ガストたちがルーキーズキャンプのために不在になってから、今日で四日目。今期のルーキーとそのメンターが一斉に駆り出されているので、顔見知りは皆キャンプに行ってしまい、研究部の外は知らない人だらけだ。誰にも会えないのなら外に出る意味もなく、かつてのようにラボに引きこもる日々に戻ってしまった。
おかげでいつもより研究に没頭できる……というわけでもなく。むしろ考え事が増えた上に気分転換も叶わず、頭も手も止まってばかりでなかなか先へ進まない。

「私、いつからこんなふうになっちゃったのかしら」

頬杖をついて、デスクの隅に佇むぬいぐるみに悩ましく語りかける。人差し指でちょんと、その愛くるしい頬を突っつきながら。
かつての自分は、ジェイかリリーに連れ出されでもしない限りは研究部の施設エリアからほとんど出ることがなかった。気分転換に屋上へ出ることはたまにあったけれど、必要最低限の関わりしか持ちたくなくて、他の人とはなるべく目を合わせないようにしてきた。ずっとそれが当たり前だったのに、いつしか気づけば自分の足で外に出られるようになっていた。
アキラとウィルが入所してくると、なんだか心強く感じて。ほんの少しだけ、外に出てもいいと思った。そしてガストと仲良くなってからは、自ら会いに行きたいと思うようになった。彼は多忙な中でも時間を見つけてここに会いに来てくれていたけれど、それだけでは足りなくなって。偶然、どこかで顔を合わせられるかもしれない。少しでも言葉を交わせるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、適当に理由を付けてラボを飛び出していた。
ガストと出会ってからの自分は、少し強くなれたのかもしれない。一握りの自信を掴みつつあったのに、ガストがいなくなった瞬間に逆戻りだ。

『しばらく会えなくなるけど、その、山でも電波ぐらいは通ってると思うし、寂しくなったら電話とかしちまおっかな〜、なんて』

自分から突き放しておいて、たった少しとはいえ浅はかな期待までしてしまった。あくまでも立派な研修なのだから、彼もそれどころではないだろうに。
こちらは『友達』としての距離を保つために、必死になって余計な感情を切り捨てようとしているというのに。変わらず好意があると勘違いしてしまうような言葉を向けられる度、罪悪感に首を絞められる。ガストはきっと純粋な厚意で向き合ってくれているはずなのに、こんな邪な気持ちを抱いてはいけない。
一週間、むしろ気持ちの整理にはちょうどよいと軽んじていた。寂しさなんて感じる暇もなく過ぎていくはずだと。なのに一番に感じてしまうのは恋しさで、落ち着くどころか想いは膨れ上がっていくばかりで、もう既に手に負えない状態だったのだと思い知った。
いっそ縁ごと切ってしまうべきだったのかもしれないけれど、それだけはできなくて。結局、がんじがらめになってしまう。

「いくらガストでも、私がこんなこと考えてるなんて知ってしまったら、嫌いになっちゃうわよね」

ぬいぐるみのガストに弱音を投げたところで返事などあるわけもなく、ただ沈黙だけが返ってくる。今度は手の部分を指で弄びながら、深く重いため息をこぼす。
ガストをもっと独り占めしたい、だなんて。初めて持て余す欲深さへの戸惑いが、胸の内で静かに揺らめき続けた。







キャンプ五日目。本日の訓練メニューを終えてコテージに戻ろうとしたところへ、背後から呼びかけてきたのは凛々しい女の声だった。

「ガスト、少しいいか」
「えっ……あ、あぁ……」

個人的に声をかけられるなんて珍しい。しかも、元より厳しく引き締まった顔つきでありながら、やけに眉を寄せて気難しさを露わにしているものだから、なんだか無性に嫌な予感がして身を強張らせながら応えた。
わざわざ周りの耳から遠ざけるようにして館内を離れ、夕焼けに染む閑散とした湖畔へ連れられたのは、恐らく彼女なりの配慮だろう。これはどう考えても仕事の内容ではない。彼女にも関係のあるプライベートといえば、やはり。

「お前、セレーナと何かあったのか?」
「うっ」

ほとんど確信めいた力強さで単刀直入に問われ、ばつの悪さに返事を詰まらせる。今すぐ逃げだしたい衝動に駆られ、既に腰が引けている。

「実は最近、セレーナの様子がおかしいとノヴァ博士から相談を受けていてな。私もジェイもセレーナのことは娘のように可愛がっているから、しばらく二人で気にかけていたんだが。やはりお前だったか」

見定めるように鋭く向けられる視線に捉えられ、すっかり体は怯み上がっていた。まるで尋問にかけられている気分だ。実際、そうなのかもしれないが。

「な、なんで……」
「セレーナの様子がおかしい時は、いつもお前に原因があるからな」
「えぇっ!?」
「というのは半分冗談だが」
「は、半分は本気なのか……」

完全に向こうの手のひらの上で翻弄されている。いつもということは、今までの出来事もセレーナから伝わっているということだろうか。恐らくは、ジェイにも。何か誤解を生んでいそうで、そして恥を晒していそうで、ますます恐ろしくなってきた。

「まぁ、そういうワケだ。何か申し開きがあるなら、今のうちに聞いておこうと思ってな」
「うっ…………じ、実は……」

ぎらりと光る眼光の圧に負けて、こうなっては下手に隠そうとする方が悪手に違いないと腹を括った。把握できている現状を洗いざらい告げると、リリーの表情は次第に緩んでいった。笑顔などでは決してなく、呆気に取られている様子で。

