でもきみの方が綺麗だよ
「八坂、一緒に帰ろう」
「うん」
柔らかい声だ。アイドルを滅ぼすなんて言っていた頃が懐かしい。季節は巡り、春だか冬だか分からないあの寒さがまた来訪していた。
彼は私の手を握って、寒くはないかと自分のポケットに繋いだ手を突っ込んだ。
私もそれを拒否することなく、現在私たちは妙ちきりんな歩き方をして帰路を辿っている。
一彩くんは星奏館に帰るだけで良いはずなのに、彼は私を送ってくれる。世話をしたことがあるから家を知られているのは仕方がないが、いつまでこんなことをするつもりなのだろうか。
「……」
「……八坂?」
「……何でもない」
「そっか」
じっと一彩くんの方を見ると、彼は私に目を合わせて首を傾げた。夜に星あかりを背にしていても、一彩くんの瞳はキラキラしている。
私はどう見えているのだろうか。一彩くんを見るためにあげた顔は、まともに星に照らされているだろうか。
「一彩くん」
「何だい?」
「ちょっと、寄り道して帰らない?」
「いいの?」
「うん。星、綺麗だから」
冷えた右手の指先を握り込んで寒さを誤魔化す。彼は少し夜空を見上げて、「うむ」と何故かはにかんだ。
この表情は、なんだか慣れない。私だけが知っている気がして。
「ほうじ茶でもいい?」
「自分で買えるよ、八坂?」
「さすがにまだ自販機が使えないとは思ってないわよ。付き合わせてるから買うの」
「気なんて遣わなくていいんだけれど……」
「これくらいしないと落ち着かないの。そうやって育ったから、受け取ってよ」
「ウム……」
「何その表情」
ピ、ゴトンゴトン。ペットボトルが自販機の取出し口に落ちる。街灯が一、二つほどしかない暗い公園では自販機の電灯がほんの少し眩しかった。
「どうぞ」
「ありがとう」
そこから数歩進んで、一番近いベンチに座る。そういえば、彼と出会った場所もこのベンチだった。
まだ春を待つころの、薄暗い公園のベンチに彼はいた。言葉に起こしてみた状況に対して、彼は元気だったのだけれども。
家へ帰りたくない理由は特にない。本当になんとなく、彼ともう少しだけいたいと思った。こんなことを軽率にアイドルの身でするのはいかがなものかという自分の指摘を無視する。今日は寒いから、もう少し付き合ってほしかったのだ。
隣の赤髪を伺うと、綺麗な横顔は空を見上げていた。星、そんなに綺麗だっただろうか。星が綺麗なんて口実に過ぎなかったから、正直に空を見ている彼に申し訳なくなった。
「———きみと出逢ったころにも思っていたけれど……都会は星空が遠いね」
「一彩くんの故郷と比べられたらなあ」
「ウム……あのときの僕は星空を見ることでしか、故郷を感じることができなかったから……」
先ほど買ったペットボトルにひいろくんは口を付けて、白い息を吐いた。
一彩くんでも、白い息って出るんだ。いや、当たり前なのだけれど。どうにも私は彼の生に変な偏見を持ってしまっていけない。
「さびしかった?」
「……ウム。都会は人に溢れているけれど、僕にとっては孤独な場所だったよ」
「……」
多分、それは一彩くんだけに発生する特殊な感情ではない。都会はさびしいのだ。それは、間違いなく。
今まで見てきた星空は不夜城の光の前でおぼろげになって、そういうふうに、自分の成長の近くにあったものが失われてゆく心地がする。
私はそれを知っていたから。ただの反抗期で飛び出してみた小娘に過ぎないけれど。
私と同じように、さびしそうに見えた。似ているきみを助ければ、自分の呼吸が楽になる気がした。
「だからかな。八坂が僕の手を引いてくれた日は少し星が綺麗に見えたんだ」
だから、こんな言葉は身に余る。
逃げる場所もない力でペットボトルを握り込むと、ペコ、と情けない音がした。
「ううん、あの日だけじゃない。きみといると、ずっと故郷の星空が近くにある気がする。あの、眩しい星空が」
「一彩くん、それ、」
「———八坂」
今日も星が綺麗だね、と。一彩くんはそう言った。公園の外には今夜もビル街が生きていて、星空が綺麗に見えるはずなんてないのに、そう言った。
「八坂にも、綺麗に見えていてほしいと思うよ」
きゅ、と握られた手から体温がもれた。その温度は静かに、静かに私を包む。その温度は自販機の飲み物なんかよりずっと、悴んだ場所をやさしく融かすのだ。
一彩くんはやわらかく私を見つめていて、私は目を逸らせない。つまり、星が見れない。星よりも何よりも、私にとっては彼の瞳の方が綺麗に見える。
「……うん。きれい」
「本当かい!?嬉しいよ!」
「ほ、ほんとう……本当……」
パッと笑って、一彩くんは私との距離を詰めて、途中で止まった。腕が変な位置で手持ち無沙汰そうに漂っているから、私を抱きしめようとでもしたのだろう。ちょっと前まではノータイムで抱きしめてきていたことを思うとなんとなく寂しかった。
「いいよ」
「!ありがとう!」
きみが綺麗に見えたのは本当だ。彼の抱擁を受け入れながら、私は主語を抜いても成立する母国語に感謝した。
私は彼の体温が好きなのだから抱きしめられるのを断る理由がない。そもそもの話、私は彼にされることならば何だって受け入れる気がする。そういうところまで来てしまった。
「あ」
「八坂?」
抱きしめられて初めて視界から蒼穹を描くような青色が消えて、私はやっと星空を見た。
ひいろくん、と彼の名前が口をついて出る。
心臓の鼓動が聴こえた気がした。それがどちらのものかはわからない。
「———綺麗だね、星」
「ウム!」
多分、普通の星空だ。多分、というのは私は今一緒に一彩くんがいるからで。
つい先ほどまでの落ち着いた声色はいつの間にか喜色を見せて弾んでいた。
私と同じものを見ることは、どうやら彼にとってその程度には大きな意味を持つものだったのか。それは、なんともまあ。
赤くなっているであろう頬は夜風で冷やすべきなのか、夜風のせいにすべきなのか。
とりあえず、と一彩くんを抱きしめ返すと、耳に当たっていたふわふわの髪が子供みたいに揺れた。