じわりと体を浸すアルコールの熱に煽られ、ずっと成長を見守ってくれていた【HELIOS】の保護者たちに背中を押された夜、ジェイと一緒にタワーに帰るとすぐにスマホを操ってガストにメッセージを送ってしまった。今の勢いに身を任せておかなければ、また勇気が引っ込んでしまうかもしれないと思ったから。

『今日はお話の途中で逃げてしまい、申し訳ございませんでした。またお時間のある時に、改めてお話がしたいです』

夜も深まってきたし、そろそろ消灯時間になる。帰ってきた時には、タワー内を行き交う関係者たちの姿ももうすっかり疎らだった。もう就寝しているかもしれないし、返事が来るのはきっと明日になるだろう。
スマホをデスクに置いて、ひとまずシャワーを浴びる支度をすることにした。が、途中でスマホがひとりでに音を鳴らし、びっくりして手を止めてしまった。返事が送られてくるにはさすがに早いだろうし、恐らく差出人は母か姉だろう。そう思いながら明るくなった画面を覗き込むと、そのまさかの名前が表示されていてぎょっとした。

「ひょっとして、起こしてしまったかしら」

罪悪感に身を強張らせつつ、恐る恐る人差し指を画面上に滑らせてメッセージを表示させる。画面に出てきた文は短い一言だったが、的確にこちらの心臓を掴みとるものだった。

『セレーナさえよかったら、今話したい』

相手の顔がわからないからこそ悪く捉えてしまう、きっと怒っているのだろうと。ここ数日ずっと避けていた上に、話の途中で他者を使ってでも逃げ出してしまったのだから。
しかし早くても明日にはなるだろうと践んでいたのに、今すぐとは。確かにこちらも今すぐに会いたいなんて気が逸っていたけれど、さすがに心の整理が追いついていない。でも、また有耶無耶にしてしまうわけにもいかない。
ただ、話すにしても施設内は消灯されてしまっているだろうから、二人で屋上へ出向くか、或いはここに呼び出してしまうかといった二択が浮かぶ。どうしたものか、しばし悩んだ結果。

『では、屋上でお話しませんか?』

一方的に呼び出すのも悪い気がして、屋上を選んだ。それほど飲まなかったし帰り道で大方酔いは覚めたと思うが、夜風にあたって開放的な気分になった方が上手く話せるかもしれないと期待を抱いて。
やがて、またスマホが音を鳴らす。そして表示された了承の一文を確認してすぐに、覚悟を据えてラボを飛び出した。



昼間とはがらりと様変わりして、優しい光を灯す月と煌めく星たちを散りばめた暗闇が天を支配し、頬を撫でる風もずっと冷たく感じられる。この調子なら、酔いも覚めてしまうだろうか。
静寂に包まれた屋上を遊歩していると、少し離れた背後で微かに足音が聞こえた。

「セレーナ」

名を呼ばれた瞬間、どきりと胸の鼓動が過剰に反応した。一つ深呼吸をしてから踵を返すと、待ち人がやや緊張した面持ちでゆっくりと歩み寄ってくる。
さすがにもう就寝前だったのか、いつもの制服ではなくゆったりとした部屋着に着替えられていた。不思議とそれだけで、職場の同僚としてではなく一人の青年としての意識が強まって、妙に落ち着かなくなる。

「悪いな、こんな時間に」
「いえ、こちらこそ。起こしてしまったのではないのでしょうか」
「いやいや、俺もさすがにそこまで良い子じゃねぇから、まだ起きてたよ。そういうあんたこそ、まだ起きてたんだな」
「私は……ジェイさんとリリーさんに誘われて、お酒を飲みに連れて行っていただいていたので」
「そ、そうなのか」

恋愛相談に乗ってもらっていたとは言えず、やんわりと端的な事実だけを絞って告げると、なんとも微妙な反応をされてしまった。何か告げ口でもしたと思われただろうか。そのようなことは一切ないのだけれど。
すぐに途切れた会話に続く沈黙が痛々しく感じ、必死に思考を働かせて言葉を探す。ひょっとしたら長話になるかもしれないからと気を利かせて、ジャージ越しでもわかる逞しい男の腕を控えめに掴む。と、彼の体が小さく跳ねた。

