銀色を捧ぐ


※3期(FI後)

「貴方達って結婚しないの?」
「は?」
仕事の報告を終えて返ってきた言葉は全く予想していなかった内容で、素っ頓狂な声を出してしまった。デスクチェアに腰掛けて意地の悪い笑みを浮かべている課長を一瞥して咳払いをする。
「……俺も彼女も潜在犯だ」
「その制限は撤廃されたじゃない」
「……」
平静を装って答えると何を言っているんだと言いたげに返された。確かにお互いに公安局の執行官として働いていた時なら不可能でも、外務省の捜査官として働いている今なら可能かもしれない。ただ、彼女と結婚する事を考えた事はない。普通は長い時間を共にすれば考えるのだろう。普通の――クリアな人間なら。
俺も彼女も執行官になる前は監視官だった。先に彼女が犯罪係数を上昇させて、俺も例の事件で犯罪係数を上昇させて監視官ではいられなくなった。彼女が監視官を辞める時、別れてほしいと告げられた。犯罪係数が悪化した自分と共に過ごす事で俺の犯罪係数に悪影響を及ぼしたくないという理由だった。正直非常に悩んだ。しかし、別れを選ばなかった。正しくは選べなかった。彼女が潜在犯になっても、彼女の手を離したくなかった。結果としてはそれで良かったと思っている。あの時彼女の手を離していたら、今も一緒に過ごす事は出来なかっただろう。
「いきなりそんな話題を振るなんて、彼女が何か言っていたのか?」
「まさか。私が気になっただけよ」
「……そうか」
もしも彼女が気にしているのなら二人で話し合うべきかと考えて尋ねるとそうではなかった。その事に安堵したものの、課長はまだ満足していないように見えて、嫌な予感がした。
「どうやらプロポーズする気はないようね」
「……」
「仕事は出来るのに女心には随分疎いのね」
「……」
責めるような言葉に言い返す事は出来なかった。今まで考えた事はなかったが、この機会に考えるべきだろうか。プロポーズする事で彼女が喜んでくれるのなら俺も嬉しい。
「……少し検討する」
「良い報告を待っているわ」
考えを改めて小さく呟く。課長は俺が彼女にプロポーズすると確信しているような口ぶりで返してきた。

◆ ◇ ◆

課長とやり取りをして三日後の夜、俺と彼女は俺の部屋で寛いでいた。食事も風呂も済ませたため、後は眠るだけだ。彼女はソファに座り狡噛から借りたという本を読んでいる。俺も彼女の隣で適当に選んだ小説を読もうとしているが、どうにも集中出来ない。ポケットに入れている小さな箱が早くしろと主張しているように感じるからだ。
「……」
「……」
彼女が本を読み始めて十分ほど経っただろうか。読書の邪魔をしたくはないが、早く渡したい。どうせなら彼女が読書を始める前に渡せば良かった。タイミングを見誤った事を悔やんでいると、突然彼女が本を閉じた。ぱたんという音は小さいものだったが、緊張している俺に動揺を与える事となり肩を震わせた。
「今日は何だかそわそわしているみたいだけど……何かあったの?」
「!」
俺とは反対側のスペースに本を置き、彼女が俺を見上げて問い掛けてきた。どうやらとっくにお見通しだったようだ。彼女がきっかけを作ってくれた事を有難いと思いつつ、覚悟を決めて彼女を見つめる。
「名前」
「うん」
「……俺と、結婚してくれないか」
そう告げるのと同時にポケットから取り出した小さな箱を開けて中身を見せる。中には彼女に贈る指輪が入っている。彼女は俺と指輪を交互に見て、きょとんとした。聞こえなかったわけではなく、理解が追いついていないように見受けられた。
「……けっ、こん……?」
「……あぁ」
「伸元と、私が……?」
「そうだ」
小さな声で確認するように紡がれる言葉を肯定する。小さな箱を左手で持ち、右手で彼女の左手を掴みそのまま俺の口元まで持ち上げる。左手の薬指の付け根に唇を落として彼女の反応を窺う。彼女はようやく理解したのか、金魚のように口をぱくぱくと動かした。
「え、でも、私達は――」
「俺達は潜在犯だが、その制限は撤廃された。と言っても、俺もまだ調べられていないんだが……返事を聞かせてくれないか?」
彼女の思考を読んで先回りする。薬指から唇を離して、彼女の左手を掴んだまま彼女の顔に自分の顔を近付ける。彼女は視線を泳がせたかと思えば目を閉じてしまった。まだ混乱しているのだろうか。もしかして拒否されるのではと一抹の不安を感じて、急かしたくなる気持ちをぐっと堪えて彼女の返事を待つ。数秒後、彼女はゆっくりと目を開けた。薄い膜が張っていて、今にも泣きそうだなと冷静に考えた。
「……私で、良いの?」
「名前が良いんだ」
「……っ、私も、伸元が良い……」
不安そうに揺れていた瞳は安堵の色を浮かべて、目尻に溜まっていた涙が頬に流れ落ちた。彼女の返答に俺も安堵して、涙を零す彼女に触れるだけの口付けを贈る。そして小さな箱から指輪を取り出して、ゆっくりとした動作で彼女の左手の薬指に嵌めた。彼女は薬指に嵌めた指輪をぼんやりと見て、俺の背中に両腕を回して抱きついてきた。
「ありがとう、伸元。すごく嬉しい」
「……喜んでもらえて良かったよ」
「伸元の側にいられるだけで幸せだと思っていたけど……プロポーズされるなんて、何だか夢みたい」
「夢じゃないぞ」
予想よりも喜んでいる彼女を抱き締めて二人で笑い合う。明日仕事を始める前に彼女との結婚を課長や狡噛達に報告しようと考えながら幸せを噛み締めた。

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