「それで、セレーナが友達として距離を置きたいと言い出したっていうのか?」
「た、たぶん。最初は単に迷惑がられたのかなぁって思ってたんだけど、他のヤツらの意見聞いてたらそっちなのかなぁって思えてきて……」
「確かに、セレーナは真面目だからなぁ。そういう考えに至ったとしても不思議ではないが……本当にそんな綺麗な理由だけだと思っているのか?」
「へっ?」

何故か突然責められだして、唖然とする。これでも考え尽くした方だというのに、まだ他に可能性があるというのか。混乱していると、当てつけのようなため息があからさまに深く吐き出された。

「お前、セレーナが好意を持った得体の知れない男たちに囲まれていたらどう思う?」
「えっ。そりゃあ、俺が守ってやらないとって……」
「あぁ、そうだな。ちなみに、セレーナは一人で対処できるものとする」
「えぇっ? そ、それは……」

真っ当に答えたつもりだったのに無茶な条件まで付け加えられ、困惑を目で訴えるも、向こうは真剣に考えなければ今にも的にしてきそうな形相だ。
そんなもの、セレーナが一人でどうにかできようができまいが、守りたい気持ちは変わらない。だって、守らなければ──他の男に取られてしまうだなんて、考えたくもない。

「セレーナは……お、俺の大切な女の子だから、近づかないでくれって……嫌な気持ちになっちまう」

上司を目の前に何を告白してしまっているのか。悶々と重く留まる感情を恥と共に露呈していると、微妙な沈黙の後、また一つ大きなため息が吐き出される。

「同じことを、セレーナが考えるとは思わなかったのか?」
「へっ?」

次は何を言われるのかと内心構えていると、考え至りもしなかった可能性を指摘され、衝撃に頭を打たれて思わず気の抜けた声を漏らしてしまった。

「い……いやいやいや、だってセレーナだぞ!? あの子がそんなこと考えるなんて、想像できねぇよ」
「お前はあの子を聖人か何かだと思っているのか?」
「うっ。そういうワケじゃないけど……けどこれって、要するにヤキモチ、だろ? そ、そんなの……あの子が俺のこと、めちゃくちゃ好き、みたいじゃねぇか」
「お、お前……あんなにわかりやすいのに、本気で気づいてなかったのか……?」
「えぇっ、そんなに……?」

そこまで信じられないもの見る目で戦慄されると、さすがに落ち込んだ。それも、かなり。ようやく最近になって、もしかしたらと期待を寄せられるようになってきたくらいなのに。それも一瞬で潰えてしまったけれど。
あんなにいつも優しく笑って人を思いやれる彼女と嫉妬では、あまりにもイメージが結びつかない。でも、嫉妬心を持つということは、それだけ強く好きでいてくれているということで。『独り占めしてはいけない』という本当の意味が見えた瞬間、熱い感情が心の奥から勢い良く込み上げてきた。まるで夢みたいに思える。

「まあ、そういった感情を持つだなんて初めてのことだろうし、きっとあの子も自分の感情に戸惑っているんだろう。どうしても自分を責めがちだからな、あの子は」
「そ、それは確かにそうだな……」

どうして彼女が突然思い詰めるようになり、そして何も言ってくれないのか。セレーナを慮るリリーの言葉が答えだと確信した。今も自分を責めて苦しんでいるのかもしれないと思うと、早く解き放ってやりたくてもどかしくなる。

「あの子は優しくてとても良い子だ。でも、あまり美化してやらないでくれ。今でこそ人に迷惑をかけないよう遠慮がちにしているが、ああ見えて結構寂しがりやなところもあるし」
「さっ、寂しがりや!?」

ここに来る前、あれだけ寂しさをアピールしてもあっさり躱されたのに。また一つイメージにない情報を突きつけられ、驚愕してしまった。

「あぁ。あの子は子どもの頃から私によく懐いてくれてな、別れ際にはそれはもう寂しそうに『また一緒にお話してくれますか?』って健気にこっちを見つめてくるんだ。すごく可愛かったんだぞ」
「うっ……な、何だよそれ、すげぇ羨ましいんだけど……」
「ふん、そうだろう? そういえば、ジェイも同じように懐かれていたな。そのうち私たちに一生懸命手紙まで書いてきてくれるようになってな、ファンレターとして今でも大事に取ってあるんだ」

いつの間にか昔の自慢話に付き合わされている気もするが、セレーナの子どもの頃の話を聞くのは微笑ましい気持ちになれて好きだ。自分ももっと早く出会えていたらと思うくらいに──

「と、話が逸れてしまったな。とにかく、原因がわかっているなら話は早い。あの子がまた元に戻らないうちに解決してやってくれ」
「元に戻るって……?」
「お前たちが入所する前のあの子は、ラボに引きこもるばかりで滅多に研究部の外まで出てくることはなかったんだ。まあ、今はアキラやウィルといった顔見知りがいるという安心感もあるんだろうが……大半は、お前のおかげだろうな」

第二の保護者ともいえるリリーの励ましは何よりも心強くて、溢れんばかりの勇気と自信が体中に漲ってきた。すぐにでもセレーナと話がしたくて、胸の奥が疼く。

「じゃ、じゃあ、今すぐ解決したいのでスマホを返してもらえると……」
「それはルール違反だ。タワーに帰ってからにしろ」
「なんでだよ!?」
「他のルーキーたちにバレたら説明が付かない。いくらセレーナのためとはいえ、特別扱いはなしだ」
「そんな……」

今の流れなら許されると思ったのに。公私混同はするなということなのだろうが、それなら期待させるようなことを言わないでほしい。それとなく不満を目で訴えると、素知らぬ顔で受け流されてしまった。






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