「わたしは菅原が好きだから、菅原には幸せになってもらいたいんだ。だから、別れよう」
「……なんだよ、それ」
「ごめん」

 高校の卒業式、わたしは付き合っていた人をフッた。好きじゃなくなったとか、嫌いになったとか、そんな理由ではない。むしろ好きだったし、何なら今でも多分好きだ。進学先がそれぞれ違った。ただそれだけ。
 けどきっと、彼はわたしと付き合っていても幸せになれない。わたしに彼は勿体なすぎる。そうして一方的に別れを告げて、逃げるように進学先の大学がある東京へやってきた。わたしはそこで就職をして、年に数回帰省する以外は殆どを地元とはまったく異なった土地で過ごしている。
 仕事は大変だけど毎日は充実しているし、友達もいる。恋人がいたことだってある。だけどふとした瞬間、思い出す。彼と付き合っていた、きっとわたしの人生の中で1番輝いていたあの日々のことを。

「じゃあ連絡するなりなんなりしたらいいじゃん」
「……高校卒業してから音沙汰ないのに、今更何を」
「『久しぶり、元気? 今度そっち帰るんだけどもし良かったら飲みに行かない?』」
「……むり!」

 大衆居酒屋のテーブル席で友達と2人、アルコールを飲みながら雑談を交わす。彼女はこっちでできた友達で、来月2年半付き合っていた彼氏との結婚が決まっている。左手薬指に輝く指輪が眩しい。

「そもそも菅原が今どこで何してるのか知らないし、彼女いるとか結婚してるとかもわかんないし」
「別に彼女いたって昔の友達と飲みに行くくらいするでしょ」
「一応元カノなんだけど」

 菅原は昔からモテた。バレー部の中では小柄な身長は普通の男子生徒と比べたら高いほうだったし、顔も良い。何よりみんなに優しくて、さり気ない気遣いのできる良い奴だった。だからきっと彼女くらいいて当然だし、わたし達の年齢を考えると結婚していたっておかしくない。
 そもそもわけのわからない理由で勝手に別れて逃げたのだ。嫌われていてもおかしくない。

「じゃあもういい加減忘れなよー、過去のこと引きずりすぎ。『女の恋は上書き保存』って言うでしょ」
「そんなこと言われても……」

 女の恋は上書き保存。よく言われる表現だしわたしもそれは同意だ。けどこれは、高校最後のあの恋愛だけは別。何故かはわからないけど、わたしは本当に菅原のことが好きだったのだ。

「もー、とりあえず今日はいっぱい飲んでわすれよ! すみませーん!」
「はーい!」
「あ、ごめんわたしちょっとお手洗い行ってくるね」
「ん、行ってらっしゃーい」

 友達に断りを入れて、スマホを持って席を立った。月に2度ほど訪れるこの店のお手洗いの位置は完璧だ。
 金曜の夜ということもあって混雑している店内の、テーブルの間を歩いて行く。用を足して手を洗い、少し髪の毛を整えてドアを開けると、丁度男性用のドアも開いて出てきた人とぶつかりそうになった。咄嗟に避けて、「すみません」と頭を下げる。

「あれ、みょうじ?」
「え……菅原……?」

 なんとそこにいたのは、先程まで友達と話していた菅原だった。すごい偶然。菅原はグレーのスーツを着ている。仕事の帰りだろうか。

「久しぶりだな」
「うん……えと、菅原、こっちに来てたんだね」
「そー、今年から本社に転勤になってさ。みょうじは、職場の?」
「あ、や、友達と……」
「そっか。みょうじ、綺麗になったな」
「えっ、あ、りがとう」

 意外にも菅原の対応は普通だった。もっとぎくしゃくするかと思ったけど、そういえば菅原は昔から気まずい雰囲気を払拭するのが上手かった。
 わたしを見つけて声をかけてくれたのは正直嬉しかったけど、菅原は誰と来たんだろう。菅原こそデートなのかもしれない。

「あ、そうだ。今黒尾達がいるんだ」
「黒尾……?」
「ほら、音駒の」
「あー……え、音駒の黒尾くん!?」

 どうやらデートという訳ではなく、学生時代にライバルだった音駒高校の黒尾くんと飲みに来ているらしい。他にも聞いたことのある名前がちらほら。高校卒業して就職した後だって、他校生徒友中の良い菅原は純粋に尊敬する。

「そう。挨拶してく?」
「あー、そうしたいのは山々なんだけど、友達待たせちゃってるし……」
「そっか、そうだよな。引き止めてごめん」

 名残惜しい気はするけど、わたしも結構普通に話せたと思う。ちらっと見た左手に指輪はなかった。そんなことをいちいち確認してしまう自分が情けなくて、早口で「それじゃあ、」と告げてテーブルに戻った。しかし席にいた友達は神妙な顔をしている。何かあったのだろうか。

「ごめん、本当に申し訳ないんだけどそろそろ帰らないといけなくなった……」
「あ、ほんと? じゃあそろそろ会計しよっか」
「うん、ほんとごめんね」
「いいよ、楽しかったから」

