんなーい」
「ははっ、どうしても外せない約束なもんでな」

弟分たちもいる手前、すっかり怯み上がった心身を悟られないよう、渾身の愛想笑いを浮かべてどうにかやり過ごした。幸いにも彼女たちは不満げな顔をすれど、そこまで鋭くこちらを見ているわけでもないようで、気づかれることはなかったが。
セレーナのおかげで少しは女性への苦手意識が薄れたのではないかと、近頃はささやかな希望を抱きつつあったというのに、それは錯覚だったのだと呆気なく思い知る。やはりセレーナの持つ空気が特別だっただけなのだろうか。それとも、特別なのは彼女自身だったのか──
また混乱してしまいそうな思考をぐるぐると巡らせているうちに、二人は自分たちのお喋りに夢中になっていたらしい。その隙に弟分の一人が、そっと耳打ちをしてきた。

「ガストさん、まさかこの人が例の……なワケねぇよな?」
「おいおい、その言い方はさすがに失礼だぞ」

彼女たちに万が一にでも聞こえたらと心配したが、杞憂だったようだ。これだけ見るからに不良の男たちが傍で集っているというのに、気にも留めず自ら声をかけてくるくらいなのだから、予め伝えていた人物像とかけ離れているのは確かだが。

「じゃあさ、今度ゴハン行こうよ! しばらく会ってなかったし、久々にゆっくり話したいなぁ」
「い、いや、それは……」

すっかり興味が逸れたかと思いきや、知人の方の女性がねだるように距離を詰めてこちらを翻弄しようとする。無遠慮に腕に触れられたじろぎつつも、彼女の機嫌を損ねずにやんわりと断る方法を、白々と呑まれゆく思考を掻き分けて必死に探す。
せめて視線だけでも他へ泳がせて逃げに徹していると、今最も会ってはいけない彼女の姿が視界に飛び込んできた。

「あっ……セ、セレーナ……」

頭の中が一瞬で真っ白に塗り替えられ、気分が悪くなるくらいに強烈な焦りが腹の底から沸き上がってきた。よりにもよって、今の最悪の状況下で顔を合わせることになるだなんて。
見るからに青ざめている彼女は張り詰めた表情を恐怖に慄えさせ、硬直し立ち尽くしている。

「何? ガストの知り合い?」
「あっ、ひょっとして、あの子がガストさんの……?」
「やっべぇ……」

ざわめく周囲の意識が完全に彼女に向けられ、じわじわと追い詰めていく。彼女を今すぐ庇うべきなのはわかっているが、どう声をかけていいのかもわからず怯むばかりで行動に移せずにいる。
そうしているうちに、彼女は顔を大きく逸らして駆けだしてしまった。

「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
「あ、ちょっと、ガスト!?」

放っておけるわけもなく、その場にいた者たちを置き去りにして、衝動に突き動かされるがままに後を追った。意外と逃げ足の速い彼女だったが、体力にもリーチにも圧倒的な差があるので追いつくのは容易い。ショッピングモールの敷地を飛び出してコンクリートで整備された都会の道を走り抜け、大通りから少し離れてビル群の隙間を通る人通りの少ない路地に入り込んだ辺りで、やっと彼女の腕に手が届いた。

「おい、セレーナ! 待ってくれって!」

細い腕をしっかりと掴んで引き留める。勢いを失った彼女は力なく数歩だけ地面を踏みしめた後、やがて止まった。決してこちらを振り向こうとはしてくれなかったが。

「ごめん。まさかもうあそこにいたなんて思ってなくて……俺の配慮が足りてなかった」

まずは何よりも謝らなければならないと思った。彼女を傷つけたのは己の慢心だ。

「私のことは、どうか気になさらないでください。それよりも、せっかくみなさんとご一緒でしたのに、あちらにおられなくてよろしいのですか?」

なのに、彼女は頑なにこちらを気遣おうとする。それは優しさにも捉えられるが、一種の拒絶にも思えて胸が不穏にざわめいた。いつもなら柔らかく心を包み込んでくれる優しい声に暗い翳が脅かしているのも、そう感じる原因の一つだろう。

「そんなの、あんたを放っていられるわけねぇだろ? 元々あんたと約束してたんだしさ。……それに、こんなに震えてるあんたを一人にしたくねぇし。怖かった、よな」

怯む喉を震わせながら、彼女の腕を掴む力は決して弱めなかった。解いた瞬間、項垂れていつにも増して小さく見える彼女が消えてしまう気がして。

「私、すごくショックだったのです」
「うっ……ご、ごめん……」
「こんなにもアドラーさんに優しくしていただいて、たくさん仲良くしていただけて、アドラーさんは決して怖い人などではないと知っているはずなのに……不良のみなさんだけでなく、あの場所にいたアドラーさんまで遠くて怖い存在に感じてしまって」
「えっ?」
「私には、アドラーさんに守っていただく資格などありません」

今回ばかりは酷く責められて当然だと覚悟していたのに、彼女が責めているのは自分自身だった。まさか彼女にとっては地獄であるはずのあの状況においても、他人の思いを優先するとは思わなくて、拍子抜けすると同時に危うさを感じた。

