胸に溜まる莫大な不安をため息にして深く吐き出すと、閑散とした休憩所に大きく自らの弱々しい声が響き渡った。その中で一人ぽつんと座り、ずっと大事に手に持っている手紙を眺めながら、ガストはただひたすらに頭を悩ませていた。

「う〜ん、ジャックに渡してもらおうと思ったけど、やっぱ自分で渡すべきだよなぁ。かなり待たせちまったし……」

独り言も、静かな空間に寂しく吸い込まれる。
手紙を書き終えた直後は達成感と、ようやく彼女に自分の気持ちを伝えられるという浮かれた気分に浸って、彼女がそうしたようにすぐさまジャックに依頼する気でいたのだが。レンに懸念を示唆された瞬間から呆気なく撃ち落とされ、地を這って最善を模索する羽目になってしまった。
せっかく書いたのだから、彼女には最も喜んでもらえる形で渡したい。何より早く彼女に安心してもらいたい。その一心で。

「お、ガストじゃねーか」
「ん? おぉ、アキラ」

聞き馴染みのある声が内なる葛藤に割って入り、微かに身じろぎしてしまった。背後を振り返ると、こちらの手元を怪訝に覗き込もうとするアキラの姿。

「なんだ? それ、手紙か?」
「あ。い、いや、これは」

慌てて手紙を隠そうとする自らの挙動は、我ながらあまりにも不審だった。レンの冷ややかな反応に晒された今朝の気恥ずかしさを、もう一度味わいたくはないという焦りがあったからだ。
しかし、ちゃっかり隣に座ってくるアキラの目は、既に封筒の宛名を捉えてしまったらしい。

「セレーナへ? って……もしかしてそれ、ラブレターか!?」
「いやいやいや、そういうのじゃねぇから!」

凝らしていた視線が、みるみるうちに誤解に塗り固められていく。思わず全力で否定してしまったが、こうも動揺が露骨だとかえって怪しまれることはわかっていた。

「じゃあなんだってんだよ。同じタワーにいるのに、わざわざ手紙でやりとりするようなことなんてあんのか?」
「それは……あの子を怯えさせないようにだな」
「え、お前まだビビられてんのか。意外だな、ガストならセレーナともすんなり仲良くなれると思ったんだけど」
「よっぽど俺が怖いんだろうな。声かけようとしてもすぐ逃げちまうし。でも、あの子なりに仲良くしたいと思ってくれてはいるみたいだぜ。先に手紙をくれたのも、あの子の方だったし」
「そっか。ま、オレの時はセレーナの姉ちゃんも一緒だったから、セレーナもまだ気が楽だったのかもな。姉ちゃんの方はセレーナと違って結構気ィ強いタイプだし」

ただ、アキラならむしろガスト自身よりもセレーナの事情を知っているおかげで誤解を解くのは早い。そして二人が仲良くなることに対して肯定的だからこそ、親身になって話を聞いてくれるし、こうしてセレーナの身辺に関する意外な情報も躊躇いもなく話してくれる。

「え、そうなのか? てっきり家族みんな、セレーナみたいな感じなのかと思ってたけど」
「いいや、むしろ正反対だな。そうでもなきゃ、あん時のオレみたいな不良をわざわざ家に上げて、メシまで食わしてくれたりなんかしねぇ」

頑なに断言する口ぶりからして、よほど姉妹の印象が相反していたのだろう。その様子は遠慮など取っ払った親しい友人を語るそれで、少しだけ羨ましく思ってしまった。

「へえ、結構世話になってたんだな」
「まあな。向こうは向こうで、オレに世話になったって思ってるみてぇだけど。別に、そんな気にすることねぇのに」
「確か、アキラがあの子のお姉さんを助けたっつってたっけ。そういうとこは姉妹一緒なんだな」