「あの、あちらに座ってお話しませんか?」
「あ……あぁ」

ガストがぎこちなく頷くのを確認してからするりと手を解いて、指したベンチへと辿々しい小走りで先を行く。その瞬間、彼の腕が解放から抗うようにこちらへ伸ばされようとしたのは、きっと気のせいだろう。

「……なぁ、昼間にジェイが言ってたことなんだけど」
「えっ?」

あと数歩でベンチに届くといったところで、背後から痺れを切らしたように話を切り出されて足が竦んで止まってしまった。首を捻って振り返ると静かなる熱のこもった眼差しにじっと捉えられ、肩がいやに強張った。

「その、セレーナが最近恋して悩んでるとか何とかってやつ。あんたが俺を避けてたのって、その話と関係あるんじゃねぇのか?」
「そ、それは……」

真っすぐに核心に触れられ、ひやりとした衝撃が体を駆け抜ける。まさかもう気取られてしまっただなんて。次第に心臓の音が激しくなり、なんだか気分が悪くなってきた。
この状況で上手く隠し通せる度胸など持ち合わせていない。返す言葉が見つからず、彼の視線から逃げるように顔を背ける。これでは秘めたる片想いを楽しむどころか、今まで築き上げてきたものが全てが崩れてしまう。胸元で自らの手を慄える指先でぎゅっと握りしめ、まだ終わりたくないと強く祈る。

「もし俺があんたの恋の邪魔になるようなら、遠慮なく言ってくれ!」
「………………はいっ?」

何を言われたのか、理解が追いつかなかった。無意識に彼の言葉を拒絶しようとして、なのに想定していたものと全く違う内容が流れていったものだから、思わず耳を疑って振り向いてしまった。
至って真剣に構えていた彼も、見当が外れて拍子抜けした様子。

「あれ、違った……のか? てっきりあんたは優しいから、俺に遠慮して言えずに悩んでたんじゃねぇかなって思ったんだけど」
「えぇっ!? 全然違います! 私、アドラーさんがいいのに!」
「へっ……!?」

知らない間にとんでもない誤解をされていたらしい。そのようなことで彼に気遣われるのがあまりにも許せなくて、慌てて力強く否定した勢いで余計なことまで口走ってしまった。
彼の面食らった顔がますます焦りを強烈に掻き立てる。

「あっ……いえ、今のは変な意味ではなく、あの、と、とにかく、ジェイさんがおっしゃっていたことは誤解だったといいますか、そもそも私には恋など無縁の話ですし、アドラーさんは何も気にしなくて大丈夫ですので……!」
「そ、そう、なのか……? でも、だったらなんで俺のこと避けてたんだ?」
「それは……先日、ノヴァ博士にアドラーさんと遊びに行くことになったことを話に振られたのですが、それはデートじゃないのかって言われてしまって……その、途端に恥ずかしくなったものですから」

とっさにでっちあげた言い訳だがあながち嘘でもない、そもそもの発端がそういう話だったのだから。ただし、最悪の事態は回避できても、これでは結局恥を晒していることに変わりない。そう気づいていたたまれなくなったのは、弁解し終えた後のことだった。

「もしかして、なかなかメッセージ返してくれなかったのも、本当はそれが原因だったのか……?」
「も、申し訳ございません!」

我ながら、またとんでもなく暴走して彼を振り回してしまった。堪らず頭を深々と下げると、頭上で清々しい笑い声があがった。

「なんか俺たち、こんなんばっかだな」
「そ、それは……私のせいで……」
「いやいや、俺も勝手に思い込んじまうところあるからさ。ま、お互い様ってことだな」

おどけた調子で慰めてくれる懐の深さに救われて頭を上げると、それは嬉しそうに満面の笑みを向けられた。まさに見たいと望んでいた笑顔に、芯から気が安らいで涙が滲みそうになった。
彼はやがておもむろに再び歩きだし、ベンチの奥側に腰を下ろすと指先でトントンと叩いて隣を促す。