「そりゃあトラウマになっちまうくらい怖い目に遭わされたんだから、あの状況じゃそう感じるのも仕方ねぇと思う。そもそも配慮してほしいって手紙書いてまで言ってくれてたのに、できてなかった俺の方が悪いんだし。あんたがそこまで自分を責める必要なんて、どこにもねぇだろ」
「人様に配慮をお願いしておいて、それにいつまでも甘えてばかりいるわけにはいきませんから。私だって、できる限りの努力をしなくては」
「……あんたって、本当に真面目だよな」

あくまでも自分の足で真摯に対峙しようとする姿勢に感服しつつ、そうして自らを追い詰めてしまっていることへの皮肉も混ぜて小さく呟いた。もっと甘えてもいいくらいなのに。胸中でもどかしさをこぼしていると、彼女の声色はまた一つ深く沈んだ。

「今までが、人の優しさに甘えすぎたのです。男の人を見る度に怖いといって、家族の後ろに隠れてずっと逃げて……みんな嫌な顔をせず優しく守ってくれていたけれど、確実に多大なる負担をかけていたはずですから。もういい大人になったのですし、さすがにこのまま人を頼りにしてばかりではいられないかと……」
「うーん……あんたの考えはすげー立派だと思うけど、ちょっと気負いすぎじゃねぇか? 焦って無理したって、いつか潰れちまうだけだぞ?」
「え……」
「お、やっとこっち向いたな」

責任感や罪悪感など何もかも背負い込んで必死に足掻こうとする姿がさすがに痛ましく見えてきて、堪らず口を出してしまったが、首を捻らせて振り返った彼女の顔は唖然としていた。頬には濡れた跡が残っていたけれど。
ようやく向き合えたことに、少しほっとする。このまま彼女の背に食い込むものを下ろしてやれるように気楽さを装い、それでいて真摯にアクアマリンの瞳を見据えて訴えかける。

「いいか? 世の中にはあんたと違ってビビって逃げたままなヤツだっているし、人に迷惑かけまくっても人のせいにしたりふんぞり返ってる大人だっているんだ。それに比べて、あんたの志は綺麗すぎるっつーか……」
「そう、なのでしょうか」
「あぁ。それに、あんたは十分過ぎるくらい真っすぐに向き合えてるし、ちゃんと前に進めてると思うぜ。なんたって、どんなに怖いって思っても諦めずに、俺なんかと仲良くしようとしてくれてるんだからな」

こちらの言葉がそれなりに響いたのか、彼女の表情が迷いに揺らぐのが見てとれた。

「……実は俺も昔色々あってさ、女の子と接するのが苦手なんだよ」

もっと彼女に信じてほしい。もっと彼女に自信を持ってほしい。そう強く願うあまり、今まで怖じ気付いて告白できなかった自身の事情が、気づけば口を突いて出ていた。
一瞬事実を呑み込めなかったのか、彼女は数拍の間きょとんとしていたが、遅れて理解したらしくやがて大きく驚愕した。

「え……ええぇっ……!?」
「いやぁ、あんたが色々打ち明けてくれてからいつかは言おうと思ってたんだけど、タイミング逃してたんだよなぁ」

妙な気まずさから首筋まで皮膚に駆け上がるむず痒さを指先で掻き消しながら、あっけらかんとした態度を装う。とっさに浮かべた笑みは苦々しいものになってしまったが。
一方、呆けていた彼女は次第に激しい焦りに打ち震え、こちらの顔色を恐る恐る窺い始めた。

「ということは……わ、私、アドラーさんのことを何も知らずに、色々と我儘を押し付けてしまっていたのではっ?」
「あ〜、やっぱそういう反応になるよなぁ。うん、予想通りの反応だ。今まで言わなくて正解だった」
「あ、あの〜……?」

優しい彼女のことだから気遣って遠ざけてしまうのだろうと懸念して言えずにいたが、まさに思い描いていた光景を目の前にして自らの判断は正しかったのだと確信した。せっかく多少の無理をしてでも心から仲良くなりたいと思える女の子に出会えたのに、それでは意味がない。
きっと取り繕った言葉では信じてもらえないだろうから、今まで必死に隠してきたあられもない本音を吐露する決意を固める。

「正直、あんたに対しても最初はめちゃくちゃ緊張してビビっちまってたんだ。ま、あんたと違って女の子の存在自体が怖いってワケじゃなかったんだけどさ……いや、関わらないに越したことはないのは確かだったんだけどな」
「とてもそんなふうには見えませんでしたが……」
「え、マジで?」
「その……アドラーさんはとても親切で人付き合いもお上手なイメージがあったものですから、すごく意外でした」
「ははっ。俺、役者にでもなろっかなぁ」