どこかむず痒そうにぼやくアキラの言葉がつい最近自分が口にしたものと重なり、ふっと緩む顔から笑みがこぼれる。恩義に厚く義理堅い性質は、もはやそういう血筋なのかもしれない。
怯えながらも懸命に礼を伝えようとする彼女の健気さを脳裏に浮かべ、微笑ましさに心を和ませていたところ。背後からジャクリーンの声が勢い良く飛んできた。

「ガストちゃま発見〜!」
「あぁ、ヨカッタ。このままデハ、ジャックの信用問題ニモ関わりマス……」
「な、なんだなんだ?」

とっさに身を背もたれに乗りだして振り返ると、不安を撫で下ろしながらジャクリーンと駆け寄るジャックの姿があった。ジャクリーンの方もどこか慌てているような、何かに張り切っている様子で、何か問題を抱えているのは明白だった。

「ガストちゃま、セレーナちゃまのお手紙のコト、忘れちゃってるノ……?」
「えっ」
「いつまで経っても返事がないノデ、セレーナが心配していマス」
「げっ、やっぱそういう感じになってる?」

彼らの抱える心配事が明らかになった瞬間、焦りが下ると共に体温が無性に冷えていくのを感じた。レンの懸念はどうやら正しかったらしい。
隣で聞いていたアキラは、状況を呑み込めずに手痛い疑問を差し向ける。

「手紙って、今から出すヤツじゃねーのかよ」
「じ、実は、セレーナから手紙貰ったの、十日前なんだよなぁ」
「はぁ!?」
「言っとくが、忘れてたワケじゃねぇぞ? なんつーか、伝えたいことがありすぎて時間がかかっちまっただけで」
「いや、どう考えてもかかりすぎだろ」
「そんなこと言うなよ、一生懸命書いたのに……」

苦し紛れの言い訳も虚しく、遂にアキラにまで非難されてしまうとは。せっかくそれとなく全貌を明言するのは避けていたというのに、結局はこうなる運命だったようだ。
いよいよいたたまれなさに打ち拉がれていると、ガストの手にある手紙に気づいたジャクリーンが期待に声を弾ませた。

「ガストちゃま、やっぱりちゃんと忘れずに書いてくれてたノ? セレーナちゃまもきっと喜ぶノ!」
「デモ、早く渡さないト……セレーナはもうガストの迷惑になりたくないカラ諦めるト言っていマシタヨ」
「えぇっ。ひょっとして、思ってたよりやべぇ状況なのか……?」

一方でジャックから突きつけられた絶望的な状況に、思わず身震いしてしまった。この機を逃せば今度こそ本当に、このか細く繊細な糸で繋がれたような関係が途切れるのだろう。
よほど男として情けない顔をしていたのか。見かねたアキラは心底呆れた顔で、大袈裟なため息を一つ。

「ったく、さっさと渡してこいよ。万が一この話がウィルの耳にでも入ったら、厄介なことに」
「俺がなんだって?」
「うげっ!?」
「げっ」

アキラの忠告は本人の登場によって呆気なく打ち砕かれ、二人して気まずく顔を歪めて不服にこちらを睨むウィルを見上げた。

「なんだその顔は。まるで俺には知られたくなかったとでも言いたげだけど、さては二人で何か企んでるな?」
「えっ? いやいや、そんなことはねぇけど」
「だったら、一体何の話をしていたんだ?」
「そ、それはだな……」

アキラの言うとおり、かの姉妹に恩があるらしいウィルにこの件を知られるのは実にまずい。どうにか回避すべく必死に取り繕おうとするも、不信感の募る眼差しが和らぐことは一切なく追い詰められるばかりだ。
そして追討ちをかけるのは、幼子のように無邪気な善意を嬉々として振りまく小さなロボット。

「あのね、ガストちゃまが、セレーナちゃまのお手紙のお返事を頑張ってたくさん書いてくれたっていうお話ナノ! ガストちゃまはやっぱりセレーナちゃまが大好きナノ〜!」
「は?」

またジャクリーンが誤解を招く言い回しをするものだから、ウィルの目にはより険しい警戒心が光っている。この地獄のような状況を打開すべく、狼狽えながらも弁解を試みようとするのだが。