「ほら、こっち」
「は、はい!」

舞い上がった気分を抑えられず、軽やかな足取りで彼の下へ駆けた。そしてただ隣に座っただけなのに、心が幸せに満ち足りていく。それはきっと、こうして傍にいることを優しく受け入れてくれるからなのだろう。
彼はふと寡黙に広がる星空を仰ぐと、ほんのりばつが悪そうに心の内を吐露する。

「でも正直、かなり安心した。あんたに好きなヤツがいるかもって知った時、実はちょっと焦っちまったんだよなぁ」
「えっ?」

思わせぶりな言葉に意表を突かれ、真意を探りたくてその横顔を凝らして見つめる。と、期待を疼かせた瞳が熱心にこちらを向いた。

「さっきの、そのまま信じていいんだよな? その、俺がいいって……」

有耶無耶にしたはずの言葉を掘り返され、小さく狼狽える。そんな真っすぐな瞳で見つめられたら絆されてしまって、想いを誤魔化すことなどできなくなる。
息苦しく引き締まった喉は言葉を紡ぐことができなくて、ただ頷いて応えると、彼の表情は至極温かく溶けていった。

「そっか」

そんなふうに困惑するどころか嬉しそうに受け入れられては、もしかしたらと一縷の可能性を抱く己の浅はかさを知る羽目になる。いつかこの恋を打ち明けた時、彼は快く応えてくれるのではないかと。
だからといって、今はその先へ手を伸ばす余裕などなく、ただ異常に反応して壊れだす胸の鼓動と体内を奔走する熱に耐えきれずに、目眩がして隣へと傾れ込んだ。

「セ、セレーナっ!?」

彼がびくりと体を大きく揺れ動かして狼狽える一方、ふわりと心を擽る彼の匂いと体温をこの身で直に感じ、酔いを覚ますどころか立ち直れなくなってしまいそうだった。

「な……仲直りの、しるしです……」
「あれ、俺たちって喧嘩してたのか? いや、まあいっか」

苦し紛れの口実も、ただ軽やかに笑って受け留めてくれる。そんな彼だから、どんなに失敗しても安心して一緒に居続けられるのかもしれない。
刺激的に感じていた彼の温もりが、次第に自らの体に馴染んでいく。すると途端に心地良くなってきて、微睡みに意識が浮かされてだんだんと瞼が重く落ちる。

「なぁ、セレーナ。俺も、あんたが──」

服越しに触れ合う肌を伝って、彼の声が体内に優しく響く。けれど、そこに乗せられた言葉を認識するだけの意識はもうなく、間もなく完全に途切れてしまった。







「俺も、あんたがいいなって思ってるんだぜ」

彼女が切実に吐き出した言葉に触発された想いは手に負えないほどの高ぶりを見せ、抑制できずに唇から熱を持って溢れ出てしまった。もう取り返しはつかないだろう。それでも、不思議と覚悟を決めるのにそれほど畏れはなかった。たとえ先程ぶつけてくれた言葉に秘められたのが同じ種類の感情でなくても、彼女ならきっと優しく微笑んで受けとめてくれるかもしれないと、身勝手な信頼を寄せてしまっていたから。
なのに、この腕にもたれかかる頭は一切反応を見せないどころか、微動だにしない。まさか、自惚れだったのか。本当は、友として以上の情など厭わしいだけだったのかもしれない。急激に底知れない不安に襲われ、堪らず彼女の顔色を窺おうと覗き込むと、瞼を閉じて小さく寝息を立てている彼女を目の当たりにして一気に脱力した。

