──人理継続保障機関フィニス・カルデア──
この国連承認機関には、『人類最後のマスター』と呼ばれる人間がいる。名は藤丸立香。カルデアに来るまで魔術回路を起動したことさえなかった、魔術師とは到底呼べない完全完璧な素人だ。
しかしそんな彼女はシステムフェイトを介して契約をした多くのサーヴァントを使役することが出来る他、はぐれサーヴァントとも契約できるという特異な存在であった。
七つの特異点と度々発生する小特異点、それらを攻略してきた彼女は数多の英霊たちと契約を交わしてきた。
そして今日もまた、戦力拡大のために召喚の儀を行うべく、虹色の輝石を携えて祈りを捧げる予定である。
しかしながら、この召喚のシステムは必ずしも英霊たちを呼び出してくれるとは限らない。なぜか麻婆豆腐や寺の概念が出てきたりすることがあるのだ。そう、なぜか。
そして立香はここ十数回連敗を続けている最中であった。この輝石は貴重なものだというのに英霊は一向に現れない。激辛マーボーだけがカルデアに増えては英霊の腹へ収まっていく日々が続いる。
「今日こそはこの連敗記録に終止符を打つ!」
「そういって前回も麻婆豆腐だったじゃないか。勝算はあるのかい?」
「秘策があるんだ。今回は確実にサーヴァントが喚べるよ。間違いなく!」
声高らかに宣言する立香にダ・ヴィンチは疑いの眼差しを投げる。そんな視線はものともせず、立香はニヤリと笑うと自慢の後輩の名前を呼んだ。
「はい! スピカさん、お連れしました!」
「え、まさか君たち……」
「そう。今回はスピカを触媒にします」
マシュの後ろからやってきたスピカは片手にココアの入ったマグカップを持っていることから急に連行されてきたことが窺えた。触媒にされるなどという話も勿論聞かされていないだろう。
今までにも召喚の儀に触媒を用意したことはそれなりにあったが、サーヴァントを使用したことはなかった。ましてや今を生きる実体を持つ女神を誘い水にするなど、人類最後のマスターの怖いもの知らずはとどまるところを知らない……そうダ・ヴィンチは思った。
「私を召喚の触媒に? それは構わないけれども、あまり期待はしない方がいいわ」
「なんで?」
「私は人類史に名を刻まれていない無名の女神。深い仲の英霊なんていないもの」
「スピカさん、これまでの特異点でのこと、忘れてしまったんですか!?」
「そうだよ! 賢王やアルテミスと会った時に何て言ってたか覚えてる? 『あら、久しぶりね。元気にしていた?』だよ!? 知り合いじゃん!!」
確かに今までレイシフトした特異点で出会ったサーヴァントたち。中でも神代を生きた者たちに出会った時、スピカの第一声は旧友への挨拶から始まる。深い仲の英霊なんていないと宣うが、全くもって偽言もいいところだ。
しかしそう吠える二人を前にしても、当の本人は『そうだったかしら?』なんて、いけしゃあしゃあと首を傾げて微笑むだけだった。
「ええ、それで? マスターは一体どんな英霊をご所望なのかしら?」
「え? えーとね、最近はドラゴンやゴーレムや巨大生物との戦闘が増えてるから、そういうのに強い英雄がいいんだよね」
「巨大生物ねぇ……ドラゴンスレイヤーならジークフリートやシグルドだけども……彼らは竜種に特化してるから巨大生物特攻とはまた違うかしら」
スピカはココアを一口飲むと、再びうーんと顎に手を添えた。
ドラゴンスレイヤーは思い付く限りでも数人挙げることができるが、意外にもドラゴンを除く巨獣を退治した逸話を持つ英雄は少ない。
「それならいっそのこと巨人はどうかしら? ウトガルドロキあたりなら来てくれると思うわ」
「ウトガルドロキって……北欧神話の巨人族の王だね。それを来てくれると思うって……君、本当に何者なんだい? 実はどこかの主神でしたーなんてオチじゃないだろうね?」
「まさか。残念ながら私の知名度は底辺も底辺。下手な妖精なんかよりもずっと無名よ。伝承でも神話でも、例えばお伽噺の中だとしても、ほんの少しだって私の名前を聞いたこと、ないでしょう?」
「ない。君が来てからと言うもの世界中の文献や伝説を調べてるけど、悔しながら何の情報も見つからないさ。絶対に何かあるはずなのに!!」
人類史始まって以来の天才としてのプライドがあるのだろう。何としてもスピカという神秘を解明したいダ・ヴィンチは、寝る間を惜しんでこの無名の女神の正体を探っていた。
残念ながらどれだけ探せど、ただの一つのヒントも見つかっていないのだが。
「ふふ、頑張って探してね。ああ……それで、話が逸れたけれども、結局誰を喚びたいの?」
「全てお任せします」
「ええ? お任せにしちゃうの?」
「うん。なんかもうスピカで喚ぶ存在なんて規模が違いすぎちゃって。私が決めて良い相手じゃないもん」
