5話

「これお願いできるか」

やりたくないです。
置かれたのは書類の束。目の前には先生。選択肢はなかった。


災難だ。理科準備室でカチカチと書類にホチキスを止める。これで20セット目。
サイドテールのシュシュを解いて、ゆるく三つ編みをしながら肩まで髪を下ろした。

「だる…」

気分転換に窓を開けると、体育館が見えた。バレーボールがチラリと目に映る。
ということは。

「おった」

北くんや。
オーバーハンド、だったか。北くんはそれを練習していた。
バレーの技の名前がわからない。体育をもう少し真面目に受けていれば良かった。
そんな私にもわかることが一つ。多分北くんの練習は丁寧で、「ちゃんと」している。とても北くんらしいなあと思った。
北くんは試合に出ていないらしい。それなのにあんなに丁寧に練習ができるなんてどういう考えを持って生きているのだろう。なんでそんなに頑張るんだろう。
いや、頑張ってなんかいないのか。きっと北くんにはそれが当たり前なのだ。
北くんはいつも、息をするみたいに私にできないことをして生きている。

「遠いなあ」

少しだけ、背筋が伸びた。


一人帰りをするときの風は、少し冷たい。
日が落ちて、街灯がつき始めた頃。
私が頼まれた仕事を終え校門へ向かう。

「わ、北くんや」
「四季さん?」

形の良い丸い頭。毛先にかけて黒くなる髪。私より高い背。

「北くんいつもこんな時間に帰っとるんか」
「部活やっとる大抵の奴こんな時間やで。四季さん帰宅部やのになんで残ってたん?」
「帰宅部やから先生の手伝いにかり出されたんよ」

書類をホチキスで留めるだけの仕事なのだが、使っていた部屋の窓から北くんが見えたので予定より長引きました、とは言えない。

「こんな時間までする仕事って何なん?」
「……秘密」
「そか」

北はそれ以上追求してこなかった。まあ私にそんなに興味ないもんな、仕方ないな。…自分で言ってなんか悲しくなってきた。面倒臭い奴だ、私。

「…送るわ」
「え?」
「暗い中女子一人で帰すわけにもいかんしな。いつも走ってきとるくらいなら近いやろ」
「せやけど北くん部活の人らと帰らんくてええの?」
「ええよ。今連絡するから待っとって」
「う、うん」

何が起きているのか分からない。よく分からないけど、ラッキーなのはわかった。
北くんはスマホでアラン――多分尾白くん――に電話をかけて別々で帰る旨を伝えていた。
文字を打つのではなく、直接電話をかけるのが北くんらしい。

「アランにも伝えたし、行こか」
「うん!」

私が返事をすると、「なんや嬉しそうやなあ」と北くんが言った。そんなつもりなかったんだけども。


「北くん、グミ食べん?」
「夕飯あるから食べん」
「一袋全部食べるわけやないで!?一個!」
「最初から食べさせる気満々やん」

ほな一個だけもらうわ、と北くんが手を差し出す。
そこにポンとグミを置いた。少しだけ手が触れて、気がつかなかったけど北くんちゃんと男の子の手してるんだな、なんて思った。
グミを咀嚼する北くんを見つめる。歩きながら何かを食べるという行為と北くんのイメージが乖離しすぎていて面白い。

「…じっと見られると困るんやけど」
「ごめん」

私もグミを食べる。おいしい。

「北くんちのご飯って美味しそうやなあ」
「どういうことなん」
「そのままの意味やで」

というか北くん自身が料理上手そう。そもそもこの人に苦手なことなんてあるのだろうか。

「…まあ、ばあちゃんの飯は美味いなあ。四季さんの偏見もそう外れてへんよ」
「偏見って…確かに偏見やけどさあ…ご飯の話してたらお腹減ってきたわ、めちゃくちゃお米食べたい」
「四季さんは見た目よりずっと食いしん坊やな」
「見た目通りだとどんなイメージなん?」
「パンケーキ?とか食べてそうやわ」
「北の偏見も間違ってへんよ。それも好きやけどそれはそれとして焼肉お腹いっぱい食べたいと思うってだけやもん。いや、焼き肉はいつもやな」

北が少し笑う。食い意地張りすぎただろうか。いや、偽ったところで意味なんてないけれども。

「引いた?」
「引く?何でや、四季さん美味しそうに飯食べるの知っとるし」
「えっ」
「二時間に一回くらいのペースで何かしら食べとるよな。後輩思い出すわ」
「バレー部の後輩?」

北くんはこくりと頷く。食べ盛りの男子高校生を思い起こさせるほど私は食べていたらしい。完全に無意識だ。
恥ずかしい気持ちを抑えているうちに家が見えてくる。ああもうおしまいか、この時間。

「私の家あそこやねん。北くん、わざわざ送ってくれてありがとうな」
「別に道自体はそう変わらんし、ええよ」

バイバイ、また明日な、と北くんに手を振って家へ向かう。否、向かおうとして、北くんに声をかけられた。

「四季さん」
「どしたん」
「その髪型かわええと思う」
「へ」
「また明日な」
「アッハイ」

遠ざかる北くんの背中を見てから座り込む。

「なんなん…」

暑い、熱い。まだ玄関には入れそうになかった。



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