傾く天秤


※2期後

「須郷さんの分からず屋!」
「苗字監視官に言われたくありません」
どうして理解してくれないのかという気持ちから大きな声を出してしまったけど、須郷さんにはっきりと言い返されてしまった。言葉に詰まり、唇を噛み締める。少しだけ周りを見る余裕を取り戻して、周りにいる人達がどうしたものかとそれぞれ悩んでいるように見えてはっと我に返った。熱くなっているのは私だけだった。気持ちを落ち着かせるために深呼吸して口を開く。
「……取り乱してすみません。他の皆も須郷さんと同じ意見ですか?」
周りには須郷さんの他に唐之杜さんと二係の執行官二人がいて、全員が首を縦に振った。私と同じ考えの人はいないという事にまた熱くなりそうになるのをぐっと堪えて、小さく息を吐き出す。
「……でも、手伝っていただいている他の係の執行官を……囮にするなんて……」
今の二係は執行官が一人足りなくて、局長の許可と常守監視官の協力を得て一係の須郷さんに捜査を手伝ってもらっている。犯人の目星はついていて、後は犯人を確保するだけなのだけど、そのために誰かが囮をしなくてはならない。囮には危険が付き纏う。それなのに、須郷さんは囮の話になった途端すぐに立候補した。万が一自分が欠けても何の問題もないから、と。ぽつりと呟いて、須郷さんを一瞥する。須郷さんは相変わらず決意を宿した瞳をしていた。
「……今回の被害者は全員女性です。二係の中で女性は私だけですし、私が囮をやるほうが効率的だと思います」
先程と同じ主張を繰り返すが、誰も頷かなかった。このまま言い合いをしても時間の無駄だと分かっている。けれど、どうしても須郷さんを囮にしたくなかった。他の係の執行官に迷惑を掛けたくないという気持ちと私の個人的な感情から。もしかすると唐之杜さんは気付いているかもしれない。何度か、相談した事があるから。それでも何も言わない唐之杜さんに感謝しつつ、口を開こうとすると、もう一人の監視官が執行官と共に分析室にやって来た。
「まだ方針が決まっていないんですか?」
「……私が囮をやります」
監視官の口調から苛立ちを感じ取り、私もむっとして言葉を返す。すると私の隣に立った監視官が何を言っているんだと言わんばかりの視線を寄越して大きな溜め息をついた。
「相変わらず、何のために執行官がいるのか理解していないんですね」
「……っ、私は――」
「貴方がやる必要はない。須郷執行官に任せましょう」
私と考え方が合わない監視官だが勘は鋭く、すぐに誰が囮をやるのか見抜いたようだ。須郷さんはすぐに頷き、そのまま話が進んでしまった。納得出来ない私は捜査会議が終わると同時に須郷さんの腕を掴み分析室を後にした。

「どうして囮に立候補したんですか」
「それが自分の仕事だからです」
誰も使用していないトレーニングルームに入って須郷さんの腕を掴んだまま疑問をぶつける。須郷さんは当たり前の事だと返してきた。そういう事が聞きたいんじゃない。ただ、他の答えを引き出そうとするには他の聞き方をしなければならない。そうする事を躊躇ってしまう。言っても良いものか、言ったら困らせてしまうのではないかと悩んでいる。
「……この仕事を始めた以上、私も覚悟は出来ています」
「それは自分もです。ただ、貴方と自分では立場が違う。監視官を危険な目に遭わせるわけにはいかない」
少しだけ違う言い方をしたものの、全く通じなかった。同じ人間なのに、立場が邪魔をする。立場という壁を壊す事は出来ないかもしれない。須郷さんの腕をゆっくりと放して、拳を握り締める。怒りや悲しみから拳が震える。
「……」
「……」
お互いに黙り込み、気まずい雰囲気になった。それでも視線を逸らさなかった。逸らしたら須郷さんが私の前から去ってしまう気がしたから。囮作戦の実行まであまり時間がない。私の我儘で須郷さんに迷惑をかけている事も理解している。文句は言われていないが、内心呆れているかもしれない。これではどちらが上司で部下なのか分からないなと苦笑しそうになった。そしてふと決して起こってほしくはないが万が一の事があればずっと後悔するのではないかという考えが浮かび、思いを打ち明ける事を決めた。
「須郷さん」
「はい」
「私は……私だって、貴方に危険な目に遭ってほしくないんです」
「……何故ですか?」
今までずっと即答していた須郷さんが少し間を置いて聞き返してきた。私の考えが分からないと言いたげな怪訝そうな目をしている。言っても理解してもらえないかもしれない。もしくは困らせてしまうかもしれない。それでも言うと決めたのだ。
「……須郷さんに、特別な感情を抱いているから、です」
「……」
「……はっきり言うと、好きだからです」
「……誰が、誰をですか?」
思い切って伝えたのに、頓珍漢な質問をされた。まさかここまで言って伝わらないとは。もしかしてからかわれているのだろうかと一瞬疑ったけど、須郷さんは真剣な目をしていて、それはないと判断した。その目に鼓動が跳ねて、頬に熱が集まるのを自覚しながら、半ばやけになって説明する。
「私が、須郷さんを、です! ……その様子だと私の気持ちには全然気付いていなかったみたいですね」
「……何となく、うっすらとそうかなと思う事は何度かありましたが……」
「えっ」
また予想外の返答だった。上手く隠しているつもりだったのに、伝わっていたらしく更に恥ずかしくなった。ここには鏡がないから確認出来ないけど、きっと頬が赤くなっているだろう。
「……自分の勘違いだと思っていました」
「……勘違いじゃ、ないです。……その、良い機会なので聞きますが……須郷さんは、私の事をどう思っていますか?」
須郷さんを好きになってから、ずっと聞きたかった。私は須郷さんを好きだけど、須郷さんはどうなんだろうって。監視官としてではなく、一人の女性として見てくれた事はあるだろうか。問い掛けておきながら答えを聞くのが怖い。何とも思っていないかもしれないし、もしかしたら嫌われているかもしれない。思考が悪いほうに傾いていく中、須郷さんが口を開けるのを見てごくりと息を呑む。
「……いつもひたむきに仕事に取り組んでいて、尊敬しています」
「……そっちじゃなくて――」
「優しくて、素敵な人だと思っています」
「……!」
監視官としての働きぶりを褒められたのは素直に嬉しい。ただ、欲しい言葉は監視官としてではない。私が口を挟もうとすると、須郷さんは言葉を続けた。自分も好きです、という言葉ではなかったけど、それでも嬉しい。少なくとも嫌われているわけではなくて良かった。安堵からずっと握り締めていた拳を開き、息を吐き出す。
「……ありがとうございます。そう言ってもらえて嬉しいです」
「……いえ」
少し気まずそうにしている須郷さんに告白の返事は聞かないでおこう。今はそれよりも仕事について考えるべきだ。須郷さんへの危険性が少しでも下がるようにしなければならない。私は気を引き締めて、監視官として言葉を紡ぐ。
「私のせいで時間を取らせてしまってすみませんでした。皆のところに戻って、作戦実行に備えましょう」
「はい」
しっかりと頷いた須郷さんは真剣な面持ちに変わっていた。そんな須郷さんを連れて、トレーニングルームを出てオフィスへ向かった。

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