「お、おい、ジャクリーン!? あ、いや、これは違っ……いや違わねぇけど、そういうアレじゃなくて!」
「セレーナちゃまは十日もお返事が来なくてトテモ悲しそうだったんだケド、これを渡せばセレーナちゃまもきっと笑顔になるはずナノ〜!」
「アドラー、お前──」
「あああぁっ! こ、これには深〜い訳があってだな!?」

ジャクリーンの勢いに振り解かれ、とうとうウィルの憤りは頂点に昇り詰めてしまった。彼を納得させられるだけの言葉を必死に探してはみるものの、こうなってはもう手遅れだ。

「すげぇな、あのロボット。見事に地雷踏んでいきやがったぞ」
「ジャクリーンのお喋りは誰ニモ止められマセン……」

傍らでは一人と一機の同情の眼差しがこちらを見守っている。見ているなら助けてくれと心の中で叫びつつ、それを声に出す余裕はない。
このまま保護者代表の説教を聞かされる羽目になるのかと内心嘆いていると、散々爆弾を落としていったジャクリーンが今度は救いの手を差し伸べてくれた。

「ガストちゃま、早くセレーナちゃまに会いに行って、セレーナちゃまを笑顔にするノ!」
「お、おぉ、そうだな!」

そこに希望を見出して全力で乗っかると、少々強引ではあるが不穏な空気から逃れられたようで安堵する。
何よりも今はセレーナの誤解を解いて、悲しみを取り除いてやることが最優先だ。ウィルも結局はそれが最もセレーナのためになることを理解しているのだろう。警戒を解くことはなけれど、阻止する素振りもなかった。

「アドラー、くれぐれもセレーナを弄ぶようなことは」
「わ、わかってるって。つか、俺は真剣にあの子と向き合ってるつもりだし、危険な目になんて絶対に遭わせねぇよ」

彼女の境遇を考えると、ウィルの心配は尤もなのだろう。しかし決して彼女を軽んじているつもりはないし、怯えながら手を伸ばそうとしてくれる彼女を守りたいとさえ願っている。自身の信用問題はさておき、その確固たる想いだけは曲げることなく伝えておくべきだと、真っすぐにウィルの目を見据えた。
許すつもりはないが、認めざるを得ない。複雑な情を絡ませながら、やがてウィルの視線から敵意が失せていく。

「わかってるならいいけど……」
「お、思ったよりすんなり引くんだな」
「まあ、セレーナはアキラと違って自分から危険に突っ込んでいくようなことはしないし、アドラーさえ余計な真似をしなければ心配はいらないだろうから」
「おい、それってオレがどうしようもない問題児みてぇじゃねぇか」
「え、まさか自覚なかったのか?」
「ぐっ、お前なぁ……」

どうやら本当に信用されているのは自分ではなくセレーナの方だったようだが、これもウィルなりの譲歩なのだとありがたく受けとめた。隣で問題児扱いされたアキラは全く納得がいっていないようだが、ひとまずそれは別問題として。
早くセレーナに手紙を渡さなければ。逸る気持ちに駆られて立ち上がったはいいが、そういえば彼女の居場所を知らないことにはたと気づく。

「そういやジャクリーン、セレーナは今どこにいるんだ? やっぱラボか?」
「知らないノ」
「えっ」
「外の空気を吸ってくるト言って、行き先も告げずどこかへ行ってしまいマシタ。ひょっとしたら、いつものヨウニ屋上にいるのカモしれませんガ……確証はありマセン」
「えぇ、マジかよ……」

望みをあっさり否定されて、がくりと肩を落とす。せめてどちらかは居場所を知った上で、こうして探しに来てくれたものだと思っていたのに。

「そもそも、お前がグズグズしてるのが悪いんだろ」
「うっ、そこに関しては返す言葉もねぇ」
「なんつーか、ガストにしては珍しいよな。いつもならもっと器用に立ち回ってんのによ」
「そりゃあ向こうは怖がってるワケだし、慎重にもなるだろ?」
「十日もかけて手紙を書くのがか?」
「それは言うな……」

