あれから特に二人の関係は変わりなく、何事もなくこれまでどおりに接している。強いていうならば、セレーナの言葉遣いがだいぶ打ち解けてきたと感じさせるくらい。やはり、あの告白は届いていなかったのだと思い知らされる。せっかく消費した多大なる勇気も、無駄になってしまった。
けれど、決して悲観はしていない。あの日紡がれた言葉と慈しみを持って向けられた微笑は確かに、この体の中心に温もりを残していってくれたから。いくらお人好しな彼女でも、何も想っていない男に対して勘違いを誘発しかねない言動をくれたりはしないはず。近づきつつある二人の距離感と相まって、日に日に育まれる希望がまた緩やかな衝動を生んでいた。
近いうちに、この想いを伝えたい。せっかくなら、ドラマチックなタイミングを狙って。そんなことばかり巡らせる頭は完全に浮かれていて、現実に蔓延る悲劇など知る由もなかった。


「そういや聞いてくださいよガストさん! 俺、彼女できたんですよ!」

レッドサウスの倉庫街の一角を溜まり場にする昔の仲間たちと、近況や他愛のない話に夢中になっている最中に。嬉しそうに顔色を明るませる弟分の報告に圧倒され、一瞬思考が停止した。ケンカの話ならまだしも、よりにもよって色恋の話題を振られてしまうとは。しかし、可愛い弟分が幸せを掴んだのに喜んでやらないわけにもいかず、強張る頬を僅かでも引き上げようとした。

「お……おぉ……よかったじゃねぇか」
「やっぱ俺もガストさんみたいに彼女とラブラブになりたいな〜って思ってるんですけど、何かそういう秘訣とかあるんですかっ?」
「お、俺……?」
「だってガストさん、この間サウスで彼女サンと手繋いでデートしてたじゃねーか」
「はっ!?」

思いもよらぬ指摘に、堪らず大声を張り上げてしまった。好奇心溢れる視線が真っすぐにいくつも注がれて、情けなくも弟分たち相手に怯みそうになる。
あの時はすっかりセレーナとの時間に夢中になっていて、まさか知らない間に目撃されていただなんて思いもしない。しかも、手を繋いでいる瞬間を。不用意に近づくなという言いつけを、彼らはしっかり守ってくれていたということにもなる。それは褒めてやるべきところなのだが、それよりも見られていたことへの羞恥心の方がどうしても勝って、言葉を失った。

「あれって、前にノースで会った人ですよね? 遂に付き合い始めたんだって、みんなでウワサしてたんスよ!」
「いやぁ、あれはデートじゃなくて……」
「そうだ。俺も、ガストさんに相談したいことがあるんですよ。聞いてくれます?」
「お……おう……」
「実は俺も最近気になる子がいるんですけど、どうにかしてデートに誘えねぇかな〜って思ってて……ガストさんなら、どう誘います?」
「そ、そう言われてもなぁ……」

兄貴分としての威厳などあったものではない。束になる彼らの威勢に押され、弁解しようにも軽く頭を抱えたまま消沈してしまう。
思えば二人で出かけようとセレーナを誘いだせたのも、彼女が好意的な素振りを見せて背中を押してくれたからなのであって、自分から勇気を出して誘ったのではない。正直に言えるわけもなく、せめて尤もらしい言葉を並べて言い逃れようと、鈍る思考を必死に働かせる中、浮かんだのはやはりセレーナだった。

「う〜ん、そういうのって相手の価値観とかにもよるだろ? 一概にこうって言えねぇと思うんだよなぁ。やっぱ、まずは相手のことをよく知らねぇと」

我ながら良い感じにはぐらかせたのではないかと思う。とはいえ、これはセレーナと真摯に向き合ってきた中で得た経験と、先日の彼女が紡いだ決定的な言葉によって実感させられた答えでもあるのだから、決して嘘は吐いていない。

『二人だけの幸せの形』

そんなふうに言ってくれる彼女が相手だからこそ今の関係を築けているのであって、きっと同じように接したところで彼の言う『気になる子』には通用しないだろう。と、浮かれ半分恐れ半分で改めて噛み締めていると、弟分たちの輝かしい視線を一心に浴びせられる。

「さ、さすがガストさん。大人の意見ってカンジっスね……!」
「えっ? そ、そうかなぁ?」

ほとんど受け売りのようなものだが、そんなに純粋に尊敬の念を向けられては黙っておくしかない。罪悪感を懐に沈めつつ、照れくさくなってへらりと笑った。
一方、また別の一人は頭の後ろで腕を組みながら壁にもたれかかり、顰めっ面で小さく唸っている。

「でもさー、女の考えてることってわかんねーよなぁ。こっちからしたらその気あるんじゃねぇの? ってカンジの態度取ってても、向こうは勘違いで済ませてきたりするじゃん?」
「あ〜、わかる」
「か、勘違い……?」

妙に聞き覚えのある言葉を敏感に拾い上げ、どきりと胸が不穏に騒ぐ。動揺して、それまで頭に添えていた手が力なく落ちた。

「これは俺のダチの話なんですけど。学生時代から連絡取り合ってて、たまに二人で遊びに行ったりもするくらい仲の良い女がいたらしくてさ。ソイツはその頃からずっと付き合ってると思い込んでたのに、最近相手にいつか一緒に住みたいって言ったら『付き合ってもないのになんで?』ってガチで引かれたらしいんですよ」
「えぇっ? そ、そう、なのか」
「それで完全に縁が切れちまったらしくて、すげーショック受けてましたよ、ソイツ」
「うわ〜、エグいなそれ」
「へえぇ〜……そういうことも、あるんだなぁ……」

