「そういえばオマエ、アイツとまだ馴れ合ってるのか?」
「へっ?」

唐突に投げられた問いかけに理解が追いつかず、思わず間の抜けた声を発した。二度と口を利かないと言われたから黙ってやっていたのに、同じテーブルにいるにも関わらずただ黙々と過ごす寂しい夕食を終えた頃、何食わぬ顔で口を開いたのはマリオンの方だった。
傍らからじろりと淡泊な視線を受け、これは素早く答えなければまた機嫌を損ねると危惧して改めて思案してみたが、彼の意図する人物に思い当たらず聞き返す羽目になる。

「あ、アイツって……?」
「あの、泣き虫女だ」
「…………もしかして、セレーナのことか?」

また一回で理解しろと怒られるのではと覚悟していたが、意外にもこちらではなく示唆された人物への棘を声に含ませながら、素直に答えが返ってきた。泣き虫と言われて思い浮かんでしまったのは申し訳ないと思いつつ、恐る恐るその名を口にすると、ほのかな幼さを残しつつも凛とした目元がぴくりと不機嫌に動く。

「アイツ、昔からちょっとしたことですぐ泣いてたからな。ボクが何か言う度にいちいち泣かれて鬱陶しかった」
「そ、そんなに言ってやらなくてもいいだろ。あの子にだって、色々事情があったみたいだし」
「そんなことはわかってる。だからノヴァにも言われて、ボクなりに大目に見てやってたんだ。なのにアイツときたら、大人になって少しはマシになったかと思ったけど、くだらないことでいつまでもウジウジ悩む癖は昔から変わってない。まったく、いい加減成長したらどうなんだか」

腕を組んで冷ややかに吐き捨てられる悪態は聞いていて気分の良いものではなく、セレーナを守ろうとしてやんわりと反論してみたものの、ますます険しく顔を顰めて小言を浴びせられてしまった。
なるほど、これだけ容赦がなければセレーナも苦手意識を芽生えさせるはずだと、先日の言い分を思い出して納得した。もしかすると、彼女がやたらと自立を焦っているのはこの男にも原因があるのではないかとすら思えてきて、悶々とした蟠りを抱える。あれだけ必死に自らを追い詰めてまで恐怖の中で足掻く様を見ている側としては、せめてその姿勢は認めてやってほしいと願ってしまう。

「う〜ん、お前の評価はちょっと厳しすぎるんじゃねぇかなぁ。昔のことはよく知らねぇけどさ、あの子なりに頑張って前に進もうと努力してるってのは、俺にはちゃんと伝わってきてるぞ?」
「……オマエ、やけに庇おうとするな。そんなにあの女が好きなのか」
「えぇっ!? い、いや、その、すすすすす好きだなんて、そんなことはっ……!」

鋭い指摘に意表を突かれ、激しく動揺を露わにしてしまった。まさか今の会話だけで好意がばれるとは思わなかったが、或いは最初から知られている可能性も浮かび上がり、羞恥に心底慄えた。
冷淡な眼差しは呆れの色を帯びて、なおもこちらを見つめている。

「キモチワルイ反応をするな。大体、そんなに偉そうにアイツを語るくせに、なんで手紙の返事に十日もかかるんだ?」
「な、なんでお前がそんなこと知ってるんだよ!?」
「アイツが手紙を書くことになった経緯も、返事が来なくてこの世の終わりみたいな顔で絶望してたのも、ノヴァのラボで全部見てた」
「ノヴァ博士のラボで!? うぅ……それってつまり、お前もドクターもノヴァ博士も、みんな最初から知ってたってことかよ……」

さらりと流れるように語られる真実に、いたたまれなくなって力なく項垂れる。恥晒しもいいところだ。同時に、知っていたならもっと早く彼女の様子を教えてくれたら傷つけずに済んだのに。と、あまりにも身勝手な責任転嫁だと理解しながらも少しばかり恨んでしまった。
そんな心の声を知ってか知らずか、マリオンは涼しい顔で一蹴する。

「別に知ってたところでオマエたちに干渉する気なんてさらさらないし、ボクには関係ない話だ。……まあ正直、アイツがオマエみたいな荒っぽいヤツにそこまで執着するのは意外だったけど」
「しゅ、執着って……」
「今までのアイツだったらわざわざ自分から近づく度胸すらなかっただろうに、オマエのことに関してはやたらとウジウジ悩むくせに諦めが悪い。よっぽどオマエが気に入ったんだろうな」

皮肉たっぷりに言い放たれた言葉だったが、こちらの心を擽るには十分だった。ジャクリーンがよくセレーナのことを教えてくれるけれど、それよりもずっと客観的に洗練された視点から語られる彼女の様子には信憑性が増して、それほどまでに自分のことで頭の中をいっぱいにしてくれているのだと思うとすっかり舞い上がってしまう。
無意識に締まりのなくなる唇を片手で覆い隠していると、向かい側で不快感を露わにした声が戦慄する。

「ニヤニヤするな、キモチワルイ」
「えぇっ。俺、今そんな顔してたっ?」

また恥を垂れ流してしまった。慌てて緩みきった表情筋を引き締めようとしたが、蔑む視線が痛々しく突き刺さる。やがてマリオンは浅い溜息を吐くと、おもむろにこちらから視線を外して立ち上がり、自らの分の食器を纏めてシンクへと運びだした。