ウィルとアキラの容赦のない指摘に肩身の狭い思いをしながら、ガストはセレーナをどう探すかと思案していた。他に手がかりもないし、まずはセレーナの行動パターンをよく知るジャックの言葉を信じて、屋上をあたってみるべきだろうか。
ウィルの信用を得るためにも、そして何よりセレーナとの繋がりを途切れさせないためにも、今日は絶対に逃げるわけにはいかないと、無意識のうちに手紙を持つ指先に力を込めて、己を奮い立たせた。



タワー内の閉鎖空間から青空の下へ踏み出すと、爽やかな風が心地良く駆け抜けていった。近代的な装いで美しく整備された屋上は広々としていて、とても開放的だ。
その中をゆっくり遊歩していくと、やがて白いベンチに佇む小さな白衣の背中を少し離れた場所から見つけた。

「ジャックのヤツ、ビンゴだな」

無事にすんなりと見つけられてほっとしたが、問題はここからだ。
気配を潜ませ、緊張を押し殺すべく静かに深呼吸をする。久々に彼女ときちんと向き合う気がして、そう思うと途端に頭が真っ白になっていく。それでもすぐさま己を叱咤し、神経を研ぎ澄ませて慎重な足取りで彼女に近づいた。ここでしくじるようなことがあれば、もう一環の終わりなのだから。

「よ、よう、セレーナ。探したんだぜ?」

ぎこちなくも平然を装って声をかけると、驚きに体を強張らせた彼女は凍りつく顔を上げた。

「えっ。アドラーさん……ど、どうして……」
「そりゃあ、あんたに大事な用があるからさ。ええっと……隣、座ってもいいか?」

彼女は困惑の目を逸らして躊躇いを見せたが、やがて小さく頷いてくれた。それほど警戒はされていないようだ。受け入れてくれたことに内心喜びつつ、怯えさせないように少し距離を保って隣に座った。
二人の間を、重い沈黙が溝を作る。隣を恐る恐る一瞥すると、彼女は俯いてしまってこちらに目もくれない。ふわりと下りる綺麗な水色の髪が遮断して表情すら隠している。小柄な体は弱々しく内へと縮まっていて、触れれば一瞬で壊れてしまいそうだと思った。
しかし、だからといって臆している場合ではない。ずっと手にしていたせいで端が少し縒れてしまった手紙を、勇気を振り絞って静かに差し出す。

「あ、あのさ……これ、遅くなってごめん!」
「え……?」

拍子抜けした顔が、はっきりとこちらの手元を向いた。

「あんたからの手紙、すごく嬉しかった。でも、いざ返事を書こうとしたら何書いたらいいかわからなくなるし、俺の言いたいこと全部詰め込んでたら今度はやたら長くなるし……気づいたら、こんなに待たせちまった。本当にごめん!」

長々と言い訳を垂れ流す声は上擦り、また情けない様を見せてしまったと恥じながら。それでも想いを余すことなく伝えるためには目を逸らしてはいけないと、澄んだ海の色を閉じ込めた宝石のような瞳を真摯に見つめ続けた。
手紙はやがて遠慮がちに彼女の手に渡ったものの、揺らぐ瞳は手紙を捉えたままほの悲しく翳りを見せていく。

「……ご迷惑、だったのではないですか?」
「えっ?」
「私、また自分の要望ばかり押し付けてしまって、アドラーさんのお手を煩わせているのではないかと」

雫のようにぽつり、ぽつりと落とされていく罪悪感は、今にも消え入りそうで。返事が遅れたことに対する不満や悲しみを発露させるのではなく、ただ自分の行いを責める姿は痛々しくて見ていられない。が、あくまでもこちらの心情を慮ろうとしてくれる温かさは、素直に嬉しいと思ってしまった。

