ラベルは黒塗り


横顔が綺麗だと思う。
そんなことを、映画の音をBGMにして思った。


『ああ君、そんなに愚かだったのかい』

梅雨の訪れが感じられる長雨が窓の外では降り続けている。
皐さんと映画を毎週一度見るというこの約束も、気が付けば開始から数ヶ月が経っていた。
百夜通いではないけれども、俺は未だ欠席したことがない。大雨の日にもいつも通り訪ねて皐さんに怒られてしまったのはもうかなり前の話だが、心做しか彼女が見せた嬉しそうな笑みをよく覚えている。
綺麗だと思った。淋しそうな子どもを放っておけないように彼女の手を握っていようと思って握り始めた手に、俺の方が捕まってしまったことだけが誤算だった。
何も横顔だけではない。
海に行けば海が似合うと思うだろうし、花畑に行けば花が似合うと思うだろう。彼女はとても綺麗な人だ。
ただふと横を向いたとき、誰の色にも染まっていない彼女そのものが垣間見える横顔が、自分しか知り得ないのだと今気付いただけ。

「たっつー?」

俺は皐さんと繋いだ手を解いた。平然と進む映画はこれからクライマックスを迎えることを示唆する音楽が流れていた。
液晶から俺の方へと視線の行き先を変えた皐さんが首を傾げて、いたずらでもしたように笑う。

「自分から繋いだくせに」
「あはは……すみません。少し暑くなってしまって」
「あー、今日暑いもんね。エアコンつける?そしたら繋げる?」
「え、あ、はい?」
「安心するんだよね、手繋がれてると」

子供っぽいかなあ。そうぼやきながら皐さんはソファを立つ。それからすぐに、エアコンのリモコンが指令を送った音がした。

「これでよし」
「——————」

気が付けば当たり前のように右手が取られていて、皐さんは楽しそうに笑っている。
気を張らずに、ただ守られているような、安心しているような笑顔。きっと彼女が幼い頃にしていた表情。この表情も綺麗だと思う。決して盲目などではなく、心の底から。それがあまりにも息苦しい。

「そんな見られると恥ずかしいんだけど。映画見るのやめる?たっつーの顔見てても良いよ」
「……」
「え、何、何で握り直すの圧ヤバ近いな」
「皐さんのせいですな」
「たっつーはそんなこと言わない!」
「俺を何だと思ってるんですか」
「たっつーはもっと自罰的じゃん。あれ?じゃあ今のほうがいいのか」

まあいいや、と皐さんは話を打ち切った。相変わらず握られたままの手から還った血が心臓の辺りで脈打った。ドクンドクンと、分かりやすく生きているのだと身体が主張している。
気付かないでいたい。口に出してはいけない。そんなこと分かりきっているくせに目が離せない。
繋いだ手の体温が、心臓をなぞるような感覚がする。巻きついて、緩やかに罪悪感が首を絞めている。
今すぐ彼女に謝らなくてはいけないと、理由も見つけることなく思った。

「……皐さん。俺は、」
「ん、どしたの。どっか痛い?」
「……いいえ、どこも」
「そっか」

抱きしめてあげよう、と皐さんは映画を停止させ俺を抱きしめた。考え得るうちで一番俺にとって残酷な手段を皐さんは平然と取るのだから敵わない。

「皐さんが綺麗だと思いました」
「何の話?」
「俺の罪の話です」

皐さんといると、セピア色にしたはずの昔日が水彩絵の具でも乗せられたかのように滲み始める。多分、お互いにそう思っている。
だから一緒にいた。少し優しくなかった幼い世界が、ひとりではなくなった気がするからここまで来た。もう解決した孤独の思い出がただ似ていただけだ。過去の話なんてしたことがないのに、あの日毛布の中で背中を丸めた俺の隣に彼女はいる。可哀想とも、分かるよ、とも言うことなく、俺と同じ息継ぎをして、何がしたいかを訊いてくる。昔瞼の裏にいた優しさを、日常として手渡してくる。
俺もそうしたいと思った。だから友人になった。心から愛した。

「私結構綺麗な顔してると思うんだけど」
「皐さんは綺麗ですよ」
「……まあ良いけどさあ……」

酷い罪悪だ。けれども、口にすれば裏切りにさえ思えるこれをきっと彼女は肯定してしまう。友人を愛する彼女をいとも簡単に殺して、皐さんは受け入れる。

「すみません」
「謝られるようなことした?」
「……すみません」
「も〜……」

この状況に早鐘を打つ心臓なんて持つべきではなかった。
持っていなければ、この背中に腕を回すことだって簡単にできた。
抱きしめたいから、まだ生きていたいから、この鼓動を止めたいと願った。戻れなくなってしまう前に、雨が降る、ずっとずっと前に。