「ルーキーズキャンプ?」

覚束なげに首を傾けるセレーナの視線が、こちらを見上げた。
彼女とは、ジムでのトレーニングを終えて部屋に戻ろうとしたところで、偶然にもばったり居合わせた。顔を合わせた瞬間、異常な緊張感が体を駆け抜けたが、悟られまいと力んで押さえ込むことで平然を装った。
最近、彼女と顔を合わせることはあっても、ゆっくり言葉を交わす機会が減った気がする。互いに忙しかったというのもあるが、それだけではないのはわかりきっている。原因も、ほとんど。だからこそ今を逃してはいけないと、どうにか話題を絞りだして繋ぎ止めようとしたのだが。

「あぁ、明日から一週間、郊外にあるすげぇデカいキャンプ場施設で強化合宿するんだって。そういや、ドクターも明日から不在になるはずだけど、聞いてなかったのか?」
「……あぁ。そういえば、聞いた気がするわねぇ」

近頃の彼女は、どこか上の空だ。ついこの間、ヴィクターやマリオンもそのようなことを言っていた。何か考え事をしているのか、注意力散漫になっていることが多いと。
ただ、ガストにとっての懸念事項はそれだけではない。臆病にも怯み上がった勇気を奮い立たせ、冗談めかして甘えた態度を取ってみせる。

「えっと……しばらく会えなくなるけど、その、山でも電波ぐらいは通ってると思うし、寂しくなったら電話とかしちまおっかな〜、なんて」
「……しばらくといっても、一週間でしょう? 大丈夫よ、他のルーキーの皆さんも一緒なのだし、きっと寂しさなんて感じないくらいあっという間に過ぎるわ」
「で、でも、俺たちってなんだかんだ毎日顔合わせてきたし、一週間も離れるのってたぶん初めてだよな。そう思ったら、結構長く感じると思わねぇか?」
「う〜ん、私はそこまで……」
「そ、そっか〜」

セレーナは嫌な顔一つせず平然と振る舞っているはずなのに、今まで感じたことのなかった素っ気なさ、そしてやんわりと遠回しに示される拒絶が棘のように突き刺さる。へらへらと浮かべていた笑みもすっかり凍りついて、今にも砕けてしまいそうだ。

『私たち、最近少し近づきすぎたと思うの。見ている人たちに変な誤解を与えてもよくないし、もう少しお友達として適切な距離を保ちましょう?』

彼女は距離を置こうとしている。どうして急にそんなことを言いだしたのかはわからない。自分が何かしてしまったのか、それとも誰かに何かを言われたのか。或いは、いよいよ勘違いするなと拒まれてしまったか。何度か問うてみても、ただ『ガストはみんなのヒーローだから』と口にするばかりで多くを語ろうとはしてくれない。
このまま放置していては、いつか手遅れになってしまいそうで。それだけは何としても避けなくては。不安に急き立てられ、それとなく本音を引きずり出そうと試みる。

「な、なぁ。俺に言っておきたいことはねぇか?」
「えっ?」
「ほら、明日から会えなくなるんだぜ? 何か言い残したこととかあれば、今のうちに言っといた方がいいと思うんだよなぁ」
「……えっと、ガストはこれから死地に赴こうとしているの?」
「いや、違うけど……」

見事に空回って終わってしまったが。
今のはさすがに露骨だったかもしれない。不自然な話の切り出し方に困惑していた彼女だったが、こちらが内心反省しているうちに、顎に手を添えて思案し始めた。どうやら幸いにも思惑は伝わっていなかったらしい。きちんと応えようとしてくれるところは、真面目で優しい彼女ならではだと思う。

「言いたいことねぇ……う〜ん、特に思いつかないわ」
「本当に?」
「本当に。あ、キャンプで張り切りすぎて怪我してこないでね〜、とか?」
「そんな、アキラじゃねぇんだから……」