よく人からその手のイメージを抱かれることはあるが、改めて彼女の純粋な口から聞くとなんだか照れくさくて、軽く茶化して落ち着かない気分を自ら誤魔化した。

「でも、あんたも俺が怖いって言いながら逃げずに一生懸命向き合って、俺の言葉に真剣に耳を傾けてくれて、ちゃんと俺のこと理解しようとしてくれただろ? それがすげー嬉しくてさ、俺も勇気出して全力で応えようって思えたんだ。今も全く緊張してないってわけじゃないけど、あんたじゃなかったらこんなことまで安心して話せてなかっただろうな」

気恥ずかしさはあっても、不思議と不安はなかった。彼女なら嘲笑ったり揶揄うこともなく、優しい顔で受けとめてくれると信じていたから。

「……理解しようとするのは当然です。アドラーさんは、私にとってのヒーローなんだもの」

だけど返ってきたのはそれ以上の反応で、緩やかに解けた口調に乗せられた言葉はとても無邪気に輝いていた。至極嬉しそうに笑う彼女の顔が、今まで見てきたものよりもずっと屈託なく柔らかくて。その中に秘められた純粋な信頼を見出した瞬間、固く絆されてしまった。

「苦手でも危ないところを助けてくださったり、そのような素振りも見せず私の我儘にお付き合いくださっていたのだから、アドラーさんはやっぱりとても優しくて頼もしい人です。そんな貴方だから、私、お近づきになりたいって思えたのかも」

彼女は胸元で指を組み、胸中に抱えた事実を大切に愛おしむような眼差しで、そして声色で深く噛みしめる。その表情がとても慈悲深くて汚れなく綺麗に見えて、胸の高鳴りを感じた。
身も心も得体の知れない熱に浸されて、少しだけ息苦しくて、どうしようもなく様々な衝動に襲われる。彼女を笑顔にしたいだとか、守ってやりたいだとか、一秒でも多く一緒にいたいだとか、そんな可愛いものだけでなく。これがもしも恋だというのなら、いつからこの胸に芽生えていたのか。今となってはもう、始まりなど曖昧で見つけだせやしなかった。







「──そういえば、ガストくんとデートする約束したんだって?」

一瞬、あまりにも唐突に話を振られたものだから、何を言われたのか理解が追いつかなかった。

「はっ……はい!?」
「あれ、ジャクリーンが楽しそうに話してくれたんだけど、違った?」
「ジャクリーンったら、もう〜」

つい今し方まで研究結果の報告を真剣な面持ちで聞いていたノヴァは、怪訝ながらすっかり気の抜けた顔を傾けていた。
確かにジャクリーンには一緒に出かけることを話したけれど、まさかそのように曲解されていたとは。おませなロボットの突飛な発想に頭を悩ませつつ、せめて目の前の誤解は訂正しておくべきだと思った。

「デートではなく、一緒にお出かけするだけなのですけれど……」
「それを世間一般ではデートって呼ぶんじゃないの?」
「いえいえ……だって、決してお付き合いしているわけではありませんし」
「そうなのっ? 最近のセレーナちゃんはすごくご機嫌っていうか、なんだか今までで一番キラキラして見えるから、てっきり付き合い始めたのかと思ったんだけどなぁ」

疑わしげに軽く眉を寄せる彼の指摘に、また一つ動揺を与えられて狼狽える。

「そ、そうでしょうか……私としては、そのようなつもりはなかったのですけれど」

ガストと一緒に出かけられるということで少しは浮かれていたかもしれないが、だからといってそれをジャクリーン以外に言い触らすことはなかったし、あからさまに表に出すようなこともしなかったはず。それに彼の表現は大げさに感じられて、素直に信じることができない。

「もしかして、自分で気づいてないの? ガストくんのこと話してる時やガストくんと会った後のセレーナちゃん、すごく幸せそうな顔してるから、見てて本当に好きなんだなぁって伝わってくるんだよね〜」
「えっ……す、好き、というのは……どういう、意味で……」
「それはもちろん、恋っていう意味だよ」

明確な実体を持つ名を曖昧だった心に沈ませたノヴァの顔は、とても優しく微笑ましげだった。無垢だったはずの情があっという間に淡くて甘い色に染め上げられて、自分の中に在る感情なのにそれを我が物として受け入れられず、戸惑いを覚える。

「こ、恋、だなんて……そんな……そんなこと、あるはずが……」

彼のことを深く知りたいという願いも、一緒にいたいという我儘も、何もかも。今まで彼に抱いてきた想いが全て形を変えていく。認識が追いつかずに思考回路は混乱し、オーバーヒートするかのように顔が高熱を帯びて、次第にぼんやりと意識が遠退いて──

「セレーナちゃん!?」
「はっ!」

ノヴァの慌てた声がすぐに引き戻してくれたはいいが、致命的な問題を前に力なく膝を折ってしまう。

「ど、どうしましょう……私、アドラーさんに合わせる顔がありませんっ……!」
「えぇっ!? おれ、余計なこと言っちゃったかなぁ〜?」

せっかく今度こそ心を通わせ合えたと思ったのに。得体の知れない恋心を前にどうすればいいのかわからなくて、きっとこのまま彼と顔を合わせたところでまた彼を困らせてしまう予感しかなく、ただただ頭を抱えた。





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