「……あの女、少なくとも感性はそんなに悪くないと思ってたけど、男の趣味は最悪だな」

一言、どちらに向けられたものなのか掴みかねるような批判を言い残して。

「ひ、ひでぇ……」

恐らくは両方なのだろう。華奢に見えるその背中に向かって嘆くも、食器を洗い流す水の音に虚しく一緒に流されてしまった。
とはいえ、マリオンの目にはそう映っているのだと思うと、そこまで悪い気はしなかった。セレーナの好みの対象が、自分に向いているだなんて。自惚れとは恐ろしいもので、また口元に力が入らなくなってくる。今度こそマリオンに見られたら鞭が飛んできそうだと、ひとまず気分を落ち着かせることに徹した。

「それにしても、お前らってそんなに昔から知り合いだったんだな」
「アイツの父親がここの研究員で、アイツが幼い頃からよく研究所に連れてきていた。なんでも、アイツの味方になってくれる大人を増やすためだとか言ってたけど」

また無視されるかな、と期待せずにふと思ったことを投げかけてみると、案外あっさりと答えが返ってきた。

「あぁ、そういやそんなこと聞いたっけな。セレーナの父親って確か、オズワルド博士に師事してた優秀な科学者なんだっけ」
「……ヴィクターは言わなかったが、アイツの父親も助手として実験に関わっていた」
「えっ、そうなのか?」

片付けを終わらせて戻ってきたマリオンは、あくまでも平然とした態度で思わぬ情報を口にしながら、ソファーに再び腰を落ち着かせた。
思い出すのは先日、パトロールの休憩中にブルーノースのショッピングモールで出会った彼女と、帰り道を共に歩いたあの時。何気ない話の流れで、彼女が科学者になったきっかけを聞いた。

『私、幼い頃から父に憧れていて。人々の生活がより豊かなものになるように、そして、最前線で戦ってくださるヒーローのみなさんが、より安全に街の平和を守れるように。みんなの幸せのために日々研究に励む父の姿がとても素敵に見えて、私もそんなふうになりたくて同じ道を目指すことにしたのです』

あまりにも希望に満ち溢れた笑顔で誇らしげに語る姿は、とても綺麗で眩しく見えた。たとえば、父親が倫理に抵触する恐れのある実験に加担し、綺麗事に収まるような世界にはいなかったとか。そのような後ろ暗い事情とは無縁だと思わせる純粋な輝きが、そこには秘められていた。その影で、こちらが一抹の罪悪感を胸の内に漂わせてしまうくらいに。

「セレーナは当然、知らねぇんだよな……?」
「関係者の身内といえど、部外者であることには変わりないからな。言っておくが、アイツにうっかり口を滑らせるようなことがあればタダじゃおかない」
「わ、わかってるよ」

そんなに口が軽いと思われているのか、あからさまに警戒心を強められるものだから思わずたじろいだ。心配しなくても、セレーナを傷つけてしまう恐れだってあるというのに、軽率に言い触らせるわけがない。そう主張してやりたかったが、また何か勘繰られても困るので大人しく呑み込んでおくことにした。

「ところでそのメーア博士って、どんな人だったんだ?」
「滅多なことでは取り乱さない、穏やかで優しい人だった。ノヴァや如月シオンもよく慕っていたな。……ボクも、あの人のことは嫌いじゃなかった」

平静を取り戻したマリオンの声は、相変わらず淡々としているようでどこか懐かしさを含んでいる。他人には基本的に当たりが強い彼でも、ノヴァやジャックたち以外の他人に対してそのような穏やかな表情をするのだと拍子抜けした。

「へえ。お姉さんはむしろセレーナとは真逆って感じだったけど、セレーナは父親の方に似たんだな」
「ただ……そんなあの人も、娘が誘拐された時は相当取り乱していたようだけど」
「そりゃあ大事な娘が危険な目に遭わされたんだ、取り乱すのは当然だろ。やっぱ顔が広いとその分家族も大変なんだな。身代金目当てに目ぇつけられちまうなんて、可哀想に……」

無関係である幼い子どもを巻き込む卑劣さを思うと、不快感が重く懐に沈んだ。
今まで家族に愛されて育ってきたというのは、セレーナを見ていればわかる。だからこそ、当時の家族の心労はとてつもないものだっただろうと察する。今、同じことが彼女に起きようものなら、自分も冷静さを欠いてしまうかもしれないと思ったから。

「身代金目当て……?」

ぴくりと、マリオンの肩が微かに揺れた。怪訝に注がれる視線は、明らかな違和感を訴えている。

「あ、あぁ……セレーナがそう言ってたけど?」
「…………ふーん」

誘拐の目的までは知らなかったのだろうか。思案する素振りを見せながら相槌を打つマリオンから、それ以上の追及はなかった。

「……思ったより喋りすぎた。もう今度こそオマエとは口を利かない」

それどころか、気まぐれにほんの僅かでも向けてくれていたこちらへの関心すら、一切残すことなく断ち切られた。相変わらず理不尽な言い草だ。

「何だよそれ、お前から話振ってきたくせに」
「うるさい。アイツがあまりにもオマエのことで騒ぎを起こしていたから、あれからどうなったのか気になってただけだ。またノヴァの部屋でピーピー泣かれても迷惑だからな」
「そ、そんなに……?」

また悪戯に良心を突かれて罪悪感を引きずり出されたのが最後、完全に会話を遮断されてしまった。彼女への後ろめたさだけがこの胸に虚しく燻っている。
まったく、セレーナを心配しているのかそうではないのか、わかりにくいことこの上ない。それでもセレーナ自身は親切にしてくれていると言っているくらいだから、それなりに仲は良い方なのだろう。それを口に出せば今度こそ鞭で打たれてしまうかもしれないと、すました顔でソファーに居座る彼を見て内心苦笑した。






top