それでも、欲しい答えは返ってこなかった。ふわふわと掴みどころなく躱され、遂になす術なく落胆する。

「……一週間、ちょうどいい期間かもしれないわね」
「えっ?」

項垂れた先にほの暗い呟きが小さく揺らめいて、どきりと心臓が反応する。見つめた横顔はどこか思い詰めたようで、消えてしまわないか不安になってしまう。

「ううん、何でもない。キャンプ、頑張ってきてね」
「お、おぉ……」

だけど、セレーナが何事もなかったかのように笑うから、それ以上の追及は許されなかった。



キャンプ期間中に寂しくなったら電話するというのは、正直なところ本心で言ったつもりだった。駄目元で電話をかけてみれば、優しい彼女なら案外応えてくれるかもしれないと、卑怯にも考えてしまったから。まさかその手段ごと奪われるとは思っていなかったが。
とはいえ彼女の言うとおり、スマホがあってもこの環境下ではそのようなゆとりはなかったかもしれない。日中は厳しいトレーニングに励むのはもちろん、今回の研修用に組まれたチームのメンバーと四六時中行動を共にしていれば、良くも悪くもセレーナのことを考える暇はなさそうだ。よりにもよって、手に負えないほどの落ち着きのない面子が揃ってしまったが故に。

「あー、散々騒いだら喉渇いちまったぜ!」

コテージに備え付けられている冷蔵庫を漁るアキラは、遊び疲れて満足したかと思いきやまだまだ元気そうである。こちらは低レベルな争いに巻き込まれて、そこそこにぐったりしているというのに。

「たかが『ウノ』であそこまで大騒ぎするとはな。ジュニアに至っては騒ぎ疲れてそのまま寝ちまうし」
「ヘッ、そういうのがまだまだガキンチョだって言ってんだよ!」
「お前なぁ……」

お前のそういうところもまだまだガキンチョだぞ。と、呆れるあまり口を突いて指摘しそうになるのをぐっと飲み込む。勝ち誇った態度でペットボトルの飲料水を勢い良く喉へ注ぎ込むアキラを前に、余計に煽るような言葉を差し向けたところでまた無駄な労力を使うだけだろうから。

「ほら、グレイの分」
「わっ。あ、ありがとう」

冷蔵庫から自分の分の水を取り出すついでに傍にいたグレイにも渡してやると、彼は小さく慌てながら受け取った。つい先程まで、アキラとジュニアの諍いに巻き込まれて錯乱していたようだったが、今はすっかり落ち着いている。
なんだかんだ自分も喉が渇いてしまった。真新しく固い蓋を力強く回し、開いたペットボトルに潤いを求めて口を付けたところで。

「そういやお前、セレーナとケンカしたのか?」
「んんっ!?」

不意に何気なく急所を突かれ、激しい動揺に襲われた反動で飲みかけた水を吹きだしそうになった。とっさに飲み口を離したことで事なきを得たが、跳ねた水で軽く口周りを濡らしてしまい、惨めな気持ちになりながら手の甲で拭う。

「ここ最近やけによそよそしいよな、お前ら。ちょっと前まであんなに仲良く一緒にいたじゃねぇか。ウィルのヤツも心配してたぞ」
「うっ……そ、それは……」

案ずる視線に問いつめられ、ばつが悪くなって目を逸らす。アキラは日頃からセレーナのことで相談に乗ってくれているし、ウィルもあくまでもセレーナのためだと言いつつそれなりに認めてくれている。だからこそ気になっているのだろうけれど、どう説明していいのかもわからず言葉が続かない。

「あ、あの、セレーナさんって、研究部の……?」
「えっ。グレイ、アイツのこと知ってるのか?」
「あっ、ご、ごめんなさいっ。僕なんかが勝手に話に入っちゃって……」
「いや、そんなことは言ってねぇんだけど」

