「鍾離さんがどこへ行ったか知りませんか?」

どこかで会ったような、会ったことがないような。そんな顔をしているお爺さんに私は話しかける。
指さされた方向を見て、感謝を告げて、歩き始めれば相も変わらず栄える璃月の風が私の髪を揺らした。

三千年も生きてきて、望まれた子供になれないなんて最早笑い種なのではないかと、少し思う。
重い話題は好きではない。気が付けばランダム性の疫病神と化した私の意識は、生まれた家庭の輪を乱す。
彼らが欲しているのは、正しく「彼らの子供」であって私ではない。分かりきったことと割り切ってはいる。ただ、中途半端に注がれた無償の愛が痛むだけだ。

「お嬢さん、璃月の人みたいだけど初めて見るね」
「ええ〜?結構昔からいますよ」
「お嬢さんみたいな可愛い人、忘れるはずがないんだが……」
「ナンパが上手い叔父様!先約があるからダメだけど」

捨てられたり、追い出されたり、自分から去ったり。家族との別れは多種多様だ。死別より先に別れる日が来て当たり前という思考を嘆く心すらどこかへ行ってしまった私に、そもそも人の子供などは向いていないのかもしれない。
そもそも転生などしなければ良いのでは?と言われればそれまでだけれど、まず選べるものでもなし。今現在歩いている私は、彼との再会のために呼吸をしているに等しい。かつての友人との縁も切れ、帰る場所はなく、一通りの執着は消えた私の拠り所である。

「おや。お嬢さん、手に持っているのは花束かな」
「うん。待たせてしまって」
「でも行き先を間違えてないかい?この先は墓地だぞ?」
「合ってますよ」

勝手に何かを察したらしい男性が、優しい目で私を見る。完全に誤解である。私が再会しようとしているのは自分の葬式の準備を割と楽しみながらやるようなひとだ。儚く散りそうな顔をしていて中々に図太い。経歴を見れば当たり前の話なので言うまででもないのかもしれない。

「気を付けるんだよ」
「ありがとうございます」

共同墓地を通り過ぎて、もっと奥へ行ったところ。派手でもなく大きくもないくせに堂々と建つ墓。そこに私の灰は入っている。
道を進むと、目当ての場所には先客が立っていた。先客と言っても私にとってはその人が重要なのだが。
高い背に、毛先にかけて藤黄色のグラデーションのかかった長い黒髪。

「しない方がいいですよ。神様が凡人の墓参りなんて」
「おや、ここに神が?」
「……その花束、素敵ですね」
「彼女が好きな花だからな」
「どこで買ったんですか」
「軽策荘へ寄った時に」
「そこは温室を使ってくださいよ!瑠璃百合は高いのに……」
「ハハハッ」

私はうっかり大声を出し、鍾離さんは笑う。笑ってから、振り向いて私の手を引き、抱きしめた。
花が潰れるのを避けるために右手を引く。「君も持ってきたのか」と鍾離さんは言ってから、自分へのプレゼントに違いないと受け取った。事実であることでも確認のひとつくらいしてはどうだろうか。

「聞くの怖いんですけど、温室まだあります?」
「ああ、勿論。だが彼処は君との思い出ばかりが愛おしくなって困る」
「摩耗するくらいなら棄ててください」
「残酷なことを言うな」
「覚えている方が残酷でしょうに。思い出くらい、いつでもあげますよ」
「それは有難い。全て擦り切れるまでは覚えているつもりなんだ」
「話聞いてました?」

鍾離さんが幸せそうに笑うもので、いつの間に私はここまで彼に愛されていたのかと首を傾げる。
人間を愛する彼は、人間には向いていない。私に向けるような感情を鍾離さんが獲得するのは、私にとって望ましくない。
私との記憶を反芻して、感情を再生し、しまいこまずにこうして私を抱き留める。その作業がこのひとにとってどれほどイレギュラーなことか。

