初夏、首筋にじわりと熱を感じはじめる季節。私立夢ノ咲学院にも期末テストという重大イベントが間近に迫り、私の通う声楽科も本日より自主練習禁止期間に突入した。テストといっても日々の授業で習う一般教養。特別難しいものじゃない。復習さえ怠らなければ平均点以上の点数が取れることをこの1年と数ヵ月の間に学んだ。故に、早く帰宅してもテストのために勉強をするという考えが全くない。冷蔵庫からお気に入りの炭酸飲料を取り出しながら、キッチンで夜ご飯を作る母親に「手伝うことある?」と聞けば「もうすぐ出来るから座って待ってて」と言われてしまう。暇だ。時間があるなら音楽に触れたい。もっと、誰かの心を動かせるような歌をうたえるようになりたいのに。──もどかしい。もやもやとした気持ちと共にリビングへ移動し、利き手に持っていた炭酸飲料を机の上へ。つい先程まで地方の特集や明日の天気など味気ないニュース番組を映していたテレビの画面は、いつの間に変わったのか、芸能人が鮮やかに飾っていたが、特に興味はなかった。賑やかな笑い声を聞きながら、ソファに膝を抱えて座ると携帯を取り出す。そして開いたままだったSNSサイトのページをスライドさせる。


「あら、珍しい。泉くんが出てるのね」


あれからどれくらい時間が経ったのだろう。私のすぐ後ろで声がした。驚いて振り向けば、おたまを片手に母親がテレビを見つめたまま立っている。泉くん。とても懐かしい呼び方で彼の名を読んだ、その顔はとても優しい。


「……本当だ。私、いずくんがテレビに出てるのはじめて見たかも……」
「紗枝はいつも帰りが遅いし、そうかもねぇ。お母さんは何回か見てるけどね」
「ふふっ。チェックとかしてるの?」
「それは内緒。でも泉くんがテレビに出るのは本当に珍しいのよ。高校生になってからはこれが2回目だもの」


瀬名泉。それは【モデル界のシニカル王子】がキャッチフレーズな売れっ子モデルの名前だ。今はアイドルの勉強をするため、モデル活動を休止しているらしいけれど。何にも染まりそうにない綺麗な銀髪を揺らして、画面の中でふわりと微笑む彼は、私の、知り合いだった。過去形にしてしまうのは、もう10年近く前の話だからだ。ランドセルを背負うのではなくランドセルに背負われていた頃。もう私も朧気にしか覚えてないし向こうもきっとそうなんだと思っている。いや、覚えていないかもしれない。相手は未だ華々しい世界の住人なのだから。


「泉くん、モデルのお仕事はお休みしてるはずなんだけど……。あ、今日はアイドルとして出演してるのね」
「お母さん情報得るの早すぎ。というか、自分の携帯で調べてよ」
「だってそこにあったんだもの。ほら、見て、かっこよくなったわよね」


そんなの言われなくても分かってるし、いずくんは昔からかっこよかった。私の半歩先を行くお兄ちゃんで、すごくきらきらしてて、大好きだったから。母親に奪われた携帯を取り返し、検索ページから先程まで開いていたSNSサイトへと画面を戻す。うわあ。すごい。少し目を離しただけでタイムラインが今私たち親子が見ている番組の話題で埋め尽くされていた。


『今日のトークテーマは初恋の人!』
『瀬名くんは初恋の思い出はありますか?』
『ありますよ』
『おお〜!いつくらいの話とか、聞いても大丈夫なのかな?』
『はい。10年くらい前ですかね。昔一緒にお仕事をしていた子がいて。すごく可愛かったんですよ。今どうしてるのかは知らないですけど』


お母さんが瞳を輝かせて人の肩を叩いてきゃあきゃあと騒いでる。叩かれている肩が痛い。そう感じるのに唇が言葉を発することを忘れたまま開いている。こんなの自意識過剰だ。自分のことかもなんて思ってはいけないと、どこかではきちんと分かってるのに。全身が麻痺してる。

今、画面の向こうの彼が言った言葉が忘れられないのは、どうしてなの。


「紗枝!紗枝のことでしょ?」
「…………」
「紗枝、泉くんと仲良かったもの。きっとそうよ!」
「いや、勝手に決めつけないで。いずくんは私以外のモデルさんともたくさんお仕事してたよ」
「もうー。顔真っ赤にしてるのにそんなひねくれたこと言うんだから」
「いずくんがわるい。あと、おかあさんもわるい」


そう、私は天羽紗枝という名前でキッズモデルをしていた過去がある。瀬名泉と遊木真。人気になった頃も最初の頃と変わらず裏心なく接してくれた2人とは特に仲が良くて。幾度も仕事を一緒にした。いずくんとは兄妹役でCMの撮影をしたり、真くんとは手を繋いで花道をウォーキングしたこともあったっけ。懐かしい。どれも素敵で大切な思い出だ。でも、もう。天羽紗枝はいないから。2人と並んで笑えることはない。


「……そういえば。学校は大丈夫?」
「うん。夢ノ咲ではバレてない」
「もしかしたら、この番組を見た泉くんのファンの子たちに詮索されちゃうかもね」
「そうなったときは、そうなったときだよ。天羽だった過去を知っても受け入れてくれる場所を探す」
「うちの娘は強いわねぇ。さあ、そろそろご飯にしましょうか」
「色々驚いたらおなかすいちゃった。用意手伝うよ」


ソファから立ち上がって、握り締めていた携帯をテレビの横に置いてあった充電器スタンドへ。暫くSNSは見ない方がいいということは分かっているのだ。もしかすると、トレンド入りするくらいの勢いかもしれない。嗚呼こわい。

先にキッチンへと向かった母親の背中を追う。ふわりと海鮮とクリームソースのほんのり甘い香り。チン。オーブンレンジの音と同時に焦げたチーズの香りもする。きっと今日の夜ご飯は大好物のエビグラタンだ。


「いずくん。私の初恋はいずくんだったよ」


ぽつり。テレビに向かって、そっと呟いた言葉は誰にも届くことはない。


フラッシュバック、蘇る恋心

title:38℃の欲槽
20170117
博愛