幸いにもおずおずと話題に乗ってきたグレイによって、アキラの注目が逸れていった。引きつけてくれた本人は、我に返った様子で何やら怯え始めたが。

「でも意外だよな、グレイとセレーナってそんな接点なさそうだし」
「えっと、ヴィクターさんのところで検査を受けた時に居合わせて、少しお話しただけなんだけど……僕なんかにも優しく励ましてくれたりして、やっぱり研究部の人たちってすごくいい人ばかりなんだなぁって思ったんだ……」
「へぇ、セレーナのヤツ、グレイには普通に話しかけられたんだな。アイツ、小さい頃のトラウマで男が苦手なんだけど」
「えぇっ、そうなの!? そんなふうには見えなかったけど……ぼ、僕、もしかして気を遣わせてしまったのかな……」
「あ〜、それはねぇと思うぞ。アイツ、マジでムリって思ったら話す前に逃げちまうからな」
「えぇっ、そんなに?」
「ま、グレイに攻撃的な雰囲気は感じねぇし、最近はちょっとマシになってきたって言ってたから、たぶん大丈夫なんじゃねぇの?」
「そ、それならよかった……」

自分に優しくしてくれた一研究員のことを嬉しそうに語るグレイと、何でもないことのように友人への理解を語るアキラの会話が、何故だか棘のように胸に刺さる。ここしばらく抱えてきた悩みをじわじわと刺激され、良心が訴えるささやかな痛みを、小さくため息に包んで吐きだした。

「……そうなんだよなぁ。誰にでも優しいんだよなぁ、セレーナって」
「な、何だよいきなり?」
「いや……あの子にとって俺は特別なんじゃないかって、勘違いしてちょっとでも浮かれてたのが心底恥ずかしくてな」
「……は?」

躊躇いを覚えつつも懺悔を口にすると、心底訝しむ声が冷ややかに飛んできた。あまりにも己の恥を痛感して、二人の目を見ることもできない。

「こ、この前、セレーナに言われちまったんだよ。その、近づきすぎだから、もうちょっと友達として適切な距離で接してくれって」
「えっ。マジかよっ?」
「セレーナさんでもそんなこと言うんだ……ど、どうしよう、実は僕も何かセレーナさんの気に障るようなことを言ってたりして……」
「いや、グレイは大丈夫だろ」

二人にとっても想定外だったらしく、どよめきが走る。特にアキラはこれまで親身になってくれていたからこそ、信じられないと言わんばかりに戸惑いを露わにしている。

「う〜ん。でもセレーナのヤツ、お前と一緒にいる時が一番幸せそうっつーか、お前のことすげー好きなんだろうなって見ててわかるぐらいだったってのに。アイツがそんなこと言いだすの、全然想像できねぇんだけど」
「えっ……や、やっぱお前もそう思うっ? 俺の思い込みじゃねぇよなっ!?」

深刻に唸るアキラの口から出てきた言葉に背中を押され、思わず衝動に任せて食いついてしまった。というか、そう思っていたのならもっと早くに言ってくれたらよかったのに。などと嘆きもしたが、それはさておき。
あまりにも必死さが露骨に出てしまっていたのか、呆れた眼に軽く睨まれてしまった。

「なんでそんなに自信ねぇんだよ」
「だってほら、男って勘違いしやすい生き物らしいし……」
「はぁ? 何言ってんだ、お前」

弟分の話を聞いて怖気づいたなんて、さすがに正直には言えなかった。遠回しに言い訳がましく返せば、どのみち白けた態度であしらわれる羽目になったが。

「少なくともハロウィンぐらいまでは、そんなことなかったはずなのになぁ……」

戻れるものなら、数々の小さな幸せに満たされていたあの頃に戻りたい。ほんの少し前までの風景が恋しくて、弱々しくぼやいた。
勘違いに怯えた始めた頃だって、彼女はまだ特別な優しさを与えてくれていたはずだ。だから、もしかしたら自分たちは大丈夫なのではないかと、希望を抱きかけていたのに。

「ハロウィン?」
「あぁ。確か、その頃からセレーナの様子がおかしくなりだしたんだよ。やけに思い詰めたような顔して、ぼーっとするようになって……」
「あ〜、そういや最近、すげー暗い顔して歩いてるの見たっけ。声かけても全然反応ねぇし、何か悩み事でもあんのかなってウィルと話してたんだよな」
「うっ、ウィルにも気づかれてるのか……」

アキラの口ぶりからして、恐らくはウィルも二人の間に何かあったと思っているのだろう。万が一同じ班だったなら、今頃容赦なく尋問されていたかもしれないと思うと、ぞっとした。