「なんだ、寝ちまったのか……」

たった今費やした勇気と覚悟を返してくれ。などと理不尽な不満を心の内でぶつけつつ、実のところ胸を撫で下ろしていた。
次第に冷静になっていく思考は元の慎重さを取り戻し、居心地の良い今の関係を不用意に崩すべきではないと判断した。それは、精いっぱい向き合ってくれる彼女のために。そして、こうして柔らかく寄り添ってくれる温もりを失いたくないという、臆病な自分自身のために。
もしもその耳がこの想いを聞き取っていたなら──真面目な彼女のことだから無下にもできず、受けとめきれずにただ混乱させてしまっていたかもしれない。そこにある情がどうあれ、彼女が自分を一番に選んでくれているという事実が知れただけで、何よりもの安心を得られた。
夜風の冷たさから守るように分け合う体温を過敏に感じて、心臓がずっと強く叫び続ける。なのにその存在が恋しくて、もっと近づきたくて、抗うことなく自らの体重をほんの少しだけ、無防備を晒して眠る彼女の体へと委ねた。より深く触れ合う温もりは、甘い毒のようにじわじわと体内を芯まで熱く浸していく。
風邪を引かせてはいけない。早めにラボへ運んでやった方がいいだろうとは思いつつ、まだもう少しだけこの愛おしい時間を味わっていたくて、動けずにいた。







昨晩は屋上で寝入ってしまったはずだったのだが、目覚めたらラボの仮眠用ベッドに横たえられていた。きっと彼が運んでくれたのだろう。また一つ世話になってしまったと反省しながら、起きて早々に謝罪と礼をスマホのメッセージで送っておいた。
意識が途切れる間際、何か大切な話をされようとしていた気がするけれど、よく憶えていない。また顔を合わせた時にでも確認しておかなければ。
そして、朝の支度を済ませてノヴァのラボを訪れると、それはもう泣き落とす勢いで謝り倒されてしまった。

「おれのせいで二人が破局しちゃったらどうしようかと思って、ほんと〜にすっごく焦ったんだよ〜! はぁ、よかったぁ」
「破局って……ですから私たち、お付き合いなどしておりませんから」
「あれ、そうだっけ?」
「もう〜、話をふりだしに戻さないでください!?」

ジェイも言っていたとおり、よほど責任を感じて落ち込んでいたらしい。もう大丈夫だと告げても、この有様だ。

「セレーナちゃま、ガストちゃまとラブラブになったノ?」
「そ、そうじゃなくて」

ノヴァの言葉を真に受けたジャクリーンが、無垢な視線をこちらへ注いでくる。このおませな淑女はそれこそ悪意なく誤報を他へ流してしまう疑いがあるのだから、ノヴァよりも危険な存在だ。念入りに訂正しておく必要があるのだが、ラブラブという言葉に体がどうもむず痒く反応してしまって、上手く返せなかった。
この中で最も正確に話の流れを理解してくれているジャックも、微笑ましげに声を躍らせる。

「この調子ナラ、セレーナも一緒に次の【LOM】を見に行けそうデスネ」
「次の【LOM】?」
「あぁ、うん。セレーナちゃん、今まではなかなかラボから出ようとしなかったけど、この前のルーキー戦は見に行ってたでしょ?」

先月のルーキー戦の際に仕事の合間を見つけてラボを抜け出していたことを、いつの間にやら知られていたらしい。ジャックかジャクリーンにでも見られていたのだろうか。そして、彼らの言わんとしていることをようやく察した。

「お友達がサウスセクターに配属されたので、その勇姿を見に行っていたのですけれど……」
「あれ、ガストくんを見に行ってたんじゃなかったのっ?」
「えぇ。アドラーさんの方も気になってはいましたが、その前に応援しに行くとアキラたちと約束しておりましたので」
「なんだ、そうだったのかぁ。じゃあ、今回は一緒にノースを応援しよっか」

妙に浮ついた声で誘われ、気恥ずかしさを覚えた。そこに込められた真意はわかっている。ノヴァに言われるよりも前に、自分でもそうしようと考えていたのだから。

「はい」

素直に頷くと、彼らは揃って嬉しそうに笑った。彼らなりの厚意であることは理解しているし、一人で行くよりも彼らと一緒にいた方がきっと気が楽だろうから、期待をひっそりと胸に育みながらありがたく受け取ることにした。






top