「あんた、本当に優しいんだな」
「えっ?」

戸惑いの眼差しが、弾かれるようにこちらの目を見上げた。

「そんな心配しなくても、俺は心からあんたと仲良くなりたいと思ってるよ」
「アドラーさん……」
「手紙だって最初は戸惑ったけど、書いてみると案外悪くないと思えたし、何よりあんたが喜ぶ顔を思い浮かべながら書くのは楽しかった」
「ほ、本当に……?」
「あぁ、本当だ」

一つ一つ不安を取り除いていけば、彼女の瞳に光が戻っていくのが見てとれる。確実に想いは伝わっているのだとわかるとますます熱が入り、衝動のままに彼女の白い両手を固く握った。手中にあった手紙が、反動ではらりとベンチの上にこぼれ落ちる。

「だから、俺を信じてくれ。今すぐには無理でも、その手紙を読んでからでもいい。俺のありったけの気持ち、込めてやったからな」

大きく見開かれた瞳が強い煌めきを揺らがせた。恐らくそこにはもう、彼女を脅かしていた負の感情は存在しない。と思っていたのだが、だんだん焦燥らしきものが彼女の顔に熱と共に帯びていくのが目に見えてわかった。

「…………あ、あの、アドラーさんっ」
「お、おぉ……?」
「アドラーさんのお気持ちはよくわかりましたので、その、手を、離していただけませんかっ?」
「えっ………………」

怯える彼女の精一杯の訴えに、ようやく己の過ちに気づかされた。またやってしまったと自覚した瞬間、柔らかい手の感触を再び意識してしまい、体の熱と心臓の鼓動が急激に暴れ狂いだした。

「あ……ああああぁっ、ごめん! い、今のはなんか勢いでっつーか、その、下心があってとかじゃなくてだな!?」

慌てて手を離して言い訳がましく弁解しようとするが、彼女は顔を真っ赤にしてぽろぽろと涙の粒を流している。絶対に彼女を傷つけまいと誓ったはずなのに。激しい罪悪感に襲われ、大きく狼狽えてしまう。

「そ、そんな、泣くほど嫌だったのか……?」
「い、いえ、そうではなくてっ。なんだか安心したら、勝手に涙が……」

自ら涙を懸命に指で拭いながら語る姿はとても幼気に見えて、何故だか胸が少し締めつけられた。ジャックやジャクリーンも言っていたくらいだし、返事がない間中ずっと気に病んでいたのだろう。

「不安にさせちまってごめんな」
「いえ、アドラーさんが悪いわけではないのです。私が、臆病なだけで……」
「そりゃあ過去に怖い思いしたんだから、臆病にもなるさ。なのに俺なんかと仲良くしようとしてくれて、ありがとな」

穏やかに笑いかけると、彼女の涙はようやく潤む瞳に留まった。ああ、本当に良かった。心から安堵していると、ベンチの上に置いていた手が少し濡れた優しい温もりに包まれた。

「こ、こちらこそ、私の我儘にたくさん付き合ってくださってありがとうございます!」
「へっ……?」

突然の不意打ちに、心臓が止まるかと思った。完全に思考が凍結して硬直していると、やがて彼女は我に返ってすぐに手を退けた。

「あっ、も、申し訳ございません! 私も、その、勢いで……」
「い、いや、あんたに触れられるのは嫌じゃないからさ」
「はいっ?」
「あぁっ、その、変な意味じゃねぇからな!?」
「は……はぁ……」

動揺のあまり余計なことを口走ってしまった気がする。彼女も己の失態を省みている様子で、互いに気まずくなって視線を逸らしてしまう。
嫌ではないというのは本心だ。他の女性にはない、畏怖とは違う感覚。遠ざけたいわけではなく、許されるならもっと近づきたいとすら思う。今は心臓が保たないかもしれないが。
彼女からも触れてくれたということは、同じ気持ちでいてくれているのだろうか。淡い期待に突き動かされ、彼女の様子を横目で窺う。耳まで真っ赤にして肩を竦める姿は、怯えているというよりも恥じらっているように見えて、不謹慎ながら可愛らしく思えてならなかった。
これは手紙のやり取りでは得られない景色だ。すっかり思い上がって、口元がだらしなく緩んでいく。