 荷物をまとめて伝票を持って席を立ち、レジへ向かうと「もしかしてみょうじさん?」と声をかけられ、振り返ると黒尾くんがいた。

「あ、黒尾くん」
「やっぱり。すげー久しぶりだなあ」
「えっなになまえ、知り合い?」
「うーん、昔ちょっとね」
「そっか。あ、じゃあわたし先に帰るから、なまえはまだその人と飲みなよ」
「え、ちょ、」
「いいんですか? ありがとうございます」
「カードで払っちゃうから、今度お金ちょうだい。じゃあね、ばいばい!」

 有無を言わせずに走っていく友達の背に伸ばした手は虚しく終わった。どうしよう。困って黒尾くんを見ると、黒尾くんは「じゃあいくか」と歩き出した。

「おーい菅原ー」
「おかえり、くろ……みょうじ!」
「さっきぶりだね、菅原。お邪魔します」
「みょうじじゃん、久しぶりだなー」
「澤村? 久しぶりー」

 黒尾くんの案内でやってきたテーブルには菅原と澤村がいた。この3人で飲んでいたらしい。黒尾くんの隣に座らせてもらって、店員さんに生を頼みつつチーズフライをつまんだ。

「高校卒業以来会ってなかったから、みょうじが酒飲むの見るの不思議な感じだな」
「なー」
「ていうか黒尾くん、よくわたしだって気が付いたね」
「んー、まあな」

 それから会っていなかった数年の話や今の仕事の話をしてお酒を飲んだ。話題は尽きることなく、時間はあっという間に過ぎていった。
 そして不意に澤村が「スガは高校卒業してから今まで彼女いないしな」と笑いながら言った。それに対して黒尾くんはニヤニヤと笑っているが、わたしは「え」と声が出ただけだった。

「菅原くんは誰かさんが忘れらんなくて彼女作れなかったんだよな」
「もうその話やめろよまじで! みょうじに女々しいって思われるだろー!」
「いや女々しいだろ充分」

 ゲラゲラ笑う黒尾くんと冷静な澤村。菅原は顔を真っ赤にしている。もしかして、その菅原が忘れられない人って。
 ──いや、思い上がるなみょうじなまえ。まだわたしと決まったわけじゃない。

「だからって本人に言わなくてもいいだろー」
「だってよ、みょうじ」
「え……えっ?」

 わたしだった。え、本当に?あんなに一方的に別れようって言って宮城から逃げるように東京に来て、菅原がくれていた連絡だって全部無視していたわたしのことを、嫌いになるどころかまだ好きでいたなんて。
 正直嬉しい。わたしだってまだ菅原が好きだから。でも、引きずりすぎだよ菅原。わたしが言える事じゃないけどさ。

「今日もみょうじの事が忘れられなくてやばい、って相談されてたんだよ俺達。知らねーよ連絡とれって言っても聞かねーし」
「卒業したあとのスガ、やばかったんだよ。東峰よりへなちょこだった」
「もうマジほんと勘弁しろって……頼む……」

 がくりと項垂れる菅原には申し訳ないけど、わたしと全く同じで少し笑ってしまった。けど菅原と同じように、わたしも恥ずかしい。

「みょうじさん、今彼氏は?」
「えと、いない……」
「だって。良かったな菅原」
「……みょうじ、俺のこと嫌い?」

 じっとわたしの目を見て首を傾げる菅原。嫌いなんて、そんなことあるわけが無い。正直に言うと、今この状況は願ってもなかった奇跡で、嬉しすぎて小躍りできそうな程なのだ。しないけど。

「嫌いじゃ、ないです」

 むしろ好き、っていうのはさすがに恥ずかしくて言えなかった。ただ嬉しそうな菅原が本当に綺麗に笑うから、わたしは何となく俯いた。

「みょうじ明日仕事?」
「いや、休みだけど」
「じゃあ次カラオケな。行くぞ〜」
「え、ちょっと!」


 抗議の声も虚しくあれよあれよという間に黒尾くんに連れられて店を出た。しかし澤村が「あ、俺忘れもんした」と店に戻り、続けて黒尾くんが「俺トイレ〜」と言いながら戻っていったため残されたわたしと菅原は顔を見合わせる。
 なんとなくわかった。これはきっと、そういうことだ。

「あー、みょうじ。その……今度飲みに行こうって誘ったら、来てくれる?」
「もちろんだよ。今日楽しかったもん」
「いや、俺と2人で」

 驚いて菅原を見てしまった。菅原はじっとこちらを見ている。さっきテーブルで黒尾くんや澤村にからかわれていた時とは違う、真剣な表情。
 そんなの答えは決まってる。でもそれはわたしの中でだけで、今のわたしと菅原の関係は飲みの誘いすら確認をしないといけない程遠い。原因は主にわたしなんだけど。

「もちろん、待ってる」
「良かった」

 だからこの恋は今日ここからのスタートだ。過去の恋愛の続きじゃない。
 菅原の瞳を見つめ返しながら頷くと、嬉しそうに笑った菅原がわたしの手を取った。

「それじゃとりあえず、2人で飲み直しに行くか!」
「え」
「あいつら戻ってくるとうざいし、急ぐべ」
「あ、ちょっと、菅原!」

 走り出す菅原に手を引かれて、わたしも足を踏み出した。「2人に悪くない!?」なんて言ったけど口だけだ。菅原と2人きり、金曜の夜はまだまだこれからだ。

夜は長いが恋せよ乙女


(20180605)
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