「不思議だな。いくらでも待つつもりでいたのに、もう既に離したくない」
「お墓の前で抱き合ってるのは絵面として中々ですから、一度離してもらえると」
「む……」
「可愛い顔してもダメですよ」

渋々と鍾離さんは私を離す。そういえばこの人は自分の葬式を自分で、しかも若干楽しみながら行ったひとであることを思い出した。

「いつ帰ってきたんだ?」
「ついさっきですかね」
「来て早々に自分の墓参りか」
「鍾離さんに会えたんだから良いじゃないですか」
「……ああ。本当に」

鍾離さんの声に、愛おしさが滲んだのが分かった。石珀が歪んで、潤む。
この人をこうしているのは私なのだと、ただその認識だけが与えられる。私は行き場のなかった手で鍾離さんの手を握った。

「……帰りますか」
「アテがあるのか?」
「いえ、鍾離さんの家にお邪魔しようかと……まだ私の物とってありますか?」
「昔のままだ」

処分しなかったのかするつもりがなかったのか。鍾離さんは頷いた。それが嬉しいのに、どこか苦しさを伴うせいで私は素直に喜ぶことが出来ない。
私はこのひとに恋をしておいて、鍾離さんが振り向くことで彼自身に降りかかる不利益の上でどうにも笑えないのだ。
表情にでも出ていたのか、鍾離さんは口を噤んだ。そして少し微笑んで、家の方へ歩き始める。
私は彼の背を見るようにして歩いた。
隣に並ばないようにしていたのに、いつのまにか鍾離さんの歩幅が狭まり、彼は私の隣へゆっくりと収まった。そしてそのまま進み、鍾離先生の家に着く。居心地が悪いわけでもないのに、それまで私たちは黙ったままだった。
ちらりと横顔を覗き見れば、私を捉えた双眸が細まる。相変わらずテイワットの空は綺麗で、鍾離さんは美しい。

「着きましたね」
「ああ」
「入らないんですか」
「その前に言うことがある」
「言うこと?」
「天衣」
「な、何ですか?」
「おかえり」

改まって私の方を向いた彼から飛び出したのは、普遍的の声掛け。
おかえり。おかえりなさい、の省略語。久しぶりに言われた気がした。
帰る場所を手放してばかりの私に、帰る場所はここだと、鍾離さんはそう言っているのだ。
緩やかに差し伸べられた手を取るのに、少し時間がかかった。人間のくせに人間とは少し違う私は、大きな夢でも、富でもなんでもなく、この言葉が欲しかったのだと気が付いてしまった。それを平凡とはかけはなれたこのひとが口にする。その事実がなんだか面白い。

「天衣」
「……しんでもいいです」
「それは困るな」
「告白ですよ」
「ならもう少し有体に言ってくれ」
「大好きです」

触れた指先から、手袋越しの鈍い体温が伝わる。
鍾離さんは私の言葉を聞いてからふわりと満足気に笑った。

「そうか。俺は愛している」
「うん、」

とてもよく知っている。あなたが私を好きだということを、知っている。
処理できない感情をしまいこまずにここまで持ってきて、すり減ってきたことを知っている。体温は私の心臓に巻き付く茨に変わって、柔らかな毒を注ぐ。
これが愛だと、知っている。
普通を手にできない生き物が普通を望めば、何かを歪める必要がある。彼はそれを平然とやってのけてしまった。代償に裏打ちされた愛を受け取ることは苦しくて、かなしくて、それでいて飛び上がるほど嬉しい。私と再会する鍾離さんも、こんな気持ちだったのだろうか。そうだとすれば、私はとても。

「それで、返事は?」
「た、ただいま?」
「それで良い」

鍾離さんは私の手を引いて、家に入る。手を引く力の加減は上手く、まるで家族だった彼らのようだった。
どこかで幼い私が泣いていた。これも早く棄てなければいけないと、傷痕など大切にするべきではないと言いながら、三千年殺せなかった子供が泣いていた。
家は彼と同じ優しい匂いがして、心臓が痛くて、痛いままでいたくて、だから私は笑ったのだ。
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