「俺も色々と本人に聞いてみたりしたんだけど、全然答えてくれねぇんだよな。距離が近いって言われた時も、見てるヤツらに誤解されるといけないとか、俺がみんなのヒーローだからとか、それだけしか言わなくてさ」
「な、何だそれ……?」
「さぁ……だから俺、てっきり周りのヤツらに誤解されるのが嫌なのかと思っちまって」

髪をくしゃりと無造作に掴んで頭を抱える。これだから経験がないと困るのだと、改めて思い知った。彼女は初めての方がいいと言ってくれたけれど、こうして彼女の言葉の裏に隠れた意図を察してやれないようでは、やはり自分では彼女を幸せにできないのではないか。また臆病にも、弱腰になってしまう。

「それってたぶん、遠慮してるんじゃないかな……」
「へっ?」

グレイの声が、ぽつりと雫のように小さく落ちた。控えめながら確かに響いて聞こえたのは、きっと耳が答えを求めて掬い上げたからなのだろう。
考えつきもしなかった可能性に拍子抜けして振り向くと、グレイは頻りに緊張した様子で身を竦めだした。

「あぁっ、いや、これはあくまで想像なんだけど……ガストくんは人気者だから、自分なんかが独り占めしちゃだめなんだって……僕がセレーナさんの立場だったら、そう思っちゃうかも……」
「ひ、独り占めって……そんなの、今更じゃねぇか……」

言われてみれば、彼女はこれまでに何度かその言葉を口にしたことがあった。こちらの時間を独り占めしてしまうのが申し訳ない、と。その度に気にしなくていいだとか、むしろもっと独り占めされたいだとか、半ば欲望に塗れた本心を戯言のように塗り立てて伝えてきたつもりだったのに。十分に安心させてやれていなかったのかと思うと、ひどく気が沈んだ。

「それは……何かそう考えるきっかけになった出来事があったのかもしれないし……誰かに何か嫌なこと言われちゃったりとか……」

それにしてもグレイの助言が妙にしっくりきてしまうのは、彼とセレーナがどことなく似た性質を持っているからなのだろうか。実際にそうと判明したわけではないのに妙に信憑性を帯びていて、アキラもすっかり信じ込んでいる様子だ。

「お前、心当たりねぇのかよ? なんかそういうこと考えちまうような状況になったとか」
「えぇっ? う〜ん、そうだなぁ……」

やけに責め立てられ、改めて思い返してみる。セレーナがそこまで深刻に思い悩むきっかけになりそうな出来事。そもそも彼女に異変が起きたのはハロウィンの頃なのだから、その時に起きた出来事を思い出せば──

「………………ないことも、ないけど」
「あんのかよ!?」

すぐに思い当たってしまった。後ろめたさから弱々しく目を泳がせつつ声を震わせると、すぐにアキラが噛みつく勢いで反応してきた。こうも呆気なく記憶に蘇ると、むしろ今まで思い至らなかったのが情けないこと極まりない。

「いやぁ、マジで嫌われたかもってことしか頭になくてさ」
「お前、普段はすげー気ィ回るし空気読むのに、セレーナのことになるとたまにポンコツ化するよな」
「ポ、ポンコツって……」

何一つ遠慮も悪意もない言葉が、真っすぐ胸に深く刺さった。この状況ではさすがに返す言葉もなく、打ち拉がれるしかない。すっかりアキラの方が上手だ。

「ま、キャンプから帰ったらちゃんと話し合えよ。こんな時に限ってスマホも没収されてるし」
「うぅ、そうするよ。グレイも、相談乗ってくれてありがとな」
「えっ、い、いや、僕は何も……でも、セレーナさんと仲直りできるといいね」
「ははは、まぁ頑張るよ」

仲直りという言葉に、改めて今の状況を自覚させられて苦笑いを浮かべる。
今すぐ確かめられないのはもどかしいところだが、原因に見当がついただけでも少し救われた気がする。あとは、頑なになったセレーナからどうやって本心を引き出すべきか。まだ頭を悩ませる日々は続く。





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