あくまでも他人事のように相槌を打ってみたが、全く他人事とは思えなくて顔が恐ろしく引きつった。今にも逃げだしそうな腰も、彼らに悟られない弱々しさで震えている。
連絡を取り合っていて、二人で遊びに行くぐらい仲の良い女の子。あまりにも条件が酷似していて、どうしてもセレーナを連想してしまう。
改めて考える。もしもあの時、勢いのままに最後まで想いをつげていたら、今頃どうなっていたのか。勇気を与えてくれたあの優しい言葉だって、実は単なる励ましのために繕われたものだったのではないか。手を繋いだりもっと近づきたいと願った時も、それ以外の厚意も全て、本当は断れなくて嫌々──疑い始めるとキリがなくて、触れることすら怖くなってしまった。
告白などしている場合ではない。彼女に嫌われてしまったら、きっと精神が耐えられないだろうから。せめて今の関係は死守しなければならないと思った。

「でもそれって、たまたまソイツが思い込み激しいだけだったんじゃ……」
「おい、俺のダチを悪く言うんじゃねぇよ。大体さぁ、二人きりで遊びに行っといて、勘違いって酷くね?」
「た、確かに。カモにされてたんじゃねぇの、ソイツ。カワイソ〜」

傍らで繰り広げられる会話を聞いていると、まるで自分のことを言われているみたいで冷や汗がじわじわと肌に滲みだす。大丈夫だ、セレーナはそんな子じゃない。と心の内で必死に言い聞かせるも、思い込みが激しいという線は否定できない。

「でも、ガストさんくらい懐が大きくて、強くて頼りになる男ならそんなことはないっスよね! むしろ女の子の方が放っておかないでしょ!」
「えっ」
「ガストさんなんだから、そんなの当たり前だろ。現に彼女サンとあんなに仲良くデートしてたじゃねぇか」
「うっ。いや、それはだな……」

弟分たちの信頼があまりにも大きすぎて、後ろめたくなる。そもそもセレーナは彼女ではない。まだ、と言いたいところだったが、今となってはそんな勘違いじみたことなど言えるはずもなく。

「ちなみに、ガストさんはどうやって彼女サン口説き落としたんスか!?」
「口説き落した……!?」
「だってあの彼女サンって、昔不良に酷いことされてトラウマ抱えてるって言ってたじゃないスか。そんな人を落としちまうなんて、さすがガストさんだぜ!」
「やっぱ人それぞれって言われても、参考までに聞いておきたいよなぁ」
「い、いやぁ……そんな大層なモンじゃねぇんだけどなぁ……」

様々な誤解に重圧を与えられ、良心が軋む。ここで弟分たちの理想像を守るため、虚勢を張ってありもしない事実をでっちあげたところで、巻き込まれる彼女に申し訳が立たない。もう勘弁してくれと、心の奥底で人知れず叫ぶしかなかった。



夜も深まり、消灯されたタワー内にはもうすっかり人気がなく。自分の話し声と、ジャクリーンの笑い声がよく響いて聞こえる。

「──ってことがあってさ。俺、今まで女の子とそういう関係になったことないから、マジで答えに困っちまったんだよなぁ」

今はあまり突っ込まれたくなくて、セレーナのことはそれとなく伏せて今日の出来事をジャクリーンに話した。架空のオバケに怯えていたジャクリーンも、足下でご機嫌になっている。

「そうだったノ? でも、今のガストちゃまはセレーナちゃまとラブラブなんだカラ、セレーナちゃまのお話をしてあげたらよかったノ〜!」
「えっ!? いやいやいや、セレーナとはラブラブとかそんなんじゃねぇから! 全然!!」

せっかく話題から外したのに、容赦なく引きずり出されてどぎまぎしてしまった。セレーナの迷惑を思うと否定するのに必要以上に力が入り、断固として聞こえてしまったのか、ジャクリーンは悲しそうな声で訴えてくる。

「ガストちゃま、セレーナちゃまのことスキじゃないノ? セレーナちゃまは、ガストちゃまのことだ〜いスキなのに」
「ええぇっ? い、いや、俺だってセレーナのことは好き……いや、だ、大好きだけど……たぶんその、ラブラブっていうのとはまた違うっていうか」
「そうナノ? セレーナちゃま、ガストちゃまとデートした時に手を繋いだって嬉しそうにお話してくれたカラ、てっきり二人はラブラブなんだと思ってたノ」
「えっ、そ、そんなこと言ってくれてたのか!?」

ジャクリーンもまた、弟分たちと同じく悪意なく悶々とした想いを掻き乱してくる。そのような可愛らしい情報を聞かされては、都合の良いように思い上がってしまうというのに。小さな子どものような純粋かつ突拍子もない感性をそのまま真に受ける勇気はないけれど、事実としては信憑性があった。ジャクリーンは素直だから、決して嘘を吐いたりなんてしない。
自分は一体、何を信じたらいいのか。次にセレーナと顔を合わせた時にはどんな顔をすればいいのか。結局何も答えを見出だせないうちに、部屋に帰ってきてしまった。






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