「……手紙もいいけど、やっぱこうやって顔見て話した方が安心するな」
「えっ?」
「あぁ、だからってあんたに強要するつもりはないからな? 手紙も嫌なわけじゃねぇし。ただ、俺はあんたの顔見て話す方が好きだ……って、これも変な意味じゃねぇぞっ?」

独り言のつもりだったが、思わぬ反応を引き寄せてしまったので細やかに断りを入れておいた。せっかく彼女が心を開いてくれたのに、また誤解を生むのは御免だ。
しかし、そんな思いに反して彼女は何故か深刻に追い詰めた様子で俯いていく。

「わ、私、どうして……こんなにアドラーさんが苦手なのかしら」
「え。セレーナ? まさか、今の発言で引いたのか?」
「い、いえ。アドラーさんはこんなに私に優しくしてくださるのに、どうしても体が拒絶反応を起こしてしまって……」
「そ、そんなにやべぇ感じなのか?」

彼女を責めるつもりは一切ないが、その言い分ではなんだか生理的に無理だと言われているみたいで、さすがに胸が痛い。

「私、アドラーさんと目が合っただけで顔や体が熱くなって、やたらと動悸が激しくなって……挙げ句の果てには混乱で思考が停止してしまうのです。手が触れた時も、同じようになってしまって……」

後ろめたそうに吐露される症状は、身に覚えがありすぎるものばかりだった。確かに自分だって彼女に対する症状が防衛本能からくるものだと思っていたが、今はそれだけではないと断言できる。
もしかしたら彼女もまだ勘違いしているのかもしれないと、一縷の可能性を見出してしまった。

「それって…………拒絶反応っていうより、単純に照れて緊張しちまってるんじゃないのか?」
「て、照れっ……?」
「ほら、男と接し慣れてないから恥ずかしくなっちまう、みたいなさ……」

思いもよらぬ指摘を受けてたじろぐ彼女は、小さな唸り声をもらしながら首を傾けて思案し始める。

「うう〜ん? ノヴァ博士やアキラだったり、親しくしてくださる他の方々には特にそのような症状は起きないのですけれど……でも確かに、それも一理あるのかしら……」
「おぉ?」
「ううん、上手く言えないのですけれど。アドラーさんはその、体格がしっかりされていますし……なんといいますか、内面的にも男の人らしさを感じてしまっているので、そういう意識があるのかもしれません」
「そう冷静に分析されると、なんかこっちが恥ずかしくなってくるな……」

一つヒントを与えただけで自己分析がすんなりと進んでしまう辺り、彼女は確かに学者の頭を持っているのだと思い知らされる。
ただ彼女は無自覚なのかもしれないが、それでは他にはない特別な意識を自分に向けてくれているのだと表明しているみたいで、妙に心を弄ばれている気分になる。それを告げればきっと、彼女はまた慌てふためいてしまうのだろうが。

「そう、私……照れているのね……」

そんなことを悶々と考えていると、彼女の細い指先が優しくこちらの手の甲に触れて、腹の底が一瞬だけ熱に浮かされた。
恐る恐る、触れることで彼女は自分の状態を確かめている。緊張した面持ちだがそこに怯えはなく、指先で繊細に肌を、そして翻弄される心までもなぞっていく。心臓の音が激しく鐘を衝くように煩く痛く響いて、体中を駆け巡り激昂する熱に戦慄して。

「アドラーさんが怖いわけではなかったのね。よかった」

初めて目の当たりにする、至極幸せそうに柔らかく綻ぶ微笑に、とどめを刺されてしまった。
その後のことは、頭が真っ白になってよく覚えていない。ただ手紙を大事に持った彼女と別れてしばらく、その場から動くこともできずに鎮まることのない熱を風が冷ましてくれるのを待ち続けた。





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