立香は先ほどスピカの口から小さく『別に仕えてくれるならサーヴァントである必要もないのよね』という言葉の後に北欧やギリシャの幻獣種の名称を漏らしている事に気づいている。まさか使い魔にでもする気なのだろうか。
少なくともスピカは神霊か神代の英雄、神聖生物に当たりをつけている。当然だが、一介の人間が選んでいい相手ではないし、むしろカルデアが選んで頂く側というか、とにかく恐れ多さが上回った。
「それじゃあ……抽象的になるけれどもマスターの要望に沿う一番の適任者を、と呼び掛けるわ。誰が来てくれるかはわからないけれど構わないわね?」
「よろしくお願いします!」
見事な直角を描き頭を下げる立香にスピカは頷くと少し冷めたココアの最後の一口を飲み干した。
しかし本来、触媒というのは、英霊に縁のあるものや聖遺物である。それに呼び寄せられて英霊が召喚に応じる。というのが一般的だ。
スピカはもちろん聖遺物などではないが、先ほどの様子を見ていればわかる通り『神代フレンド』が多い。神話の枠組みを超えて様々な神霊、英霊と縁があるのだ。
だが、ひとえに縁と言っても、触媒として作用するのは、普通であれば夫婦や兄弟、親子のような特別深い関係の者が対象なのだろうが、如何せんスピカには男女問わず、彼女に対して何かしらの大きな感情を抱えているお友達が多い。
つまり、彼女を釣糸の先に垂らしておけば小魚から鯨まで何だって食いついてくる。そう、対象範囲が有り得ないほど広い触媒になり得るのだ。
そんな最強の触媒はというと、部屋の中央に召喚陣を描きはじめていた。彼女の指先が通った後には黄金の粒子が線になって浮き出来上がっていく。
普段はマシュの盾を使うが、本日は召喚陣も彼女のお手製、特別仕様である。こうすることでより強くスピカの触媒としての力が発揮できるらしい。
少ししてできあがった召喚陣の側に立つと、スピカは長い睫毛を伏せて静かに息を整える。続いて立香が陣の正面に立ち、聖晶石を持つ手を差し出した。
立香が詠唱を始めると四方厚い壁に囲われた窓のない部屋にどこからともなく風が吹き出し召喚陣が淡く光始めた。その光は次第に強さを増していき、黄金の輝きがまるで柱のように勢いよく天井へと伸びていく。
一際強い風がその場にいた者たちを吹き飛ばさん勢いで吹いた時、陣の上に人影が現れた。
━━サーヴァントだ━━
徐々に輝きが弱まり、目の前の人物の姿がはっきりと見え始める。それは青を基調とした衣服に白銀の鎧を纏った青年だった。目深にフードを被っており、表情は窺えない。
カツン、と金属音を鳴らしながら青年は立香の前へと踏み出した。
立香よりも20cmほど目線の高い青年は、辛うじて見える口元に弧を描く。
「僕は、アーサー・ペンドラゴン。クラスはセイバー。君を守り、世界を守るサーヴァントだ」
「アーサー……アーサー、王……?」
「うん?」
サーヴァントが名乗ったのはあまりにも有名なブリテンの王のものだった。
その名前、その姿はいつか立香がレイシフトに失敗した際に出会った彼の人と同じで。確認するように名前を繰り返し呼んだ立香に、彼は首を傾げて返事をした。
「え、嘘。本当に? ……麻婆豆腐からのアーサー王とか……反動がデカすぎる」
長らく続いた麻婆豆腐地獄に終止符を打ち、喜び咽び泣く人類最後のマスター。
そんな彼女を前に、アーサーは思い出したようにフードに手をかけた。
「すまない、顔を隠したままだなんて失礼だったね。……しかし、また君と合間見ることになるとは。これも何かの縁だね。これからよろしく頼むよ」
現れたのは、まさに白馬の王子様を実体化したような、金髪の凛々しい美青年。その堂々たる王の風格に、アーサー王を召喚したという実感を得て、立香はマシュを強く抱きしめて喜びあった。
「ところで、この魔力は……「アーサー王を呼べちゃうなんて! やっぱりスピカはすごいや!」」
アーサーの言葉に被せて立香が発した名前に、アーサーが大きく反応を示す。フードに遮られていた視界がクリアになった今、彼は立香が呼び掛けた先へと勢いよく振り返った。
スピカとアーサーの視線が交わる。
先ほどからずっと言葉を発さずにいたスピカは珍しく驚いているのだろうか、目を大きく開いて固まっている。
アーサーも信じられないものを見るようにエメラルドの瞳を丸くしていた。
「そんな、まさか……信じられない……本当に、スピカなのかい?」
その問いにスピカは応えない。
「いや、僕が君を見間違える訳がないね。ああ、どうしよう。気持ちが追い付かないな」
「アー、サー……」
やっとのことでスピカの口から発されたのは、いつものお決まりの台詞ではなかった。
少し上ずった、か細い声がその名を呼ぶや否や、アーサーは辛うじて携えていた微笑みを捨て、今にも泣き出しそうな表情へと変わる。
そして足早にスピカに近づき、躊躇いなく彼女を抱き締めた。
「ずっと、ずっと君に会いたかった」